『僕が書かれた本』
紫ゆきや
少年達は森の中で白壁の館を見つけた。
その館は、とても大きくて、まるで絵本の中のお城のようだった。まっ白な壁には縦長の窓がならび、空色のカーテンが引かれている。そして、春の日差しに輝く窓ガラスも、正面に見える木製の大扉も、小鳥のさえずる屋根すらも、全てが新品のように綺麗だった。
2人の少年は館を見上げて感嘆の声をあげる。
「すごい、すごいぞ、こんなところにお屋敷があったなんて!」
アルフレッド・クーパー少年は、自らの大発見に興奮していた。青色の目を大きく見開いて、日焼けした両腕を振り上げる。
少年は先月10歳になったばかりのジュニアハイスクールの生徒だった。今日は学校の裏に広がっている森を、友人と2人で探険に入り、そこで思ってもみなかった大発見をしたのだ。
アルフは自分と同じように館を見上げる友人、ジョン・ベッカー少年に、勢いよくまくしたてる。
「ジョン、見ろよ、あの窓! きっと教会のより大きいぞ! どこのお金持ちの屋敷だろうなあ? すげーなあ!」
しかし、ジョンはアルフの期待したような笑顔ではなかった。上目遣いに館をうかがい、下唇を噛み、両手でチェック模様の帽子を握りしめ、半歩ほど後じさりする。
「アルフ、変だよ。この館、綺麗すぎると思わないかい?」
弱々しい声をあげるジョンに、アルフはわざとらしく肩をすくめて見せた。
「そりゃ、出来たばかりなんだろ」
「でもでも、道だって無いじゃないか。車も無いよ。街まで随分と遠いはずなのに……」
「道もこれから作るのさ。道が無けりゃ、車も無いのは当然だろ?」
そう言うと、アルフは館へ向かって歩き出した。
「アルフ、どうするの!?」
「そりゃ、せっかくだからさ。挨拶しなきゃ」
アルフは癖のある赤毛から木の葉を落し、よれた服に引っかかった小枝を払う。館の正面にある木製の大扉の前に立ったところで、ジョンもあわてて駆けてきた。
扉の前で、ジョンも服についた小枝を払う。
それを見て、アルフは、しまったという風に顔を歪めた。
ジョンの上品なベストやズボンは、すっかりほころんでいて、シャツの銀ボタンは飛び、革靴は泥まみれだった。
アルフは顔が上げられなかった。
「ごめん、忘れてたよ。そんなに汚しちゃって。また、おまえがママに怒られるな。オレが森に誘ったりしたから……」
それを聞くと、ジョンは笑いながら首を横にふった。
「やだなあ、アルフ。そんなこと気にしないでくれよ。その誘いに乗ったのは僕なんだから」
「う、うん」
「決めたのは僕なんだから、君が気にするのは変だよ。さぁ、魔女に挨拶するんだろ?」
ジョンの思いがけない言葉に、アルフは驚いた表情で顔を上げる。
「魔女?」
「ああ、こんな不思議な館に住んでるのは、きっと魔女に違いないよ」
「なんで、そんなこと判るんだい?」
首をかしげるアルフに、ジョンは力強く断言した。
「悪い魔法使いは黒色の館に住んでるって、本に書いてあったからさ。この館は白色だろ?」
2人はしばらく顔を見合わせて、そして、同時に噴き出した。ひとしきり笑うと、アルフはすっかり元気を取り戻し、ジョンも最初の弱々しい表情ではなくなっていた。
「そりゃ、いいや。じゃあ、魔女に挨拶しようじゃないか!」
2人は揃って木製のドアを叩いた。
どれほど待っても応えは無かった。
だから、アルフが大扉の取っ手を引いて、それが開いたときには、ジョンはもちろん、アルフ自身も声を出して驚いた。しかし、森の探険が魔女の館の探険に変わったところで、もう引き返す2人ではなかったのだ。
2人は慎重に館の中に足を踏み入れた。
館の中は薄暗かった。
あんなに大きな窓がたくさんあるにもかかわらず。
その理由は、館の中に大きな本棚がずらりと並べられているせいだった。木目の綺麗な本棚で、ひとつの横幅が20歩ぶんくらい、高さは館の天井に届きそうなほどあった。
巨大な本棚には、色とりどりの本がきちっと並べられている。
「それにしても、変わった図書館だね。高さといい、暗さといい、とても見て下さいって感じじゃないよ」
ジョンは街の図書館にも何度か行った事があるので、それと比べているのだろう。アルフは、こんな沢山の本を見るのは初めてだった。
「きっと魔女の本だぜ」
そうアルフが言うと、ジョンが近くにある本の題名を読み上げる。
「アル・オリフィス、アル・クルース、アルフ・オーガン……」
「これってさあ、書いた人の名前かな?」
アルフは人名らしき単語のならぶ本を指さした。それには、ジョンも首をかしげる。
「うーん、やっぱり、この書き方だと、題名じゃないかな。有名人の本なのかな?」
アルフは他の本はどうかと視線を巡らせ、そこに見慣れた名前を見つけた。
手を伸ばし、本を引き抜く。
その本の表紙には『アルフレッド・クーパー』と大きく書かれていた。黒色のカバーに金の文字の重そうな本だ。
アルフは目を見開いて、声を荒げる。
「すげぇ! どうなってんだよ?」
アルフは赤い絨毯の敷かれた床にその本を置いて、勢いよくページを開いた。ジョンも両手両膝をついて、それを食い入るように見つめる。
『1992年3月10日に生まれる。男の子。父親はモーガン・クーパー。母親はバーバラ・クーパー。クーパー家の6番目の子供であり、兄の名は……』
その本は、アルフが生まれたときのことから、家のこと、遊んでいて怪我したこと、初めてママに怒られたことなど、とにかく全てが書かれていた。アルフ自身が忘れているようなことも、たくさん書かれていた。
アルフは声をあげることも忘れて夢中で読んだ。そして、2年前のページに、好きだった女の子の名前が出てきたところで本を閉じた。
「ジョン、おまえの本もあるんじゃないか?」
顔を赤くするアルフに、ジョンは笑顔でうなずくと、立ち上がてその場を後にした。
アルフはそれを見送ってから、また続きを読み始める。
その本は途中で終わっていた。今日の記録と思われる『アルフレッド・クーパーを読』と書かれたページのあとは、白い紙がずっと続いているだけだった。
アルフは自分が手にも背中にもじっとり汗をかいていることに気付いた。
この不思議な本と、その大発見に、心が躍るようだ。
そんなアルフの耳に、ジョンの声とドタドタという足音が聞こえてきた。
「見てよ、アルフ! 僕が書かれた本だ!」
息を切らせて走ってきたジョンの手には、『ジョン・ベッカー』と書かれた本が握られていた。それは、緑色に白い文字の綺麗な本だった。
「すごいよ! 僕の事は何でも書いてあるんだよ!」
珍しいくらい大声を出すジョンに、アルフも同じくらいの大声で応える。
「ああ、こいつはスゴイ大発見だぞ!」
2人はこの本がいかに素晴らしいかを語り合った。間違いなくここは魔女の館か、さもなくば神様の図書館だと信じた。
「なあ、この本にさ、続きを書いたらどうなるのかな?」
「えっ!?」
アルフのアイディアに、ジョンは声をあげて驚き、やがて目を輝かせた。
「ど、どうなるんだろうね?」
ジョンが見つめる中、アルフは魔法の道具でも取り出すような大仰なしぐさで、ズボンのポケットから短いクレヨンを取り出した。それは、いつも遊びで使っている黄色いクレヨンだった。
「そうだな〜。せっかくだったら、大きなことがいいな!」
そう言うと、アルフは、自分の名前の書かれた本の最後のページを開く。その最後の1行には『アルフレッド・クーパーを読む。』と書かれた。それは、間違いなく、先ほどより増えているのだが、もう2人はそれを当然のように受け入れていた。
アルフはクレヨンを白いページに走らせ、
『大金持ちになる。』
と、大きく書いた。
満足そうにうなずくと、ジョンにクレヨン差し出す。
ジョンは、まるで初めてクレヨンに触るかのように、恐る恐るそれを受け取った。
そして、真剣に自分の名前の書かれた本を見つめ、意を決したようにページを開くと、
『宇宙飛行士になる。』
とアルフのと同じくらい大きく書いた。
「あはは、いいぞ! これで、オレ達は大金持ちと宇宙飛行士だ!」
「そ、そうかな?」
アルフの言葉に、ジョンのほほがゆるむ。
「ああ、間違いないさ、なんたって、これは魔女の本なんだから」
そのとき、上の方から、猫の鳴き声が聞こえた。
見上げたアルフは、本棚の上で爛々と輝く金色の瞳を見つけた。黒猫と目が合った、と思った。
それが、何かとてつもなく不吉なもののような気がして、アルフはひどく不安になった。
ジョンもそれを見て、同じ気持ちになったのだろう、泣きそうな顔でアルフを見つめる。
2人は本を投げだすと、弾かれるように走り出した。巨大な本棚の間を全力で走り抜け、木製の大扉を押し開いて外に出る。
すでに辺りは薄暗くなっていた。2人は森の中を大声で叫びながら走り続けた。アルフは何度も転んで、3回目で数えるのを止めた。たぶん、ジョンの大声は途中から泣き声だった。
森を抜けて、村の道に出たときには、2人ともボロボロだった。
喉も痛くて、また明日なんて言葉すら出せない。アルフは片手をゆるゆると上げるのが精一杯だったし、ジョンの方はもっとバテてていたのか、軽くうなずいただけだった。
そのあと、家に帰って水を飲んだアルフは、どうにも奇妙な気分になった。
「働きたい」
夕食のときにそう言ったら、両親と2人の兄と3人の姉は笑っていた。
しかし、その気分は、2日目には衝動に変わり、3日目には焦燥感に変わり。4日目に恐怖感に変わったところで、アルフは家を飛び出した。
ジョンは2日目には学校に来なくなっていた。
アルフレッド・クーパーは10歳で働き始めた。工場の掃除をしながら工員の作業を覚え、12歳で工員になり、15歳で誰よりも上手に作業ができるようになると指導員に選ばれ、18歳で社員になった。ベルトコンベヤーよりよく動き、設計図よりも製品に詳しくなった。不思議と賞賛も妬みも向けられなかった。ただ、実績だけは認められ、工場長、本社勤務、課長、部長と出世して、ついに、彼は60歳で社長になった。世界中に工場とオフィスを持つ大企業のトップである。
マスメディアはこぞって、世紀のサクセス・ストーリーを書きたてたが、アルフの心は空洞だった。
彼は、ようやく熱病のような欲求から解き放たれたのだ。
アフルは村の入り口でタクシーから降りた。
それは懐かしい、草の香る田舎道だった。
春の陽気に心が踊り、虫達の姿に胸が熱くなる。
あるいは、この場にスーツ姿の自分は、ひどく不釣合いかとも思ったが、聞こえてくる鳥の鳴き声や、小川のせせらぎに、そんなつまらない考えは消え去っていた。
少年の日を懐かしむように、ひっそりとした村の風景を眺めながら、アルフは生家を訪れた。
両親は健在だろうか? 兄や姉はまだ居るだろうか? 姉達は嫁いでいるかもしれないが、あのしっかり者の長男なら今でも家に住んでいるのではないか? 彼は今の自分を見たら何と言うだろう?
しかし、そこには、朽ち果てた家が野ざらしになっているだけだった。
―――村に残っていたのは教会の老神父と、わずかな老人達だけだったのだ。
アフルは教会の墓地で両親の墓に花束と黙祷を捧げた。
小さな石版に刻まれた両親の名前を前に、アルフの目から涙がおちる。
老神父の話しによれば、兄姉達は職場を求めて街へ出て、今は連絡先も判らないという。
また、ジョンの家族も、寂れた村を捨て、よそへ移っていったらしい。
アルフは老神父にお礼を言って、教会を後にした。
目指す場所はひとつだった。
老体に鞭打って、必死の思いで森を抜ける。
アルフは再び白壁の館を訪れた。
その外見は、あのときの記憶と寸分違わない。窓も壁も新築のように綺麗だった。小鳥のさえずる位置すらも同じであるかのような感覚に、アルフは軽い眩暈を覚えた。
ハンカチで汗をぬぐい、ほころんだスーツから小枝を払う。
木製の大扉をノックしてから取っ手を引くと、それは、あの時と同じように音もなく開いた。
アルフは館の中に入った。
館の中は別世界のように薄暗く、神殿の柱がごとく巨大な本棚がならんでいる。
アルフは赤い絨毯の上をゆっくりと歩いていった。そして、あの場所で立ち止まり、視線を巡らせる。
『アルフレッド・クーパー』
その本は、確かに本棚の中に収められていた。
アルフは震える手でそれを引き抜き、ゆっくりとページを開く。そこには、『アルフレッド・クーパーを読む。』のあとに続いて、大きく、
『大金持ちになる。』
とだけ、書かれていた。無邪気な黄色いクレヨンで。ただ、それだけが書かれていた。
アフルはその場に両膝をつき、目頭を押さえた。悔恨の涙は止まらなかった。肩が振るえ、嗚咽が漏れた。
「違う。違ったんだ。こんな、こんなつもりでは……」
頭を振って、これが悪夢なら覚めて欲しいと願うが、過ぎ去った時間も、老いた指先も、元に戻る事は無い。
アルフは懐に右手を入れると、ゆっくりと拳銃を抜いた。
左手で『アルフレッド・クーパー』と題された本を聖書のように胸元へ抱き、右手で拳銃をしっかりと握ると、それを自らのこめかみに押し当てる。
死という未知への恐怖感と、現実という失意からの開放感が、その心に波のように押し寄せて、アルフは口元を歪めながら涙を流した。その右手の人差し指に力を込める。
そのとき、どこかで猫の鳴く声がした。
そして、ドタドタという足音を聞が聞こえてくる。
「アルフ!」
それは、懐かしい響きの声だった。
アルフは目を見開いてふりかえる。
そこには、白髪で皺くちゃにはなったが、見間違えようもない、ジョン・ベッカーが立っていた。
その手には緑色の本が握られている。
「ジョ、ジョン……」
呆けたようにつぶやくアルフに、ジョンはゆっくりと歩み寄ると、アルフの目の前で膝をついて本を置いた。そして、その右手でアルフの肩を抱き、左手で拳銃を押さえると、絡まった糸を解きほぐすようにアルフの手からそれを離した。
「ああ、アルフ、久しぶりだったね。君も辛い目にあっていたのだろう。大丈夫、もう、大丈夫なんだ」
アルフはジョンの肩に顔をしずめ涙を流す。たくさんの伝えたいことが溢れ、言葉よりも先に涙がこぼれた。
ジョンは優しくアルフの背中をなでる。
しばらくそうしてから、アルフは涙をぬぐって、話し始めた。
「ジョン、君も私と同じ目に……。すまない、すまなかった」
その言葉に、ジョンは首を横にふる。
「キミは本当にあの日のままだね、アルフ。誘いに乗ったのは僕なんだ。キミが責任を感じる事じゃないんだよ」
沈黙するアルフに、ジョンは今までの事を話して聞かせた。
自分があれから必死で勉強したこと。ハードなトレーニングを繰り返したこと。大学を主席で卒業したこと。それでも、宇宙飛行士には成れなかったこと。しかし、先日の論文が注目され、ついに宇宙飛行士になれたこと。今は大学の教授をやっていて充実した毎日を送っていること。
「もっとも、この老体では宇宙に行かせては貰えないだろうから、名前だけの宇宙飛行士ではあるけどね。むろん、史上最年長だよ。宇宙と宇宙船について、僕より詳しい人間は居ないんだ。どうだい、スゴイだろう?」
ジョンはそう言って笑い、アルフは何度もうなずく。
「ああ、そうだったのか。君は夢を叶えたんだね」
ニッコリ笑うジョンを、アルフは眩しそうに見つめた。
「聞いてくれ、ジョン、私はただ貧乏が嫌だったんだ。それであんな事を書いてしまった。私には叶った夢も、50年ぶんの人生も無いんだよ」
「そうかい? 新聞で読んだよ。クーパー社長になったんじゃないのかい?」
「ああ、それで、君はここへ来たんだね。確かに、私は成功したらしい。しかし、私の人生はもう終わってしまったんだ。たった1行の50年というわけさ」
自嘲気味に笑い、うつむくアルフ。しかし、ジョンは落ち着いた声で応えた。
「確かに、僕達はたった1行の50年を過ごしたのかもしれない。だけど、君にはやり遂げる力と、やり遂げた証があって、これからの人生が待っているんだよ。アルフ、君は努力の50年を忘れ、これからの人生まで捨てる気かい?」
ジョンの穏やかだが力強い言葉に、アルフは、はっと顔を上げる。
「これからの人生だって?」
ジョンは深くうなずいた。
「むろんだとも、我々の人生は始まったばかりじゃないか」
そう言うと、ジョンは緑色のカバーに白い文字の『ジョン・ベッカー』と題された本を取り出し、そのページを開いた。
そこには、『宇宙飛行士になる。』という黄色い大きな文字の横に、力強く、
『親友、アルフレッド・クーパーに再開する。』
と、書かれていた。
「さぁ、行こうじゃないか。アルフ、我々の人生はこの館の外に待っているんだよ」
ジョンはそう言って立ち上がり、右手を差し伸べる。アルフもまた、その手をしっかりと握り返し、勢いよく立ち上がった。
「ああ、その通りだ。その通りだとも、ジョン」
2人はまるで少年の日のように、これからを語り合いながら、白壁の館を後にするのだった。
おわり。
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