[PR]子育てママさんへ:3年毎に15万円うけとれる医療保険?


 駅にほど近い有名な大手進学塾。
 そこは日々、有名高校合格を目指して勉強にはげむ生徒たちの緊張感に満ちている。
 きれいに掃除された、中学校の教室の半分くらいのスペースの部屋。
 20個ほど並べられた机のひとつに、少女はいた。
 くせのないセミロングの髪。どんぐり形の目をしたきれいな少女だ。
「残り10分!」
 黒板の前に立っている講師が告げた。
 それを聞き、少女ははっとした顔になった。
(…いけない!)
 少女は机の上にほったらかしにされていたテスト用紙に視線を戻した。
 「第3回冬季実力試験」、この進学塾の冬期講習最後の試験である。
 少女は、問題用紙の後半の、空間図形の問題を真剣なまなざしで見つめた。
(ああ、昨日あんなに復習したのに……)
 その問題の解答用紙の欄は、何度か書いて消したあとがあったが、結局白紙のままだった。
「残り5分!」
 講師が再び残り時間を告げる。
 教室じゅうから紙を動かす、がさがさという音がする。
 少女は部屋の前方の壁に掛かっている時計を見て、鉛筆を置いた。
 問題用紙の一枚目から順に、最後の見なおしに取りかかる。解けない問題に気をとられていたのだ。
 しかし、残り時間を知り、ようやくケアレスミスを探す決断をしたようだ。
「あ……」
 誰にも聞こえないような小声を少女は発した。
 少女は鉛筆を取り、解答用紙の一番上にすばやく書きこみをした。
 霧里美崎(きりさと みさき)、と。
 解答用紙に、肝心の名前を書き忘れていたのだ。 
 終了のチャイムが鳴った。教室中から生徒たちのため息がおこり、緊張した空気がほぐれはじめた。
 雑談をする者はいない。みな口々に「あー」とか「うー」とかうなっていた。
 少女、霧里美崎も、ほっとしたような顔をしている。
 すると、美崎の肩を誰かが軽く叩いた。
「あ、ごめんね」
 美崎は後ろの席の子から渡された解答用紙に、自分の解答用紙を重ねて前の席の子に渡した。
(あーあ。悔しいなあ、最後の問題。後で浩(こう)くんに教えてもらおうっと)
 美崎は安堵の表情を浮かべたが、それはテストが終わったという開放感のせいだけではなかった。
 浩くんとは、美崎と同じくこの進学塾に通っている高野浩一郎のことである。
「よーし、テストはこれで終了だ。結果は来週頭に掲示板に張り出すからな」
 講師が言うが早いか、生徒たちは雑談を始めた。雑談といっても、ほとんどがテストの話題だ。
 数は少ないが、早々と席を立つ者もいる。その中に美崎の姿もあった。
 美崎は廊下に出ると、右手つきあたりの自習室に向かって歩いた。
 自習室は二つある。美崎は第二自習室へ入っていった。一番前の席に一人座っているだけで、他には誰もいない。
 第二自習室は、第一自習室の三分の一くらいの広さだ。大抵の生徒は第一自習室を使う。
 美崎も第一自習室を使うのが常だったが、あるきっかけを境に第二自習室を使うようになった。
 第二自習室は、八畳ほどの広さだ。そこにぎっしりと机が並べられていると、息が詰まる感じがする。それが大抵の生徒が第二自習室を選ばない理由だった。
 美崎は第二自習室に入ってすぐの、一番うしろの席に腰掛けた。
 数分して、 美崎が第二自習室を選ぶ理由を持つ人物が入ってきた。身長一七五センチくらいの、背の高い少年だ。
 美崎は振り向くことなく、さきほどの試験の問題用紙を見ている。
 少年も無言で、美崎の隣に腰掛けようとした。その動作は少しぎこちなく、椅子を引くとき壁に椅子の脚をぶつけてしまった。
 美崎は特にそれに反応はしなかったが、口元がほころびそうになっている。
「どうだった?」
 少年が小声で美崎に話しかけてきた。
 美崎は部屋に入ってきた時の雰囲気や、視界の端に入る紺のブレザーの裾から、隣に座ったのが誰かは分かっていた。
 美崎は横目で少年を見る。少年は真面目そうな表情をしていた。その顔は、傍目に見ても美しかった。
 美崎は少し頬を赤くして、必要以上に小声で言う。
「…うん、あんまり自信ないかな」
「そ、そう」
 少年も照れたように答えた。
「……こ、浩くんは?」
「う、うん、まあまあ…かな」
「そ、そう」
 ガタッという音がして、美崎と浩くんと呼ばれた少年はびくっとなった。
 前の席に座っていた生徒が立ち上がったのだ。その生徒はそのまま二人の横を通り過ぎ、自習室を出て行く。
 自習室は二人だけになった。テストとはまた違った緊張感が自習室を支配する。
 短い沈黙を破ったのは美崎だった。
「あのね……ここが分からないんだけど」
 おずおずと問題用紙を指さす。
「ああ、ここは――」
 美崎は真剣なまなざしで少年の言葉にうなずいているが、どこかうわの空だった。
 中学の違う二人は、この第二自習室が唯一二人だけでいられる場所だ。高校も別の高校に行く予定になっている。それも、親の要望で。
「で、ここに補助線を引いて、――あのさ」
「え、な、何?」
 少年は、ちょっと待って、と言って鞄から書類を取り出した。 
「ここ行かないか。……一緒に」
 書類は学校のパンフレットだった。
「緑ヶ丘学園高校――」
 緑ヶ丘学園高校は、進学率もさることながら、部活動の活発さと自由な校風で有名な高校だった。
 美崎も学校説明会に出掛けたことがある。その時からひそかに憧れていた高校でもあった。
「うん。緑ヶ丘」
 少年の言うことは美崎にも察することができた。
「両親の説得、大変かも」
「そうだな」
 二人は、そう言いつつも楽しげに笑った。
 美崎と、浩くんと呼ばれている少年、高野浩一郎(たかのこういちろう)の両親はどちらもとても教育には厳しく、私立進学校への進学を二人に勧めていた。
 この緑ヶ丘学園高等学校は、レベルこそ他の有名進学校に若干だが劣る。しかし、進学一辺倒ではない魅力、やりたいことを思いっきり出来るような予感を感じさせる学校だった。
 この時、霧里美崎と、高野浩一郎は緑ヶ丘学園高校に行くことを決めた。

       *

 桜の咲く街、その高台に緑ヶ丘学園高校はある。
 青く晴れ渡った空の下。「第六七回入学式」という立て札の隣に、一組の初々しい男女が立っている。
「なんとか、一緒に合格できたね」
 頬を紅潮させ、口を開いたのはおろしたての制服を身にまとう美崎だ。
「お、おう」
 同じく頬を赤くしているのは真新しいブレザー姿の浩一郎だった。
 校門を前にして、緑ヶ丘学園高等学校に無事入学できた喜びを味わっているのだろう……。だが、二人の会話はどこかぎこちない。
(うわー、浩くんの制服姿カッコイイよー! ど、どうしよう。まともに顔見れない)
「せ、制服、良く似合ってるよ」
「!」
 絶妙なタイミングと言おうか。とにかく、最後の一撃が美崎に加えられたのは確かだった。
 美崎はますます顔を赤くそめ、しどろもどろになった。
「こ、浩くんも! に、似合ってるよ。あ、あの、えーと、これ!」
 そう言って浩一郎の眼前に差し出されたのは携帯電話だった。しかし美崎は照れ隠しのためか、浩一郎の方をまともに見ず、下を向いている。
「入学祝に買ってもらったの……」
「あ、俺も買ってもらったよ。えーと……これ」
 と、浩一郎も美崎に携帯電話を差し出す。
「これで自由に電話で話せるね……メールも出来るし、番号交換、してもいいかな?」
 今度は浩一郎も照れた様子で言った。美崎はただ黙ってうなずいた。
 二人は慣れない手つきで電話番号とメールアドレスの交換をした。
「親を体育館で待たせてるから。またね」
「あ、あたしも」
 二人は門を通り抜け、体育館へ駆けていく。美崎の足取りは軽かった。
(これから、毎日会えるんだ!)
 
 入学式は去年新設された体育館の中で行われる。
「ただ今より、第六七回緑ヶ丘学園高等学校入学式を開始いたします」
 式の開始を教師の誰かが告げて、会場のざわめきが止んだ。
 美崎も、姿勢を正して静かに待つ。
 両脇に花の飾られた壇上に上がってきたのは、初老の男性だ。
 深々と礼をして、おごそかに口を開く。
「学長の篠原真(しのはらまこと)です。皆様真にご入学おめでとうございます。この爽やかな春の日に、式を行えることを非常に嬉しく思います。我が校は開校から67年を迎え……あー、ちょっとはしょります」
 会場から笑いが起きた。美崎が隣の母を見ると、何やら微妙な表情をしている。
「…とにかく、歴史のある我が校です。学業でも部活動でも、皆さんにはこれから3年間を通じて大いに活躍して頂きたい。長い式ですので、私の挨拶はこの辺で終了させて頂きます。それでは、新入生の皆さん、ファイト!」
 と、言って拳を振り上げた篠原学長は、そそくさと壇上を後にした。
 あまりに短く、あまりに破天荒な挨拶であった。拍手もまばらで、美崎が見たところでは、拍手のほとんどが在校生の席からだった。
 と、壇上には誰もいないのにスピーカーから声がもれた。
「…長、学長、マイクマイク! おお、いかんいかん。……ブヅッ!」
 バツが悪そうに再度学長が登場する。幕の端にそれをとめようとする教師らしき男が見えた。学長はマイクを元に戻すと、
「どーもすみません」
 と頭を下げながら去っていく。会場から再び笑いが起きた。
「……ちょっと母さん不安だわ」
 美崎の隣で母がぽつりと言った。
「次は、生徒会長からの挨拶です」
 進行役の教師の言葉とともに壇上に登場したのは、短く切り上げた金髪が印象的な少年だ。少年は軽く会釈した。
「ども。生徒会長の山崎悟(やまざきさとる)といいます。爺さんの、あー、学長の挨拶に面食らっている方も多いと思います。ですがこの緑ヶ丘学園高校が学業でも部活動でも大変元気というのは本当です。僕もこの学園に誇りを持っています。ですが、何より誇りなのはこの自由な校風でしょうか」
 と、言って山崎生徒会長は自分の髪を触った。
「と、いうのは冗談ですが。自由といっても、一般常識はきちんと守る、これも緑ヶ丘の誇りです。皆さんやることだけしっかりとやってれば、三年間楽しく過ごせると思います。とにかく、入学おめでとう!」
 今度は深々と一礼し、やはり在校生の席のあたりから起こった大きな拍手に手を振りつつ壇上を去っていく。
 それから数人が挨拶し、式は一応とどこおりなく進んでいった。
「校歌斉唱」
 その声と共に、体育館の端に控えていた吹奏楽部の生徒たちが準備を始める。在校生と教師たちが起立した。
 校歌が始まると、会場の新入生たちと保護者たちはそろって息をのんだ。
 歌は全員の息が合っている。全員が声高らかに歌っているのは圧巻だった。それに淀み一つない完璧な演奏が加わり、会場は清清しくも荘厳な雰囲気に包まれた。
 式が終わり、美崎が体育館の外に出ると、何やら人だかりができていた。それも、新入生と保護者だけではない。
「ぜひ、我らが野球部に! 一緒に甲子園を目指しましょう!」
「女子バレー部、新入部員募集中!」
「漫画研究会です! よろしくお願いします!」
 その人だかりを抜けるまでに、美崎は結局何枚もチラシを受け取ってしまった。
「じゃあ、お母さんは先に車で帰ってるから、自転車で帰ってきなさい。事故に気をつけるのよ」
「はーい……」
(すごい熱気だったなあ。でも、これから楽しくなりそう!)
 美崎は校門付近まで歩き、辺りを見回した。
「美崎!」
 体育館の方角から、一人の少女が駆けてくる。女の子にしては長身のせいだろうか。かなり小顔に見える、ショートカットの髪をした少女だ。
「由紀!」
 美崎が振り向いて笑う。
「やっと会えたね」
 由紀が言う。
「ごめんね、その……」
 美崎が口をつぐむと、由紀が両手を振って言った。
「あー、いいのいいの。それ以上言わないー! どうせノロケっしょ?」
「もー、違うよお」
 美崎が顔を赤くして由紀の肩にもたれかかる。
 由紀は美崎と同じ中学の出身である。通う塾こそ違ったが、二人して緑ヶ丘学園高校への入学を目指していたのだ。中学時代を一緒に過ごした、大の仲良しだ。
 当然、朝美崎が浩一郎が会うというのも由紀に伝えてあったのだ。
「あのさ、もう部活決めた?」
 由紀が言う。
「ううん。まだ」
「私、演劇部に入ろうと思うんだ」
(演劇部……)
「演劇、好きだって言ってたもんね」
「うん!」
 由紀は本当に嬉しそうだ。この緑ヶ丘学園高校の演劇部は、全国的にも知名度が高い。
 美崎は、手に持ったままだったチラシをめくった。
(あった……)
 緑ヶ丘学園高校演劇部のチラシだ。ピンクの紙に、タキシードを身にまとった動物たちのシルエットが黒く印刷されている、なかなかお洒落なチラシだ。
「ん? あー! 美崎も貰ったんだ! どう? 明日あたり一緒に見学に行かない?」
 今日は入学式だけ。クラス分けや授業の準備などは明日からである。
「いいよ」
 美崎は笑顔で了承した。
 そうして美崎の緑ヶ丘学園高校での生活が始まった。

       *

「貴様らの要求は呑まんぞ」
 学長室の椅子に座り、目の前の人物を睨みつけるのは、緑ヶ丘学園高校の学長。篠原真その人だった。入学式で見せた好々爺の風情はそこにはなく、全身から怒気をにじませている。
「そうですか……困りましたねえ」
 しかし、篠原の眼前に立つ老人はその迫力に全く気圧されることなく立っている。恰幅の良い老人だった。杖を持ってはいるが、背筋がぴんと伸びている。白髪をオールバックにして、いかにもプライドの高そうな容姿をしていた。
「山本、あれを」
 老人に山本と呼ばれた男は、アタッシェケースを学長の机の上に置いて中身を見せた。中には一杯の一万円の札束。全てで一億円はあるだろう。
「これで前金です。お願いを聞いていただければあと十倍はお渡し出来るかと」
「滝沢栄喜(たきざわえいき)、もう一度言うぞ。貴様らの要求は呑まん。――帰れ」
 滝沢栄喜と呼ばれた老人は、構わず部屋のソファーに腰掛けた。煙草を一本取り出し、山本がそれに火を点けた。
 煙を吐き出しながら、滝沢栄喜は言う。
「しかし、この競争の時代だ……。緑ヶ丘学園高校の運営も決して楽ではないと聞きましたが?」
 篠原真はずっと前方を睨みつけている。金に視線が向くことはない。
「学長、ビジネスの話をしましょう」
 滝沢栄喜は山本に目配せをした。山本は胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
 それを見た篠原真の表情がこわばる。
 写真に写るのは、一人の少女。
「我々も荒っぽい手段は取りたくないのですよ……」
 哀れみの込もった視線で、滝沢栄喜は篠原真を見据えた。
「生き残りに必死なのは、何も篠原さん、あなた方だけじゃない」
 
       *

 篠原真の孫娘、田中美佐(たなかみさ)はその晩、祖父が学長を退く事を母から知らされた。
「ふうん、そう、なんだ……」
 祖父が学長を退くということは以前からそれとなく聞かされていた。
 一度、新しい学長になるという男が家を訪ねてきたことがあったが、感じの悪い老人だったという印象しかない。
「校風も変わるらしいわよ。進学に力を注ぐことになるんですって」
「……」
「良かったじゃない、弁護士になるにはその方が母さん良いと思うわ」
 そう、弁護士を目指して勉強に打ち込む事だけが生きがい。学長が代わろうと、どちらにしろ関係の無い事だ。そう田中美佐は思った。
 自分がこの学園に来たのは、他に志望していた進学校に落ちたからである。正直学園の何かほのぼのした雰囲気に馴染めなかったし、入学してからは教室でも常に一人でいた。
 たまに話しかけてくる人もいたけれど、そのたび授業の予習があるから、と相手にしていない。
 その話しかけてきた生徒の一人には、霧里美崎も含まれていた。田中美佐は名前さえも覚えていないし、興味も無かったが。
 田中美佐は霧里美崎と同じく、今年緑ヶ丘学園高校に入ったばかりの一年生である。
 美崎とは同じクラスだが、特に親しい訳ではない。
「うん、私も、良かったと思う」

      *

 5月中旬の体育館で、十数人の生徒が集まっている。書き割りを作る者、筋力トレーニングをする者、舞台でセリフ合わせをする者、様々だ。
 美崎は入学してすぐ、演劇部に入部した。由紀の誘いも理由の一つだったが、
「ちょっと、あんたら邪魔邪魔! 大道具だけで場所取りすぎよ」
「うぃーす!」
(ああ……、雅美先輩カッコイイ……)
 部全体を取り仕切る3年生の中山雅美(なかやままさみ)部長その人こそが、美崎の入部を決意させた理由だった。
 仮入部のときに見せてもらった先輩たちの劇で、中山雅美は一際輝きを放っていた。きびきびとした動作の度に揺れる柔らかいロングヘアーに、美崎は声もなく見惚れた。
 そして普段のサバサバした感じにも好感を持った。それで気配りもきいて後輩の面倒見もよいのだから、言うことなしである。
 ただ……、
「はい、一年は筋トレもう2セットね」
 厳しい。
「うえぇ〜!」
 美崎も声には出さなかったが、心の中で同じ叫びを上げた。
 その時、慌てた様子で体育館に入ってきた男子生徒がいた。生徒会長の山崎悟その人である。
「何? 脚本出来たの?」
「いや、そうじゃない」
 山崎悟は中山雅美の側まで寄ると、何やら小声で話し始めた。
「本当に?」
 という中山雅美の声だけが聞き取れた。
 そのまま、山崎悟と中山雅美は体育館の外へ向かっていった。
(……何か生徒会の話し合いかな?)
 中山雅美は演劇部の部長の他に、生徒会の副会長も兼ねている。そして山崎悟会長も演劇部のれっきとした一員であり、主に脚本を担当している。
 そして、二人がカップルだということは学内の誰もが知っていることだった。
 一見軽そうな山崎生徒会長と、しっかり者の中山副会長。あれでけっこう良いコンビなのである。
 しかし、さっきの二人の様子はなにか不自然だった。
(何か、あった……のかな……む! あと5回!)
 腕立て伏せが連続15回にさしかかり、美崎の思考は中断された。

 体育館の外では、どこか遠くから課外活動の喧騒が聞こえるだけで、山崎悟と中山雅美の二人だけしかいない。
「で、話って?」
 中山雅美が単刀直入に切り出す。
「ああ、それが……」
 短い金髪の頭を掻きながら、山崎悟が言い難そうに言葉を続ける。
「爺さん、学長辞めるっつーんだ」
「篠原学長が? どうして?」
「いや、爺さんはいつもと変わらない口調で言ってたよ。『わしももうトシだ、隠居するのも悪くない』とかなんとかね――でも」
「何かひっかかるの?」
「ああ、嫌な予感がする」
 ふっ、と微かに中山雅美は笑った。
「あなたの勘は動物並みだものね」
「まあね」
 どこか信頼の込められた皮肉に、山崎悟は得意気な笑顔で返す。
「正式発表は明日の朝会だそうだ、一応皆には秘密な」
「もちろん、分かってるわ――行動を起こすのはそれから、ね」
 
       *

 翌朝、美崎はホームルーム前の時間を一時間目の予習をしながら過ごしていた。
 そこで、突然教室の前のスピーカーから放送が流れた。
 放送が終わり、教室中がざわざわし始める。
 緊急朝礼。
 何事だろうと思いながらも、美崎はノートを閉じた。
「美崎!」
 廊下に出ると隣のクラスである由紀が声をかけてきた。
「一緒に行こう?」
「うん」
 背の高い由紀を、美崎は見上げるようにして話しかけた。
「何の朝会だろうね?」
「新任の先生でも来るんじゃない?」
「新任の先生……、でもそれって新学期の初めに来るのが普通じゃない?」
「だよね、もう四月十四日だし」
(…………)
「何だろうね」
「うん」
 二人は込んできた廊下で、それぞれ思いを巡らせながら列を進んだ。 

 体育館はいつも生徒が集まる時よりもざわついていた。
 上級生たちも何故緊急朝会が開かれたのか知らないらしく、落ち着く様子がない。
 教師がマイクで会の開始を告げ、会場はだんだんと静まっていった。
 まだ生徒たちの私語があちこちから聞こえる中、一人の恰幅の良い老人が壇上に上がった。
「前篠原真学長に代わりまして、新しくこの緑ヶ丘学園高校の学長に就任する事になりました。滝沢栄喜と申します」
 途端に、体育館中が静まりかえる。
「正直、私は今の学園の校風に満足しておりません。今までの校風を一新し、有名進学校にひけをとらない授業形態に移行することを考えています。それによって課外活動やアルバイトは全面的に禁止するつもりでいます」
 列に並んでそれを聞いていた美崎は驚いた。これでは親の勧めていた進学校に行くのと同じではないか。
 同じく体育館にいた高野浩一郎も険しい表情で新学長、滝沢栄喜を睨みつけている。
 生徒たちからブーイングが起きた。「納得できない」「横暴だ」、それと、「ふざけるな」「ざけんじゃねえ」。
 そんな罵りにも全く動じず、滝沢栄喜は壇上を後にした。
 朝会は教師たちの説得により、一応そこで解散となった。

 その日の演劇部の練習は休みだった。
    
       *

「我々は新学長の方針に断固反対します!!」
「我々の愛した校風を守りましょう!!」
 大声で主張をする大勢の生徒。校門前には人だかりが出来ていた。その中心に生徒会長の山崎悟と副生徒会長の中山雅美がいた。昨日演劇部が休みだった理由を、美崎はここで初めて理解した。
 どうやら生徒会メンバーは全員参加しているらしい。それに有志の生徒の数もかなりのものだった。ビラを受け取らずに校舎の中に入っていく者はほとんどいなかった。
(うわあ……)
 美崎は驚くと共に深く感動していた。昨日の朝礼はまさに晴天の霹靂であり、大勢の生徒にとって不満の多いものであった。美崎もビラを受け取る。入学式の時の部活勧誘の時の熱気を思い出した。だが、今日はその倍の勢いがあると言ってよかった。
 ビラにはこうあった。


「学長の決定に断固反対」

 私たち生徒会および有志の生徒は先輩方から受け継ぎ、今私たちが守っているこの生徒主体の校風をとても愛しています。
 しかし、今回の新学長の決定はあまりに横暴であると言わざるを得ません。
 進学一辺倒の学校。確かにそれはある意味では良いことかもしれません。しかし果たしてそれで私たちは学園生活を真に充実したものに出来るでしょうか。
 答えは否です。私たちは、新学長が進めようとしている方針に断固反対します。
 
 四月十五日 生徒会・生徒有志一同


「よう」
「あ、浩くん」
 高野浩一郎が登校してきた。
「活動、参加する?」
 それを聞き、浩一郎は吹き出した。
「なによぅ」
「いや、なんか目がぎらぎらしてて、怖いぜ、お前」
「……。それで!? 参加するの? しないの?」
 浩一郎は美崎の肩に手を載せ、自信満々に答えた。
「もちろん、参加する」

       *

「ふん」
 学長室から校門の騒ぎを見ながら、滝沢栄喜は煙草の煙を吐き出した。空気清浄機が整備されている学長室の空気は、再び白い煙に包まれた。
「どうされますか?」
 秘書の山本が滝沢に問う。
「好きにさせておけ」
 一際大きな歓声が上がった。どうやら生徒会長がなにやら演説を始めたらしい。
「どうせすぐに収まる、手は打ってあるだろう?」
 それを聞き、山本は残忍な表情を浮かべて答えた。
「はい、それは予定通りに」

      *

 田中美佐は朝、校門前の騒ぎに少し驚いたが、平静を装って校舎の中に入った。
 そして普段の通り授業を受けた。
 休み時間になると、誰も彼もが決まって同じ話題を話している。
「なあ、明日の朝もビラ配りするってさ」
「あー、俺も参加するよ」
(私には関係の無いことだ……)
 田中美佐は再び数学の教科書に視線を戻した。

 帰宅途中、田中美佐は本屋兼文具売り場に寄った。
(あれ?)
 車情報誌売り場で立ち読みをしている男に見覚えがあった。
(どこで見たんだっけ……? あ)
 そうだ、以前新学長と一緒に来ていた、確か新学長の秘書の男だった。
(何してるんだろう)
 物陰から観察していると、男は手にしていた雑誌を元に戻し、歩き出した。さっきは気付かなかったが、男は右手に何か文房具を持っている。
(コンパス?)
 男が歩く先には緑ヶ丘学園の生徒がいた。
(あ、あの人知ってる。確かバスケットのスポーツ推薦で入った人だ)
 男はそのまま生徒の横を通り過ぎ、店を出た。
 田中美佐が参考書選びをしようと思ったとき、店の入り口からブザーが鳴った。
「ちょっと、君!」
 参考書を閉じ、入り口の方に向かうと、さっきの緑ヶ丘の生徒が店員に腕を捕まれていた。
「何だこれは?」
 店員は強引に生徒の鞄に手を突っ込むと、コンパスを取り出した。
「知りませんよ、誤解です」
「なら何で会計を済ませてないコンパスが入っているんだ?」
「とにかく誤解です」
「いいから来い、警察に連絡する」
「ちょ、離してください」
 半ば引きずられるように店の奥に連れ込まれていく生徒を、田中美佐は見つめていた。
(あのコンパス、秘書の男が持っていた物と同じ……?)
 しばし呆然としていたが、田中美佐は急いで店から出た。

       *

 それから一週間が経過した。
 運動は日に日に盛り上がり、新学長の反対派は全生徒の八割にものぼった。
 そんな運動が順調に進んでいたある日のこと。

「おい、大変だ!」
 生徒会書記の石井が血相を変えて生徒会室に駆け込んできた。
 普段から青白い顔だが、ますます血色が悪くなっている。
「どうした、下痢か」
 生徒会長山崎悟は茶をすすりながら聞く。
「反対派の生徒が万引きしたって、今職員会議中らしいです!!」
 山崎悟は口を押さえて、開かれた窓からお茶を吐き出し、激しくむせた。

 その日の夕方。
「浩くん!」
 霧里美崎が高野浩一郎に昇降口で声をかけた。
「ああ」
 浩一郎は副生徒会長と一緒にいた。
「あ、部長、こんにちは」
「霧里さん、こんにちは。仲が良いのね」
「え? え?」
「浩くん、だって」
「あ、あの、その、えーと、ですね、ちが」
「仲が良いですよ」
 浩一郎が落ち着いた様子で割って入る。
「そうね」
 美崎は真っ赤になってうつむいた。
「いやー、待たせたな」
 昇降口からスニーカーをつっかけながら生徒会長山崎悟が美崎たちの方へ向かってくる。
「おや、君も同士か?」
 人懐こそうな笑顔で美崎のほうを見る。
「そうです。それで、僕の彼女です」
 浩一郎はやはり堂々と即答する。
「それで、生徒会長、あいつの事なんですが」
「ああ、やっぱり今自宅謹慎食らってるらしい」
「そうですか。携帯に電話しても何か元気なくて……」
 美崎が何のことか分からずにぼーっとしていると、副生徒会長中山雅美が助け舟を出した。
「反対派の生徒が万引きをしたって噂なの。これからの運動にも関わる事だから、重要なのよ。高野君はその子の友人らしいの」
 山崎悟がそれに付け加える。
「そう。それで、今からそいつの家に行ってみようと思うんだ」
「な、なるほど」
 美崎が浩一郎の方を見ると、なにやら怖い顔をしている。そう、知り合ったときから彼は不正とかいうのが大嫌いなのだ。
 でも、何に怒っているのだろうと美崎は思った。浩一郎の友人が万引きだなんて信じられなかった。
「あの、私も行っていいですか?」
 美崎はとっさに口を出していた。その後おどおどと、お邪魔じゃなければ……、と付け加える。
「ああ」
 と、生徒会長。
「いいわよ」
 と、副生徒会長。
「いいよ」
 と浩一郎。
 美崎はそれを聞いて安心した。その理由として、浩一郎と単に一緒に過ごせるというのもある。最近は浩一郎は反対運動に忙しく、あまり美崎に構ってくれなかったのだ。
 もちろんそれだけではない。力になりたかったのだ。それは反対派の生徒としてと言うより、浩一郎の彼女として。

       *

 万引きの疑いがかけられている生徒の名前は佐々木亮(ささきりょう)。高野浩一郎の中学時代からの友人だと道すがら美崎は聞かされた。
 ひっそりと静まった住宅街の一つが、佐々木亮の家だった。
 山崎悟がインターホンを押す。
「緑ヶ丘学園の山崎です」
「ああ、山崎先輩。ちょっと待ってて下さい」
 すぐに玄関から佐々木亮本人が現れた。
「どうぞ、上がってください」
「あ、彼女は霧里美崎、知ってるよね」
「ああ、いらっしゃい」
 そう答える佐々木亮はやはり元気がなさそうだった。かなり背が高く、体格も良い。普段の彼を知らない美崎にも、彼の落胆の様子は伝わってきた。

 佐々木亮の自室に通された。壁にはNBAのプレーヤーのポスターが張ってある。本棚にはスラムダンクが全巻あった。よく整頓された部屋で、体育会系に偏見を持っていた美崎はそのきれいさに少し驚いた。勉強机の上には授業の遅れを取り戻すためか、勉強道具が広げられていた。
 人数分のお茶を持ってきた佐々木亮が現れると、山崎悟はすぐに本題に入った。
「あれだ、やってないな?」
「え?」
「お前は万引きをやってない、そうだろ?」
 中山雅美はそんな山崎悟の言葉を黙って聞いている。
「あ……」
 佐々木亮の目から涙がこぼれ落ちた。
「すみません」
 そう言いながらティッシュで涙をぬぐう。
「そうなんです。ただあの日は駅前の本屋で立ち読みをしていただけで……、店を出ようとしたらブザーが鳴って。鞄の中に覚えのないコンパスが入っていたんです」
「……分かった。問題はそれをどう証明するか、だな」
「はい……」
 泣き笑いのような表情で佐々木亮は話をしている。
「何か恨まれるような覚えは……、あるはずないな。よし、」
 浩一郎が立ち上がった。そして言った。
「お前の無実は何とか俺たちが晴らしてみせるよ。警察には通報されてないし、大丈夫。濡れ衣だって証明して見せるさ」
 それを聞いて佐々木亮はまた涙を流した。

       *
 停学が解かれ、佐々木亮は普段通りの学校生活に戻った。
 だが万引きの濡れ衣を晴らす事はまだできず、反対運動は沈静化しつつあった。
 徐々に滝沢栄喜が有名予備校から呼び寄せた教師たちが赴任してきた。それに伴い、数人の教師たちが辞めていった。

 田中美佐は、そんな周囲の騒ぎの外にいた。
 家で中間試験の復習をしていたら、少し喉が渇いた。
(何か飲もう……)
 自室を出て、階段を下りる途中で、居間から父の声が聞こえた。どうやら誰かと電話しているらしい。
「……はい、ですから娘の事はもう放っておいてくれますね?」
(……?)
 美佐は階段を降り、聞き耳を立てた。そうすると、電話の向こう側の人物の声も聞くことが出来た。
『ああ、既にあんたの親父は隠居。あんたの娘を付けねらう理由も無くなったよ』
「それは良かった。しかし本当に大丈夫なんでしょうね」
『がはははは、心配には及ばんよ。私の地位は安泰だ。反対派の生徒どもも大人しくさせることに成功した』
「分かりました。ただ、もう貴方とは関わりあいたくない」
『私もそう願っているよ』
 通話が終わった。美佐は音を立てないように自室に戻った。
(娘を付けねらうって、私のこと?)
 そう言えば、中間試験のことで頭が一杯で忘れていたが祖父の篠原真はずっと元気がなかった。
 今思えば、学長を退くのは本人の意思ではなかったのではないだろうか?
 今の電話はただならない雰囲気だった。祖父はもしかしたら電話の主、滝沢栄喜に脅されていたのかもしれない。
(反対派の生徒を大人しくさせる……って?) 
 数週間前の光景が目に浮かぶ。
 滝沢栄喜の秘書の男が学園の生徒の横を通り、その直後その生徒が万引きで捕まった。
 もし、あれが濡れ衣だったとしたら……?
 田中美佐はベッドに倒れ込んだ。
 喉はからからに渇いていた。

 翌日、田中美佐は生徒会室に訪れた。
 正直田中美佐には勇気のいる行動だった。緑ヶ丘学園の生徒会室は生徒の多くが自由に出入りしているが、勉強一辺倒であまり人付き合いに関心がない田中美佐にはその雰囲気は正直苦手だったのだ。
 明け放たれた扉の中を覗き込むと、数人の生徒がたむろしていた。
「あの」
 その視線がいっせいに田中美佐に向く。一瞬ひるんで次の言葉が出てこない。
 数秒間の静寂。
「何ですか?」
 短く刈り上げた髪を茶色に染めた生徒が声をかけてきた。田中美佐も知っている、この学園の生徒会長だ。
「あの、ここじゃちょっと」
 田中美佐の深刻な表情を察した山崎悟は、
「じゃあ、屋上にでも行こうか」
 と言った。

「脅迫?」
 山崎悟は驚いて田中美佐の言葉を反芻した。
「はい、学長就任のために、私を人質、みたいにしていたらしいんです」
 それを、昨日父が電話しているとき聞いてしまったんです、と小さな声で続けた。
「それと、もう一つなんですけど……例の万引きの件」
「私、見たんです。滝沢学長の秘書の男の人が、事件の日、コンパスを持っていて、その疑われた生徒の横を通り過ぎて、店を出て……」
「そうしたら、その生徒が万引きで捕まって、それが秘書の男の人の持っていたのと同じコンパスで……」
「…………そうか、そうか。うん、よく話してくれたよ」
「それで、どうしましょう、私、父に説得してみようと思うんですが。新学長のやり方はあまりに……」
 その言葉を山崎悟はさえぎった。
「いや、それはやめておいたほうがいい。人質とか……はっきり言ってヤバイ感じがする」
「でも……」
「ま、見てなって」
 話を聞いていた時とは一転して、山崎悟は不敵な表情を浮かべた。
「現役生徒会長の肩書きは伊達じゃないぜ?」

       *

「学長!」
 血相を変えて学長室に現れた学長秘書山本に、滝沢栄喜は露骨に顔をしかめた。
「何事だ、騒々しい」
 滝沢はすっかり座り慣れた上質な椅子に深く腰掛けながら、煙草をふかしていた。
「雑務は全てお前に任せてあるだろう」
「いえ、それが……」
「何だ」
「警視庁が動いたそうです」
「――!?」
 滝沢はあからさまに動揺した。
「何だと? 警視庁の刑事には既に手を回してあるはずだろう」
「それが、警視総監直々の捜査命令らしく――」
 滝沢の目が大きく見開かれる。山本はすっかり落ち着きを失っていた。
「学長就任に関しての脅迫と、収賄の捜査は既に行われているそうです。それと何故か生徒の万引きも、濡れ衣だと調べがついている模様で……」
「馬鹿な……馬鹿な……!!」

       *

 その翌日、緑ヶ丘学園学長滝沢栄喜と、その秘書山本勝は逮捕された。
 罪状は学長就任の際の脅迫行為、生徒の鞄にコンパスを入れ万引きの濡れ衣を着せたこと、その文具店に賄賂を事前に渡していた事などだった。
「しかも、余罪もいろいろあるらしいぜ」
 笑いながら言うのは生徒会長山崎悟だ。
「そうなの」
 相変わらずクールに答えるのは副生徒会長の中山雅美。
 その日生徒会室に集まっているのは、生徒会長山崎悟に、副会長中山雅美、反対派の生徒だった高野浩一郎、霧里美崎。濡れ衣を着せられていた佐々木亮、そして田中美佐の五人だった。
 生徒会メンバーの二人以外はぽかんとしている。
 ついさっき聞かされた事実に思考がどこかへ行ってしまっているのだ。

「父親が警視総監だからさ、調べてくれないかって言ってみたら、もう、大当たり!」
 とは山崎悟の言である。

(警視総監……)
 霧里美崎は刑事ドラマでしか聞いたことのない役職が、同じ学校の生徒の父親という現実にただ呆然としていた。
 名門校だとは知っていたが、こんな偶然、まさか想像できるはずもない。
「すごいね」
 傍らの高野浩一郎に言う。
「ああ」
 浩一郎も美崎と似たような表情でぼんやりと答えた。
 しかし、一番ぼんやりしていたのは濡れ衣を着せられていた当人、佐々木亮だった。
「どうした?」
「あー、いや。神様っているんだなあ、とか」
 その言葉に全員が吹き出した。
「神様じゃねえって」
 と言う山崎悟も腹を抱えて笑っている。
 緊張が一気にほぐれたといった感じだ。
 この生徒会室の雰囲気はやがて学園全体に広まっていくだろう。
「あの、ありがとうございました」
 そう言って田中美佐は頭を下げた。
「ん? いやいや、田中さんが爺さんの孫娘だったなんて、俺にはそっちのほうが驚きだよ」
「でも、本当に良かったわ」
 中山雅美が心の底から、といった様子で言う。普段はクールに見える彼女だが、結構情には厚いのだ。
「じゃ、俺はバスケ部の練習があるんでこれで失礼します。本当、お世話になりました。今度生徒会長のお家にお礼に行きます」
 頭を下げて佐々木亮は生徒会室を出て行った。彼は停学が解かれてからもバスケットの練習に精を出し、夏の練習試合の選手に選ばれているのだ。
「元気なもんだ」
 山崎悟は優しげな目で佐々木亮が出て行った扉を見つめている。
「でも、本当感謝します。あいつの友人として。ありがとうございました」
 そう言って高野浩一郎が頭を下げる。
「おいおい、今日はなんか感謝されっぱなしだな」
「そうよ、偉いのは悟のお父様なんだから、こいつは大したことしてないわ」
「て、そりゃないだろ〜」

       *

「楽しい生徒会だよね」
 霧里美崎、高野浩一郎、田中美佐はそろって生徒会室を出て、廊下を歩いている。
「ああ、そうだな。よし、決めた」
「何が?」
「俺も今年生徒会役員に立候補する!」
「……」
「何だよその顔」
「ううん、頑張ってね」
(たまに真剣な表情になるんだもんなあ。ドキドキするこっちの身にもなってよ)
 美崎は照れを隠し通しているつもりだが、田中美佐にはその動揺が伝わってきた。
「あ、ねえ、田中さん」
 少し頬を紅潮させて美崎が振り返る。
「な、何?」

「美佐!!」

 突然廊下の向こうから現れたのは、前々学長であり、現学長に返り咲いた篠原真である。
 篠原真は周囲の目を気にせず田中美佐を抱きしめた。
「済まなかったな〜、怖い思いをさせて。もう心配要らないぞ!」
「ちょ、ちょっとお爺ちゃん、離れてよ〜」
 周囲の視線に真っ赤になりながら、美佐は祖父から離れる。
「おお、すまんすまん。じゃあわしは生徒会室に行ってくるよ。山崎君と会うのも久しぶりだからな」
「まったくもう……」
「あ、俺も生徒会室もう一回行ってくる!」
 突然高野浩一郎が言い出した。
「え?」
「人脈作りは大切だからな」
 そう言う浩一郎の姿は、美崎にはどう見てもこれから起こる生徒会室の大騒ぎに加わりたいだけのように思えた。
 そして、女子二人だけが廊下に残される。
「で、さっきの話何?」
 美佐が美崎に聞く。
「あ、あの、良かったら演劇部に入らない、かなって」
「そうね……」
「あ、あの、別に勉強が忙しかったら、別に、私も、邪魔しないし」
 しどろもどろになって美崎は言う。
(本当は私、田中さんと友達になりたいんだけどな……)
 しばしの無言。
 勉強ばかりじゃ、つまらないかもね。そう美佐はぽつりと呟いた。
「え? 何?」
「何でもないよ、それじゃ、部室に案内してくれる?」
 美崎の顔がみるみる笑顔になる。
「…………うん!」

<了>



トップへ。


[PR]田丸麻紀さん愛用ダイエット:大人気サプリメント!注文殺到中です