「いきものへの賛歌」
希望もなく夢もなく愛もなく
我が唯一の希望はアンダーグラウンドのみ (マッド・マイク)
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東京都長嶺市。
ここには一切の希望が無い。
80年代は大規模な自動車工場が街の象徴のようにそびえ立ち、住民の大半がそこから生まれる利益によって生活を支えていた。
そして斜陽の時代が来る。バブルの崩壊。企業は業務拡大のしわ寄せを一気に受けた。日本政府は慌てて銀行に多額の支援金をつぎ込み続けた。しかしそれが効果を表すことはなく、それでも資金が一般大衆のために使われる事も、不良債権を抱えた銀行を処理する事もされなかった。
どうしたらあの頃に戻れるのか、と言う老人がいた。
どうやってこれからの生活費を稼げばいいんだと嘆く母親がいた。
学校に行けない子どもがいた。
殺人と自殺が増え、ますます社会に不安を蔓延させた。
いくつもの企業が潰れた。
そうしていくつもの街から活気が消えた。
2011年、長嶺市。
かつては自動車産業で栄えたこの街。
今では日本のデトロイトと呼ばれ、犯罪や病気、精神異常者が溢れかえる街。
「現代のスラム」とテレビではたびたび報道された。
いくつもの不穏な知らせと共に……。
「誰がこんなことをしたのか?」
それに答える者は沢山いた。
そしてすぐに忘れられた。
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CASE−A
――嫌だ!!
――嫌だ!!
――やめて!! お願い、お願い!!
半狂乱になった少女の声が聞こえる。
ほんの数メートル前で少女が顔をぐちゃぐちゃにし、必死に黒い手に懇願している。
――助けて!! 誰か!!
助けてやりたい。そう思った。
!!!!
身体が動かない。
いくらもがいても。
少女は無数の黒い手によって上着を、シャツを、下着を剥ぎ取られていく。そして全裸になり、黒い手に蹂躙され、
消えた。
天井でカート・コバーンが皮肉った笑みを見せている。駅前の怪しい店で買ったポスター。
それで夢だと気付いた。
身を起こし、寝汗でぐっしょりとなったシャツに気付く。
それとほぼ同時に夢の内容は忘れてしまった。
何か卑猥な夢だったような気がするが、特に「肉体的変化」はない。
ただ、
「密度の濃い夢だった」
そう呟いて学校に行く支度にかかる。
窓の外は今日も曇りの空に覆われている。灰色のビルがそこらじゅうに見える。街を行く人は皆背を縮ませて歩いていて、華美な装飾をしている人など一人もいない。
退屈。恐怖。絶望。それが街を埋め尽くしている。
そして平凡な家庭に生まれた田中洋一郎は制服に着替えを終えて、階下に降りていった。
朝食の風景。
職を無くした父はまだ起きてこない。
退屈。そしてゆるやかな絶望。それを胸の中に押し込んで洋一郎は食卓についた。
適当に置いてあったバターロールを焼きもせずに頬張る。それを牛乳で流し込む。
ここのところ、いや、いつだったか正確には思い出せない。
食事が楽しくないのだ。
むしろすぐ済ませてしまいたい。
「ごちそうさま」
そんな言葉言いたくもなかったが、これが唯一と言っていいほどのコミュニケーションなのだ。
母親は何も言わず、食器を片付け始めた。
自室に戻り、登校時間までまだ間があったので音楽を聴くことにした。
ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」を一回聴いて、気が滅入った。
その後はR.E.M.の「ザ・グレイト・ビヨンド」をリピートで聴いた。死後の世界がこんなに美しいなら死んでも悪くないと思った。
現代のデトロイト、そう長嶺市は呼ばれる。
洋一郎はデトロイトの音楽が嫌いだった。
やたら陽気なジャクソン5は勿論だが、「ソウルがある」とか呼ばれる独特の感じが嫌いだった。
友達から借りたCDがあったのを思い出し、手にとってみる。
デリック・メイ「イノヴェーター」。
ブックレットを開いてみた。英語で何か書いてある。
"あるものを正しいとみなすとき、あるものは悪になり、あるものを美しいとみなすとき、あるものは醜くなる"
「ダメだ」
聴く気が起きない、という意味の言葉を発して、洋一郎は学校に行こうと思った。
延々かかりっぱなしのR.E.M.の曲が、忘れ物がないかチェックする洋一郎の後ろで流れていた。
僕は突破してスプーンを曲げたり
花を満開に咲かせたり
答えをあの世で探したり
ふと、部屋の隅に立てかけてある絵に気付いた。
気付いた、というのも可笑しな表現だ。洋一郎は美術部であり、明日はとうとう絵を展示するというのに。
ほこりから守るためにかけておいた布を取る。
そこに現れる鮮やかな色彩。
洋一郎にとっては遠い憧憬だった。
ふいに、
同じクラスの山田浩平の顔が浮かんだ。
俺と違って音楽の才能があって、金も持っている。親も中央の役人の仕事をしていて金回りが良い。彼女も美人だ。いつも仲間と楽しそうに話している。
憎い。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
気がつくと、せっかくの絵がずたずたに切り裂かれていた。
いつの間に持ったのか分からないハサミで。
「…………何なんだ?」
今までこんな風に感情が爆発した事はなかったのに。
展示するために描いた絵、画の左半分に髪の長い女学生が立っていて、学校に咲く桜を見ているというものだ。
マンガ的な構図だが、画面全体が緻密な色彩に彩られており、少し離れて見てみると写真と見紛うくらいの完成度である。
しかもそれでいて独特の温かみを失っていない。
誰の中にもある憧れ、若さの象徴。
それを具現化したような絵。
部の中でも評判だった絵だ。
それを、
「何でだ?」
後悔と自責の念は勿論だが、突然降って沸いたような暴力衝動に、
洋一郎は恐怖した。
もし心の中を見る人間がいたのなら、洋一郎の心に白い二本の手が巻きついていることに気がついただろう。
それは洋一郎の心の「目」の辺りを隠していた。いや、爪を立てて「目」が見えないように庇っていた。
その白い手は肘から先が無く、そこから黒い紐のようなものが何千本も出ていた。
洋一郎の恐慌の後、それはするすると洋一郎の心からほぐれ、
手の中に音も無く消えていった。
CASE−2
山田浩平は放課後、いつものように軽音楽部の部室で仲間と演奏をしていた。
曲目はニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」だ。何だか分からないがとにかくインパクトがあるし、カッコイイから好きだ。そういうふうにバンドの仲間と意見が一致していた。
今日の練習は明日の文化祭で演奏するための最後の詰めだ。今回の練習は息がぴったりと合い、ヴォーカルを勤める浩平の声がゆっくりと空気に溶けて、曲が終わるまで完璧といっていい雰囲気だった。本人たちにとってはそれは特別な雰囲気にも感じられ、演奏が終わった後は皆で歓声を上げたほどだ。
それで一息つき、売店で買ってきたミネラルウォーターを一口あおったところだ。
血相を変えて知り合いの女子生徒が部室に駆け込んできた。
もっと正確に言えば浩平が付き合っているブラスバンド部の松崎洋子の部員仲間だ。
「女をコマすためにロックを始めた」
とは浩平の中学時代の弁であるが、彼は実際の恋愛となるとのめりこむタイプであり、今はかなり真剣な付き合いをしていた。
そういうわけで浩平は保健室へ急いだ。
女子生徒が言うには「松崎洋子が急に階段で立ちくらみを起こし、そのまま転倒して気を失った」と言うのだ。
松崎洋子は白いベッドに横たわり、気を失っていた。
山田浩平はいてもたってもいられず、彼女の手を取るが、彼女の手に力は無い。
救急車を呼ぶ手はずは既に済んでおり、傍らで保険医と松崎洋子の友人も付き添っている。
時々、ほんの少し松崎洋子は痛みをこらえるように顔をしかめた。それに気付くたび、山田浩平はいてもたってもいられないくなるのだった。
そして松崎洋子は病院に運ばれた。そして数時間が過ぎても目を覚まさなかった。打撲箇所に特に異常はない。だが点滴を打とうとすると時折全身の筋肉が硬直するような症状が起こるのだった。そして同時に原因不明のアザが首に出来始めたのはその頃のことだ。
医者も家族も手立てを見出せず、ただ途方に暮れていた。
それを電話で聞いた山田浩平の心中も穏やかではなかった。
明日は文化祭。
山田浩平のステージと松崎洋子のブラスバンド演奏は偶然時間が重なっておらず、お互いに観にいく約束をしていたのだ。「デカい花束持ってってやるからね」と冗談めかして言っていた松崎洋子の顔を思い出し、山田浩平は強く受話器を握り締めた。
CASE−3
松田純一は午後のHRが終わるとさっさと鞄を担いで教室の外に出た。
帰宅部の彼は明日からの文化祭の準備に興味はなく、クラスメイトからも最初から人手としてさえアテにされていない。
彼はバスに乗って帰宅する。
彼の実家は駅にほど近いマンションだ。そこで今風の服に身を包み外に出る。
これといった趣味も無く(唯一の趣味であったテニスは中学時代の部活動が理不尽に厳しくさっさと辞めていた)家ですることのない彼は学校に残るわけでもなく、家にいるわけでもなく、ただ街をふらついていることが多い。
彼は長身だが特に目立つ髪形をしているわけでもなく、服装も街に溶け込んでいるのでトラブルに巻き込まれることはほとんどない。一人でカツアゲをしている中学生らしき奴を見つけたとき、後ろから蹴り倒してやったことがあったが、それは思い出しても気分が良くなることだった。
そういった、「自分の手に負えるトラブル」というものを求めて街をふらついているようなところが彼にはあった。
学校で誰かに因縁をつけたり、苛めたりする趣味は彼にはないが、どうしようもない攻撃衝動を抱えているのは確かだった。それは将来への不安からかもしれないし、中学時代にさんざん先輩からいびり倒されたはけ口を求めているからかもしれない。
そんな彼がゲームセンターで何をするでもなく煙草を吸っていたとき、誰かの弱弱しい声が聞こえた。
「あいつです」
と。
そいつを見て彼はすぐに思い出した。
以前カツアゲを邪魔してやった中学生だ。しかし次の瞬間彼は言葉を失った。
中学生の周りにいる奴らは、彼の先輩だったのだ。進学校に行きながらガラの悪い格好をしている。どうせ汚い金で買ったものだろうが。
彼は渋面を見せた。
結局ぼこぼこに殴られた。
また先輩達に復讐できなかったふがいなさと怒り、告げ口をした中学生への怒りがまだこみ上げてくる。
家に帰ろうという気は起きなかった。警察に通報しようにもゲームセンターのトイレに連れ込まれ、そいつらはさっさと逃げてしまった。どうしようもない。どうしようもなかった。途中、夜道の自販機でビールを買った。それを駅前の公園であおった。
酔っ払って幻覚が見えたのかと思ったが、
「どっこいしょ」
声ははっきりと聞こえ、それが幻覚でない事を彼に知らせた。
虚ろな目で隣に座った男を見る。
綺麗な背広を着ている。サラリーマンだろうか。この夜中だというのに疲れというものを見せていない。背広に良くあるくたびれたしわ一つなかった。
「向こう側に突き抜けたいとは思わないかい」
何を言っているんだこの男はそういえば明日から文化祭じゃねえか、どうするかな、家で一日寝ていようか、でもそれじゃ心が耐えられそうにない。
「心の強さを欲しいとは思わないかい」
何を言っているんだああ俺は酔っ払っているんだなしかしこいつも変な奴だもしかしたらホモじゃねえだろうな。
気がつくと隣には誰もいなかった。
公園の時計を見ると一分ほどしか経っていない。
しかしあの背広の男の代わりに小さな薬のビンが置かれていた。
「死んでしまいたい」
とっさにそう口に出していた。
彼は何かに取り付かれたようにビンを手に取り、三錠一気に噛み砕いた。
それは毒物でもなんでもなく、単なるドラッグでもなかった。
…………そして、背広の男は駅近くのドブ川で死体で発見される事になるが、それは彼の知るところではなかった。
CASE−NOMAL(文化祭)
文化祭に田中洋一郎は現れなかった。
絵画の展示部屋、彼の額だけは何も置かれていなかった。
彼は全く目が見えなくなっていた。
病院に行ってもお手上げだった。
そうして寺にお払いに行き、彼に取り付いていたという霊は消えた。
夕刻、送れて部室に顔を出した彼に、部員たちは色々な質問をした。
「絵はどうしたのか」
「何でこなかったのか」
それに彼は答えられなかった。
学校に来る前に何かを吐いたので気分が悪かった、というのもある。
だが、到底友人に話せる話ではない。
彼はそれぞれに答えた。
「ま、いろいろあってね」
◆◆◆◆◆◆
山田浩平はずっと恋人の側にいた。
学園祭の演奏の事など関係なかった。
ミュージシャンにはなれないな、とぽつりと薄暗い病室で彼は思った。
不思議な事に、彼女の首のあざはすっかり朝には消えていた。
翌朝、看護婦に目を覚まされて(いつの間にか居眠りしてしまっていたらしい)、
彼は驚いた。
彼女の髪が短くなっていたのだ。
「いつ切ったの?」
その間抜けな彼の問いに、
「さあ」
とそっけない言葉と不安げな表情で彼女は返した。
◆◆◆◆◆◆
松田純一は何もしなかった。
薬のビンはあの後すぐにどぶ川に捨てて、文化祭の間はずっと寝ていた。
CASE−DANGER(エイリアン)
粘液塗れのおたまじゃくしのような姿の「ブラインド」が口を開いた。
「霊に取り付いて相手を操るのは無理だ」
そこは人里離れた山の中。
ブラインドは構わず言葉を続ける。
「この種族は人を食わない。土の中で期を待っていたが、結局は無駄足だった」
そこで三つ編みの髪、「バインド」が口を開いた。性格にはテレパスによる会話だ。
「私も同じだ。何故か勝手に成仏されてしまった。相手の身体の一部を千切って逃げてくるのが精一杯だった」
「イーターはどうだ?」
そこで暗い木の陰から人が現れる。
そうして、ふらついて倒れた。
もう二度と動かない。
「死体を使って、ドラッグというモノで人間を操作するつもりだった」
「…………」
「効かなかったな。元々耐性があったのかもしれん」
しばしの沈黙。
三匹の心は一つだった。
「お互いを食べれば生き残れる」
と、ブラインド。
「そうだ」
と、バインド
「それに何の意味がある?」
イーターが口を開いている間、ブラインドはずるずると身体を這って、イーターが操っていた人間に近づいた。
「いい、自分でやる」
イーターが口を開く。
死体が再びぎこちない動作で動き出す。
どこからか調達した石油を撒き、三匹がそれをたっぷり浴びた。
火がつき、後には何も残らなかった。
◆◆◆◆◆◆
後日、ぼや程度の山火事のニュースが伝えられた。
<了>
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