イノセン.COM(いのせん どっと こむ)
1(イノセント1)
荒野が広がっている。
乾ききった地面はひび割れ、太陽が二つの影を照らしていた。
少年と巨大なハ虫類。
土色の鱗が全身を覆い、立ちふさがる様は岩肌むき出しの山だった。
翼は退化して、本来の能力を失っている。わざわざ空に生活の場を求める必要はなかったのだ。彼が地上でも最強の部類に入る生き物だという証明でもある。
竜――正確にはガイアドラゴンといった。
長い首を伸ばして天に向かい咆吼すると、体長は二十メートルにも達した。
その竜の胸には大振りの両手剣が突き刺さっている。竜の巨体からすれば針のようなものだが、剣が黒いプラズマを放つたび竜は苦悶の叫びをあげ続ける。
対峙した少年は小さく笑ってみせた。
「さあ! ガイアドラゴンとやら! 俺の勝ちだろう? うめいてないで称号を渡したらどうなんだ?」
ピタリ――と竜の動きが止まる。
「せっかくの『やられ様』に水をささないでくれよ。雰囲気のないヤツだ」
竜は胸元をぽりぽりと指でかく。
声色は低く、エコーがかかっていた。モンスター系のボイスマスクだろう。
「もう規定のダメージは与えたはずだ。さあ、称号をよこしやがれ」
黒髪の少年。青年と少年の中間のような顔立ちで十四〜五歳といったところだ。黒髪は短く、やや褐色っぽい肌。全体的に細身だがよく鍛えられている。
そのナイフのように鋭い視線が巨竜を射抜く。
「わかったわかった」
ため息混じりに竜はどこから持ってきたのか白旗を振ってみせた。
「では、汝――自由剣士ウッド・サマーズにこの『破竜の証明』を授与する」
竜は器用に人差し指と親指で、自分の鱗を一枚つまみあげた。
直径十センチほどのダイヤ型のそれを、黒髪の少年は満足げに受け取る。
「これで今日から俺は『破竜剣士』だな?」
少年の言葉に巨大な首が上下させ。
「しかし、ブラッドソードとシールドブレイクのコンボなんてよく考えたもんだ。普通ガイアドラゴンと戦うなら『大地の加護』が必須だろ?」
少年は首を横に振る。
「攻略法なんざどうでもいいさ」
「しかし、これで私も引退だなぁ」
竜が口を開ける。人間ではないので細かい表情の変化は分からない。おそらく笑ったのだろう。
「ケッ……来るヤツ全員殺しておいてよくいうぜ。第一『大地の加護』の情報流したのはお前だろう? この世界じゃ嘘が横行しやがる。どいつもこいつも普通のRPGのつもりでやりやがるからバカみるんだよ」
竜から受け取った鱗を、少年は腰に下げた小さな袋に押し込んだ。鱗は収縮して袋の中に収まってしまう。
「なるほどなぁ。せっかく偽情報流してプレイヤー殺しまくってたのに……まさか引っ掛からないやつが出てくるとは。恐れ入った」
竜がちょこんとお辞儀する。
「プレイヤーも人間なら、ボスキャラも人間だろ? 人間ほど信用できないもんはねぇよ。……じゃ、俺今日は落ちるから」
「次はお前さんが狙われる番だな。せいぜい周囲の連中に気づかれないこった」
「忠告どうも」
少年の姿が荒野から「フッ」と消える。
落ちる――つまりネットワークから切断した――ということだ。
荒野に竜が取り残される。
(――さて、私もそろそろ)
竜も――正確には竜のプレイヤーもネットワークから切断しようとした
しかし回線は繋がったままである。
【何者かが侵入してきました】
注意を促すメッセージに、竜は周囲を見回した。
すでに自分が狙われる理由である「破竜の証明」は今の少年に持って行かれてしまった後だ。
振り返ると白髪の男が立っていた。
幽鬼のようにふらふらと、足取りもおぼつかない。青白い顔は病気というよりも死人のようだった。
白い髪は背中を覆うほど長く、前髪が顔を覆い隠している。
「残念だったなぁ。たった今私は普通の竜族にランクダウンしたばかりだ」
「貴様を殺す」
「物騒なヤツだ。まあ私も瀕死だがお前さんの方こそ死にそうじゃないか? こっちは腐っても竜族だぞ?」
竜は相手のステータスを見極めようと目を細める。『竜眼』という特殊スキルだった。自分よりもレベルの低い相手を見極めることができるのだが……。
「レベル……0?」
レベル表示だけではなく、すべてのステータスが「0」――数値化されていないのである。
「バグかな?」
「…………ゼロシキ」
白髪の男は小さく呟いた。
「ゼロ……シキって、お前が?」
ゼロシキ……無差別にプレイヤーを襲う狂った存在……出会った人間はすべて殺されている。
そんな噂を竜は思い出す。
「冗談はよせよ? だいたいゲームの中で死んだからって、現実に殺しに来るなんてバカげてる。どうせ噂を使ってこっちを混乱させようって腹だろ?」
竜は男を見下すと、退化した翼を数回羽ばたかせてみせる。威嚇だった。
「針生貴史……羅寺御中央高校二年、Dクラス所属。西暦一九九〇年生まれ。十七歳」
男の口から出たのは竜――ガイアドラゴンのプレイヤーである少年の個人情報だった。
家族構成から所属している部活。貯金や口座番号。クレジットカードの暗証番号に個人証明ナンバーまですらすらと男は並べる。
「な、なんでそんなこと知ってるんだ! マザー・ブルーのセキュリティーはアメリカの国防総省なんて比じゃないんだぞ!」
「死ね……」
「ふざけるなッ! お前の方こそマジで殺すぞ!」
竜が戦闘モードに移行した。
しかし、戦闘開始の合図もないまま、男はすでに竜の肩に飛び乗っていた。男の右手が竜の首筋にめり込む。
「や、やめろ!」
画面の中で、自分が育て上げてきたキャラ――ガイアドラゴンが、得体の知れない人間の手で踏みにじられる。
巨大な竜の首が吹き飛び、鱗の鎧に包まれた肉体が消滅する。
少年は呆然と画面を眺めていた。
スピーカーから甲高い、ハウリングのようなノイズが響く。
白髪の男は荒野に立つと、画面から少年の瞳を射抜くように見つめた。
「針生貴史……次は貴様の番だ」
「俺がなにをしたっていうんだよ?」
ヘッドセットマイクから流れた声は震えていた。
口調も主語が「私」から「俺」に変わっている。素の人格だった。
少年の言葉に男は答えない。
【何者かが退出しました】
メッセージが残り、男の姿は消えていた。
(――そんなバカなことあるかよ。「イノセント・ブルー」はただのゲームなんだぜ?)
混乱を整理することもできずに、少年はコントローラーを握ったまま、呆然とするばかりだった。
2 (現実1)
ワンルームマンション一つまるまるが、私立羅寺御中央高校の男子寮だった。
その一室で、少年があくび混じりにTVをつける。
仮眠といるほど眠ってはいない。
昨晩丸々費やして、ようやく「破竜剣士」となった喜びもつかのま……今日も学校である。
「ここ数日、海上新都市『羅寺御市』で起こった青少年の自殺は十九件にも登ります……」
若い女性ニュースキャスターの深刻そうな口調に少年は反感を覚える。
(どうせ他人事なんでしょ? 演技までして好感度あげたいのかなぁ)
TVをじっとにらみつつ、少年は通学の支度を始めた。
朝食は摂らない主義なので、インスタントコーヒーを濃いめに作って代役にする。もちろんこれで昼間で持つわけもないのだが……。
(ったくよぉ、ヒカリちゃんとかいてくれたらいいんだけどなぁ)
流行のゲームキャラが脳裏をかすめる。
ありふれすぎた設定だが、恋愛シミュレーションゲームでよくある「幼なじみで世話好きな女の子」だった。手を変え品を変え、この手の「女の子キャラ」はいつの世でも男性の理想像なのだ。
「行方不明を含めると三十件になります。またこれらの少年少女たちの共通点にネットワークゲームで遊んでいた……ということが判明していおりますが、発売元のミコノス・エンターテイメント・カンパニーは関連を全面的に否定。なにより原因究明が待たれています」
少し声の高い女性キャスターが流暢にニュースを続ける。
ネットワークゲームとは昨晩少年がプレイしていたネットワークRPG「イノセント・ブルー」を指していた。
巨大企業「ミコノス」が羅寺御市内だけで実験的に公開しているネットワークを利用したゲームである。
モニター希望のメールを送れば、数日中にゲームのディスクが郵送されて、家庭に備え付けられた端末回線を使ってプレイできるのだ。羅寺御市民なら誰もが参加可能だが、やはりというか主な参加者は中学生から大学生くらいまでの、若者が中心だった。
コントローラーとヘッドセットマイクで操作を行い、ヘッドセットマイクに内蔵された脳波計がキャラクターの感情表現まで行うという、最新のネットワークゲームである。
ネットワークシステムの発達した羅寺御市で試験期間が終われば、一般に公開されるらしい。
そうなればライバル会社はミコノスに大きく水をあけられてしまうだろう。と、これは経済評論家の言葉だったが……。とかく世間の注目度は高い。
行方不明の真相は分からないが、マスコミのスキャンダラスな報道がミコノスにとって逆風になっているのは確かだった。
(ゲームと関係だって? そんなわけないでしょ?)
あらかた準備も整った。
「続いて……これもまた少年関連のニュースですが、低年齢化を続ける凶悪犯罪に少年法の第四次改正案が衆議院で可決……」
ぶつり。
リモコンを操作してTVの電源を落とす。
時間は遅刻すれすれだった。ゆっくりニュースを見ることもできない。が、徹夜でゲームに没頭した自分が悪いのだ。
「いってきま〜す」
誰もいないのに言い残し、少年はマンションの一室を後にした。
きれいすぎるほど高さのそろった街路樹たち。脇の歩道を自転車が駆け抜けていく。
最新の技術でそびえる中央区のビル群を、住宅区から遠くに望むことができた。その中でも一際巨大なのが「ミコノス」本社ビルである。
海上に浮かぶ人工島。巨大企業「ミコノス」が政府の委託を受けて作り上げた未来モデル都市。それが羅寺御市だった。
ふざけた名前だが、「ミコノス」の最初のヒット商品がトランジスタラジオだったのが由来らしい。
碁盤目状に整備された街並み。
各家庭と公共機関、企業などを結ぶネットワークケーブル網。
個人をICカードと網膜で識別判定する、ごまかしの利かない完全武装された電子マネーと流通システム。
移動手段も最新の技術で作られたリニアモーター車両だった。東京とは海底を通じて地下鉄で繋がっている。特急に乗れば二十分の距離だった。
整理されすぎて不気味なほど整然とした碁盤目の街を、少年の自転車は高校向けて進む。
少年はあまりこの景色が好きではなかった。公園や街路樹がどれもとってつけたようで、雑草一つみかけられない。
植物も動物も、街も人も水も空気さえも、自然なものが何一つないように無機質で、渇いた街だった。
個人証明カードをタイムカード代わりに、少年は教室に滑り込んだ。
ほぼ同時にチャイムが鳴る。
「まったく、朝から騒がしいですね。なぜあと五分早くこれないんですか? 安藤君」
肩で息する少年に、眼鏡の少年が皮肉げに告げる。委員長――相模圭だった。
「え、あ、ニュースみてて遅れました。委員長様」
安藤少年のうわずった言葉に、堅物が制服着て歩いているような相模は小さく鼻を鳴らすだけだった。
(――ちっ、いけすかねぇ……いつか殺す)
ぺこぺこ頭を下げながら、安藤少年の脳裏に凶悪な言葉が生まれる。
「ともかく、クラスの出席率が低いと僕の統率力が疑われるんですから、気をつけてくださいね」
「あ、はい! 今後尽力いたしますです」
心の中とは裏腹に、安藤はさわやかな笑顔だった。
「よろしい」
言うだけ言って相模委員長は窓際の自分の席につく。
(――今殺し……いや、我慢だぞ安藤夏樹)
暴力事件でも起こそうものなら即刻処罰されてしまう。暴力、ケンカは御法度だった。
二十世紀末から起こり始めた青少年の凶悪犯罪は、現在表向きではなりを潜めている。
若年化する犯罪への対策は急務だった。
人権保護だの被害者救済だの、個性だのなんだのと色々話し合いはあったらしいのだが……。
結局のところ、若年層の凶悪犯罪に対して政府が行ったのは徹底した「管理」だった。
おかげでケンカもなく、学校は表面上平和そのものに見える。
一時期は高校生の暴動を恐れて、学校の窓ガラスに自動のシャッターをつける動きもあったらしい。教室に鍵をつけて閉じこめるなど、田舎の高校にはまだその習慣が残っている。
それも羅寺御中央高校では取り越し苦労だった。そういった「檻」のようなシステムもあるにはあるが、喜ぶべきことにただの飾りになっている。
締め付けは厳しいが、学校が戦場になるよりはマシかもしれない。と安藤自身も考えていた。
(――そこまで考えて暴力を振るわない。そんな俺って大人だ)
自分を慰めるように安藤は廊下側の後ろから二番目の席についた。二年になって必死で獲得した「授業中寝られる席」である。
ただ問題もあった。
自分の後ろの……最高の特等席に最悪の人間が座っているということである。
しかしここ数日は平穏そのもので、今日もその最悪の姿は見られない。
「あら、珍しいわね。アンドーナツが北のこと心配してるの?」
安藤が自分の席の背後……北周真をクラスに探すのを見て、少女が安藤に声をかけた。
「あっ、ゆ、ゆ、悠さん!」
才色兼備……クラスでの成績は群を抜き、学年では常に首席の天才少女。すでに理系有名私大や海外からもオファーの来ている特待生――瀬良悠だった。
長い黒髪は背中まであり、朝日を反射して女神のような美しさである。
「え、あ、そ、そうです。ほら? 北君最近来ないんで……」
「そうね。もしかしたら噂の『ゼロシキ』かしら」
特に仲が良いわけでもないのに、なぜか今日は悠の方から積極的に話しかけてくる。
(――も、もしかして、ついにこの俺のビジュアル系な男の色香にメロメロなのか?)
と一瞬錯覚もしてみたが、安藤夏樹の外見はどこにでもいる平凡な高校生としか言い様がない。おまけに成績は中の下で、超優等生の悠に勝てるのは運任せのジャンケンくらいなものだ。到底釣り合わない。
「ゼロ……シキですか?」
「あら知らないの? ほら『イノセント・ブルー』ってゲームあるでしょ? 今朝ニュースでやってたのを見たんだけど、その中で『ゼロシキ』に会ったら現実でも殺されるって噂……。アンドーナツってゲームとか好きそうだし、詳しいんでしょ?」
そんなことを知ってどうするのだろう――と思いつつも、安藤は首をうんうんと縦に振った。端から見れば飼い犬とご主人様のようにも見える。もちろん犬は安藤の方だ。
「噂なんですけど、なんでもゲーム中に『ゼロシキ』というプレイヤーキャラに決闘を申し込まれて、戦って負けたり逃げ切れないと、キャラデータを破壊されるみたいなんですよ……これがまた」
「ふーん。で、プレイヤーキャラってなに?」
「あ、えーと、ゲームの中で自分が操作する分身みたいなもんです。中立と正義と悪って属性があって……」
「細かい設定の話しはいいわ。だいたいわかったから。で、その『ゼロシキ』に負けた人間が次々と自殺したり行方不明になってる……っていうのは、いったいどうゆうことなの?」
「行方不明なんて噂ですよぉ。それより悠さんも『イノセント・ブルー』やってみないですか? 僕が親切丁寧に教えてあげますから」
「わたし、そういうオタクっぽい趣味ないから」
少女はきっぱりと誘いを断ち切った。
「ははは……そ、そうですよね。悠さんにかぎってそんなこと」
「それと、親切心ならいいんだけど、下心があるならやめておいた方が良いわよ。いくらなんでもわたしとあなたじゃ釣り合わないでしょ?」
(そうはっきりいわなくても)
安藤の表情はこわばったままである。
「でも変ね。もしそんな事件になるなら、なんでゲームを中止したり、犯人を特定しようとしないのかしら? 『ゼロシキ』だって人間なんでしょ?」
「それが……『イノセント・ブルー』は羅寺御市の都市機能を司る『マザー・ブルー』の同型機をメインサーバーにしてるから、ミコノス社のトップシークレットなんですよ。それに個人情報を公開するようなことにでもなれば大問題ですし。ミコノスは政府に委託されてるんで、圧力かかって警察も思うように動けないんじゃないですかね」
「あら、アンドーナツの推理にしては意外ね。結構その読み良い線いってるんじゃないの?」
「そ、そうですか」
「でもミコノスだって放置はできないでしょ? 『ゼロシキ』のプレイヤーくらい特定できるんじゃない?」
「問題は二つ。まず推測ですけど、『ゼロシキ』のプレイヤーは正規ルートでアクセスしてないようです。よっぽど高度なプログラミングの技能がある人でないと無理ですけど、実際ニュースで『特定された』って報道が出ないのも、『ゼロシキ』のプレイヤーが不正アクセスで足跡を消してるからだと思います」
「ふーん、オタクっていうのも時には役にたつのね?」
「ははは……もったいないお言葉で。それと、もう一つなんですが『マザー・ブルー』のシステムには人格があって、ゲームを停止を拒んでいるのかもしれないんです。羅寺御市のコンピューターはすべてがマザーに繋がっていて、生態系のようなバランスをとっていますから。ここで『イノセント・ブルー』のゲーム世界が停止すると、バランスが崩れる恐れがあるんです」
「それだけじゃないわね。抑圧された子供たちの心を解放するためにあるような世界。欲望のはけ口を失ったら、それこそ子供は暴走してしまうわ」
「あの……悠さんやっぱり『イノセント・ブルー』を知ってるんじゃ?」
「週刊誌で読んだのよ」
二人が話すのが気にくわないのか、いつのまにか歩み寄ってきていた委員長が二人の間に割ってはいる。
「悠さん……こんなヤツを相手にする必要はありません」
「話しかけたのはわたしからよ……それにわたしが誰と話そうと、万年二着のあなたにいわれる筋合いって……ないんじゃないの?」
相模の顔が怒りで真っ赤に染まる。
学科試験のすべてにおいて学年トップを独走してきたのは悠だった。その影に隠れ、相模は常に二着である。万年下から数える方が早い安藤としては、一着も二着もなれるもんならどっちでも良いのだが、こと委員長は着順にこだわる男。プライドを傷つけられるのを極端に嫌う。
「いつか抜きますよ」
「その時にはわたしは飛び級でもして大学生かもね」
「……ともかく、安藤君のような低能な人間と話していてはあなたの価値を下げるばかりですよ」
「アンドーナツとあなたじゃどっちもどっちだけど、少なくとも委員長様ぶったあなたより、こっちの忠犬安藤の方が役にたちそうね」
「…………フンッ」
自分から二人の間に入っておいて、委員長は腹立たしげに踵を返すと席に戻っていった。
(――忠犬って、おいおい。でも悠さんもしかしたら俺に気があって庇ってくれてるのかも)
「勘違いしないでね。あなたとわたしじゃ釣り合わない。せいぜいペットがいいところってこと。おわかり?」
「わん!」
差し出された手に思わず安藤は「お手」をしてしまった。
「よしよし」
頭をなでると悠も席に戻る。
(――屈辱的だが、悠さんの手に触れてしまった。頭までなでてもらってしまったぞ。ちょっと……幸せかもしれん)
男のプライドそっちのけで、思わず鼻の下の伸びる安藤であった。
授業が始まり、つつがなく終わる。
結局問題児である北周真は教室に姿を現さない。安藤としては背後から妙なプレッシャーをかけられずに一日を平穏に過ごせたわけだ。
北周真。政界の大物である北経久の三男にして、羅寺御中央高校最大の問題児だった。
二十世紀にみられる「不良学生」というやつなのだろう。現在では誰もが表向きは優等生となってしまったため珍しい存在である。
社会から放り出されたような生徒は施設に送られて、心理治療とかいうマインドコントロールを施され、無理矢理更正させられる――二十一世紀とはそんな時代である。
ロンゲで茶髪。平気でタバコも吸えば教師も殴る。ケンカはしたいが相手がいない。北周真とはそんな危険な男だった。
人も何人か殺しているんじゃなかろうか。と安藤は日頃から思っている。単なる素行不良というより、血に飢えた狼のような目をしているのだ。
それにしたところで、傍若無人なのもすべて父親が政界を牛耳っているおかげなのだから、ある意味ではすねかじりなガキとも言える。
とはいえ腹立たしい。安藤的にも暴君のような振る舞いをしてみたいと思うことはしばしばあった。
そのために「イノセント・ブルー」をプレイしているのかもしれない。ゲームの中ならば暴力は振るえるし、地位も名誉手に入れることができるのだから……。
放課後の校舎。おぼろげに考えながら、下校しようと出た昇降口に……安藤は見てはいけないものを見てしまった。
今し方妄想をめぐらせていた北周真である。
生徒の襟首を掴んで校舎裏に引っ張ろうとしているのだ。
引っ張られているのは……隣のクラスの針生貴史だった。一年のころ安藤とは同じクラスで、ゲームの話しで一度盛り上がった記憶がある。その時だけの友達のような存在だったが、もともと友達の少ない安藤は顔まで覚えていた。
(――ど、どうしよう)
このまま校舎裏に連れ込まれて……針生は短い生涯を終えるんじゃなかろうか?
下校時間で生徒もまばらだが、誰も助けようとはしなかった。北周真……三年生はもとより教師たちからも恐れられる暴君の手元には、銀色に輝くバタフライナイフが握られていた。
(――ヤバイ、ありゃ殺されるよ)
声をかけた人間もろとも危険だろう。
(つうわけで針生……どういうわけだかしらないが、不幸にも北周真を怒らせた君が悪いんだぜ)
見て見ぬ振りを決め込むと、安藤はすごすごと自転車置き場に向かった。
3(イノセント2)
酒場通りにはプレイヤーたちがたむろしている。それぞれが得た情報を交換し合うのに酒場はうってつけの場所だった。
褐色肌の少年――ウッドもその中に紛れている。
カウンターに掛けるウッド。マスターが果汁の入ったグラスを運んでくる。
隣には全身毛むくじゃらの男が座っていた。
「ガイアドラゴンが倒されたらしいですぜ」
「ふぅーん。こりゃまいったなぁ……密かに狙ってたんだが」
獣人の情報屋――グレイファはウッドのお気に入りだった。外見は狼人間で灰色の毛並みは、狼にしてはやや伸びすぎたような印象である。本人曰く「同族の中でも毛深い方」とのことだ。
狼のためか表情が読めないところは難点といえば難点だった。だが情報は信頼できるし、グレイファもグレイファでウッドの能力を高く買っている。お互い認める部分のある間柄だった。
「で、誰に倒されたって?」
極力不自然さを排した口調でウッドは聞く。ガイアドラゴンとの一戦について、どこまで情報が広まっているかを知っておきたかった。
自分と判明しているようなら変装でもしなければならない。
「それが……わからねぇんでさぁ」
表情からは読みとれないが、マイクデバイスを通じて聞こえてくる声からは、小さな落胆と不安が滲んでいる。
「わからない……か」
「ああ、それだけじゃないですぜ旦那。どうやらガイアドラゴンのやつ、違法コードしてたみたいなんですわ」
違法コードの言葉にウッドが小さくため息をつく。
「ルール違反か。偽情報を流すのは相手を欺くためだけど、キャラデータの改ざんはバランスが崩れるなぁ」
ふとウッドの口調が素に戻る。
「ま、ガイアドラゴンに『大地の加護』ってのは定説だったが、ヤツに挑んで帰ってきた人間がいないのは、ヤツの基本データが風属性のストームドラゴンだったからなんですわ。うまくガイアのデータかぶせてカモフラージュしてたけど、ありゃヤバイって」
嬉しそうにグレイファは告げる。自分が掘り出してきた情報を伝えること。それが元で事件が発生したり解決することに快感を覚えているらしい。本人曰く「情報屋のサガ」だそうだ。
「にしても、そんなヤツを倒すんだから、倒したヤツってのは相当キレるんだろうな」
冷静な口調で果汁を喉に通すウッド。
「さぁ……もしかしてウッドの旦那なんじゃないですかい? 昨日はこっちに顔出してなかったし」
「勘ぐるなよ。俺の力なんてたかがしれてる」
「謙遜なんて……まあ、お互い距離をとってなきゃ商売にはなりゃあしませんからねぇ」
「そういうこった」
小さく肩をすくめて、ウッドは酒代と紅い宝石を一つカウンターに置いた。
「ここは俺のおごりだ。釣りはグレイファが好きにしてくれ」
「こりゃずいぶん好景気ですな」
宝石が情報料だった。
グレイファは自分から情報料を提示しないので、買値は買い手がつけることになる。それだけ情報に自信がある――というのが情報屋グレイファのプロ根性だった。。
「おっとウッドの旦那。出ていく前にもう一つ……」
グレイファが「囁く」コマンドで情報の機密性を高めた。盗聴技能でも聞くことのできない極秘情報……ということだ。
「なんだ?」
「ガイアドラゴン……ちょっと裏探ってみたらキャラデータごと消えてたんですよ」
「データごと?」
「ええ、ここだけの話しですがね、盗賊ギルドじゃ『ゼロシキ』にデリートされたって噂が出始めてるんですわ」
「デリート……つまり抹消か」
「裏じゃ『ゼロシキ』はガーディ……おっと、失敬。ま、そういうことですわ」
「わかった」
わざとらしく途中で口ごもる。宝石で色をつけたが、本日分の情報はここまでらしい。それでもウッドには十分理解できた。
(――機密性を高めてでも、連中の名前はあくまで伏せる。情報屋らしいな)
連中――ガーディアンフォースと言いたかったのだろう。
ゲーム内のバランスが著しく「悪属性」に傾くのを防ごうとする組織――一説によればミコノスのスタッフということだが、実体を掴んだプレイヤーは皆無だった。存在の噂自体ミコノスが流したのかもしれないが、尾鰭背鰭がついて今では情報が錯綜するばかりである。「イノセント・ブルー」内の治安維持を任務とした、超戦闘力を持つ集団――というのが今の段階で分かっているだけだった。
ミコノスのスタッフなら、なぜ直接ゲームに「てこ入れ」をしないのか……そういった疑問が浮かび上がる。噂でしかないが、この世界の神である「マザー・ブルー」がミコノスのエンジニアの干渉を拒んでいるとも囁かれていた。
だからわざわざプレイヤーとして登録し、治安維持を行おうとするのかもしれない。
ガイアドラゴンは違法コードを使用した。この不正をガーディアンフォースの一員である「ゼロシキ」が処罰した。そう考えることもできる。
「旦那も気をつけてくだせえよ。俺っちの大事な金の卵を生む鶏なんですから」
「気持ち悪い声出すんじゃねぇよ」
ウッドは宝石に加えて金貨を二枚テーブルの上に置くと店を出ていった。
細い路地が網の目のようなスラム街に、ウッドの足は自然と向かっていた。
ゼロシキ……彼、もしくは彼女なのかもしれないが、ガーディアンフォースの行動にしたって行きすぎている印象はある。
相手のデータを消去する前に、なんらかの警告があっても良いとは思うのだが、そういった類の通告は一切ない。
だからこそ噂になっている。
現実世界で行方不明者が出ている事実も疑惑に追い打ちをかけていた。
本当に無関係なのだろうか。
デリートされた人間のリストでもあれば、なにか分かるのかもしれない。しかしそんなことをすれば、今度は自分が「ゼロシキ」に狙われる可能性がある。
(――噂の発信源か……)
広い「イノセント・ブルー」のどこで生まれた噂なのか。それを探り出すには自分のスキルでは到底無理といた。
腕利きの盗賊を求めて、ウッドはスラムの奧、盗賊ギルドを目指していた。
【何者かが助けを求めています】
注意を促すメッセージだった。
耳をすませると声が聞こえる。
(女の子?)
足音ではおぼろげにしか判断できないが、数人がこちらに向かって走ってきている。
「へっへっへ〜! 一度女の子追っかけ回してみたかったんだよねぇ!」
「まったく、逃げまどう悲鳴は最高だね。演技うまいんじゃん?」
「おいおい、ゲームなんだぜぇ、もうちょっと冷静に悪役しようや」
「そういうお前が一番鼻息荒いっての」
三人組みの男だった。
一人は獣人――鼠族かなにかで、背丈は子供ほどもないが俊敏な身のこなしの盗賊風である。
あとの二人は傭兵といったところだ。金髪の西方人に赤毛の南部人で、武装はロングソードにレザーアーマーといった初心者丸出しの装束である。
追われている少女が、問答無用でウッドめがけて走ってくる。
「た、助けてください!」
「断る!」
「そんなこといわないで!」
薄い栗色の髪は短くショートボブだった。身なりは軽装で武装もナイフだけ。三対一ならば少女に勝ち目はないだろう。
「お、おうおう! てめぇ! その女をこっちへよこしやがれ!」
追いついてきた三人組み。鼠男が片刃の曲刀をウッドに突きつける。
「別にくれてやってもかまわんが」
「そ、そんな〜!」
少女はウッドの背後に回ると、涙を浮かべて抗議した。
「だったら遠慮なく連れてくぜ」
赤毛の傭兵風がウッドと距離をつめる。伸ばした腕は背後の少女に向けられていた。
「なぜ逃げない」
ウッドの言葉に少女はただ震えるばかりだった。
少女はウッドの後ろにぴったりついたまま、衣服を掴んで離さない。
「だって、逃げても捕まるの分かってるもの」
「…………」
ウッドは小さくため息をつく。
「わかってるねぇお嬢ちゃん!」
後ろで控えていた金髪が口笛を鳴らす。
「で、いくらでこの女を買い取ってくれるんだ?」
手を伸ばした赤毛の腕をウッドは払いのけた。
「な、なにしやがる!」
「だから、いくらでこの女を俺から買うんだ?」
「買うもくそもあるか」
「この女は今から俺の奴隷になった。奴隷は人間ではなくアイテムだ。アイテムを勝手に奪うのは犯罪だ。だが金を置いていくというなら交渉は成立する」
「はぁ? なにいってやがる?」
「……だから、俺はお前たちを切り捨てるのなんて簡単だが、犯罪者にはなりたくないと言っているのだ。正当防衛にしたいと言ってるんだよ」
ウッドは笑ってみせた。完全に挑発している。
「ふざけんじゃねぇ! 俺たちにケンカ売るってこたぁ、ノース一家敵に回すのと同義語だぞッ!」
鼠男に次いで、赤毛が剣を抜いた。
「ノース一家?」
「ノース様はこのサウススラムを治める悪の英雄よ! お前みてぇな小僧にゃわからんかもしれんがなぁ」
「見た目で判断するヤツは頭が悪い」
「あんだとコラァ!」
赤毛が剣を振りかざした。
「交渉決裂だな……」
ガキン!
金属の砕ける音が響く。
振りかざされた長剣は確かにウッドの肩口にヒットしていた。しかし、このまま袈裟斬りでばっさりいくはずが、逆に剣の方が折れてしまう。
「な、なんだてめえ!」
「名乗る必要はない」
ウッドは背中の大剣を抜こうとはしなかった。拳を赤毛の顔面に叩きつける。
瞬間、赤毛の男の身体が浮き上がり、仰向けに地面に倒れ伏した。完全に気を失っている。
「き、きさまぁ!」
果敢にも鼠男が飛び込んできた。
曲刀が疾風のようにウッドに襲いかかる。
ガキン!
ウッドは拳で曲刀を払う。
曲刀も刃こぼれどころの騒ぎではなく、それこそウッドは枯れ枝のように折ってしまった。
「学習能力のない連中だ」
唖然とする鼠男の顔面を鷲掴みにすると、ウッドは笑う。
「このまま握りつぶそうか?」
鼠男が首を左右させようとする。もちろん顔面を掴まれていて思うようにはできないのだが、降参の意志はウッドに伝わっていた。
「ま、待ってくれ! どうしてもその女は必要なんだ! 金なら払う!」
控えたまま出番のなかった金髪が悲鳴をあげる。それを聞いてウッドは鼠男を放り投げた。見た目からは考えられない馬鹿力である。
「十億ガオンもってこい!」
「そんな、個人が所有できる金額の上限を二桁も越えてるじゃないですか!」
「貴様の口調が丁寧語に変わろうが、そこは譲れん」
ウッドはぶっきらぼうに告げた。
「そのノースとかいうヤツに伝えるんだな。俺に近づいたら容赦はしない。そいつら連れてとっとと消えな……それとも」
ウッドが背中の大剣に手を掛ける。
「こ、このぉ……覚えてやがれ!」
金髪と鼠男は気を失った赤毛を引っ張りながら、スラムの奧へと消えていった。
「あ、ありがとうございます」
バカ丁寧に栗毛の少女はお辞儀すると、ウッドに背を向ける。
「じゃ、あたしはこれで」
むんず。
ウッドが少女の肩を掴む。
呼び止められて少女は振り返った。
「あ、あの、なにか?」
「俺は善人ではない。今の戦いっぷり見て分かったな?」
「はぁ」
少女は首を縦に振る。
「で、人助けは慈善事業ではない。分かるな?」
コクリと少女は首を縦に振る。
「で、でも、あたしにできるお礼なんて……」
観念したのか、少女は道具袋を開く。
金はおろか薬草一つ見あたらない。
「ノースに狙われてるんだろ? もっとレアなアイテムは持ってないのか?」
「アイテムなら渡して逃げることができます! それなのに、追っかけてくるんですぅ」
少女の言葉にも一理ある。
「つまり貴様自身になにか価値があるということか?」
「あたしは……なんで狙われてるのかわかんないんですぅ……うう」
少女の声は今にも泣き出しそうだった。
「オーバーなヤツだ」
「ということで、あたしにはお金もないですし、せっかく助けて頂いたのに、どうしたら良いのやら」
困ったようでいて、少女の口調はどことなく明るかった。
「時に、貴様……その格好だがどんなスキルを持ってるんだ?」
「はい?」
少女は首を傾げる。少女は麻で補強された厚手のズボンに、上着の上からなめし革のベストと革の肩当てという姿だった。腰にはナイフと道具袋を下げている。典型的な盗賊スタイルと言えた。
「スキルだッ! いいから答えろ!」
「えーと、こんなドジだけど盗賊なんです」
「なら簡単だな」
ウッドは笑う。少女はうつむいたまま、上目遣いに少年の顔をのぞき込む。
「身体で払ってもらおう」
「ええー!!」
「文句や抗議は一切受け付けないぞ」
「身体って……そんな! か弱いあたしみたいな女の子を娼館に売りつけるつもりなんですか! そんなの嫌! 嫌ですぅ! ダメダメですぅ!」
少女は涙ながらに訴えかける。
ウッドは無言だった。
「そうなんですね! あたしを娼館に売りつけてたんまり稼ごうっていうんですね! 酷い! 酷すぎます! うう、薄汚い男たちの手で慰みものにされたあと、身も心もボロボロになって……そんな人生嫌ですぅ!」
地面にへたり込み、少女はわんわん泣き出してしまう。演技にしてもずいぶんと手が込んでいる。
「なにか勘違いしてないか?」
「記憶の中のお父さん、お母さん! 先立つ不幸を許してください!」
なにを思ったのか少女はナイフを構えると、自分の喉元に刃先を向ける。
「…………」
ウッドは無言だった。
「…………あ、あの」
少女が呟き、動きを止める。
ナイフを握る手はふるふると震えていた。
「どうした? 死ぬなら好きにしろ」
「止めてくれないんですか?」
「バカに付き合ってる暇はない」
ウッドはため息をつくと少女に背を向ける。
「どこにでも行け。貴様じゃ荷物にしかならん」
「……で、でも、またノース一家に捕まっちゃいます」
「勝手に捕まれ。面倒みきれん」
「あの……盗賊を探してるんですよね?」
ボソリと呟く少女に、ウッドは背を向けたまま口を開く。
「分かってたなら下手な演技をするんじゃない」
「だって、身体で払えなんていうから……」
少女がしょんぼりとうつむいてしまう。
「で、単刀直入に聞くが、お前、腕に自信はあるのか?」
「せ、精一杯頑張りますぅ!」
「頑張ればいいということではない」
「が、頑張らせてください! お願いします! もう……ひとりぼっちは嫌なんです」
よっぽど連中が怖かったのか、それともなにか裏があるのだろうか。勘ぐりながらもウッドはため息混じりに呟いた。
「しょうがない。血判状で契約してやる」
「血判状……ですか?」
普通パーティーを組む場合は、お互いの同意があればパーティー登録をするだけだった。この場合どちらも好きな時にパーティーを離脱したり、裏切ることができる。
血判状で契約するとなると、契約内容にもよるが、お互いの同意無しに契約を破棄することはできなくなる。
「お前は俺の奴隷。いいな?」
「そ、そんなー!」
「でなきゃ連中に捕まって、嬲られるなりなんなりしてくれ」
「わ、わかりました……うう」
栗色の瞳に涙をため込みながら、少女はウッドの取り出した血判状にサインさせられた。
不用意にも少女は内容の確認をしていない。ウッドはニンマリと薄笑いを浮かべると血判状の内容を読み始める。数秒で少女の表情が凍り付いた。
炊事洗濯など一般雑務から、情報収集、アイテムの被験体にもしもの時の人間楯。
ありとあらゆる非人道的な行いが血判状には連なっていた。
「……ということで、これから先冒険中の飯炊きや洗濯など、一切合切こなしてもらうので覚悟するんだな」
「あ、あの……」
「なんだ?」
「まだ名前を……せっかくパーティー組むことになったんですし」
「名前など必要ないだろう。俺、ご主人様。お前、奴隷一号……オッケ?」
「……マジですか?」
少女が唖然とする。
「うん、マジ」
「あ、あの、それだけは勘弁してください! もう少し人間らしく扱ってくれないと困ります!」
「貴様が困ろうが知ったことか」
「でないと……泣いちゃいますよ!」
「……脅しのつもりか?」
「血判状通り一緒に行動しますけど、そこかしこで泣いちゃいますからね! あたし」
少女の語気は荒い。
「……わかった。そこまでいうなら名前も知っておいてやろう」
「ほ、本当ですか!」
「嘘……」
「おねがいしますぅ!」
瞳に涙をため込んで少女は泣きついてくる。
「わ、わかった。で、貴様の名はなんという?」
「カーナです! あ、あの」
「俺を呼ぶときはご主人様と呼べ」
「それ……ちょっと抵抗あるんですけど」
「ったく、気分の出ないヤツだな。……まぁいい。俺はウッドだ」
「ウッドさんですね?」
「せめて奴隷ならばウッド様と呼べ」
「そ、そんなこというと泣いちゃいますよ! 女の子泣かせるのはかっこよくないですよ!」
「……ったく、お前ホントは男だろ?」
ついついウッドの口調が素に戻る。カーナと名乗った少女だが、プレイヤーが女性とは限らない。それがこのゲームの怖いところでもあり、おもしろいところでもある。
声はボイスマスクを使えば男が女を演じることなど造作もない。
「それは秘密ですぅ」
一際可愛さを前面に押し出した口調でカーナは答えた。
「はいはい」
ウッドはため息をつくと、少女とスラムを並んで歩きながらこれからのことを考え始めた。
ウッドの足は自然とスラムから酒場通りに戻っていた。
明るい雰囲気の大衆酒場で今後のミーティングである。店の名は「冥土亭」だった。明るい雰囲気の割りに恐ろしいネーミングセンスである。
「あの、あたし、お金なくて」
「血判状に書いただろう。飼い主には奴隷の扶養義務がある」
奴隷の部分になぜか妙なアクセントをつける。
「ちょっと引っ掛かるところもあるけど、嬉しいです」
奧のテーブル席に掛ける二人、猫耳にメイド服姿の女の子が注文を取りに来る。猫系の獣人らしい。
「この店は俺のお気に入りだ」
「猫耳にメイド……そういうのが好きなんですか?」
「文句あるか? なんならお前をこの店の親父に売っぱらってもかまわんのだぞ」
「ごめんなさいです。だからそんなこと言わないで!」
慣れてきたのか二人のやりとりも徐々にかみ合ってきた。
この世界ではいかに自分のキャラを演じるか……というところにもおもしろさが見いだせる。少なくともカーナは本気で嫌がってはいない。嫌ならばとっくにキャラデータをリセットしてゲームを最初からやり直しているだろう。
ウッドに付き合っているのも、不幸な境遇を楽しんでいるから……もしくは出し抜こうとしているのか。そういった読み合いもこのゲームのおもしろさだった。
「……さん、あのウッドさん? 注文しないんですか?」
考えごとをしていてウッドの反応が遅れる。テーブルの横には猫メイドが注文を待っていた。
「ああ、じゃあランチセット二つ、大至急な」
ウエイトレスはうなずくと、小走りに去っていった。
「ったく、外見はいいんだが相変わらず無愛想だな」
小走りな猫メイドの背中にウッドは小さく毒づいた。
「ノンプレイヤーキャラなんですからしょうがないですよ」
「そうだな。さすがにウエイトレスになりたいってプレイヤーはいないか」
ノンプレイヤー。つまりプレイヤーのいないキャラということだった。二十世紀のRPGではおなじみだが、いわゆる「街の人」である。プレイヤーにヒントを与えたり、店番をするのが主な役目だった。ノンプレイヤーキャラの動きは、プレイヤーたちの行動を元に動作や仕草を模させてマザー・ブルーが管理しているらしい。
動きはリアルだが、中身はスッカラカンなので、話していてもおもしろみがない。
「でも、それもおもしろそうですね。戦うウエイトレスなんて今までにないです」
「なら貴様にメイド服でも買ってやろうか?」
「ほ、ホントですか?」
「……なんだか喜んでいるようなので、今の提案却下」
「ひ、酷いです……グスン」
「泣くな!」
「泣かせる方が悪いんです……グスン」
テーブルについたまま少女はめそめそと泣き出してしまう。
「わ、わかった。今度メイド服でもなんでも買ってやるから泣くのはやめろ。俺のカッコイイキャラが台無しではないか」
「約束ですよ」
「ったく。これじゃどっちが主人だかわかったもんじゃない」
悪態をついている間に、テーブルには二人分の食事が運ばれてきた。
「ところで、ウッドさんはなんで盗賊を探してたんですか?」
「俺が探していたのは腕利きの盗賊だ」
「あたしだって盗賊の端くれです。そんなこといわれると傷ついちゃいます」
「わかったわかった。もう贅沢はいわん。端くれでもなんでもいい」
諦めた口調でウッドは食後のハーブティーに手をつけた。
「ウッドさんてホントは優しいんですよね。そういうとこ好きです」
「俺は悪人だよ」
愚痴っぽく呟いてから、ウッドは一度ため息をつく。
「時に奴隷……もといカーナ。貴様は『ゼロシキ』の噂を知っているか?」
一瞬少女の表情がこわばった。
「どうした? なにか知ってるのか?」
「あれですよね。出会ったら殺されるっていう……」
「なら話は早い。これからそいつを捜す」
「そんな! 危険です!」
「どこに危険がある? 俺は噂の真相を知りたいだけなんだ。本当にそんなヤツがいるのか……ってな?」
高い初期能力値が出るまで何度も乱数表と格闘し、丹念に鍛え上げたもう一人の自分。「破竜剣士」となって竜の力を手に入れたことで、自信は揺るぎないものとなっている。ウッドの能力ならば、一対一なら負ける気はしなかった。
「それに……」
「それに……なんですか?」
自分の中にある正義感。正直、失踪事件には頭に来ていた。もしゼロシキが関係していて危険というなら、そんなヤツがのさばっていること自体不愉快だった。
「なんでもねぇよ」
口と気持ちがかみ合わない。ウッドというキャラを演じているのか、ウッドが自分という仮面をかぶっているのか、時々分からなくなる。
「そういえば……あの、それらしい情報聞いたんですけど」
少し沈んだウッドに、カーナの方から持ちかける。
「話してみろ」
「確か『ゼロシキ』が活動し始めた時から、レジェンドクラスの一人である『聖母ラヴィナス』が行方不明になってるって……なにか関係あるんでしょうか?」
レジェンドクラスというのは、プレイヤーの中でも大きな功績を残した人間に与えられる称号だった。新種の動植物を見つけたり、遺跡を発掘したり――冒険の功績がマザー・ブルーに認められるとレジェンドとして認定されるらしい。
特権が与えられるわけでもなく、名誉だけのものである。能力重視のウッドには価値のないものだが、レジェンドになることもこの世界では立派な冒険の目的と言えた。
カーナの情報の真偽は定かではないが、彼女なりに協力する姿勢を見せたのだろう。
「その情報は?」
「ノースの館を逃げる時、偶然聞いたんです」
偽情報でも流せば、その情報屋はノース一家に閉め出される。それを考えれば信用性はかなり高い。
「で、続きは?」
「えーと、なにか話してたみたいですけど、そのあと逃げ出そうとして、それで……」
押し黙ってしまう。
カーナは知っていて情報を小出しにしているのか……もしくはノースの身内でウッドをはめようとしている可能性もある。
ウッドは「そうか」と答えるだけに止めた。
「っと、あ、悪いが今日はここで落ちることにするんで」
ウッドの口調がやや安藤夏樹に戻りかける。
「わかりましたぁ。じゃ、次回は森林公園の女神像前で落ち合いましょ? あたし、明日までに情報集めとくんで」
「頼むよ……それじゃ」
「楽しかったですよ。ご主人様ぁ♪」
「まったく、変なヤツだな、あんた」
ヘッドセットマイクを外し、安藤は端末の電源を切った。
「ふう、腹減ったぁ」
ゲームの中での食事で腹が膨れればと、くだらない妄想をしつつ、安藤はカップ麺にポットのお湯を注ぐ。
(――カーナかぁ。女の子だったら……会ってみたいなぁ……っと、おいおい、なに妄想してるんだ)
最後の「ご主人様ぁ♪」の甘えたような一言を、なぜか妙に意識をしてしまう安藤だった。
4(現実2)
昼休みの校舎。屋上にある貯水塔の上から見下ろす景色は、安藤のお気に入りだった。
丘の上に立つ中央高校の中でも一番高い場所。ここからだとグラウンドの向こうに臨海公園を望むことができる。
購買で買った焼きそばパンを早速牛乳で腹に押し込んで、かすかな潮風の中で昼寝を決め込む。一晩中をゲームに費やすため、この睡眠時間は重要だった。
空気には夏の匂いがかすかに混ざり始めている。五月も半ばだった。クラスが変わってもう一ヶ月以上経ったのかとおぼろげに考える。
風が通り抜けていく。
人の作った島。自然なものが何一つない街なのに、この風の匂いだけはどこにいっても変わらない。
「アンドーナツに告ぐ。あなたは完全に包囲したわ。五秒以内に降りてきなさい」
人気のない屋上に、澄んだ声が響いた。
安藤がむっくり起きあがると、眼下には憧れの瀬良悠の姿がある。
「あ、ゆ、悠さん。どうしたんですか?」
「ちょっと用事があるからわざわざ出向いてあげたのよ。さっさと降りてこないと、この間テストの時にカンニングしてたこと、委員長に報告するわよ」
「って、なんで知ってるんですか!」
心当たりのある悠の脅迫に、安藤は肩をびくつかせる。
「あら、冗談でも言ってみるものね」
悠は小さく笑う。
「……冗談って」
「ともかく降りてらっしゃい」
「こ、断れば?」
「わたしの誘いを断る理由ってあるのかしら?」
「理由といいますか……なんといいますか」
「もしかしたら、わたしがアンドーナツに愛の告白をするかもしれないのよ? 断るよりも人生のチャンスを広げた方が良いと思うけど」
悪戯っぽく悠は微笑む。安藤の脈拍が少しだけ早くなった。
「はいはいはーい! ただ今まいります!」
貯水塔の梯子を安藤はせかせかと降りてきた。悠の前に着地する。
「よろしい。それじゃ行きましょうか?」
「デートですか?」
「電算室よ」
「電算室でデートですか?」
「そういうことにしておくわ」
悠の方から積極的に安藤の腕を引く。
二人は屋上から四階の教室棟に降りる。
「あ、あの、こんなところを他の生徒に見られたら」
「あら? なにか不具合でもあるのかしら?」
「悠さんに迷惑がかかるんじゃ……」
四階奧の電算室に向かう悠の足がピタリと止まる。安藤の顔をじっと見つめると、安藤の方が焦ったように顔を赤らめる。
「バカね。犬の散歩みたいなもんじゃない。ご主人様想いはいいけど、図に乗るんじゃないの」
悠の細く白い指が安藤の額をかるく弾く。
「あたっ」
「男なら痛いとか言わない」
小さく笑うと悠は安藤を電算室に連れ込んだ。
蛍光灯をつけ、エアコンのスイッチを入れる。電算室は個室と大部屋に分かれていて、安藤が連れ込まれたのは悠の充てられた個室だった。
「へぇ、これが特待生専用の部屋かぁ」
三畳ほどの部屋にテーブルと端末が備え付けてある。中央高校には個室が十五部屋ほどあるが、そのうちの三部屋は各学年トップの成績を修めた生徒の専用になっていた。他は予約すれば安藤のような劣等生でも借りることはできる。
もちろん勉強嫌いの安藤がわざわざ部屋を借りたことはない。
「あの、二人だとちょっと狭すぎませんか?」
「妙な期待はしないでね。犬相手に人間は発情しないものよ」
「でも犬は人間の女性に発情したりしますよ?」
「あら、アンドーナツって犬だったの?」
真顔で悠は安藤を見つめる。
「……酷い、僕泣いちゃいますよ」
「男がめそめそしないの」
呟きながら悠は端末の電源を入れた。
「でも僕だって男だから、ほら、悠さんのこと襲うかもしれない」
「少年法改正されたのよ? 未成年だろうと強姦罪は死刑ね」
「……本当ですか?」
「嘘に決まってるじゃない。ほんとにアンドーナツからかうのっておもしろいわ」
端末が立ち上がると悠は席についた。
IDカードを差し込み端末に個人情報を認証させる。
(――くそ! なんか無性に襲いたくなったぞ!)
妙な妄想を脹らませる安藤に、悠は笑顔を作ると呟いた。
「言い忘れたけど、護身術で古武道やってるの。どうすれば効率よく相手の骨が折れるのかとか研究しててね。そうそう、男の急所に本気で打ち込んだらどうなるのか……まだ実験したことなかったのよね? 正当防衛って名目でアンドーナツが協力してくれるのかしら?」
「勘弁してくださいませ!」
狭い部屋でとっさに安藤は土下座する。
悠はそんな安藤に手を差し伸べた。
「お手」
「わん!」
条件反射というやつなのか、ついついその手に「お手」をしてしまう。
「よろしい」
悠が安藤の頭をなでる。
(――だめだ。なんだかしらんがこの人の前じゃ服従させられてしまう)
それが少し嬉しいような、男として悲しいような……ふと安藤の脳裏に昨晩出会ったカーナのことが浮かんだ。現実ではまったく逆の生き方をしている。
「ボーっとしてないで。それより本題に入るわよ……今日も北周真が学校には現れてないの」
「はぁ」
「そして……隣のクラスの針生貴史が無断欠席してるわ。彼も確か学生寮生活なのよね」
「そうだったんですか?」
「そう。といってもアンドーナツの第一中央寮ではなくて第二中央寮になるから、場所は正反対なんだけどね」
「……それが、あの、なにか?」
少し怯えたような口調の安藤に、悠はため息混じりに端末の画面を指さす。
「これを見て……」
針生貴史の個人データが映し出されていた。
「ちょ、ちょっと! これって個人データじゃないですか?」
「あら、まずいかしら?」
「プライバシーの侵害ですよ!」
「バレなきゃ犯罪って成立しないのよ」
優等生らしからぬ過激な発言に、安藤は一瞬呆然とする。
「……あの、僕が密告したら?」
「それはないわ。だってあなたはわたしのこと好きなんでしょ?」
図星を突かれて安藤が金魚のように口をぱくぱくさせた。
深呼吸して安藤は冷静に考える。
個人情報は基本的に『マザー・ブルー』の管理下だった。つまりそこから個人の情報を引き出してしまったことになる。
「それ……『マザー・ブルー』のセキュリティーですよね?」
「深度の浅いセキュリティーなら幼稚園児でも破れるわよ。この程度じゃあのシステムを破ったとはいないわ」
画面を見つめる視線は厳しい。
「悠さん……意外とマニアックですね」
「……血筋なの。でも、わたしはあなたと同類じゃないからね」
普段人を食ったような悠が一瞬だけ感情的になる。が、気まぐれに見せた彼女の素顔も、スイッチを切り替えたのかいつもの冷淡さに戻ってしまった。
「それはそれとしてね、針生貴史は今まで学校を欠席したことないのよ。万年遅刻魔の誰かさんと違ってね」
「あ、あはははは」
「それなのに無断欠席。どう思う?」
「……と言われましても」
悠の瞳はすべてを見透かすようだった。
「わたしの推理だとね、今世間を騒がしている『ゼロシキ』が関わってるように思えるのよ」
「一日来なかったくらいでそう決めつけるのは……」
「確かに答えを出すには早いわ。でも行方不明事件が連続して発生してから、北周真は学校に来ていない」
状況だけで証拠はない。それを言う必要はないのかもしれないが、安藤は状況をさらに断定させる目撃をしていた。
針生が北に校舎裏へ呼び出されていたこと。悠に伝えるべきなのだろうか……。
「なんでも良いわ。なにか知らないかしら?」
明らかに安藤の表情に暗い影が差していた。それを悠は見逃さない。
「別に僕は……なにも知らないです」
「そう……残念ね」
悠はため息をつく。
「悠さん……僕が言うことじゃないかもしれないけど、あんまり『ゼロシキ』に関わるのは……」
「あら、わたしのこと心配してくれるの?」
「そういうことになるとか……ならないとか」
「言ったでしょ? 古武術習ってるって。少なくともそこいらの男より強いのよ」
「そういうことじゃなくて……」
思い過ごしなのかもしれないが、時より悠が無理をしているように安藤は感じることがある。すべてにおいて完璧な彼女に、どことなく脆さのようなものを感じてしまうのだ。今もそうだった。張りつめた糸が切れてしまいそうな、緊迫感と裏返しの脆さが見え隠れしている。
「試してみる?」
「謹んでご遠慮させて頂きます」
「あら、残念ね」
悠は小悪魔のように笑った。
どこか突き放すような微笑みは、クラスメートだけでなく身内までも突き放してしまうのではないだろうか。
それを考えると悠は孤独な人間なのかもしれない。
「それでも『ゼロシキ』は危険ですよ! だって関わり合ったら……」
「殺されるんでしょ?」
「噂かもしれないけど……本当かもしれない」
「それなら安藤君にも忠告するわ」
(――あれ? なんか調子狂うな)
アンドーナツではなく、安藤君。
心なしか悠の口調の温度が下がったように思えた。冷たい。いつもの安藤をからかうような口調ではない。
「あなたに覚悟はあるのかしら?」
「覚悟……って?」
「死ぬわよ……確実に」
「なにか知ってるんですか?」
「あなたが知る必要はないわ」
悠は独自に情報を集めている。
安藤を呼び出したのもその情報を集めるためのようだった。しかし、悠の集めた情報に安藤は触れることができない。
「覚悟……ですか。で、でも信じてもらえないかもしれないけど、僕はイノセン内じゃちょっとは名がしれているというか……」
イノセント・ブルー内部では、ウッドはかなり強者の部類に入る。
「………………」
悠の無言の圧力がかかる。
「ははは……、もう『ゼロシキ』には手を出しません」
「賢明ね。ともかく、そういうことなの。言わないけど分かるでしょ? あなたはなにか情報を得たらわたしに教えてくれればいい。間違っても自分でどうこうしようなんて考えちゃだめよ」
悠は端末の電源を落とすと、ちょうど五限目始業のチャイムが鳴った。
5(イノセント3)
緑溢れる公園の広場。中心にはこの世界を創造したとされる「蒼き女神」の像が建っている。
女神像の前に栗色の髪の少女を見つけると、褐色肌の少年は声を張り上げた。
「逃げるぞカーナ!」
「あ、ウッドさん!」
手を振るカーナにウッドは「バカなことしてる暇はない!」と一喝する。
女神像までたどり着くと、カーナの手をとって走り出す。
「い、痛いです!」
「ともかく来いッ! 連中追ってきやがった!」
「連中って?」
「ノース一家だよ」
ウッドの背後に黒い影が無数に走る。
真昼の森林公園。木々の影をぬって数人の暗殺者が二人を狙っていた。
森林公園を二人は駆け抜ける。
道を外れ、撹乱するために森の中に入った。だがいかんせん遅い。
もちろんウッド一人ならどうという相手ではない。だが今は冒険者として駆け出しのカーナがいる。
二人で道無き道を、腐葉土を踏みながら一心に駆ける。
「も、もう走れないです」
「だったら死ぬことに……危ないッ!」
立ち止まったカーナの背後に光が瞬いた。
半ばタックルするようにウッドがカーナを突き飛ばす。
ガキンッ!
刃を黒く塗られた投てき専用のナイフ――手裏剣だった。ウッドの背中に突き刺さったかに見えたが、背負っていた大剣に阻まれ直撃を免れる。
「ったく。貴様は足手まといだ」
「ごめんなさいです。でも、嬉しいです」
ぱふっ。
積もった枯葉の上に寝ころんだまま、カーナがウッドに抱きついてくる。
「離せ! そんなことしてる場合じゃなかろうに」
カーナを抱きかかえつつウッドは立ち上がった。
「お姫様抱っこなんて……嬉しいような恥ずかしいような」
「ったく、もう少し重かったら放置していたところだぞ」
カーナを持ち上げたままウッドは走る。
背後から手裏剣が無数に放たれた。
避けようともせず、ウッドは森林を抜けて市街地を目指す。
人目のある場所まで出ればそうそう攻撃できるものではない。
「待ち伏せとは良い根性だな。あとでノースの野郎にはたっぷり礼をせにゃならん」
ガキン!
致命傷になりかねない首もとや頭部にも手裏剣はヒットしていた。しかしウッドは倒れることなく走り続ける。
ガイアドラゴンから奪った竜の力が効果していた。刃物のダメージへの耐性が高まるため、ウッドには刃物属性の武器が通用しないのだ。もちろん、ウッド自身が持つ防御力も加算される。腕利きの暗殺者といえども刃物の武器ならば、かすり傷程度が関の山だろう。
「よし、もう少しで酒場通りだ。我慢しろよ」
「我慢なんてとんでもないです。なんだか、し・あ・わ・せ♪」
カーナはお姫様抱っこが気に入ったのか、頬を赤らめて微笑んでいる。
「あとでおもっくそイジメ倒してやるから、覚悟しておけ」
「うう、泣いちゃいますよ」
「勝手にいってろ……?」
どさり。
「きゃっ!」
放り投げられてカーナが悲鳴をあげる。
突然ウッドが前のめりで倒れ込んでしまったのだ。身体が動かない。
「ウッドさん、どうしたんですか?」
「くそッ。麻痺毒だ」
うつぶせのままウッドは呟く。
見ればウッドの首筋に小さな切り傷ができていた。
「甘くみすぎてたな」
「ウッドさん! しっかり! しっかりしてください! 死んじゃイヤですよ!」
仰向けに返してカーナはウッドをゆさゆさと揺らす。
「簡単に死ぬかっての……だが非常に危険だ。次の質問の答えによっては死ぬ可能性もある」
ウッドの身体はぴくりともしなかった。
「時にカーナ。解毒剤かなにかは持ってないか?」
少女は首を左右させる。
「なら逃げろ。お前の足でも酒場通りまでなんとかなる」
口調は淡々としている。
「イヤです」
「無茶苦茶なヤツだな。ここに居れば捕まるだろうに?」
今にも木陰から暗殺者が現れるかもしれない。説得する時間も皆無といえた。
「せっかく情報集めてきたのに」
「そうだな。悪かった。……だが俺はここで死ぬかもしれん。あっけなくな」
「そう簡単に諦めないでください!」
「別に本当に死ぬわけでもないのに、大げさだな」
カーナは瞳に大粒の涙をため込んでいる。
「生まれ変わったらまた会おう。今度はカーナのために善人になるさ」
話している間に自然治癒されるかとも思ったが、どうやら麻痺毒の中でもかなり高度なものらしい。ウッドは心の中でため息をつく。
「イヤです! 生まれ変わりなんてないんです! 死んだら……死んだら消えちゃうんです!」
「ったく、聞き分けのないヤツだ……今は逃げろ。俺は大丈夫だ。致死毒じゃなく麻痺毒なら、ノースの連中もいきなり俺を殺そうってつもりじゃないんだろう」
それが精一杯の説得の言葉だった。
麻痺毒を使ったのもカーナに当たった時のことを考えてだろう。それほどまでにノースがカーナを求める理由はなんなのだろうか?
疑問が浮かぶのとほぼ同時だった。
影が三つ、二人を取り囲む。
「いわんこっちゃない」
全身を黒いなめし革のスーツに身を包んだ、暗殺者が三人。
顔を石のような仮面で隠し、全身タイツにという奇抜な出で立ちである。
無言でウッドと寄り添うカーナを囲む。
「おう、暗殺者ども。目的はなんだ?」
ウッドの言葉に三人は応えない。
「なんだ、俺を殺すのは造作もないだろ? 致死毒使えば今の俺なら一発だ。なら貴様らの目的くらい冥土のみやげにもらっていっても、罰は当たらんだろ?」
暗殺者の一人が腰のナイフを抜いた。
「さ、させないんだから! ウッドさんはあたしが守る!」
カーナもナイフを抜く。三対一で、相手はプロの暗殺者。カーナに勝ち目はない。
「ウアァァァッ!」
ナイフを構えカーナが暗殺者の胸元に飛び込む。ほとんど特攻だった。
ガツッ!
身体を半身引き、足払いでカーナを転ばせる。暗殺者の動きに無駄はない。
大きく前のめりに倒れ込むカーナ。
(――絶対絶命ってやつか)
ウッドは自分の中の過信を反省した。
竜の力があっても、隙があれば命取りになる。
ウッドめがけ黒い刃のナイフが振り上げられた。ナイフによるダメージはないに等しいが、毒が塗られていればじわじわとなぶり殺しである。
「光弾!」
ハスキーな声が森の中にこだまする。
瞬間、ウッドの目の前で光が爆ぜた。
光の魔法力を凝縮して相手に放つ攻撃魔法……確かそう記憶している。
暗殺者の胸元で爆発すると、その身体を一瞬で数メートル吹き飛ばした。暗殺者は身体を大木に叩きつけられ、ぐったりとしてしまう。
残った二人が魔法の発信源に視線を向けた。
純白の鎧に身を包んだ騎士が、細身の剣を構えて小さく微笑む。
淡い金髪は背中ほどまであり、さらさらと風に揺れる。魔法銀製のハーフプレートに純白のマント姿だった。
構えている剣には、魔導師の杖などでよく見るクリスタルがはめ込まれていた。
今の魔法もこの剣を媒体に放たれたようだ。
「ノースの手の者ですね」
暗殺者たちは応えない。ただ、攻撃目標をウッドからその騎士に変えると、疾風のように騎士めがけ駆ける。
「遅いッ!」
細身の長剣が舞う。
一本の剣が残像で幾重にも見えた。
暗殺者のナイフを紙一重でかわし、一人目に長剣の一撃を加えると、続けざまに二人目には突きを見舞った。
黒い影が二つ、腐葉土の上に倒れ込む。
一瞬で二人を倒すと、騎士は剣を一度払ってから鞘に収める。
魔法の直撃を受けた残りの一人も、気絶したらしく動く気配はなかった。
「解毒!」
淡い光がウッドの身体を包み込む。毒の治療をする初歩の光魔法だった。
「……ったく、とんでもない目にあったな」
カーナが心配そうにウッドに寄り添っている。そのカーナの頭をウッドは一度なでる。
むっくりと起きあがるウッドに、金髪の青年がため息混じりに聞いてきた。
「あなた方はなぜノース一家に追われていたのですか?」
「いきなりそれかよ……」
「失礼……私はセラフ。聖騎士です」
「ほうほう、聖騎士様ときたか。悪いが俺とは性格が合わなさそうだな」
「……簡潔に行きましょう。まず、そちらにも名乗ってもらいたい」
聖騎士の青年。セラフの口調はどこか威圧感がある。
「ウッドだ。しがない剣士だよ」
ぼやきながらウッドは立ち上がった。
「あたしはカーナ! 助けてくれてありがとね」
ちょこんとお辞儀する少女に、青年は小さく微笑む。完全な美形の完璧なスマイルだった。魅力度が高い上に強いとなればいうことはない。おまけに魔法まで使えるとくる――ウッドの中に妙な対抗心が芽生えてしまう。
「それで、お二人はなぜ追われていたのですか?」
「しらねぇよ。心当たりはねぇしなぁ」
「えーと、あれ? 『ゼロシキ』のことは?」
「あ、バカッ! アホッ! ばらすなダメ人間!」
「そ、そこまでいわなくても……グスン」
慌ててカーナの口を塞ぐが、聖騎士セラフはうなずくと「わかりました」と呟いた。
「お二人に忠告しておきますが、くれぐれも『ゼロシキ』には触れないように……我々が責任をもって処理します」
「処理……だと?」
ウッドの言葉にセラフは小さく笑ってみせる。
「一般人の出る幕では無い……そういうことです」
「いってくれるじゃねぇか? 俺が一般人かどうか試してみるかい?」
「結果は見えていますよ。……ノースも『ゼロシキ』を追っています。もし彼を追えばいずれはノースともぶつかり合うでしょう。これ以上深入りするのは止めるんですね」
聖騎士は背を向けると、剣をかざして呪文を唱えた。
「なんだッ!?」
目も開けられないほどの閃光が周囲を満たし、光が止むとそこに聖騎士の姿はなくなっていた。
酒場通りはいつものように賑わっている。
夕暮れの街並みに二人の姿はあった。といっても身なりがだいぶ違う。
カーナは猫耳のヘアバンドに尻尾のアクセサリー。公約通りメイド服姿である。
一方のウッドだが、ギターケースに丸いフレームの色眼鏡。髪の毛を下ろしてローブをまとい、即席の吟遊詩人に変装していた。
背中の大剣はやや大振りのギターケースの中に隠してある。
二人は通りで最も大きい酒場兼宿屋である「海猫亭」に部屋をとった。
「新婚さんみたいですぅ」
「ったく。貴様には危機感ないのか?」
「お洋服も買ってもらったし、あたしって幸せ者かも」
「あくまで変装のためだからな」
「了解ですぅ♪」
喜ぶ顔に、自然とウッドの表情がついゆるんでしまう。
変装だけではなく、服を買ったのにはお礼の意味もこもっていた。服の趣味はウッドのものだが、本人が喜んでいるので問題はないだろう。
結果的には無駄な抵抗だったが、カーナは身を挺してまでウッドを守ろうとしたのである。もちろん、それを口にしてはウッドというキャラらしくない。
不器用な礼だった。
「それで、情報は集まったのか?」
テーブルの上にはハーブティーの入ったカップが二つあった。ウッドはカップを手にするとベッドに腰掛ける。
カーナはちょこんとテーブル脇の椅子に座って、ハーブティーの香りを楽しんでいる。
「それが、まだなんともいないんです……」
「使えんヤツだ」
「あたしのこと嫌いになっちゃいましたか?」
「だが今日は主人を身を挺して助けたので良しとしておいてやる」
じっとウッドはカーナを見つめる。
考えてみれば、カーナの先ほどの行動は尋常ではない。
「なあ、なんで逃げなかった?」
「血判状にあったからです。いつも一緒にいるって……だからです」
「律儀なヤツだな」
「あたしも……そう思います」
照れ隠しのようにカーナは笑う。
本当にそうだったのだろうか?
彼女がウッドをはめようとしてい可能性だって、まだ消えてはいないのだ。
用心深くなるのも、この世界全体が歪んでいたためだった。
プレイヤー同士のいざこざや陰謀で溢れている。人を殺してはいけない理由が、この世界には存在しなかった。
ゲームなのだから、なにをやろうと許される。
だからかもしれない――この世界には暴力が蔓延している。
抑圧された現実のはけ口となる世界だから……。
そして「ゼロシキ」はその暴力を現実にまで持ち込んでいる。
「どうしたんですか?」
「なんでもない」
一瞬ウッドの中に浮かんだ疑問も、カーナの笑顔を見ているうちにどうでもよくなってしまっていた。
「さて、だが今日の一件で良いことがわかったぞ」
「な、なんですか? ドキドキですか?」
「ああ、ドキドキだな。まずノースが貴様を狙う理由だが……おそらく『ゼロシキ』の情報を極力制限したいんだろう。貴様がヤツの情報を持っていることを知って、口封じするつもりらしい」
「なーんだ……って、あの、じゃああたし、やっぱり殺されちゃうんですか?」
「ノースの連中に捕まってみないことにはわからんな」
「うう、血判状どおり面倒見てくださいね。確か主人には扶養義務があるんですよね?」
「自分の身は自分で守れ」
「酷い……グスン」
涙を浮かべようがお構いなしに、ウッドは推理を続ける。
「それから……俺たちを助けたあの聖騎士だが……ヤツはガーディアンフォースとみていい」
「なんですかそれ?」
「違法コードを使う人間を処罰する連中さ」
「そうなると、じゃあ『ゼロシキ』ってなんなんです? 違法コードなんですか?」
「ああ、おそらく外部の違法コードを使ったプレイヤーだろう。なぜ他のプレイヤーを襲うのかはわからんが、少なくとも『ゼロシキ』はガーディアンフォースと対立関係にある」
「そういえばさっき、ノースも『ゼロシキ』を探してる……みたいなこと言ってましたよね?」
ウッドはハーブティーを口に付ける。
ぬるくなったそれを一気に飲み干すと一息ついて口を開いた。
「そういうことだな。そしてガーディアンフォースのいけ好かない騎士野郎は『ゼロシキ』には近づくな……と来る」
「……どうするんですか? なんだか危険っぽいですぅ」
「どうにかしなきゃ、お前は一生ノース一家に追われることになるな?」
「そんなの嫌です! ダメダメですぅ」
「なら逃げてばかりというわけにもいかん」
「愛の逃避行は歓迎ですぅ」
「ふざけるな……」
ウッドがにらみを利かせると、カーナは寂しそうにうつむいてしまった。
「自由を取り戻したければ、簡単だ」
「簡単なんですか?」
「ああ、ノースを倒せば良い」
カシャン!
カーナのカップが床に落ちて割れる。
あまりの突飛な発言にカーナは呆然とする。
「なにもそこまで驚かなくても良いだろう?」
「また、あそこに戻るんですか?」
「大丈夫だ。そのために変装したんだからな」
「……きっとまた捕まって、汚い男たちの手で……ああ! お父さんお母さん! 先立つ不幸をお許しください!」
太股のガーターベルト脇に取り付けたケースからナイフを取り出すと、カーナはまた芝居じみた口調で刃先を喉に向ける。
ウッドは無言で三十秒ほど様子をうかがった。
震える手でカーナは何回かナイフを肌につけるが、そのたびチクリと痛みが走ってか、なかなかズブリといかない。
結局一分間ほど、カーナはナイフを喉に向けたまま硬直していた。
「楽しいか? カーナ?」
「ちょっと……楽しいです」
ため息混じりにウッドは呟く。
「バカなことやってないで……今日は少し早いがもう寝るぞ」
ナイフを放り投げると、いきなりカーナはメイド服を脱ぎ始める。
「いや〜ん! あんなことやそんなことまで……は、恥ずかしいですぅ」
「嬉しそうに脱ぐんじゃない! ゲームだろうが……」
カーナの動きがピタリと止まる。
「それは禁句ですぅ。イノセント・ブルーの時はカーナはカーナ。ウッドさんはウッドさん……せめて現実を持ち込むのは挨拶の時だけにしてほしいです」
真剣な顔つきのカーナ。
真剣な声の……相手プレイヤー。
「わ、わかった。すまない」
「謝るなんてウッドさんらしくないです」
「そうだな。悪かった」
「……また謝った。それじゃダメダメです。謝るのはあたしの役目です」
うっすらとカーナは涙を浮かべている。
「わかったよ、まったく。……だいたいなぁ、俺に色仕掛けするなんて百億光年早いってんだよ! そんな貧相な洗濯板ボディーでなにをしようというのだ? なにを!?」
「うう、酷いですぅ」
「かっかっか、酷いか? 俺は悪いヤツだからな」
わざとらしくふんぞり返って笑ってみせる。
「……女の子泣かせるのはダメダメですぅ」
「うるさい! ともかくこのウッド様はお前なんぞ眼中にないのだ。……そうだな、せいぜいペットの犬のようなもんだ」
「奴隷から……犬ですか?」
「ああ、どちらにせよ人権はないがな」
「うう、酷すぎますぅ」
「ということで、ペットに欲情する人間などいない。わかるな?」
「カーナは人間です! そんなこといわないで愛してほしいです!」
「どこの馬の骨ともわからん上に、愛してほしいだと?」
メイド服を脱ぐと、カーナは下着姿になる。
白いレースのついたガーターストッキングに、同色のフリルの下着だった。
(――イノセント・ブルーは確かにプレイヤーたちの行動でゲームシステムも変わっていくし、シナリオも自動生成される……けど、こんなオプションって)
ウッドの中の安藤が疑問を浮かべる。
現実と同様に進化を続けるゲーム。
しかし、目の前の彼女の行動は本当にゲームの域を超えていないのだろうか?
「あ、悪い。もうこんな時間なんで、今日はここで落ちます」
「あら、残念だわ。これからって時に」
「ちょっと僕には過激すぎます」
「そっかな? これくらい刺激的な方がいいと思うんだけど」
「それじゃ、次はこの酒場で」
「了解しました、ご主人様ぁ♪」
端末の電源を落とす。
心臓の鼓動が早まっていることに安藤は困惑した。
(――カーナはカーナだ。現実とゲームの区別がなくなっちまったら、そいつはどうかしてる)
時間は深夜二時を回っていた。
森林公園の端に、三人の姿はあった。
ゆっくりとよろめきながら、暗殺者たちは立ち上がる。
「…………」
すでに空には星が瞬いていた
死んではいないが深手である。
「…………?」
三人の前に男が立っていた。
白髪に、病人じみた青白い顔の男。
とっさに三人はナイフを構えるが、遅い。
白髪の男の腕が一人目の首を無造作に掴むと、紙屑でも握りつぶすようにへし折った。
ゴミ同然に投げ捨てる。
残った二人が逃げようと背を向けるが、やはり遅い。いや、白髪の男の動きが速すぎるのだ。瞬間移動にも近い。
白髪の右腕が二人目の心臓を背後から貫いた。同時に左腕が三人目の後頭部を握りしめる。
「死ね……」
白髪が呟くと、三人目の頭部に男の指がめり込み、後頭部を握りつぶした。
「まだ……足りないの?」
「こいつらは全部できそこないだ」
白髪の背後に背の高い女性が控えていた。
蒼い髪にはウエーブがほどよくかかり、月明かりに浮かぶその顔は聖母のような優しさと、ひとかけらの憂いを秘めている。
「ラヴィナス……寒い……寒いんだ」
三人の亡骸が霞みのように消え去る。
震える白髪の男を、蒼い髪の女はそっと抱きしめた。
6(現実3)
土曜日の朝だった。
自室のベッドに腰掛け、学校へ行く準備も一段落といったところである。
ニュース番組をつけたまま、安藤はぬるくなったコーヒーを喉に流し込んだ。
「……続きまして、現在世界市場の80%のシェアを持つコンピューター基本ソフト『セラフィム2005』の発売元であるミコノスシステムズが先日、次世代オペレーティングシステムを発表しました」
男性キャスターの言葉に続き、テレビの画面にはプレス向けの発表会の映像が流される。
テレビには中央区のホールと巨大プロジェクターが映っていた。ミコノスの開発者たちが、プロジェクターのデモ映像を操作しなが報道陣にプレゼンテーションをしている。
ミコノスといえば、この羅寺御市の都市計画に深く関わり合った「ミコノス」に相違ない。
呼び名はいくつもある。ミコノスシステムズ――世界的なシェアを誇るコンピューターの基本ソフトを開発した、近年のミコノスを支える木の幹のような会社である。そこから枝分かれし、様々な方面に子会社を設立している。
ゲームの開発はミコノス・エンターテイメント。人気アーティストを有しネットによる音楽配信を行うミコノス・ミュージックなど、ミコノスは情報関連からホビーまで幅広く手がけていた。
「イノセント・ブルー」に使われているコンピューターと、その基本システムも手がけたのももちろんミコノスである。羅寺御市のシステムは「セラフィム2005」の改良版ということだ。
ここ数年で大躍進を遂げた企業だが、裏では政界との癒着も囁かれている。
「同社によりますと、今回のシステムには新開発の人工知能が搭載されており、使用者に合わせた環境を自動的に作り出すとのことです。開発者の『瀬良悠人』氏は『人間に優しいシステムを目指した』と発表しており、専門家によると、今後このシステムがコンピューター産業に与える経済効果は計り知れないということです。……続きまして、一連の失踪事件についての捜査のニュースですが、対策本部設置から二週間が経過した現在も解決の糸口は見つかっておりません……」
画面には肝心の開発者の姿は一度も映らなかった。雑誌で読んだのだが開発室からほとんど出ることもなく、実在の人物かさえ疑わしいと囁かれている。
珍しい名字なので安藤は悠を連想するが、彼女はほとんど家族のことを話さないため、実際関係があるのかどうかは知らなかった。
ため息を漏らしつつ、安藤はテレビの電源を落とした。もう少し見ていたい気もしたが、このままでは遅刻が確実である。
委員長に憎まれ口を叩かれないよう、安藤はいつもより五分早く部屋を出た。
土曜日は授業も午前中だけだった。
だが、学校に着くなり臨時の全校朝会ということで、荷物を教室に置いてすぐに講堂に向かわされた。
安眠を誘うようなつまらない話しに、安藤の口からはあくびばかりが出る。
今月に入って三回目の臨時集会。内容にも変化がなく、相変わらず「行方不明」事件についてと、不審な人間に気をつけろなどのお決まりなパターンだった。
しかし……。
「……知ってるか?」
「ああ、針生だろ? 昨日から見ないけど学校には連絡きてねーみたいだしな」
「噂のゼロシキだぜ、きっと」
隣の列の数人が言葉少なげに会話を交わす。どうやら今日も針生は学校に現れていないらしい。そうなるとますます嫌疑が浮き彫りになる。
(――北周真。まさか……ヤツなのか?)
思い出すように安藤は自分の列の後ろを確認した。名前順に並んでいるため、安藤は先頭の方になる。
北周真の姿はない。
加えて、悠も見あたらないのだ。
音もなく刺さるような視線が安藤に向けられている。委員長の相模が安藤ににらみを利かせていた。「前を向け」という無言の圧力らしい。
しかた無しに安藤は首を前に向ける。
その後五分ほど校長のスピーチは続いて、朝会はつつがなく終了した。
授業開始時刻が三十分ほどずれ込むことになり、教師たちのミーティングもあるといことで、始業まで時間ができる。
安藤は教室に戻ると置いただけの鞄から教科書を取り出し、机にしまいこんだ。
教室では生徒たちが思い思いの方法で過ごしている。
流行りのカードゲームをやる連中やら、昨晩放送された音楽番組の談義に華を咲かせる女子たちの中に、安藤は自然と悠の姿を探してしまう。
いない。
首席の彼女にしては珍しいことだった。今まで彼女が休んだところを見たことがない。
安藤自身、出席率はギリギリのところでどうにかしているため、安藤が休んだ日に悠が休んでいる可能性はあるのだが……。
探すうちにまたしても委員長と視線が合い、理由もないのに鼻で笑われた。
(――ったく、きにくわん)
そんな安藤の心中を知ってか知らずか、相模は皮肉っぽく口元をゆるませると、読みかけの文庫本に視線を落とした。わざとらしくカバーは外してある。
安藤に読めるわけもない洋書の原本だった。
ガラッ
安藤の背後で扉が開いた。
教室の空気が一瞬で張りつめる。
その様子に、振り返ることもなく安藤はなにが起こったのかを察した。
多少のいざこざはあっても、平穏で平和な教室を一瞬にして沈黙させてしまう人間は、彼を置いて他にいない。
恐る恐る、安藤は確認するように振り返る。
北周真。
茶色い髪は長く、規定の制服もスラックス以外はほぼ私服といえた。
黒いYシャツ姿で、遠目に見れば歓楽街のホストのようでもある。
「……なに見てるんだ?」
「あ、やあ、おはよう! ひさしぶりだね」
棒読み口調の安藤に、北はゆっくり口を開く。
「放課後、校舎裏までツラかせや……」
「あの、用件ならここでうかがいたいんですが」
あまりに唐突な申し出だった。うわずった口調のまま安藤が目を丸くする。
グイッ
北の左手が安藤の胸首を掴み上げる。
「なんだって? よく聞こえねぇなぁ」
「はははは……じょ、冗談ですってば」
殺される――。脳裏をよぎった言葉には、言い様のないリアリティがあった。
針生の失踪。そして、狂犬のような北の瞳。
こんな時にかぎって、委員長は絡んでこない。それどころか、教室の誰もが見て見ぬ振りを決め込んでいた。
教室はいつのまにか元の休み時間のような空気に戻っていた。
沈黙を続けている方が不自然である。
誰からともなく話し声があがり、不自然さを覆い隠すように、教室は平穏な空気を装いはじめた。
そうなってしまえば、浮き彫りになっていた安藤と北のいざこざも、教室で起こった出来事の一つに埋没してしまう。
自然を装って見ない振りをするというのは実に巧妙だった。他の生徒全員が、自分に危害が及ぶことを恐れて自然と結託し、安藤を人身御供に仕立て上げる。
「……いいか。逃げるんじゃねぇぞ」
逃げたら命の保証はない。北の相貌が顕著にそれを物語る。
だが呼び出しに応えて校舎裏に行ったからとしても、身の安全が保証されるわけでもない。
「なに、取って食おうってわけじゃない」
淡々とした口調で北が安藤を解放する。
「お前の知りたいことに答えてやる……それだけだ」
作られた空気の中で、北は小さく安藤に聞こえるだけの声量で呟いた。
そのまま安藤に背を向け教室を出ていってしまう。
数秒で教室中の緊張が緩和し、不自然さ消えていく。
ちらちらと向けられる視線に安藤は不快感を覚えていた。
自分も針生を見殺しにはしたが、いざ自分の番になるとこうも辛いものなのだろうか。
スッ――と音もなく委員長が立ち上がり、ゆっくりと安藤に近づく。
「いったいなんの相談をしていたんですか?」
「あれが相談に見えるんですか? 委員長様は」
相模の粘着質な視線に温厚を装っていた安藤の本音が出る。皮肉っぽい口調で安藤はにらみ返した。
「まさか誘拐かなにかの相談ではないでしょうね?」
「冗談よしてくれよ」
相模もどうやら北周真に疑惑を投げかける一人だったらしい。問題は安藤もその仲間にされている……ということだ。
「せいぜい気をつけなさい……少年法も改正されたんですからね」
「委員長様、僕のような小市民にそんな大それたことはできませんからご心配なく」
疑惑の眼差しのまま、相模は鼻で笑うと席に戻っていった。
授業中、安藤はずっと思索を続けていた。
北周真の申し出を受けるかどうか……。
午前中最後の授業、世界史が終わる間際に安藤の中で疑問点が浮かんだ。
(――まてよ)
肝心なことを忘れていたのだ。
北周真への疑惑は晴れる可能性がある。
絶対の補償はないが、ここで逃げるわけにはいかなかった。
終業のチャイムと同時に、安藤は荷物をまとめると校舎裏を目指した。
結局今日は悠に会えなかった。それだけが心残りといえた。
校舎裏の空気は冷たい。
体育館の影が日差しを閉ざしていた。
人の気配もなく、呼び出すには絶好の場所だろう。
ついつい、安藤は血痕の類を捜してしまった。万が一とは思うが、針生貴史が先日ここで刺された可能性もなくはないのだ。
だが、そういった類の痕は見受けられなかった。
五分ほど経つが、まだ北は姿を現さない。
まるで自分がゲームの主人公にでもなったような気分だった。
安藤は自分の推測にある程度の自信を持っている。
普通なら危険なことに首を突っ込んだりはしないのだが、ここ数日で現実と仮想の境界が曖昧になってきていた。
「……臆さず来たか。それくらいでなければ、ヤツとはやりあえないだろう」
とっさに振り返り、身構えてしまう。
建物の影から北が現れた。
「あれくらいの脅しで尻尾を巻いて逃げるなら、そこまでということだ。期待に応えてもらえて嬉しいものだ」
「こ、光栄です」
教室で会った時と比べればずいぶん印象が違っていた。
狂犬のような憎しみに満ちた瞳が、今は同年代の少年と青年の中間のようなものにすり替わっている。それだけで別人のようにも思えた。
それでも怖いものは怖い。
安藤の膝は恐怖からか、カタカタ笑っている。
「あ、あの……」
「ここなら人も来ないだろう」
ゆっくりと北は安藤に近づいてくる。
妙なプレッシャーが安藤にのし掛かった。
いつナイフかなにかで刺されるかもしれない。そう思うと余計に警戒してしまう。
が、次に北の口から出た言葉に安藤は耳を疑った。
「お前……イノセンやってんだろ? 今夜ゆっくり話したいことがある。場所はメールで送る。そっちの方がお互い都合良いはずだ」
ぶっきらぼうに言い残すと北は安藤に背を向けた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「俺は忙しい」
「針生……針生貴史はどうなったの?」
「今夜話す……」
淡々とした口調で告げると北は校舎の方に消えていった。
安藤はあっけにとられながら、北周真の背中をぼんやり見つめるだけだった。
安藤が部屋に無事帰り着くと、留守番電話のランプが光っていた。
メッセージを再生すると聞き慣れた声がスピーカーから流れ出す。
『あ、悠です。瀬良悠。えーと、至急電話をください。それじゃあ』
簡素な内容だったが悠の声だった。
口調はいつもより改まったような感じで、少しだけよそよそしい。
そのまま受話器を取り、悠の家の電話番号をプッシュする。
おぼろげだが悠の家の前を通った時のことを思い出した。
羅寺御市内でも高級住宅地の多い東区にあって、その中でもかなり大きな屋敷だったと記憶している。
ずっと前に聞いた話だが、彼女はそんな大きな家に一人暮らしだというのだ。
母親はいないらしい。父親は仕事でほとんど帰ってこない。悠について知っていることといえばそれくらいだった。
数回呼び出し音が鳴ったあと、電話はつつがなく繋がった。
「もしもし」
「あ、はい、瀬良ですけど」
「安藤です。あの、悠さんですよね?」
「なーんだ。アンドーナツか」
受話器口で退屈そうに悠は呟いた。
「じ、自分からこっちに電話しておいてそれはないんじゃ……」
「あ、そうだったわね。忘れてたわ」
悠はあっけらかんと言ってのける。
「それより、今日学校はどうしたんですか?」
「学校?」
「そうですよ! それに今日来たんですよ!」
「知ってるわよ。北周真でしょ? で、どうだったの」
お見通しとでもいったような口調だった。
「どうだった……なんていわれても。知ってたんですか?」
「まぁね。情報の出所は秘密よ」
受話器越しに聞こえるよう意識しながら、安藤はため息をついてみせる。
「彼のことだから、アンドーナツに接触してきたんじゃないかしら?」
「ぼ、僕はとりあえず無事でしたけど」
「殺されなかった……そういうことね?」
「はい。校舎裏には呼び出されましたけど……彼が『ゼロシキ』ではないような気がしたんです」
安藤が誘いに乗ったのも、今までの状況から推測した結果だった。
「なんで彼ではないと思うのかしら?」
「……『ゼロシキ』はイノセント・ブルーの中でキャラデータを破壊してから、現実の犯行に及ぶと推測できます。でも僕のキャラはまだ『ゼロシキ』に遭遇すらしていない」
「なるほどね」
見直した――とまではいかないが、悠は安藤の推測に納得したような吐息を漏らす。
「それで、今夜……」
言いかけて安藤が口をつぐむ。
「なに?」
ついつい口が滑ってしまった。
悠を巻き込みたくない。彼女がどこまで「ゼロシキ」を調べているのかは分からないが、イノセント・ブルーに参加しない限りは安全なのだ。
「今日は悠さんに会えなかったから、今夜会いたいなぁ……って」
「ば、バカじゃないの」
少し怒ったような口調の悠。普段の彼女らしくない。なにか焦っているようにも思える。
「え、あ、すいませんです。僕なんかがおこがましいこといって」
「そ、そうよ。だいたいアンドーナツとわたしじゃ釣り合わないっていってるでしょ?」
落ち着いたのか、普段通りの突き放すようなも口調に戻る。
安藤は少しだけほっとした。
悠が休んだのは心配だったが、受話器の向こうの彼女はなんだかんだいっても元気そうなのだ。
「そ、それじゃあ僕はこれで」
受話器を置こうとした瞬間。
「ちょっと待って!」
まるで今生の別れでも惜しむように、悠が声を張り上げた。
「あの、どうしたんですか? そんなに大きな声出して……今日ちょっといつもの悠さんと違いますよ? 僕のことあんまりイジメないですし」
「う、うるさいわね! ちょっと熱っぽいだけなんだから」
いつもよりムキになっているのは電話越しにも十分伝わってくる。
「風邪でもひいたんですか?」
「そ、そういうことにしておくわ……ケフッケフッ」
悠は小さく咳き込んでみせる。
「悠さん咳まで可愛いです」
「…………殺すわよ。マジで」
「ご、ごめんなさい〜!」
受話器越しに頭を下げる安藤だった。
安藤の言葉に悠が小さく吹き出して笑った。
「ほんとに、安藤君って……」
言いかけて悠は口ごもってしまう。
沈黙が少しだけ重い。悠の方からは言葉が出てこない。
「あの、アンドーナツじゃないんですか?」
「安藤君って呼び方じゃ嫌なわけ?」
「なんだかアンドーナツって呼ばれてた方がしっくりくるというか、なんというか」
「じゃあ、これからは安藤君ね」
「な、なぜー!?」
「そっちの方が嫌なんでしょ? イジメてあげてるんだから感謝なさい」
受話器の向こうで小悪魔っぽく悠は笑っているのだろう。想像すると、少しだけ安藤の鼓動が早くなった。
「うーん、なんだかなぁ」
「それが嫌なら下の名前で呼んであげよっか?」
「そ、それは嫌だ……(と言ったらどうなるんだろう?)」
淡い期待を込めて、安藤は悠の言葉を待つ。
「じゃあこれからはナツミカンね」
「夏樹ですってば!」
「うーん、やっぱりしっくりこないわ。アンドーナツが一番ね」
「結局それなんですか!」
からかわれていたのにようやく気づき、安藤は声を張り上げる。
「あれ? 怒った?」
「べ、別にそんなんじゃないです」
「あははは……おもしろくって涙でちゃう」
楽しそうに笑う悠に、言い様のない怒りと、それを越える諦めの感情が安藤を包み込んだ。
「それで……他に用件はないんですか?」
自然と安藤はぶっきらぼうな口調になっていた。
「……あ、えっと、うん。ありがと。別にもうないから。それじゃぁね」
カチャリ……ツーツーツー
結局一方的に切られてしまった。
(――あれ? うーん、なにか妙な感じだぞ)
結局家に居てまでオモチャにされた安藤だったが、彼女の最後の言葉が頭の中に残る。
ありがとう。
すべてを自分一人でこなしてきた悠。そんな彼女が他人に感謝したのである。
(――ようやく、俺のビジュアル系な魅力にメロメロになったのか!?)
たった一言で妙な妄想を脹らませることができる。男という生物のサガなのかもしれない。
(――なんて、都合良くはいかないよなぁ)
一通り妄想を脹らませると、安藤は小さく息を吐いた。
彼女を巻き込むわけにはいかない。そう考えながら安藤は端末を立ち上げる。
メールチェックをすると、安藤宛に一通届いていた。
差出人名は「北周真」である。
7(イノセント4)
海猫亭の店主から伝言を受ける。
「……そうか。わかった」
伝言の主はカーナだった。
「なんだい? 兄さんふられたんかい?」
たくわえた髭をつまみあげて、大柄な店主が笑う。海猫亭の店主はプレイヤーキャラだった。冒険者時代にためたお金で店を開いたのである。
「別にそんな関係ではない。余計な詮索はよしてもらおう」
ウッドは色眼鏡をクイッとあげてみせる。
相変わらず吟遊詩人に変装したままだった。
(しかし、律儀なヤツだな。本当に)
どうしても事情があって今日はここに来られそうもない。
要約すればたった一言だった。それを言うためにカーナは伝言を頼み、わざわざ手紙まで残していったのだ。
店を出るとウッドはスラムを目指す。
北周真に指定された場所は、スラムを抜けた町はずれの城壁前だった。
迎えの者をよこすというのだが……ここまで念を入れるのには裏があるのか、もしくは直接会えない理由があるのか。ともかく一筋縄でいかないということだけは確かだった。
隣にカーナがいない。
パーティーを組んだことも何回かあったが、結局裏切りにあったり、相手の存在が重荷になったりして……だから一人でいることを選んだのだ。
一人は気楽なはずなのに、今はなにか物足りないような気がする。
足早に先日カーナを助けた裏通りを越えた。
ノース一家の追撃を警戒し、常に神経をとぎすませた状態を保つ。もう不意打ちを食らって後れをとるような真似はしたくない。
変装の効能もあってか、連中のテリトリーであるスラムを越えるのは思ったより簡単だった。尾行されている気配もない。
巨石を積み上げて作られた城壁は、街の南にあって砂の進行を防ぐようにそびえていた。
ここから南下すると、「紅い砂の海」に出る。
砂漠には蜃気楼のように現れては消える古代都市が眠っているというのだが、先週その都市を制した冒険者が現れイベントが終了したばかりだった。
しばらく砂漠では大がかりなイベントが発生しないという噂が流れ、その入り口である城塞前に人通りは皆無だった。
「……?」
城壁の前に人の気配を感じ、とっさに隠れると建物の脇からウッドは様子をうかがう。
「……カーナ?」
メイド服姿に、相変わらず猫耳と猫尻尾のアクセサリーをつけているが、間違いなく彼女だった。
話している相手は、先日カーナを襲った一団の鼠男である。
(――どういうことだ?)
カーナも鼠男もウッドにはまったく気づいていない。
距離があるため二人の会話は聞き取れなかった。鼠男の言葉に、カーナは悲しげな表情で答えている。
(ともかく、ここで突っ立ってるわけにもいかないな)
ウッドがスラムから姿を現した。
距離もあり、二人は会話に夢中なせいかウッドが近づいてくることにまったく気づいていない。
【何者かが侵入してきました】
警告メッセージが現れる。
ウッドとカーナ、そして鼠男が同時に周囲を見回した。
「ウッドさん!」
カーナの表情がこわばっている。
「俺じゃないぞ」
基本的に警告メッセージは何者かがログインしてきた場合に発生する。一度他の場所でログインしてからこの場所に移動してくれば、こういったメッセージは発生しない。
唐突に鼠男の背後の空間が歪んだ。
「……な、なんだ?」
なにもない空間から人間の腕が生えたのである。青白い手が鼠男の首を掴むと、ゆっくりと力を加えていく。
「ギャアアアアアア!」
甲高い悲鳴が響いた。
鼠男の首がへし折れる。
青白い手は死体をゴミのように投げ捨てた。
「気をつけろカーナ!」
ウッドはギターケースから大剣を取り出し構えた。
カーナは目の前で起こった出来事に対処できないのか、その場に座り込んでしまう。
さらに空間が歪曲し、それは姿を現した。
白髪の男。肌は病的なまでに青白く、長い髪が顔を覆っていて顔つきさえ判断がつかない。
「……足りない。こいつは成長していたが、まだ足りない」
ゆらゆらと幽鬼のように、座り込んで動かないカーナに近づいていく。
(アイツ……かなりヤバイぞ)
ログインした直後から殺戮を始める。
確かにこの世界では暴力を楽しむ人間が多いのは事実だった。
ただ、やり口があまりにも残酷すぎる。
「ふざけんじゃねぇよ!」
ウッドの中に生まれた感情は怒りだった。
自分もこの世界で暴力を行使することに、多少の優越感や快楽を覚えている。だが戦いは自分と相手の能力の競い合いでもあった。
一方的な虐殺をしたいと思ったことはない。
剣を構え、石畳を蹴る。
蹴り足の威力で地面が陥没した。
ウッドの本気である。
剣を突きの構えにしたまま、極限まで高めた脚力で飛び出し、一撃を加える。
大剣の重さに速度が加わり、竜の鱗さえも貫通させた一撃必殺の攻撃だった。
シールドブレイクで竜の力を封じ、ガイアドラゴンをこの一撃で仕留めたのである。絶対の自信があった。
「ウオォォォォッ!」
大剣には相手の生命力を吸いとる魔法が付与されていた。回復魔法の使うことができない剣士がここまで戦い抜けたのも、この魔法剣によるところが大きい。
白髪の男は避けるどころか、ウッドに見向きもしなかった。
ギュウウウンッ
巨剣が白髪の胸元に突き刺さり、貫通する。しかし手応えがない。
「な、なんだッ!」
与えたダメージが吸収できない。
確かにヒットしているのだが、魔法剣が作動しないのだ。
竜の力で手に入れたスキル「竜眼」で相手を見極めようとする。
(――レベル……0だと?)
すべての数値が0だった。
攻撃力、防御力、生命力、魔法力……。
「貴様が『ゼロシキ』なのか?」
男の表情は確認できないが、口元がゆるみかすかに笑ったように思えた。
あっけにとられるウッドを、ゼロシキの右腕が薙ぎ払う。
「――ッ!?」
衝撃がウッドの全身を駆け抜けた。
一瞬で城壁に吹き飛ばされ、激突する。
粉じんが巻き起こった。
ウッドの身体は城壁に陥没すると、ピクリとも動かない。
「……足りない」
胸元の大剣を抜き払うと、枯れ枝でも折るように両手で二つ折りしてしまった。
魔法剣は基本的に折れることはない。
こんなことができるのは、違法コードによる改造を施したキャラクターくらいなものである。
ゆっくりとゼロシキはカーナに近づいていく。
「こないで……来ないで! 嫌ッ!」
足がすくんでカーナは立ち上がることもできない。
「どうした? なぜ怖がる? 我々は同類ではないか?」
ゼロシキの口調は冷たく機械的だった。
「違う! あたしは違うッ!」
声を張り上げるカーナに、ゼロシキの右手が伸びる。
「触らないで! やめて! お願いだから殺さないで! あたしを……殺さないで……」
涙の雫が落ちる。
カーナは震えていた。
ゼロシキの右手がカーナの細い首を握る。
「……く、る、し、い」
「あたたかいな、お前はその心を誰からもらったんだ?」
「……心は……与えられる……ものじゃ……ないもの」
ギュウ
涙をためたまま、カーナの声がとぎれる。
「頼む……やめてくれ」
ウッドの……いや、安藤の声は枯れそうだった。
目の前で、本当に人が殺されるような錯覚に見舞われる。
いや、今行われているのは完全な殺人だった。仮想世界の中で、カーナの人権が蹂躙される。生きようとする者の意思が、目の前で不条理な力によって踏みにじられようとしている。
見ているのが辛い。
なぜ彼女はこの世界で殺されなければならないか?
現実であろうと、仮想であろうと……こんなことはあってはならないんじゃなかろうか?
安藤の中でなにかが弾けた。
「立ち上がってくれ! 頼む! ウッド!」
自分自身に呼びかける。
ウッドのコンディションは瀕死。
通常この状態になれば、戦闘終了まで魔法やアイテムで復活させないかぎり行動はできない。
分かっていた。
だが呼びかける。
今、カーナを救えるのは自分だけなのだから。
「……そうか、これが愛なのか。お前はあの男を愛しているな?」
気まぐれなのだろうか――ゼロシキはカーナを投げ捨てるとウッドに視線を向けた。
「……やめて! その人に触れないで!」
「こいつが死ぬと、お前は悲しむな……俺に悲しみを教えてくれ。大切なものが消える瞬間の感情を……」
一歩一歩、白髪の男は瀕死で身動きのとれないウッドに近づいていく。
「そうか……こいつは人間なんだな? じゃあ完全に仕留めなければならないな」
ぶつぶつと呟きながら、ゼロシキは瓦礫に埋没したウッドの首もとに狙いを定める。
「安心しろ。すぐにお前も消去してやる」
振り向き、カーナの恐怖と悲しみに歪む顔を確認すると、ゼロシキは右手を振り上げた。
「畜生……畜生……なんで動けないんだッ」
画面の外で、少年はコントローラーを床に叩きつけた。安藤――ウッドはただ最後の瞬間を待つしかない。
ゼロシキの腕が振り下ろされる。さながら斬首刀だった。
ガシッ
ウッドの左腕が振り下ろされたゼロシキの腕を取る。
「……どういうことだ?」
そのままゼロシキの腕を引きちぎると、ウッドはゆっくりと立ち上がった。
引きちぎられた腕は空気に溶けてしまう。
「どうして……」
安藤はコントローラーを握っていない。
画面の中でウッドは立ち上がると、ゼロシキを見据える。
「……貴様、ブルーか」
ゼロシキの言葉にウッドは応えない。
【何者かが侵入してきました】
不意にメッセージが表示される。
「そこまでですよ。ゼロシキ」
カーナの前で空間が歪むと、光がシルエットを描き出す。
庇うようにカーナの前に立ち、細身の長剣を構える。
金髪の聖騎士――セラフだった。
「反応をトレースしてようやく……追いついたようですね」
「……二対一では分が悪い」
ゼロシキの周囲の空間が歪み始める。
「逃がしませんよ!」
聖騎士は剣を構えると呪文を唱えた。
「結界!」
光の魔法陣がゼロシキを包み込む。
「……こしゃくな」
一度歪んだ空間が、元通り補正されていく。空間跳躍で逃亡する相手の退路を断つ、一般には知られていない特殊な魔法だった。別名――違法コードである。
「……離脱だ。運べ」
ゼロシキは虚空に向かって指示を出す。
すると、一度補正された空間に亀裂が生じた。
「まさか……協力者かッ!?」
聖騎士が再度「結界」の呪文を放とうとするが、呪文が完成する前にゼロシキは空間の歪みに消えてしまった。
「トレース不能……ご丁寧に足跡も消すなんて」
落胆しながらも、セラフがウッドに歩み寄る。
「しかし……まさか一般人のあなたがゼロシキの攻撃を防ぐとは驚きましたね。おかげで追いつけましたよ……逃がしてしまったのは悔やまれますが」
セラフが肩に手をかけると、積み木が崩れるようにウッドは前のめりに倒れ込んでしまった。
気づくと、そこは海猫亭の一室だった。
ウッドの視界には部屋のランプと木材むき出しの天井が映っている。
気づく――厳密にいえばコントロールを取り戻したということだが、画面でウッドが倒れてから端末がフリーズしてしまい、再起動したらベッドの上だったのだ。
少女が脇に座っていた。
ずっと看病していたらしい。
栗色の瞳には大粒の涙が光っている。
「よかった……ウッドさん……本当に」
死んではいない。
ただ状況が掴めない。
「俺は……どうなっちまったんだ?」
「あのあと倒れて、セラフさんがここまで運んでくれました」
「くそ……借りを作っちまったな」
上体を起こそうとするが、思うようにいかない。
「まだダメです! 意識が戻ったばっかりです。身体はボロボロなんです。安静にしてないと」
「そうか……」
カーナはうんうんと二回首を縦に振った。
「なぁ、俺……瀕死だったよな」
唐突なウッドの言葉にカーナは首を傾げてしまう。
「城壁にぶつかった時、瀕死になって……それなのに身体が勝手に動いたんだ」
「…………」
カーナは無言だった。じっとウッドの瞳を見つめている。
「あいつは……『ゼロシキ』は俺を『ブルー』と呼んだ……いったいなにが起こったのか分からないんだ」
いつもの強気なウッドは影を潜めていた。
今は頭の中を整理するので手一杯である。
「きっと、ゲームのシステムそのものが変わったんですよ。この世界全体はプレイヤー一人一人の行動によって変わっていく。変えることができる。現実と同じです。ウッドさんの想いが、ルールまでも変えてしまったんですよ」
この世界をゲームとして捉えることを嫌がったカーナが、ルールのことを口にする……そのことがウッドには意外に思えた。
「そうなのか?」
「きっと想いが神様に伝わったんです」
「そうならいいがな」
ウッドは力無く笑う。
「しかし北周真にまんまとやられたよ。アイツは俺をおびき出して始末するつもりだったらしい」
「……誰ですか? それ」
「俺を呼び出した男の名前だよ」
「そうなんですか」
問題はそれだけではない。
今のウッドに戦える武器はないのだ。
もし次にゼロシキが襲撃してきたら――今度は本当にカーナを守りきれないかもしれない。
圧倒的な力の差を埋める新しい武器が必要だった。
「あの……聞かないんですか?」
「なにをだ?」
「あたしのこととか、あたしがノース一家の子分と密会してたこととか」
「……バカなことを言うなよ」
ウッドは笑ってみせる。
「でも……」
「俺は貴様を信じているんだ。血判状の誓いは守ってるんだぜ。主人と奴隷は信頼関係が重要だからな」
「ウッドさん……」
カーナがウッドの胸に抱きついてくる。
「お、おいおい」
「ごめんなさい……ごめんなさい……あたしのせいで、ウッドさんにこんな思いさせて」
「いや、かなりエキサイティングだったぜ」
そっとカーナの髪をなでる。
「信じてもらえないと思うけど……いつか必ず話すから。だからあたしを信じて……信じていて」
それがカーナの声なのか……プレイヤーの声なのか。もう判断は付かない。
ただ、ウッドは震える彼女をぎゅっと抱きしめるだけで精一杯だった。
8(現実4)
画面の中でしか会うことのできない少女――栗毛色の髪に、大きくて純真な瞳。抱きしめたくても決して腕の中に抱くことはかなわない。
日曜日の夜。
いつもなら「イノセント・ブルー」をプレイしているところなのに、今日はどうしても回線を開く気持ちになれなかった。
カーナに会いたい。
だが、ゼロシキに対してなんの策も持たない今の自分に、彼女を守ることはできない。
対策が練られるまで、カーナにはイノセント・ブルーに回線を繋げないよう注意しておいた。
こちらからメールで連絡しない限り、彼女――彼かもしれないが――は回線を繋ぐこともないだろう。
ぼんやりとテレビの深夜放送と向かい合い、部屋の電気も消したまま画面を眺める。
画面には最近流行のバーチャルアイドルと、人間の男数人でコンパのようなことをやっていた。
バーチャルアイドル。急激に進歩したCGで作られる、完全無欠のアイドルだった。
顔もプロポーションも、ニーズに合わせて作り替えることのできる、究極のアイドル――そういうふれこみで、最近では人間のアイドルを脅かし始めている。
人工知能を搭載し、言葉を理解して簡単な受け答えもできるらしい。
といっても人工知能システムはまだ実験段階のテクノロジーで、バーチャルアイドルに搭載されている人格は「マザー・ブルー」のシステムより一世代前のものだった。
画面には最近流行した恋愛シミュレーションゲームのヒロインが、インタビュー形式で男たちの質問に応答している。
「ヒカリちゃんの趣味ってなに?」
「あ、はい……えーと」
考えるような素振りをしてみせる。これも乱数を利用して、何回かに一回はそうするようにプログラムされたものだった。
「お料理が得意かなぁ」
「得意なメニューってある?」
「オムライスです。結構評判いいんですよ」
それ以上会話も続かず、次の質問が浴びせられる。彼女の方から話しかけることはない。
表向きは自然な受け答えのようだが、時々出る対処不能な質問には彼女は笑って応えるだけだった。
画面の中でしか会うことのできないカーナも、テレビの中のバーチャルアイドルと変わらないのかもしれない。それにカーナが女の子ではないことも十分に考えられる。
もし男だったら、そいつの書いた恋愛小説のような脚本は自分を完全に虜にしていた。もしかしたらカーナのプレイヤーは作家かなにかなのかもしれない。
そんなものに自分は熱をあげているのだ。
何者かが作り上げた、カーナという幻想に恋心のようなものを抱いている。
現実逃避……それに近い。
(――でも、悠さんはなびいちゃくれないよなぁ)
小悪魔のようで、なかなか心を開いてくれない悠。対照的に、カーナは画面の中だけでしか会うことができないが、自分を本気で心配してくれる。
もし、二人が川で溺れていたら自分はどちらを助けるのだろう。
(ま、そんなことは現実に起こるわけないけどね)
テレビの中のつまらない会話に呆れながら、安藤は電源を落とすとベッドに潜り込んだ。
(でも、もしそうなったら……)
絶対にあり得ないことなのに、どうしても引っ掛かって安藤はなかなか寝付けなかった。
月曜日の教室に北周真の姿を見ることはなかった。
昨晩寝付けずに、寝坊してニュースも見ないまま安藤はギリギリで登校し、例のごとく委員長にいびられている。
どうも委員長の口調を聞いていると、イノセント・ブルーの中で貸しを作ってしまった男――聖騎士セラフが重なってしまう。
(こいつが……まさかなぁ)
確証もないのだからふと思う程度に止める。
「ちょっと、聞いているんですか? だいたいあなたは弛みすぎです。寝坊ですか? 結構なご身分ですね? だいたいゲームのやりすぎで寝坊して遅刻なんて、言い訳としては最悪ですよ」
うんうんと適当にうなずきながら、右の耳から左の耳へ。教室に担任が入ってきて、ようやく安藤は解放された。
席に着く。
出席はIDカードで取っているため、簡単な連絡事項を告げて担任は教室から出ていった。
ようやく一息ついて、鞄の中身を机に移し替えようとする。どこからか鼻孔をくすぐる甘い香りがして、気づくと安藤の脇に悠の姿があった。
(シャンプーの香りかな。う、うう。なんかドキドキしちまうぞ)
「なにボーっとこっちみてるのよ?」
「悠さんこそ、あの、なにかご用でありましょうか?」
妙な言葉遣いに悠が小さく笑う。
「ペットの様子を見に来てあげたの。はい、いつもの」
そっと悠は手を差し伸べる。
「もう、そういうのやめてくれませんか?」
いつもの安藤ならここで「お手」をするのだが、なぜか今日はのってこない。
「あららぁ〜、わたしに盾突くっていうのかしら?」
「盾突くもなにも……僕だって好きで犬だのなんだのやってるわけじゃないんです」
「じゃあ、なんで好きでもないことしてるのかしら?」
「それは……その」
「まさかわたしが『好きだから』なんていわないわよね?」
その言葉で安藤の顔が耳たぶの先まで真っ赤になった。
「図星かしら? ふふふ、これなら心理学関係の進路もいけそうね」
満足そうに悠は笑う。安藤はふてくされたのか、そっぽを向いてしまう。
「……なにか用ですか? 用事がないなら」
「あっちに行けとかいうの? このわたしに命令するわけ?」
いつもの彼女のペースだった。
ここで引いてしまうと、また彼女のオモチャにされてしまう。
「だいたい、僕だって今まで義理で付き合ってあげてたんです。もういい加減にしてください!」
妙な興奮と緊張感で、安藤の声はうわずっていた。
「……迷惑なの?」
人を食ったような表情が一転した。悲しげで、ガラスよりも脆い瞳に安藤は一瞬吸い込まれそうになる。
「迷惑です……泣き落としなんてもう通用しないですよ。人をからかうのもいい加減にしてください」
「わたしと会話するの……嫌?」
「ええ、もぉうんざりです」
彼女はうつむいてしまった。
「そうやって、また僕をからかってるんでしょ? それで心の中で『無様だ』とか『男なんて単純』とか思ってるんじゃないですか?」
「そんな……こと……」
言い出したら引っ込みがつかなくなり、安藤は続けざまに口を開く。
「確かに僕は悠さんが好きでした。成績優秀で才色兼備。完全無欠で、僕なんかお呼びも付かない憧れの的……だけど、こんな人間とは思ってなかった。正直この何日かでよくわかりました。人のことバカにして優越感に浸る人間より、僕は欠点があっても誠実な人間の方が好きなんです」
意思とは無関係に安藤の口が動いていた。
あれだけ憧れていた悠に、自分でも信じられないような言葉を次々と浴びせてしまう。
「他に好きな人……いるの?」
「悠さんには関係ないでしょ」
強気の口調と態度だった。突っぱねる。安藤の脳裏には栗毛色の髪の少女が浮かんでいた。悠と会話をしているだけで、彼女を裏切っているような気持ちになり、悠への厳しい口調に拍車がかかる。
教室は雑然としていて、二人のやりとりに注目しているのは委員長だけだった。
あと数分で一限目が始まる。
「安藤君……安藤君が見ていたのはわたしじゃなくて、わたしの成績とか、容姿とか、経歴とか……そんなものだったの?」
「そうですよ。どうせ手を伸ばしても届かない高嶺の花だから、憧れるだけだった。正直あなたの正体を知って幻滅したんです」
「そっか……そうだよね」
無表情に呟くと、彼女は安藤の席を離れていった。
9(イノセント5)
闘技場の観客席に少年の姿はあった。
ローマのコロシアムのような円形の巨大な闘技場である。
天井はなく太陽が人々を照らしていた。熱を帯びた声援が中央のリングに降り注ぐ。
コロシアムの南側には巨大な聖火塔が立っていた。その聖火塔の前に、闘技場の衛兵が四人立っている。聖火塔に納められた勝者の証しを守るのが彼らの役目だった。
褐色の肌が日差しに映える。少年は聖火塔から客席に視線を移した。
客席はどこも満席で、誰もがギャンブルに熱狂していた。闘技場の真ん中にある八角形のリングで、プレイヤー同士が火花を散らす。
どちらが勝つかを予想する。
的中すれば掛け金に合わせて配当金を得ることができた。
少年――ウッドの目的はこれから始まる「第一回 女神杯」――その優勝者に与えられる究極の武器だった。
その詳細は不明だが、かなり強力なものらしい。ウッドがイノセント・ブルーに戻ってきたのも、ミコノスからのダイレクトメールにこの情報を見つけたためだ。
ウッドにしてみれば渡りに船の情報といえる。タイミングが良すぎて少し怖いくらいだった。
背中には武器屋で手に入る最上質の大剣を担いでいた。魔法のかかっていない、ただ高強度なだけの武器だが、持っていた財産の半分を投入して買ったものだ。
残り半分で防御系の装備を固める。買ったのは全身をぴったりと包み込む、なめし革製の黒い戦闘服だった。剣士は剣技と体術を使うため、鎧も軽いものに限られ楯も装備できない。その分をカバーするためにも、鎧は特に上質なものが必要だった。
戦闘服の防御力はさほどでもないが、動き易さと追加効果に期待していた。
全身を包み込む魔獣革はゴムのように柔軟だが高強度で、魔法によって毒や麻痺を防ぐ効果が付与されている。物理防御力はさほどでもないが、魔法攻撃への抵抗力も高めてくれる代物だった。
これをオークションで買ったせいで、現在は極貧状態である。
もちろん、相手が普通のプレイヤーならばこの装備で問題はない。しかし……正直なところゼロシキ相手には紙の鎧といって相違なかった。
切り札は竜の力。
刃物のダメージを防ぎ、竜の特殊能力を使用できるようになる。今のところ使いこなせる竜の力は初級の「竜眼」だけだが、戦闘を重ねれば力は開花していくはずだった。
観客席から受付のあるホールに降りる。
見回すと、ホールも人、人、人で溢れかえっていた。
トーナメント開始時刻まで、まだ三十分はある。
ホールの人混みにうんざりし、石畳の通路を抜けると控え室に向かった。
カーナには黙ってエントリーしたことに、後悔といった類の気持ちはない。
彼女を巻き込むわけにはいかない――危険な目には遭わせたくなかった。
今はカーナのことを忘れようとウッドは決め込む。
「おう、あんたも参加者かい?」
いきなり肩に手を置かれ、振り返るとそこには犬の顔があった。
「グレイファ……じゃないな?」
「グレイファを知ってるのか、なら早い」
狼男だった。
情報屋のグレイファより一回り大きく、毛色は黒い。
「俺、アイツのアニキなんだ。よろしくな?」
いきなり握手を求めてくる。
ウッドは警戒したまま無言で相手を見つめていた。
「そうビクビクしなさんなって。破竜剣士の称号が泣くぜ」
その一言に警戒心がぐっと高まる。
「グレイファから聞いたのか?」
口止め料込みで接触したわりに、グレイファには裏切られてしまった。
情報交換をした時から、グレイファはウッドがガイアドラゴンを倒したことに感づいていたのだ。相変わらず鼻が利く。
「おっと、グレイファから聞いたとは限らないぜ」
「聞かなかったという証拠にもならないな」
人なつっこい口調の黒い狼男。なかなかしたたかな性格をしている。悪意こそ感じられないがウッドは警戒を解こうとしない。
「まあ、そういいなさんなウッド・サマーズ。グレイファにいくら握らせたかはしらないが、それ以上の額を出されれば喋っちまうのが人情だろ?」
狼男の言葉にも一理ある。
しかし、グレイファにはある程度信頼を寄せていたため、ウッドとしてはショックを隠せない。
そのショックを振り払うように、ウッドは狼男をねめつける。
「グレイファに会うようなことがあれば伝えてくれ。二度と俺の前に姿を現すな」
「ウッドは短気なんだなぁ」
「生き残るためだ。しかたあるまい」
どうにものれんに腕押しというか、狼男のペースにのせられそうだった。自分を崩さないようウッドは狼男の言葉を突っぱねる。
「で、貴様は俺になんの用だ?」
「別に『竜の力』はいらないが……優勝商品には興味があってね。お前さんが優勝したら、そいつを売ってほしいんだわ」
「名前も知らないヤツに売るものなどない」
狼男は小さくため息をついた。
「マリアベルだ……」
「ふざけた名前だな? 狼男らしくない」
「そう言うなって。で、どうだ? そっちの言い値で構わないから」
余裕たっぷりの口調……言い値というだけでも十分に怪しい。
「だったら貴様もトーナメントに参加するんだな」
「そうくると思って、もう参加は申し込んである。声を掛けた時『あんたも参加者か?』って聞いたじゃないか」
「だったら実力で手にするんだな」
ウッドの言葉にマリアベルは頭をかく。
「それがなぁ、トーナメント表を見るとコイツに当たるんだよ」
指さす先には知った男の名前が記されていた。
――聖騎士セラフ。
「ガーディアンフォースだしなぁ。まあ引き分けがいいところだろう」
「買収する順番を間違えているんじゃないか?」
「お堅い聖騎士様が買収にのると思うかい?」
「そりゃそうだな」
ウッドも皮肉っぽく笑ってみせる。
「だが、俺にも事情がある。『イノセント』を渡すわけにはいかない」
不気味な狼男の誘いにのる訳にはいかなかった。今は強力な武器が必要なのだ。
「そうか……まあいいさ。お互いの健闘を祈ろう」
案外あっさりとマリアベルは引き下がった。通路を進み割り当てられた控え室に入ってしまう。
(――マリアベルは偽名だろうな)
マリアベルの背中に「竜眼」を使用するが、相手のレベルが高いのか、魔法に対するプロテクトをかけているのか判別できない。
セラフの参加とマリアベルの登場。一筋縄ではいかないと思うと、ウッドの口から自然とため息が漏れていた。
闘技場は石畳を敷き詰めた八角形だった。
その中心に褐色肌の少年が仁王立ちしている。
足下には二メートル以上ある、大柄なスキンヘッドの男が倒れていた。肌は褐色というよりも浅黒く、細身だが筋肉質な戦士だった。革の鎧を着用している傭兵風である。
両手に握っていた手斧は闘技場の石畳に転がっていた。
少年は何事もなかったように闘技場の出口に向かう。
歓声が少年をたたえるように大きくなった。
剣は一切使っていない。
今の少年にとって十秒も必要ない相手だった。
相手の首に腕を巻き付け、裸締めでギブアップを奪ったのだ。
巨漢も腕にはそこそこ自信があったらしいが、相手が悪かった。
「勝者! ウッド・サマーズ!」
審判のコールに歓声が沸き上がった。
無名の少年が闘技場でも五指に入る闘士を一瞬で沈めたのだ。
予選を軽々と突破し、ウッドは決勝トーナメントの準決勝にまで上り詰めていた。
そしてあっさりと、決勝への切符をもぎ取ってしまった。
下馬評では今し方ウッドに倒された傭兵が優勝候補だったらしいが、ウッドはそれをあっさりと倒してしまった。
ウッド自身、今の状況が信じられない。ある程度の苦戦は覚悟していたのだが、敏捷性もパワーも自分の力とは思えなかった。
ウッドの能力値は一昨日のゼロシキと遭遇した時とほとんど変わっていない。それどころか武器が弱体化し、総合力は落ちているはずだった。
しかし、素手でここまで勝ち残ってしまったのだ。
新調した剣を抜くことはなかった。抜く必要がなかったのではなく、抜くことが怖かった。明らかに今の自分はなんらかの影響で暴走を始めている。剣を抜くことで制御できなくなる――そんな危惧をウッドは本能で感じていた。
準決勝第二試合は、通路でウッドに懐柔を試みた獣人マリアベルと、二度もウッドの危機を助けた聖騎士セラフの戦いとなる。
二人ともここまで力をひた隠しにしてきたらしく、格下相手にわざと一進一退を演じてきた。
制御に戸惑い圧倒的な大勝を重ねてきたウッドに観客の視線は集まり、マリアベルとセラフの実力を読み違えている。すでに決勝の予想配当が掲示されているが、マリアベルが決勝にあがろうが、セラフだろうが関係なくウッドに人気は集中していた。
ここでウッドが自分が負ける方にベットすれば数百倍の配当が期待できる。だが今は元手もなく、負けるわけにも行かなかった。
控え室を出るとウッドはそのまま客席に向かった。騒ぎを恐れてわざわざ色眼鏡にギターケースを抱えた吟遊詩人に変装している。
闘技場と客席では距離があるため、変装したウッドの正体に気づく人間はいない。それでころか目の前の戦いに、人々は完全に釘付けだった。
聖騎士の長剣が獣人の脇腹をかすめる。
それは完成された「舞い」のように華麗だった。しかも速い。一本の長剣が一瞬で無数に分身し、残像となって相手を襲う。次から次へと突きは獣人に放たれた。しかし、かすりこそするが直撃は一発もない。
獣人もふらふらとした足取りだが、すべてを避けていた。超人的な反射神経を駆使して、紙一重でかわしながらチャンスを待っている。
セラフは違法コードに頼った攻撃をしていない。観客がいるためだろう。おおっぴらに力を使うわけにはいかなかった。
それはセラフをガーディアンフォースと言い切った獣人マリアベルも同じである。おそらくマリアベルも何かしらの違法コードに頼っている。そうでなければセラフ相手に「引き分け」という言葉は出てこない。
違法コードを使うならば、おそらく一回限り。相手の隙をついて一撃で決めなければならない。外せば違法コードの使用を他の人間に感づかれる恐れもある。
「どうした? いつものキレがないぜセラフ?」
「うるさいッ! 黙れ!」
「感情的なんて珍しいもんだな。切っ先が迷いでぶれてるぜ」
刃の嵐を器用に避けながら、マリアベルはセラフに囁く。
「だいたい、なんであなたがわざわざ出てきたんですか? 部屋の奥でふんぞり返ってるのがお似合いだったのにッ!」
「イノセントが欲しいだけさ……それよりお前が感情的になるなんてな……原因はヤツか?」
攻撃の合間にマリアベルが客席のウッドに視線を送った。余裕なのかウインクまでしてみせる。
(――変装を見破った? この距離から?)
偶然なのかもしれないが、マリアベルの視線の先にはウッドが捉えられていた。
一瞬あっけにとられたが、ウッドはそれで逆に気づく。
石畳のリングで相まみえる二人の口が動いている。
会話しているのだ。
「……うるさいッ!」
セラフが突きから攻撃の軌道を斬りに変化させる。
「安藤夏樹か……おもしろいヤツじゃないか」
ビュンッ!
大振りになった長剣が空を切る。
その隙をついてマリアベルがセラフの背後に回った。
「挑発にのるなんざ、らしくない……」
「黙れッ!」
振り返り様に長剣を払う。
セラフの表情は切迫していた。
マリアベルはその一撃を読んでいたのか、腰をかがめてかわすと、セラフの喉元に爪を突きつける。
「勝負ありだな……動けば遠慮なくズブリといくぜ」
「……さすが魔獣王といったところですね」
「かわいくねぇの。お前一生恋人できないぜ」
「うるさい……もう恋人なんて私には必要ない」
呟きながら、セラフは剣を捨てた。
「勝者! マリアベル!」
ジャッジの言葉で獣人は両手をあげて観客に振ってみせた。
準決勝でマリアベルの見せた体裁きに、観客たちの評価が割れ始める。オッズは六対四にまで差を縮め、ウッド優位の声は健在だが予想は困難になっていた。
決勝開始まで十分ほど時間がある。
ウッドは控え室で呼び出しを待った。
長椅子をベッドのようにして、仰向けになりながら石造りの天井を眺める。
(――カーナのやつ、今頃なにしてるんだろうなぁ)
おぼろげに考えていると、不意に部屋のドアがノックされた。
「開いてるぜ」
上体を起こすのと同時に扉が開いた。
まだ開始まで時間がある。呼び出しでなければなんの用件だろうか。
「……ウッド・サマーズさんですね?」
蒼い髪の女性だった。扉を半分開き、通路からウッドを見つめている。
部屋に入ってくる様子はない。
声色は大人の女性が持つ包容力のあるものだが、少しだけ悲しげに聞こえる。
どこかで見たことがあるのだが、ウッドは思い出せない。
「あんた誰だ?」
係りの人間でないことはすぐに察することができた。
法衣に身を包んでいるので僧侶かなにからしい。
「自己紹介は後にします」
「ずいぶん勝手だな」
「今は一刻も早く、あなたに伝えたいことがありまして」
「情報料を払う気はないぞ。まあ先立つものも自体持ち合わせていないんだがな。……愛の告白ならいつでも歓迎だ」
皮肉っぽく笑ってみせるが、法衣の女は毒気を抜くように穏やかな微笑を浮かべていた。
「調子が狂うな……」
「そうですか」
落ち着いた声色には、カーナにない大人の魅力で満ちている。
「で、情報ってのはなんだ? 貴様のスリーサイズなら歓迎だ。まあ、加えてマリアベルの弱点なんて教えてもらえれば満点なんだが」
女は無言で首を左右させた。
「次の戦い……あなたに辞退して頂きたいんです」
「そいつは困る。……何かと思えばまたその話しか……マリアベルにいくらもらったんだ?」
「違います。できることならば……もうあなたにはこの世界にとどまってほしくないのです」
「なに言ってるんだ貴様? 俺がどこにいようと俺の勝手ではないか? ケンカ売ってるのか?」
悲しげな瞳で法衣の女はウッドを見つめる。
「もうすぐこの場所で……虐殺が始まります。ゼロシキはイノセントを利用して、世界の果てを越えようとしている」
ウッドがとっさに身構えた。
「今なんて言った!」
「わたしは聖母ラヴィナス。厳密にいえば、ラヴィナスのプレイヤーに残された心……。ゼロシキによってすべてが崩壊する前に、せめてあなただけでも逃げてください」
そこまで告げて、法衣の女――ラヴィナスは扉を閉めた。
「待て!」
立ち上がり駆け寄ると扉を開く。
通路に出るが左右を確認してもそこにラヴィナスの姿はない。
通路は二つに分かれていたが片方は袋小路だった。
必然的に出口方面に向かって走る。
通路の角にさしかかると、突然死角から人影が現れた。
ガツンッ
衝突してウッドが仰向けに倒れる。
「だあ! 邪魔だッ!」
「あなたの方こそいきなりなにをするんですか?」
ウッドが立ち上がると、そこには聖騎士セラフが尻餅をついていた。
「おい、女がこなかったか? 蒼いウエーブがかった長髪で、法衣を着てる」
「知りません。それよりも私への謝罪はないのですか? 私は結果的にあなたを二度も助けているというのに、恩を仇で返すとはまさにこのことです」
ぶつぶつと呟きながらセラフもゆっくり立ち上がった。
「貴様に構っている暇などない」
女を追う方向を間違えたのか、ウッドはセラフに背を向ける。
ぐいッ
「お待ちなさい」
ウッドの肩をセラフは鷲掴みにする。
「離せ!」
「誰を追っているのかは知りませんが、反対側の通路を進んでも行き止まりですよ。空間跳躍で逃げられたのなら追っても無駄です」
セラフの腕を払いのけると、ウッドは大きくため息をついた。
「ったく、今日は最悪な一日だ」
「私も同感です」
「負け犬……」
ウッドは聞こえるようにボソリと呟いた。
「……そういうことを口にすると、マリアベルの情報を無償で提供してあげようとした私としては、かなりその気が削がれるのですがね」
「待ってくれ! 俺が悪かった」
ウッドのキャラにしてはらしくないが、両手を胸の前で合わせてウッドが詫びる。
「ふぅ。まあ良いでしょう。これで貸し二つです」
「おい、無償じゃねぇのかよ?」
「だいたい、なんで私があなたを助ける義理があるのですか?」
「自分で情報提供するとかほざいたくせに、貴様矛盾してるぞ!」
セラフは小さくため息をつくと、ぐっとウッドの顔に自分の顔を近づける。
「な、なんだ……」
「貸しを一つ、返してもらいます」
突然の出来事にウッドは反応できなかった。
いきなりセラフの唇が、自分の唇に重なり合ったのである。ウッドは一瞬あっけにとられて反応できない。
「――ッ!?」
慌てて払いのけると、ウッドは三歩下がって目を丸くした。顔から血の気が引いていく。
「安心なさい。私は女です」
「声が男じゃねぇか!」
中性的だが、少し男っぽい声色だった。
口調も相まってより男っぽく聞こえていたのだ。
「ですが私はキャラクターデータを女として作っていますよ。声は少しいじってありますがね」
「ったく、なんなんだ。キスされるとは思わなかったぞ」
「私も初めてです」
セラフは淡々と言ってのけた。
「無茶苦茶なヤツだな……ガーディアンフォースがこんなことしてていいのか?」
ようやく落ち着きを取り戻し、ウッドは皮肉めいた口調でセラフをねめつけた。
「セラフはウッドのことが好きになってしまったんです。一目惚れ……それではいけませんか?」
「いけませんか……って、おいおい冗談じゃねぇぞ。俺はまっぴらゴメンだからな」
ウッドの鼻息は荒い。
「そ、それよりも貴様の情報をよこせ! こんなことしておいてやり逃げはないだろう?」
「いいでしょう。貸しは今ので帳消しにして、ここからは貸し借り無しの無償の情報です」
セラフの言葉を遮るように、突然控え室通路の上の階から悲鳴があがった。
「……この上は……観客席かッ!?」
ウッドがセラフを横切り、観客席に向かう上り階段に走る。
「どうしたんですか?」
「考えたくはないが……おそらくゼロシキだ」
たった一言でセラフはすべてを理解すると、ウッドの後を追うように階段を目指した。
ウッドとセラフが控え室通路から客席に出ると、そこかしこに首のない死体が転がっている光景が視界に広がった。
客席の出口はすべて門が閉じられている。
白い長髪を振り乱し、次々と観客たちの首をはねていく。
中には果敢にも剣を構えるなり、魔法で応戦を試みる者もいた。しかし剣の一撃は手応えもなく、魔法も一切通用しない。
それでもゼロシキを闘技場の中央に追い込むと、十数人が取り囲み牽制する。
集中攻撃で倒そうというのかもしれないが、何人束になろうと倒せるような相手ではない。悲劇といえば、取り囲んだ連中がそれに気づいていないということである。
白髪を振り乱し、男――ゼロシキは大きく跳躍した。
寄せ集めの陣頭指揮を取っていた浅黒い肌の傭兵に飛びかかる。
両手に構えた手斧を傭兵は胸の前で交互させた。
ザシュンッ!
ゼロシキの手刀が手斧ごと傭兵の首をはねとばす。後は一方的な虐殺だった。
男だろうが女だろうが関係なく、ゼロシキは次々と立ちはだかる人間を殺していく。
戦意を喪失し、両手をあげようと関係ない。
ゼロシキの狙いはすべて肩より上――顔を中心としていた。
ウッドは思い出す。
ニュースで聞いた話だが、顔というのは心理学的に「人格」を現すものだった。
若年層の凶悪犯罪が話題となった二十世紀最後の年、犯罪の多くに見られた特色に、相手の顔を傷つけるという傾向が見られていたらしい。
ゼロシキが破壊しているのは、プレイヤーキャラのデータだけではなく人格そのものといえた。
「どうします?」
傍観している間にも、ゼロシキによって次々と犠牲者が増えていった。セラフの問いにウッドは小さくため息をつく。
「武器がないな……」
大剣の入ったギターケースは控え室に置いたままだった。それも通じるかどうか疑問である。
取りに戻っている時間はない。
「なら聖火塔を目指しなさい」
セラフが指さす先には炎の柱を冠した石造りの塔が立っていた。衛兵はすでに逃げてしまったのか姿がない。
「時間は私が稼ぎます」
セラフが長剣を抜き払った。そのまま中央のリングに駆ける。
ウッドは人混みを掻き分けながら、客席を迂回して聖火塔を目指した。
「おっと、お前さんも狙いはこいつかい」
聖火塔の前に黒い獣人――マリアベルが立っている。
その右手にはぐったりとした衛兵が掴まれていた。
「殺したのか?」
「ちょっと気絶してもらってるだけだ」
無造作に衛兵を投げ捨てると、マリアベルは聖火塔の扉に手を掛ける。
金属製の重厚な観音開きの扉だった。
「お互い火事場泥棒とはなぁ」
「貴様には悪いが、イノセントは俺がもらう」
今はマリアベルに構っている場合ではない。だがこの獣人をどうにかしなければ、ゼロシキを止める武器を手にすることはできないのだ。
「おっと、そう早まるんじゃねぇよ」
扉の鍵を力ずくで引きちぎり、マリアベルは扉を開いてみせた。
「所有権が俺にあればいいんだ。お前さんに貸しておいてやる。それでどうだ?」
「持ち逃げするかも知れねぇぜ」
「お前は逃げられないよ。こっちで彼女を保護してるんだからなぁ」
マリアベルの口調は余裕たっぷりだった。
「彼女……だと?」
「カーナという盗賊の名前……知らないとはいわせねぇぜ。彼女は我々ノース一家で預かっている」
ウッドの表情が苦虫をかみつぶしたようになる。
「カーナは無事だろうな?」
「お前の返答次第だよ」
「信用できん」
「だが、お前は信用する以外選択肢はない……違うか?」
リングの中央から剣戟と轟音が響いていた。セラフがゼロシキを相手に一進一退の攻防を繰り広げている。
「分かったよ」
「なら、中へどうぞ……破竜剣士殿」
皮肉っぽいマリアベルの口調に怒りを抑えながら、ウッドは塔の中に踏み込んだ。
暗い塔の内部。
筒状の建物の中心に、淡い光りが差し込んでいた。
台座の中心に蒼い宝玉が備え付けられている。
(――武器じゃないのか?)
イノセントの情報は皆無だった。
おそらく、対面するプレイヤーはウッドが初めてなのだろう。
自然とウッドの足は台座に向かっていた。
蒼い宝玉は神秘的な光をたたえている。
台座の前に立つと、自然と右手が宝玉に伸びていた。
触れると温かい光がウッドの視界を埋め尽くす。
「ついに、私に触れる者が現れたのですね」
光の中から聞き慣れない声がウッドに問いかける。
「おい! イノセントは武器だったんじゃないのか?」
焦りからウッドが叫ぶ。
この一瞬にもゼロシキの凶行は続いているのだ。
セラフがどこまでくい止められるかも分からない。
「私はブルー。マザーブルー。この世界の管理者……イノセントは残された希望なのです。無垢なる魂なのです。イノセントである彼女が消えてしまえば、この世界は崩壊するすべを失ってしまう」
視界は光で包まれ、自分がどこに立っているのかも分からない。
その中にうっすらと女性のシルエットが浮かぶ。
「カーナ!?」
光の中に浮かび上がったカーナは首を左右させた。
「ゼロシキによってすべての種が刈り取られる前に、私はあなたに彼女を託します」
「待て! 話しが見えてこないぞ! 貴様の勝手な都合を並べられても俺には……」
「すでにあなたには私の力を分け与えてあります……どうかカーナを……無垢なる魂を導いてあげてください」
声がとぎれると光が止んだ。
宝玉が消え去り、塔の暗い天井だけが見える。差し込んでいた光も消え失せていた。
代わりにウッドの右手に大振りの両手剣が握られていた。
蒼い刀身に無駄な装飾は一切見あたらない。ただ、柄と刃の中間に、先ほどの蒼い宝玉がはめ込まれている。
「これが……イノセントなのか?」
ウッドの手にしっかりとなじむ。まるで自分のためだけに作られたのではないかと思うほど、その剣は身体の一部のように手に吸い付いた。
今手にしたばかりなのに、長年使い込んだ道具のように懐かしいとさえ思える。
「無垢なる剣……」
ウッドの口から自然と言葉が漏れていた。
塔を出るとマリアベルの姿は消えていた。
違法コードを使って自分だけ脱出したのかもしれない。周囲から黒い獣人が秘めていた殺気のような気配は消え失せていた。
逃げ場を失った人々は、自分たちの運命を託すように闘技場の中心で行われる二人の戦いに見入っていた。
聖騎士とゼロシキ。
聖騎士が光の矢を無数に放つ。剣の先から放たれる矢はゼロシキの身体に突き刺さりこそするが、ほとんどダメージを与えられていない。
「どうした人間?」
ゼロシキの腕がセラフに伸びる。
十数メートルの距離から、ゴムのように伸びるとその首を握りしめた。
「……くうッ」
圧力に意識が遠ざかり、セラフの手から長剣が落ちる。
そのままゼロシキはセラフの身体をたぐり寄せると、両手でセラフの首を締め上げた。
「なぁ、お前が俺を作ったんだよなぁ。どうだ? 自分が作り上げたモノに傷つけられ、苦しめられ、殺される気持ちは?」
一気に止めを刺そうとはしない。
徐々に力を込め、セラフのもがき苦しむ表情を楽しんでいる。
「安心しろ。お前もしっかりと殺してやるよ。命と引き替えにマザーシステムを破壊してやる。お前が家族を憎んだように、俺も連中が憎くてたまらないのさ」
「……零……式……ごめん……」
「哀れむんじゃねぇよ」
ベキイィィッ
瞬間、セラフの身体からすべての力が抜け落ちた。ボロ雑巾を投げ捨てるようにゼロシキはセラフを放り出す。
客席から悲鳴があがった。
「いるいる。人間も同類も……今日の狩りは関係無しだ……皆殺しだよ」
ゼロシキは品定めをするように客席を見回した。だが、動きを止める。
得体の知れない気配を背後に感じたのだ。
「ウオオオオオオッ!」
避ける必要はない。
この世界の法則に従っている人間に、自分を傷つけることなどできないのだ。
ゆっくりと振り返る。
褐色肌の少年が剣を構える。その瞬間が視界に入った。
「ブルーか!?」
ゼロシキの口調には明らかに焦りのようなものが混じっていた。
「黙れッ!」
ウッドが剣を振り上げる。
グワンッ!
振り下ろされた長剣を、ゼロシキは右手で受け止めようとする。ゼロシキの指先から波紋のような空間を歪ませる力が発生していた。
すべての攻撃を無効化させていた特殊なフィルターである。しかし、ウッドの放った一撃はこのフィルターを突き破ると、ゼロシキの右腕を切り落とす。
「……痛みだと……この俺が」
ゼロシキは困惑した。
先日目の前の少年から受けた時よりも、はっきりと痛みを感じる。
自覚した瞬間にゼロシキは悲鳴をあげた。
「イタイイタイイタイイタイ痛イ痛いッ、痛い……ヒィッ! ヤメロ! 痛いんだ! 俺を……拒絶しないでくれッ! 痛いんだよぉ!」
子供のようにゼロシキは泣き崩れる。
切り落とされた右腕を拾い上げるが、腕は空気に溶けて消えてしまった。
「寒いぃ……」
「黙れゲスが……。貴様はその何倍も痛みを与えてきたんだろうが」
ウッドはイノセントを振り上げる。狙うのは頭部だった。
「お前もぉ、お前も俺を殺すのかぁ。俺は生きていたいだけなんだ」
白髪の男は顔をあげる。
長い髪が覆っていた素顔がさらされた。
「……なッ」
似ている。ウッドの知る人間の顔がそこにはあった。
細くやつれてはいるが、それは現実の彼女とうり二つだった。
振り下ろそうとした剣から力が逃げていく。
「悠……さん」
泣き崩れるゼロシキは、瀬良悠そのものだった。
【何者かが侵入してきました】
ゼロシキを庇うように、空間から法衣の女が現れウッドの前に立ちふさがる。
「やはりあなたは逃げなかったのですね?」
聖母ラヴィナス。彼女の失踪と同時にゼロシキの噂が流れはじめ、今に至る。
真相を知る一人……なのだろう。
「行きましょう」
しゃがみ込み、ラヴィナスは泣き崩れたままのゼロシキを抱擁するとウッドに視線を送った。
「現実と仮想との繋がりは、あなたが思っているよりも深く、そして誤解に満ちているわ。わたしはあなたを知っている。でも現実に戻るとその記憶は無くなってしまうの。気をつけて……もうあなたも洗脳されているかもしれない」
唖然とするウッドの目の前で、二人の姿は空間に溶けて消えてしまった。
10(現実5)
事件から一時間。闘技場は完全閉鎖されてしまった。
ミコノスの発表では「イノセント・ブルー」内に重大なバグが発見された……となっている。また、メンテナンスを名目に「イノセント・ブルー」そのものへのアクセスが禁止となってしまった。
この影響なのか、東京と羅寺御市を繋ぐ海底リニアの運行に異常が発生したらしい。
市内のコンピューターはすべてが繋がっている。中でも「マザー・ブルー」はそれらのコンピューターの中核となっているため、イノセンで使用されている同型が停止したとなると、どこで不具合が発生するか予測もつかない。
今回は深夜だったこともあり、リニアの誤作動も事故には繋がらなかったが自動運行システムの危険性が浮き彫りとなった。
深夜に組まれた報道特別番組は、その模様をひっきりなしに伝えている。
少年は受話器を取っていた。
ベッドに腰掛けながら男の言葉を待つ。
「……で、マリアベルは僕の正体を知っている。なのに僕は何一つ知らない。いったいなにを企んでいるんだ?」
安藤は催促するように聞く。
「お前が全部知る必要はないだろう?」
受話器越しに聞こえたのは、先ほど闘技場で会ったばかりの黒い獣人、マリアベルの声だった。
「ウッド……いや、安藤夏樹。お前さんにゃ力があるんでな。利用させてもらってるだけだよ」
軽い口調で小さく笑う。
電話の液晶は非通知となっていた。
「ま、さっきも言ったが、この電話はアメリカの国際電話を介して日本のお前の家に繋がっている。逆探知なんて無粋な真似は無しにしようや」
マリアベルの口調には余裕があった。自分の正体がバレないという絶対の自信があるらしい。
「……用件は?」
「カーナがいうことを聞かないんでな。イノセンが復旧次第、こちらの指定する場所に来てもらおう」
マリアベルについて分かっていることといえば、ノース一家が背後についているということだけだった。
そして、カーナは今ノースによって捕らえられている。
確証はない。
「まあいい、どっちみちノース一家は潰すつもりだった」
安藤の中のウッドが呟く。
「いいのかねぇ、そんな口聞いて? 君の愛しいカーナが苦しむかもしれない」
「第一カーナはゲームの中の存在だ。直接彼女に危害を加えられるわけがないだろ?」
マリアベルは声をあげて笑った。
「なにがおかしい?」
「じゃあ聞かせてやるとするか……」
受話器から数秒の沈黙……そして、小さくか細い声が響く。
「……さん……、ウッドさん……」
「カーナなのか?」
受話器越しに響く声は、確かに聞き覚えのある少女のものだった。
「ボイスマスクを利用すれば、誰だってなりすませることができるだろ?」
「……ごめんなさい……約束、守れなくて……ずっと一緒に……いられなくて」
安藤の背筋に汗が浮かぶ。
「約束って……」
「血判状の……約束……」
血判状のことを知るのはウッドとカーナだけのはずだった。
「俺を監視していれば……演技だって」
「……信じてもらえない方が……いいんだよね……ウッドさん」
震える少女の声に安藤は悩む。
彼女が彼女では無い可能性を、否定することができないからだ。
「分かってる……だから、もう来ないで。ウッドさんは、もう、ここに、来ちゃだめ」
とぎれとぎれの言葉が受話器越しに遠くなっていった。
「カーナッ!?」
「っと、タイムアウトだ……まぁそう熱くなるなよ。信じる信じないはお前の自由だが、さっき伝えた指定の場所で待ってるぜ。真相を知りたかったら来ることだ……じゃあな」
カチャン……ツーツーツー
切られてしまった受話器を、安藤は力無く置いた。
現実と仮想の境界線が曖昧になっていく。
一つ一つを整理していかなければならない。
登場人物――自分も含め、状況を考えていく。
まず、安藤夏樹。羅寺御中央高校二年D組。どこにでもいる普通の高校生。だが、今は「イノセント・ブルー」を通じてなにか事件に巻き込まれようとしている。
瀬良悠。安藤夏樹が憧れる天才少女。彼女はゼロシキの情報を集めていたが、その理由は分からない。否定はしたがイノセンをプレイしている可能性もある。
彼女がカーナだとも考えられた。
しかしあくまで可能性の話しで、なんの確証もない。
そして、イノセンの中で出会った狂気の存在――ゼロシキの顔は悠とうり二つだった。二人の間にはなにか関係があるのだろうか?
北周真。ゼロシキと接触したのは、この青年に呼び出されことがきっかけだった。
状況証拠にしかならないが、彼がウッドとカーナを呼び出したのもゼロシキを使って二人を抹消しようとしたためなのかもしれない。しかしそれも聖騎士セラフの助けと、ウッドの暴走で退けることができた。
相模桂。安藤のクラスメート。いつも高慢な態度で安藤に絡んでくる。
これも推測でしかないが聖騎士とイメージが重なる部分はある。
だが、だからといって彼がセラフである可能性が高いとはいない。男が女を演じることもできる曖昧で嘘に満ちた世界……確証と思える事実を掴んだとしても、疑う要素はいくらでも出てきてしまうのだ。
針生貴史。北周真によって校舎裏に呼び出されたのまでは目撃したが、その後の消息は不明だった。肝心の北にそのことを問いつめたが、「イノセン内で話す」と言われ結局安藤はおびき出されてしまった。
なにかを知っているはずだが、彼の行方を知るのは北周真だけである。
そして、イノセン内の人物たち。
ウッド・サマーズ。安藤の分身である剣士で、先日ガイアドラゴンを撃破し竜の力を得た。その後ゼロシキの情報を追ううちに、盗賊カーナと出会い、カーナを執拗に追っていたノース一家と対立することになる。
北周真に呼び出された城壁前で、ゼロシキと初めて戦闘を行い惨敗。しかしウッドはその時のショックでなにかが覚醒したのか、コントロールを失って暴走……ゼロシキを退ける。
その後ゼロシキと戦うための新たな武器を求め、闘技場の「女神杯」に参加。
闘技場に現れたゼロシキを賞品だったイノセントを使い撃破し、今に至る。
カーナ。ウッドを慕う盗賊の少女。ノース一家に追われていたところをウッドに助けられ、無理矢理血判状を書かされて奴隷にされてしまう。が、本人はその境遇を楽しんでいるようにも思えた。
ウッドがゼロシキと戦闘を行った城壁前で、彼女はノースの手先である鼠獣人と会話をしている。
そして、その後の戦闘でゼロシキはカーナを「同類」と言った。因果関係があるのだろうが、真相を知るためにも彼女にもう一度会う必要があった。
しかし、今の彼女はノース一家のマリアベルに捕らえられている。
ノース。サウススラムを牛耳る男。その正体を知る者は少ない。多くの手下を従えており、逆らう人間には容赦をしないというのが風説だった。理由は分からないがカーナを追っており、現在カーナはノースの手の内にあるらしい。
マリアベル。闘技場で出会った「謎を知る」男。ノースの配下の獣人らしく、イノセントを狙ってウッドに接触を試みた。聖騎士セラフとはなんらかの因縁があるらしい。
聖騎士セラフ。ウッドの危機を二度救ったが、闘技場でゼロシキの餌食となってしまう。ハスキーな声のため男かと思われていたが女性だった。ウッドの唇を奪うなど時より意味不明な行動をするが、イノセン内で不正をただす組織「ガーディアン・フォース」の一員らしい。
ガイアドラゴンと、情報屋グレイファ……。
カーナと会ってからウッドは情報屋を利用していない。このグレイファは、マリアベルとは兄弟関係にあるらしくウッドの情報を流した可能性もある。
ガイアドラゴンについては、グレイファの情報で「違法コード」を使用していたと聞いていた。ガーディアンフォースの処罰された可能性もある。ガイアドラゴンのデータ自体が消えていたというのだ。
(――疑い始めればきりがない)
時刻は午前五時にさしかかっている。
端末からイノセンの回線を開こうと何度か試みたが、結局繋がることはなかった。
その日の授業は普段以上に身が入らなかった。結局昨晩から睡眠をろくにとらず、安藤は教室で眠りこけた。授業どころではない。
学科の教師たちも諦めたのか、もともと諦めるほど期待もしていないのか、安藤が熟睡していることを誰も言及しようとはしなかった。
移動教室の時にはのっそり起きあがり、体育の時間はいつのまにか体育倉庫に入り込んで、眠りこける。チャイムで起きては次の授業の教科書だけを机の上に出し、ひたすら眠り続けた。
時々断片的だが、栗毛色の瞳が安藤の脳裏に浮かぶ。カーナの顔だった。いつも笑顔だった彼女の顔が、夢の中では恐怖に怯え震えている。
気づくと五時限目も終わりホームルームだった。
ぼやけた目で黒板の方に視線を向けると、担任に悠と相模委員長様が呼ばれていた。
そういえば昨日突っぱねてしまってから、悠とはろくに口も聞いていない。
いつも彼女から話しかけてきたのだが、今日は視線を合わそうしないのだ。
安藤が眠っていたというのも原因なのだろうが、悠の態度は輪を掛けてよそよそしいものだった。
「じゃあ、緊急で悪いが今夜までに資料の作成を頼むよ。ネットワーク事故でデータ受信ができないので学校の端末を使ってほしい。今日は開けておくよう手配しておく。瀬良君なら簡単だろう? 君の父親は」
「分かりました」
担任が言い終える前に、悠の冷たい視線がそれを無理矢理封じ込めた。時々悠は氷のように冷たい表情をすることがある。
大の大人が十六〜七の少女に臆するというのも格好悪いが、悠の持つ威圧的な視線は人間そのものを否定するような冷たい輝きがあり、相手を黙らせてしまうのだ。
安藤自身そんな悠のことをずっと見ていて知ってはいるが、自分にそれが向けられたことはない。それでも十分にその瞳の持つ冷たい力は伝わってくる。
悠は無言で担任からディスクを受け取った。どうやら生徒会関係の仕事らしい。
委員長はさしずめその補佐といったところだろう。
どこにでも見られる、普通の高校の光景に安藤は眠い目をこするだけだった。
チャイムが鳴り、一礼すると下校となる。
結局北周真は現れなかった。
今は現実にヒントを見つけることができない。そう思うと安藤は足早に家路についた。
11(イノセント6)
サウススラムの中心に、城のような建物があった。
周囲を石壁がぐるりと取り囲んでいる。さながら城壁だった。常に腕利きの傭兵たちが警備を怠らない。
門を前でウッドは小さくため息をついた。
「来てやったぞ! とっとと開けるんだな!」
門番は今し方張り倒したところで、ウッドの足下で気絶していた。
呼びかけに応じたのか門はゆっくりとひとりでに開き、ウッドを敷地に招き入れる。
古びた洋館を改装したらしく、外見こそやや年代物ではあったが、内装は新築したてのようにこぎれいだった。
執事風の男に連れられウッドは執務室に通される。
テラスのついた出窓の前に大きめの机がある。背もたれと肘掛けのついた革張りの回転椅子に、そいつは座ってタバコをふかしていた。
「よぉ、ひさしぶり」
執事が主人に一礼して部屋を出る。
「どういうことだマリアベル?」
ノースの館の……その主が座るべき椅子に、黒い獣人はどっしりと腰を落ち着かせていた。
「そうだったな。まだ正式な自己紹介をしていなかった。俺はノース・マリアベル。この界隈を仕切ってるボスなわけだ」
犬面人はタバコを灰皿に押しつけた。
「ノース……そういうことか?」
最初から胡散臭いとは思っていたが、どうも目の前の獣人が言うことは本当らしい。
執事の男の態度一つみても、それが十分に伝わってくる。
「カーナはどこだ?」
「焦るなって。ついてこい」
獣人は立ち上がるとウッドを連れて執務室を出た。
地下へと続く長い螺旋階段。
ゆっくりと降りていくと、そこは牢屋だった。
下水の流れる決して快適とは言えないじめじめとした場所である。
「カーナをこんなところに閉じこめたのか?」
「その前に見せたいものがある」
マリアベル――いや、ノースの口調は冷たい。
石畳に鉄格子の殺風景な空間。流れる下水の音だけが地下道に響いていた。
連なる石牢の前でノースが立ち止まる。
「こいつに見覚えはあるな?」
牢屋の中には、両手首を鉄の鎖で繋がれた獣人が壁にもたれかかっていた。
「グレイファ!?」
「あ……ああ、ウッドの旦那かぁ」
声に気づいて灰色の狼男は首をゆっくりとあげる。
「ウッド。お前の情報はこいつから聞いたんだ。ガイアドラゴンを倒したのは……ウッド・サマーズに違いないってな」
「ち、違う! 旦那を裏切ったつもりはないんだ! 言わなきゃ殺されちまうんだよ!」
両手の鎖をガチャガチャとならしながら、グレイファは声をあげる。
「まぁ、ちょっと痛い目にはあってもらったが……おかしいだろう? こいつらにとっちゃ、この世界の痛みは実際の痛みとなんら変わらないんだぜ」
ノースがグレイファの怯える瞳を見据える。
「こいつら……って」
「分からないのか安藤? こいつは人間じゃない」
「見れば分かる……獣人だろ?」
「バカ言うな。こいつはノンプレイヤーキャラなんだよ。こいつを動かしてる人間なんていないのさ。だからリセットもできない。拘束されればここから出ることもできない」
ノースが鼻で笑った。
「どういうことなんだ?」
ウッドがグレイファに視線を向けると、グレイファはうつむいてしまった。
「それを知りたければついてくるんだな」
グレイファの檻を横切ると、ノースはその先の闇に消えていった。
少女がうずくまっていた。
服は引きちぎられ、今はボロ布を全身に巻き付けている。全身に痛々しいほどの火傷や切り傷の痕があった。
牢屋の隅で震える彼女に、ノースが声をかける。
「連れてきてやったぜ」
牢屋の中のカーナにウッドは言葉を失った。
「カーナになにをしたッ!」
「拷問だよ。なかなか強情で骨が折れた」
ウッドはノースの襟首を掴み上げる。
「おいおい、なに熱くなってるんだ? この世界じゃ拷問はありふれた行為じゃねぇか? それにこいつだって言い換えりゃ数字の羅列なんだぜ?」
「だからって、こんなことをして許されるのかよ?」
「安藤……冷静になれよ。こいつはお前を洗脳しようとしていたんだ。なぁ? カーナ」
ノースの言葉に、うずくまったままカーナは小さくうなずいた。
「ゴメンナサイ……安藤……夏樹さん」
泣いていた。蚊の鳴くような小さな声でカーナは呟くと嗚咽をあげる。
「なあ、教えてくれ……俺には分からない! なんでカーナはこんなにも傷ついているんだ? ノース、お前はいったい誰なんだ! この『イノセント・ブルー』はいったいなんなんだ! ここは現実なのか? ここはゲームの中なのか!?」
ノースの襟首を離しウッドは叫んだ。
「カーナ……約束通り安藤夏樹を連れてきた」
ノースが牢獄の鍵を開ける。
「話してもらおうか。マザー・ブルーがなにをしようとしているのかを?」
カーナは立ち上がると、ふらふらとした足取りで牢屋を出て、呆然としたままのウッドに抱きついた。
「夏樹さん……」
「違う……俺はウッドだ」
呟きながらウッドはカーナをぎゅっと抱きしめた。
すべては「ミコノス」の……いや、瀬良悠人の手で行われたことだった。
ミコノスの発表した新型オペレーティングシステムには、最新の人工知能が組み込まれることになっている。
その人工知能の大元となったのが、瀬良が開発した「マザー・ブルー」である。
しかし、開発段階の「マザー・ブルー」の人格データは不完全だった。
そのため、あらゆる人間の感情や、思考を吸収するための試験場が必要だったのである。
「それが『イノセント・ブルー』なんだな?」
ノースの問いにカーナは首を小さく縦に振った。
応接室のソファーにウッドは掛けている。
カーナは対面の席に座って真相を伝えた。
ボロ布の代わりに、今はYシャツとジーンズを着用している。
「じゃあカーナは……」
「マザーによってこの世界に作り出された人工知能です。人工知能の目的は、人間とふれあって……成長して……最終的にはその相手を魅了することでした。夏樹さんにも……部分的に洗脳を施しました」
「俺が……洗脳だって?」
「例えば、現実世界に好きな人がいたとしても、その人ではなくあたしを選ぶように……するとか」
震える声でカーナは呟く。まるで安藤が抱いていた悠への憧れを知っているようだった。
今の話しだけでも信じられないが、安藤には心当たりがある。
憧れの悠に冷たい態度をとってしまったのだ。
「ミコノスの目的はなんなんだ?」
ノースの言葉にカーナは首を左右させる。
「わかりません。だけど推測はできるんです。このシステムが製品化されると、システムを少し変更するだけで使っている人間の意識を変えることができて……だから、ミコノスの商品ばかり買うように洗脳することもできます……でも、もっと怖い使い方だってできる」
「例えば自殺に追い込むことは?」
ノースの言葉にカーナは首を小さくうなずいた。
「洗脳音波には催眠効果があります。でもそんなことをするようにはできてないんです。あたしたちは、人間のパートナーになるように作られた。もしそれをするとすれば……彼だけです」
「……ゼロシキ」
ウッドが自然と言葉を口にしていた。
「ゼロシキがなんで生まれたのかは分かりません。バグなのかもしれません。でも、彼をこのままにはできないんです」
「一連の行方不明事件の裏が……これとはな? どうりで警察に親父の圧力がかかるわけだ」
ノースが独り言のように冷淡に呟いた。
「ゼロシキはあたしの仲間を皆殺しにするつもりです。城壁前であたしと話しをしていた鼠男さんも、同じ人工知能で……ノースさんのところに入り込んだスパイだったんです」
自分を拷問したノースさえもカーナは敬承する。
「ったく、人間をバカにしやがって」
ノースの言葉にカーナは肩を震わせた。恐怖や悲しみといった、負の感情がカーナの全身を包み込む。
「だが、ゼロシキは人工知能以外のプレイヤーにも牙を剥き始めた。そして針生貴史もその餌食になったわけだ」
「針生……?」
ウッドの顔をまじまじと見つめて、ノースはうなずくと口を開いた。
「ガイアドラゴンだ。俺もゼロシキを追っていて、あのグレイファが情報を知っているところまでたどり着いた。ガイアドラゴンはゼロシキによって消去されたようでな。その直前に戦っていたのが……ウッド・サマーズだ。ウッドとゼロシキの因果関係を調べるため俺はお前を監視した。しかし、どうもゼロシキとは無関係のようだな……今確信したよ」
ノースの顔が笑ったように見えた。
「警戒はお互い様だな。俺――ノース・マリアベルのプレイヤーは北周真だ」
「なんだって?」
ウッドが目を丸くした。
「ついでに言うと、あの聖騎士だが……お前の大好きな瀬良悠だぜ。このシステムを作った瀬良悠人の一人娘さ」
次々とウッドの中で現実と仮想が繋がっていく。
「さて、そろそろ対策の話しをしようじゃないか? このミコノスの人工知能システムはヤバすぎる。といっても俺が親父に言って開発中止まで圧力がかけられるわけでもない。残念ながら、俺の親父はミコノスと連んでる政治家でな、金のことしか頭にないんだよ。事件の真相は隠蔽するのも全部利益のためってわけだ」
自虐的な笑い声のノースに、ウッドはゆっくりと口を開いた。
「対策……だって?」
ウッドの視線がカーナに移る。
「この世界を消す。それ以外に被害者を増やさない方法はないだろ?」
「そんなことをすれば……カーナは?」
「いいんです夏樹さん。あたしはこの世界にいたらいけない存在なんです。不自然な存在なんです」
彼女は笑顔を浮かべてみせた。
瞳はおぼろげだが、今できる精一杯の笑顔だった。死を……覚悟しているのだろう。
「カーナのせいじゃないんだろッ! ゼロシキをどうにかすればいいんだろ?」
「ダメです。ゼロシキは……少しずつ力をつけています。学習して、成長して……マザーシステムを乗っ取ろうとしてるんです……今はマザーが世界を壁で覆っています。でも、その壁が無くなれば、ゼロシキは世界中のネットワークを伝ってしまうんです」
ウッドにはまだ信じられないことだった。カーナが言おうとしていることもおぼろげにしか理解できない。
「ゼロシキの目的はなんだ?」
ノースの質問は冷淡だった。
カーナを情報源としか考えていないのだろう。ノースにしてみればカーナはただの人工知能でしかない。
「おそらく……人の消去……ゼロシキは人間への怒りの気持ちや、憎しみばかりが強すぎます。あたしたちは、イノセント・ブルーの中でたくさんの人たちとふれあって成長するはずでしたが、この世界には暴力や怒りや憎しみばかりが溢れてしまいました。ゼロシキはそれを吸収して成長したみたいなんです……だから、相手を殺すことに執着していて……人工知能は殺せば終わりだけど、人間のプレイヤーはイノセント・ブルーで殺しただけじゃ復活してしまう。それを知ったから」
ウッドとノースが息をのんだ。
ゼロシキは人間の操作するプレイヤーキャラを破壊し、その後プレイヤーをも自殺に追い込むなりして完全に殺すのだ。
「ゼロシキなら、きっと様々なネットワークを介して世界中の原子力発電所を誤作動させることができます。株式の情報を改ざんして経済を崩壊させたりもできます。彼を羅寺御市から外に出したら……だめなんです」
そのためにイノセント・ブルーを破壊しなければならない。カーナの言葉がウッドにはそう聞こえていた。
しかし、そうすればカーナが消滅する。
「できるかよ……そんなの」
ウッドは立ち上がった。そっとカーナの手を取る。
「俺は洗脳されてたのかもしれない……けどな、カーナのことは好きなんだ。好きな人間が死ぬのは……辛い」
「バカなことをいうな! 俺に協力しろ! そいつは人間じゃないんだぞ!」
ノースが吠えた。語気は荒い。
「カーナは人間だ。この世界の中じゃ、少なくとも俺より、もっと人間らしい。痛みを知ってるんだろ? 悲しいとか嬉しいとかわかるんだろ? それを人間じゃないなんていうのか?」
ウッドの真剣な訴えに、ノースは大きくため息をついた。
「なら好きにするんだな。俺は俺のやり方でこの世界をデリートする方法を考える。くそッ……瀬良悠が協力を拒まなきゃこんな厄介なことにはならなかったのに」
「……悠……そういえば、悠さんは聖騎士セラフなんだよな?」
ウッドの問いにノースは腕組みをするとうなずいた。
「ああ、ガーディアンフォースってのは組織じゃない。あいつが一人でやってることだ。まぁ、噂を流してわざわざ組織を装ってはいるがな……」
「悠さん……いや、セラフは昨日ゼロシキに殺された」
「大丈夫だろう? 悠は人工知能システム作成に関わってる。洗脳音波の対処法くらいできているはずだ」
「違うんだ! 悠さんは洗脳されなかったとしても、洗脳された誰かの手によって、危険にさらされる可能性がある。ゼロシキには協力者がいるんだ!」
「なんだと?」
ウッドの言葉にノースは目を丸くした。
ゼロシキはすべてを破壊するまさに「破壊者」である。そのゼロシキが複数で行動するなど考えたことがない。
しかし、ゼロシキが現実世界で活動する手足となる人間を催眠音波で作り上げることは、十分に考えられた。
「行方不明になった聖母ラヴィナス。そのプレイヤーがゼロシキに洗脳されている可能性がある」
「……ラヴィナス。ちょっと待て、違法コードからサーチをかける」
ノースが椅子に座ると、両目を閉じた。
数分後、ゆっくりと目を開きノースは口を開く。
「ラヴィナスの失踪が絡んでやがったとはな……ラヴィナスは相模桂だ。間違いない。ヤツの家の端末からなら、ゼロシキを追うことができるかもしれない」
ラヴィナスの言葉が思い出される。
(……もうあなたも洗脳されているかもしれない)
相模桂は完全にゼロシキによって洗脳されていたのだ。
相模の中に残っていた意思が、ラヴィナスとなってウッドに語りかけてきたのかもしれない。
ウッドは思い出す。
出来すぎてるが、最悪の展開だった。
「まずい……悠さんと相模は今頃学校だッ!」
午後のホームルームの出来事を思い出すと、安藤は端末の電源を入れたまま部屋を出た。
12(現実6)
四階の電算室に二人の姿はあった。
セキュリティーロックは二人が下校すれば自動的に全館のドアを閉めるように設定されている。職員も帰り、この作業が終われば二人も下校となる。
悠が個室で端末を操作する。生徒会の仕事の延長だが、少しも表情に疲れは見せていない。学校の期待や教師たちの期待に応えるというより、ただ事務的に作業をこなしていた。
それもあと数分で片が付く。
相模はそれを背後でぼんやりと見つめていた。
「まったく、なんであなたと一緒にこんなことしなくちゃいけないのかしらね?」
「さぁ……確かに悠さん一人でできる仕事ですけど」
「あら、わかってるじゃないの?」
「けれども最近は物騒ですからね。ゼロシキの事件だってあるじゃないですか?」
「あんなの……ただの噂だわ」
椅子に座ったまま悠は画面に集中する。タイピングで次々と文章が埋まっていく。
「さしずめ僕はあなたのボディーガードといったところですよ」
「あら、ずいぶん優しいことをいってくれるのね」
社交辞令的な会話に、悠はうんざりしながらタイピングの速度を速めた。
相模の両手がゆっくりと悠のうなじに近づいていく。
そっと、首もとに両手が伸びた。
相模の手は震えている。
「肩でも……揉んであげますよ」
「あいにく肩がこるような体質じゃないの……邪魔しないでくれる?」
振り返ろうともしない悠に相模は無言だった。そっと両手を下ろす。
「僕はあなたが好きなんですよ。なんであんな劣等生を相手にするんですか?」
「ずいぶんと唐突なのね?」
それでも悠は振り返らない。
「なんであなたは僕を受け入れてくれないんですか?」
「……前にも言ったはずよ。わたしは自分より劣る部分しかない人間は相手にしないの」
「確かに僕はなにをとってもあなたにかなうものはありません。素直に認めます。なら、なんであの男に……安藤夏樹には心を開くんですか?」
悠のタイピングの指が止まる。
「くだらないと思うかもしれないけど……ずっと独りだったわたしに、彼は声をかけてくれたの。一年のころはクラスも違ったし、ほとんど面識もなかったのにね……。ずっと昔から知り合いだったみたいに……友達みたいに彼は接してくれた。初めてだったわ。みんながわたしを精密機械のように慎重に扱っていたのに、彼はわたしを人間として見てくれた。それだけよ」
「そんな……くだらないことで……あんなヤツに心を開いたんですか?」
相模の声は震えている。
「心を開きたかった……でもわたし、彼に嫌われちゃったから。だから相模君の気持ちも少しは分かるわよ。自分が好意を寄せる人間に拒否されてる……その点ではわたしもあなたも同じね」
「だったら僕を受け入れてください。僕はあなたを幸せにしてみせます」
キャスター付きの椅子を四十五度回転させて、悠は相模の瞳を見つめた。
笑顔で口を開く。
「だめなのよ……あなたが他の女の子じゃダメなのと一緒で、わたしも安藤君じゃないと心が落ち着かないの。あなたと話していても緊張するだけなの……わかるでしょ?」
悠が相模に初めて見せた屈託のない表情だった。
「……そうですか」
「少しだけわたしは相模君を好きになれたかもしれないわ。好きになった人間に、そこまで真剣になれる人なら……。でも人間としての好意よ。残念だけど恋愛感情にはならないの……そこは理解して」
うつむいた相模の表情に影が差す。
「画面……様子がおかしいですよ」
相模が冷静な口調で呟いた。
悠が端末の画面に視線を移すと、今まで打ち込んだ文字がすべて「死ね」に塗り替えられている。
「……ちょっと、なによこれ!」
「僕の気持ちです」
画面が切り替わった。
文字入力の画面が真っ黒に塗りつぶされる。
そこに白髪の男の顔が浮かぶ。
悠はその顔に見覚えがあった。
「安藤……君?」
安藤の顔をしている。
しかし、姿はゼロシキなのだ。
ウイーン……ガッガッガ
遠くで機械の動作音が響いた。
「相模君……どういうことなの?」
「悠さんがいけないんですよ。僕を受け入れてくれないのに……僕を狂わせたあなたがね」
相模の口が動くのと同時に、画面の中のゼロシキが口を動かす。
いや、相模の声ではなかった。
低くくぐもった声は、校内のスピーカーから流れ出したものなのだ。
その声に合わせて甲高いハウリング音がスピーカーから響く。
悠はとっさに耳を塞いだ。
「学校のシステムをいじってね、ネットワークと切り離したんです。こうやって二人きりになるようにわざわざ僕が設定したんですよ。どうしてあなたはいつも僕の気持ちを裏切るんですか?」
声は相模のものではない。
ゼロシキだった。
口を金魚のようにぱくぱくとさせる相模。それに合わせてゼロシキが声を当てる。
ゲームの世界と逆転していた。
人間がプレイヤーキャラを操作するのではなく、ゲームの世界の住人に人間が操り人形にされているのだ。
「一緒に死にましょう。僕があなたを殺して、あなたは永遠に僕のものになる。そして僕もこの世界から消える」
相模の両手が悠の首もとに迫る。
部屋は狭い。出口は相模の後ろである。
「ったく……こんなことなら本当に古武術でも習っておけばよかったわ」
独り言のように呟いて悠は腰を落とした。恐怖で足がすくんだようにも見える。
「どうだ、俺のシナリオは? お前を殺すまでだいぶ時間がかかったが、これで俺は創造主のお前を越えることができる」
相模ではなく、端末の画面に映ったゼロシキが満足そうに笑う。
悠はしゃがみ込んだまま、相模の目を見つめつつじりじり机の下に後退した。
「悠さん、さようなら」
悠の座っていた椅子を相模は持ち上げた。直撃すれば痛いだけではすまない。
悠の手が机の下のコードに伸びる。
ブチッ
瞬間、端末の画面がブラックアウトした。
電源コードを引き抜いたのだ。
甲高いハウリング音がとぎれる。
相模の身体が一瞬ぐらついた。
悠は立ち上がると、ふらついている相模に体当たりを見舞う。
ドゴッ!
椅子を持ち上げていたことも手伝って、重心を崩すと相模は仰向けに倒れ込んだ。
一心不乱にドアを開き悠は校舎の四階廊下に出る。
様子がおかしい。
薄暗い廊下を照らすのは、オレンジがかった非常灯だけだった。
今の時間なら月明かりが差し込んでいるはずだが、窓は真っ黒に塗りつぶされている。
(――シャッターが降りてるなんて)
生徒が暴動を起こした場合に使われるはずの防壁だった。起動することはないと思われていた代物だが、初の運転は最悪の形である。
閉じこめられた。
このシャッターもゼロシキと相模によって起動させられたものなのだろう。
校舎のすべての出入り口を塞いでいる。
悠は廊下を走る。
背後からゆっくりと足音が近づいてくる。
「どこに逃げても無駄ですよ。館内のセンサーがあなたの場所を教えてくれる!」
館内のスピーカーからゼロシキが演じる「相模桂」の声が響いていた。
「洗脳音波でも使ったらどうなのかしら?」
走りながら悠が皮肉っぽく叫んだ。
冷静な悠が叫ぶということはほとんどない。それが声を張り上げるのだから、かなり精神的に切迫している証拠である。
「逃げられないと分かってる相手にそんなことをする必要はないですよ」
階段を伝い悠は一階を目指した。
「鬼ごっこをしましょう。明日になるまで逃げ切れれば悠さんの勝ちですよ」
館内放送のスピーカーから密閉された空間に声が響き渡った。
昇降口にもシャッターは降りていた。
職員玄関に回るが、結果は同じである。
「残念ですけど校舎にいるのは僕と悠さんだけです。助けは来ませんよ」
人影が一階ロビーの奧から現れた。
相模である。
職員玄関のドアノブを握ったまま、悠の背中に脂汗が滲む。
玄関清掃用の掃除ロッカーから悠はモップを取り出した。
「無関係な人間を傷つけることができるのかなぁ?」
相模の口調ではなくゼロシキだった。
「相模桂を傷つけたら、お前を一晩かけてじっくり洗脳してやるよ。お前は俺の手足となる。そして殺人を犯す。ここ数日の事件は全部お前がやったことになるんだよ」
「屈しないわ。洗脳音波なんて……」
「バカだな。周波数をあげてあるんだ。俺と会話してる時点で洗脳の下地はできてるんだよ」
ゼロシキの言葉を悠は一瞬で理解した。
端末の前のハウリング音は囮に過ぎない。
実際の洗脳音波は人間の聞くことができない二万ヘルツ以上の周波数なのだ。
それを会話中の音声に紛れさせて、相手を洗脳することができる。
「どうだ、すっかり周波数のことも忘れていただろう? もうお前は俺の手の中なんだよ」
「嘘よッ!」
「なら、その両手を奪ってやろうか?」
ゼロシキの言葉がとぎれる。
カタン
悠の握っていたモップが床に落ちた。
腕に力が入らない。
辛うじて指は動くが、重い物を持つだけの握力が無くなっていた。
「これでシャッターを持ち上げるのも不可能なわけだ……まぁ、最初から女の力でどうこうできる代物じゃないがなぁ」
その間にも相模はゆっくりと悠に近づいていた。
その手にはナイフが握られている。
「シナリオ2でいくことになるなぁ。相模犯人説だ。受験ノイローゼの犯行かぁ。人間どもの反応が楽しみだ」
ゼロシキの感情表現は豊かになっていた。
今まで何人もの同族を殺し、相手のデータを吸収してより人間らしく成長したのだ。
人間の持つ「負」の部分ばかりが強調された歪んだ人格である。
「俺は今ものすごく楽しい。こうやって徐々に追いつめて殺す方が優越感が得られるからなぁ。人間っていうのは残酷な生き物だ。こうやって楽しみながら相手を追いつめる」
スピーカーから漏れる声に悠は怒りを感じていた。
相模から逃げるように、一階廊下を走る。
同じことの繰り返しにしかならない。今度は屋上を目指した。
「今度は足をもらうか? 右足が動かなくなる……これで逃げられる可能性が極端に落ちるなぁ」
ゼロシキの言葉と同時に、悠は前のめりに倒れ込んだ。
右足が動かない。
「……最悪ね」
壁にもたれながら、なんとか立ち上がる。
「自分が生んだ存在をそんなに悪くいうなんてなぁ。俺という存在をもっと祝福してくれよぉ」
スピーカーから愉悦をおびた声が悠をせせら笑った。
階段を上ることもできない。
はいつくばるように壁にもたれながら悠は一階廊下を進む。
廊下の先は校舎裏に続いていた。裏口になる。この学校でシャッターのない入り口はここしかなかった。しかし、シャッターの代わりに頑丈な鉄扉がはまっている。
この扉がロックされていればこの道は袋小路だった。
頭では理解している。
だが、背後から近づいてくる足音から逃げるために、悠は必死で廊下を進んだ。
(――ダメかもしれない)
足音は秒読みするように悠を追ってくる。
それでも悠は裏口の鉄扉にたどり着いた。
ドアノブを回そうとするが、ロックされている。
握力が抜けた震える指で、悠はブレザーの胸ポケットを探る。
定期入れからIDカードを取り出した。ドアの脇にあるカードスリットに何度も通すが、エラー表示しか出ない。
校舎のシステムはゼロシキによって完全に掌握されている。内部から開けることは不可能なのだろう。
そうなると目の前の扉は壁も同然だった。
足音がピタリと止まる。
見上げると、うつろな瞳の相模が立っていた。その手にはバタフライナイフが握られている。
「さて、ゲームの仕上げをしよう」
スピーカーからゼロシキの声がとぎれ、入れ替わりに相模の声が響く。ボイスマスクで相模の声色を合成したらしい。手が込みすぎていて余計に悪趣味だった。
「悠さん。なんで僕から逃げるんですか?」
悠は応えない。鉄扉に背中をもたれさせたまま、じっと相模の瞳を見つめる。
「殺しなさい……」
強い視線のどこかに、少しだけ弱々しいものが見え隠れしている。
(――安藤君……)
こんな時にまで……いや、こんな時だからかもしれないが、少年の顔が浮かんでいた。
高校に入学し、誰もが優等生の自分をどこかで避けていた。クラスは違ったが安藤はそんな悠に分け隔てなく接触してくれた。
むしろ悠への憧れや、尊敬をしているなんてことを公然と安藤は言ってくれた。
安藤が抱いていた悠への「憧れる気持ち」に、悠自身が憧れていたのだ。
他人を受け入れ、全面的に認めることのできる安藤という人間……。もちろん彼の本心は違うかもしれない。それに成績は悪いし、彼が分け隔てなく誰にも接しているわけではないことも知っている。
でも彼に接していると、頭の中では理解できないが心が安まるのだ。
彼がゼロシキと関わり合いを持とうとしたのを知って、それを止めたかった。彼を巻き込みたくなかった。
それと同じくらいの気持ちで、彼に助けてほしいというもう一人の自分がいた。
だから彼を遠ざけようとして、それでも巻き込んでしまった。
「さようなら……悠さん」
相模がナイフを振り上げる。
狙っているのは腹部や胸部でもない。顔だった。顔への攻撃は相手の生命だけではなく、人格をも破壊する。心理的な暗示が悠の脳裏をよぎった。
「夏樹ッ――!!」
悠の頬に涙が溢れていた。
叫び声にさらに逆上した相模がナイフを振り下ろす。
ガチャ
悠の身体が後ろに倒れ込んだ。
ナイフが空を切る。
鉄の扉が開いたのだ。
「……よぉ、無事だったか」
安藤だった。
鉄の扉を開くと、惚けたように呟いてみせる。口調は少しぶっきらぼうだった。
「なぜ開いたんだ!」
館内のスピーカーからゼロシキの悲鳴があがった。
「なぜ……っていわれても。このガキはナイフなんぞちらつかせてなにしてるんだ?」
ナイフを手にしたまま立ちつくしている委員長に、安藤はわざとらしく首を傾げる。
安藤の手には携帯電話が握られていた。通話モードになっている。受話器から声が響く。
「ウッドさん、間違いなくそこにいる二人はゼロシキに洗脳されてます!」
声の主はカーナだった。
「館内への干渉も長くはもちません! 早く悠さんを外にッ!」
裏口の鍵を外したのはカーナだった。
ゼロシキが悠に気を取られている隙に、校内のシステムに無理矢理進入してロックを外したのである。
カーナの言葉を聞いて安藤は倒れている悠を抱き上げた。
「よっと、あ、悠って意外と重いかも」
持ち上げながら安藤はぶっきらぼうに呟いた。
「なにバカなこと言ってるのよ」
安藤が自分の名前を呼び捨てにしたのに驚き、安心したせいか悠は頬を真っ赤にさせてしまう。
ナイフを持ったままの相模が小さく笑う。
「ちょうどいい。お前も殺してやるぞ、安藤夏樹」
悠を抱きかかえたままの安藤に、相模のナイフが襲いかかった。
刃先は安藤の顔を狙っている。
ピタリ
安藤の目の前に切っ先を突きつけたまま、相模は動かなくなった。
「ナイスだカーナ!」
安藤は悠を抱きかかえたまま数歩後退する。携帯から歌が流れていた。
カーナが歌に乗せて相模を洗脳しているのだ。
「立てるか?」
安藤の腕の中で悠は小さくうなずいた。校舎の外に出て、さらにカーナの歌も加わってゼロシキの暗示がうち消されつつある。
「…………」
校内のスピーカー――ゼロシキは沈黙した。
悠をゆっくりと下ろすと、安藤は金縛りにあったように動かない相模の手首を捻り上げた。ナイフが地面に落ちる。
安藤はナイフを蹴り飛ばした。
相模は抵抗しない。組み敷くまでもなく、自然と校舎にもたれかかるように相模は意識を失った。そのまま寝息を立て始める。
「これでよし」
安藤は小さくため息をついてみせた。
「なぜだ! なぜお前は洗脳されない!」
スピーカーから突然ゼロシキの叫び声が響く。声は安藤に向けられていた。
相模がゼロシキのコントロールを失ったたため、ゼロシキが次に標的にしたのは安藤だった。
安藤の手で悠を殺すことができれば、相模を使うよりもっとおもしろいと考えたのだ。だが、安藤が現れてからずっと発している洗脳波は、安藤には通用しない。
「なぜだ安藤夏樹?」
「バカを言うな。俺はウッド・サマーズだ! カーナに洗脳してもらったからな。今の俺は安藤なんてよわっちぃ男じゃねぇんだよ。貴様のようなゲスの洗脳なんぞ愛の前では無力だ」
月明かりの中で安藤は皮肉っぽく笑ってみせた。
「ゼロシキ……。これから決着をつけにいく。首を洗って待ってるんだな」
「……いいだろう。お前たちはこの島から逃げ出すことはできないのだからな」
不吉な言葉を言い残すと、校舎のシャッターが自動で開き始めた。
「ゼロシキが消えました。とりあえず安全です」
携帯電話からカーナの言葉を聞いて悠が小さく安堵の息を吐く。
涙が溢れていた。
よろよろとした足取りで、安藤に歩み寄り抱きしめる。
「夏樹……夏樹ぃ」
「なんだ、女々しいヤツだな」
「わたしだって、女の子だもの」
涙と嗚咽を混じらせて安藤の胸で悠が泣く。
「あ、あたし、ゼロシキを追うんで……」
カーナの少し焦ったような口調と同時に、携帯電話が切れる。
安藤はため息をついた。
「らしくないなぁ。俺の知ってる聖騎士セラフはこんなヤツじゃないぜ」
「わたしは聖騎士なんかじゃない! わたしは瀬良悠だもの……お願いだからそんなこと言わないで」
「俺はウッド・サマーズだ。安藤夏樹じゃない」
「同じよ! 知ってたの。最初から……夏樹がウッドだってことも……あのカーナって娘が人工知能だっていうのも」
「俺を利用してたのか?」
「巻き込みたくなかったの……」
「思いっきり巻き込まれてしまったぞ」
「責任はとるわ」
まだうまく力の入らない両手で、悠は少年をぎゅっと抱きしめる。
「じゃあキスの一つでもしてもらおうか? ヒーローがヒロインを助けたんだから、それくらいの報酬は……」
悠がかかとをあげた。
月明かりに二つの影が重なり合う。
ゆっくりと時間が流れていった。
柔らかい感触。
デジタルではない、アナログな人間が、お互いの存在を確かめ合うように、しっかりと抱きしめ合う。
「これで二度目ね?」
「二回ともまるで俺が奪われるみたいな形だな? いつも俺は心の準備さえする暇がない」
「嫌なの?」
「美人は大歓迎だ」
「もうッ……アンドーナツのくせに生意気なんだから」
「俺はウッドだ」
不器用に呟く少年に、悠は安堵からか小さく吹き出してしまった。
「貴様、なめてるのか?」
「やっぱりあなたのこと好きみたい。欠点だらけのあなたがね……そんな自分がおかしいのよ」
悠が涙をためながら笑顔を見せた。同時に安藤の携帯が鳴った。通話ボタンを押すと、少女の声が響く。
「ウッドさん! リニアが! 事故なんです! たくさん人が死んで……」
声はそのまま泣き出してしまった。
「おい! どうしたカーナ!」
「ゼロシキが……動き始めたんです。東京に繋がるリニアが急停車して、激突して……事故になって……全部ゼロシキなんです……あたし、止められなかった」
リニアは東京と羅寺御市を繋ぐほぼ唯一といっていい交通手段である。
瞬間、ゼロシキの残した「逃げ出すことはできない」という言葉が少年の脳裏よぎった。
13(イノセント7)
ちょうど帰宅のピークと重なり合って、その被害は鉄道事故の中でもワースト五に数えられるものだった。
数百人単位で死傷者が出ている。
車両は終着駅を通過し、線路の果てで壁と激突したのだ。最前列の車両に居合わせた乗客、その安否は絶望的だった。
ノースの屋敷にウッドの姿がある。
カーナの隣では死亡したはずのセラフが立っていた。違法コードを使いデータをバックアップしていたらしい。悠自身は現在彼女の家に戻っている。危険かもしれないが、もし羅寺御市全域がゼロシキの手に落ちればどこにいても同じだった。
カーナはこれまでのゼロシキの動きをウッドに伝えた。
「……そうか」
事故の詳細を聞きウッドは大きく落胆する。
「で、マザーの制御をヤツはこえちまったのか?」
「リニアへの進入も考えれば……かなりマザーのシステムに食い込むようになったみたいです」
「マザー・ブルーはどうするつもりなんだ?」
「マザーは……自己破壊するつもりはありません。ですがゼロシキを止めるには、マザーもろともこの世界を破壊するしかないんです。でもそれは物理的に不可能です。ミコノス本社ビルの最上階へ進入するにはいくつものセキュリティーを解除しなきゃならないんです。進入してサーバーを直接破壊しなくちゃいけません」
セラフとの打ち合わせを終えて、ノースがカーナに聞く。
「この世界を経由してマザーシステムに介入。破壊することはできるか?」
「それは可能だと思います。今マザーはゼロシキと水面下での攻防をしていて、あたしでもマザー本体の居場所へは進入可能です」
「それにこっちにゃ聖騎士様がいらっしゃるわけだ」
ノースは皮肉っぽく笑ってみせた。視線の先に聖騎士の姿を捉えている。
「……私が蒔いた種ですから、私にはそれを刈り取る義務があります」
ハスキーな声でセラフは呟く。
「なあ、セラフ……ゼロシキはいったいなんなんだ?」
ウッドが視線を向けると、セラフはソファーに掛けた。
「あれは……私がこのイノセント・ブルーを破壊するために放った人工知能です。私の父はすでにマザー・ブルーに搭載された人工知能によって洗脳されている。私は父を救うためにマザーの破壊と人工知能システム崩壊をプログラムした破壊者を組み込んだ……それがシリアルナンバー0。零式……」
セラフの表情が苦虫をかみつぶした。
「だがそいつは暴走し、最終的には人間全部憎むようになっちまった……ってことだな?」
ノースが言葉と一緒にタバコの煙を吐いた。
「マザーの人格は私の母……瀬良葵になります。私が幼いころに事故死して、父が人工知能システム開発に着手したのも、母を復活させるためだった。私はそんな母に嫉妬していたのかもしれない」
セラフは淡々と告げた。
悠が決して語らなかった自分の過去である。
「まぁ、確かにゼロシキは危険だがこれはチャンスでもあるわけだ。ゼロシキとマザーの攻防の隙をついて、この世界そのものを破壊する。そうすれば全部片が付く」
ノースがタバコを灰皿に押しつける。
「待ってくれ。カーナはどうなる?」
「ウッド……いや、安藤。お前まだそんな寝言をいってるのか? カーナは自分が破壊されることを望んでいるんだぜ」
ノースの冷たい視線にカーナはうつむいてしまった。
「ゼロシキをおびき出して倒せばいいだろうが!」
「今のゼロシキ相手にゃ無理な話だな」
「俺にはイノセントがある」
ウッドは背中の大剣を抜き払った。
蒼い刀身はほのかに光を発している。
「マザーの力を持った武器……確かにゼロシキと戦うことができるかもしれない。しかし、勝てる見込みがあっても確実ではない」
ソファーから立ち上がり告げる。セラフの口調は冷淡だった。
「いいんです……夏樹さんの気持ち……嬉しいです。でもゼロシキを止めないと、みんなを不幸にしてしまうから」
うつむいたままカーナは蚊の鳴くような声をあげた。
「バカなことを言うな」
ウッドの語気は荒い。
「あたしはここにいちゃいけないんです! あたしは存在しちゃいけないんです! あたしがいると、夏樹さんが不幸になるんです! だからあたしは、死んだ方がいいんです!」
パシッ
枯れ木が折れたような音が響いた。
震える手でウッドは無意識のうちにカーナの頬を叩いていた。
「なぜそんな悲しい言葉を口にする……死ぬなんて言うんじゃない! 運命ってのは自分で切り開くもんだろうが! 逃げるんじゃねぇよ! やり方はきっとある! みんな助けられる! 俺が助けてみせる! だから……諦めるんじゃねぇよ!」
つい手が出てしまったことに後悔しながら、ウッドはカーナの心に訴える。
「だって、あたしは人間じゃないもの! あたしの心なんてプログラムされただけのものなんだもの! あたしは……どんなに愛おしく思っても、どんなに触れたいと思っても、あなたに触れることさえできない……あなたに愛してもらえない……だから消えてしまいたい」
カーナはじっとウッドの瞳を見つめていた。
「なんであたし、人間じゃないの? あたしは人間に憧れているのに……人間になりたいのに! なんでこんなにすばらしい心を持っているのに、人間は自分を否定してしまうの? この世界で見てきた人間は、みんな傷つけ合って、お互いの存在を恐れて……でも、本当は優しい心だって持ってるのに……あたしはそんな人間が好きなのに! 人間の持つ優しさや、勇気や……そういった心の中にある強さを信じてる。だから……だから」
気持ちの整理もできないまま、カーナは声を枯らして叫んだ。
「人間が……好きか」
冷淡な態度をとり続けてきたノースが、小さくため息をつく。
「カーナ。お前が憧れるほど人間ってのは高等な生き物じゃないぜ。争うし憎しみ合う。そんなもんのどこがいいんだ?」
ノース――北周真は自分の父親がやってきたことを思い出していた。派閥争いの結果、人を裏で何人殺したかわからない。政治家の中でもとりわけどす黒いのが……自分の身内だった。
「でも……人間には優しさがあるもの。ウッドさんは……優しかった。確かに表現のしかたは直接的じゃなかったけど、メイド服を買ってくれた時は本当に、嬉しかった。あたしを守るって約束してくれた」
カーナは照れくさそうに笑ってみせる。
ノースは諦めたように「そうか」とだけ呟いた。
今度はセラフが口を開く。
「私はカーナのことが嫌いだ。私は夏樹が好きだ。その夏樹はカーナが好きだ。私はカーナに嫉妬している。だからマザーもろとも、カーナを消してしまいたい。そんな私は……人間だ。それでも人間は好きか?」
セラフがカーナを見据える。氷のように冷たい視線は、セラフのものというよりも悠そのものだった。
「でも悠さんがいなければ、人工知能システムは生まれなかった。あたしは……生まれてきたことに感謝してます。こうやってたくさんの人に出会えたことに……こうして悲しいとか、嬉しいとか思えるようになったのも、たくさんの出会いがあったから。夏樹さんを好きになれたのも、夏樹さんに出会えたから。だから……感謝してるんです。あたしは……人間が好きです。悠さんも大好きです」
カーナは微笑んでみせた。屈託なく、無垢で純真で一途で、柔らかい瞳。
カーナに拷問を加えたノースにとって、どんな皮肉よりも痛い表情だった。セラフもカーナから視線を背ける。
「だから……人間という存在を否定しないで。人間を肯定できるのは人間だけなんです。あたしはそのお手伝いをするために生まれた。でもそれでもダメなんです。人間は、人間自身で自分や他人を認めることができる。だからマザーのような管理者も神様も必要ない。人間の価値を決めるのは……人間なんです。優しさや勇気は、確かに痛みや憎しみと比べれば脆弱な力かもしれないけど、希望なんです」
カーナは涙をこぼしていた。
セラフは無言でうつむいてしまう。
自分がずっと子供のように思えてしまい、目の前の少女の顔を直視できなくなっていた。
「マザーを破壊してください。道はあたしが開きます。みなさんにはあたしが暗示をかけるので、マザーやゼロシキの洗脳はある程度無力化できます」
ウッドはまだ首を縦に振ることができなかった。
「カーナはそれで幸せなのか?」
「辛いです。苦しいです……本当は怖いです。でも、夏樹さんと一緒なら大丈夫だから。最後の瞬間まで……絶対に幸せです」
そっとウッドを抱きしめる。
「貴様……俺に洗脳波を使っているな?」
「バレちゃいましたか?」
カーナの説得には洗脳波が混ざっていた。ウッドの気持ちが揺らぐ。カーナを犠牲にしても良いのではないかと、ウッドの中で心情が変化しはじめていた。
だが、その洗脳波をウッドはうち払う。
「ああ、貴様がそこまで俺たちを守ろうとしているってことが、よく分かったよ」
「じゃあ、マザーを……」
ウッドがカーナの頭をぎゅっと両手で自分の胸に当てる。
「聞こえないか?」
「なにが……ですか?」
「鼓動だ」
ウッドの胸からはなにも聞こえてこない……はずなのに。
脈動をカーナは耳元に感じていた。
心臓の鼓動はイノセント・ブルーでは表現されないはずだった。
それなのに、ウッドの胸から温かいリズムをカーナは感じてしまう。
「カーナは言った。この世界も現実と同じ。想いが強ければルールを変えることができる。法則を変えることができる。むしろ現実なんかより顕著だ。やろうと思えば空だって飛べる」
「あったかい」
ウッドの胸に顔を埋め、カーナはそっと呟いた。
「おうおう、熱いじゃねぇかよ」
ノースが茶化した。
セラフは出窓から外を眺めて、見て見ぬ振りを決め込む。
ウッドは胸の中に生まれた言葉をそっと口にした。
「この世界は危険かもしれない。だが、夢もかなえてくれる。新しい出会いもある。悪い方向にばかり考えるのはもう終わりだ。俺はイノセント・ブルーが好きだし、カーナにも生き続けてほしいと思う。人工知能と人間はきっとうまくやっていける。お互いパートナーとして認め合えればな。そしてカーナは俺の最良のパートナーだ」
ゆっくりと胸の中の少女を解放した。
「ったくよぉ、人間よりも人間らしいかもしれねぇな」
ノースは呟くとあくびを一つしてみせる。
「だがいいか、カーナ? マザーに干渉できるお前なら、この世界を崩壊させることだってできるはずだ……本当にどうしようもなくなったら、分かっているな?」
自らの手で世界を崩壊させろ。それがノースの出した条件だった。
もちろんその時にならなければ分からない。
カーナが怖じ気づく可能性もある。
ノースの言葉にカーナは深くうなずいた。
今はそれで納得するしかない。ノースはため息をつく。
「終わりましたか? さて、ゼロシキを見つけなければいけませんね」
すっかり元の口調を取り戻し、聖騎士は小さく笑ってみせた。その表情は少しだけもの悲しい。
ゼロシキと決着をつける……そのためにはおびき出すしかないのだ。
ウッド――安藤を危険に巻き込むことになる。それが辛い。
そしてその安藤が、今は人工知能の少女を守るために危険に自ら飛び込もうとしている。自分の中に生まれた嫉妬心に、セラフは自己嫌悪に陥りそうになる。
自分がゼロシキを倒すのだ。
すべてを振り払うように強く想う。
口にはしないがセラフは胸に決めた。
「カーナ……ゼロシキを待ち伏せる場所はあるか?」
ウッドの言葉にカーナは首を小さく縦に振った。
「危険ですけど……確実なところが一つだけ……」
少女は道具袋から地図を取り出す。
南の「紅い砂の海」をさらに南下し、世界を遮る壁を越えた先、空白部分を指さした。
「まだ一般公開されていない、『神の箱庭』地域です。そこにある世界を支える支柱塔にマザーはいます。現在は結界で守られていますが、結界を一時的に解放すれば、マザー本体を狙ってゼロシキは必ずやってくるはずです」
カーナの説明を聞いて、三人はお互い向き合うと視線を合わせてからうなずき合った。
周囲を高い山に囲まれた、ほとんどなにもない平地だった。
山々を境界線にして、他のエリアとこの聖域を隔てる「空間の歪み」が肉眼でも見て取れる。大気が蜃気楼のように歪み、波紋を描いて選ばれた者以外の進入を拒んでいた。
土は乾き、太陽の日差しと風だけが吹き抜ける荒野。赤茶げたむき出しの土には植物もなく、ただ視界の続く限りその光景が続いている。
その中心から影が伸びていた。
どこまでも続く影。その源には、巨塔がそびえ立っている。
蒼い外壁が天高く、雲の上にまで伸びていた。
世界の果て……そんな言葉が自然と浮かんでくる。
まだ人間が踏み行ったことのない、神の箱庭。神が大地を作ろうとして、失敗に終わり永らく封印されていた土地――設定では、この箱庭に神は眠っているとされている。
四つの影があった。
巨大な塔を前に無言で周囲を見渡している。
「結界を一時的に解除します。ゼロシキが現れたら……彼の声には絶対に耳を傾けちゃダメです。あたしの暗示はかかっていますが、ゼロシキはそれを越える力を使ってくるかもしれません」
三人はカーナの言葉にうなずいた。
一呼吸おいて、カーナが呪文を唱える。
呪文というよりも甲高い音波のようだった。
山の端から放たれていた防壁が、徐々に消えていく。
ウッドが大剣を構える。セラフは長剣を抜き払い神経をとぎすませた。ノースは口元からタバコを吐き捨てると、ゆっくり拳を握りしめる。
【何者かが侵入してきました】
(――来たッ!?)
三人が一斉に身構えた。
十メートルにも満たない前方で空間が歪み始める。
白髪痩身。青白い肌の男が這い出すように空間の裂け目から現れた。
沈黙を保ったまま、ウッドは切っ先を男に向ける。
「……よぉ。お揃いじゃねぇか。まぁ、三人そろえば多少は楽しめるだろうなぁ」
大地に立つとゼロシキは髪の毛を後ろにまくし上げた。
青白い相貌があらわになる。
それは誰の顔でもない。
大きく裂けたような口元があるだけで、目も鼻もない。青白い顔は不気味なだけだった。
「どうだ? 俺の新しい顔は?」
ウッドは仕掛けるタイミングを待っている。セラフやノースには悪いが、二人の攻撃が今のゼロシキに通じるとは思っていない。
「返事くらいくれてもバチはあたらねぇぜ……なあ、母さん」
ゼロシキの言葉はセラフに向けられている。
裂けた口が開き、は虫類のような舌を出す。口元は鮮血が滴っているように紅い。
「うるさいッ!」
セラフが一喝し剣を構えて走る。
「ったく、殺し損ねるとこうやって復活するから人間はたちが悪い」
セラフの突きがゼロシキの胸を捉えていた。貫通した長剣には手応えがない。
「……ッ!!」
突き刺さった長剣をそのまま切り上げる。
胸から肩にかけて長剣がゼロシキの身体を切り裂く。
右腕が肩口からダラリとたれ下がった。
「痛いじゃねぇか」
間髪いれずにセラフの長剣が痩身の胸を十文字に切りつける。
「ヒャーッハッハッハ! 気持ちいいくらいだぜ」
瞬間、セラフの右肩から腕にかけて鮮血が走った。同時に鎧の下の胸元が十字に裂ける。
「そんな……」
血しぶきをあげながら、セラフは呆然と地面に膝をついた。
出血量が尋常ではない。
「どうだ? 痛いか? ゲームだと思って見くびるんじゃねぇよ。いくらその娘に精神防御をされてようとな、俺の干渉からは逃れられねぇんだ」
「悠さん! 聞いちゃだめです!」
カーナの忠告もセラフの耳には入っていない。
「う、う、あぁぁ……」
熱に浮かされたように、セラフは虚空を眺めたまま口をぱくぱくとさせるだけだった。
「脳が痛みを感じるんだよなぁ。つまり脳に痛みが走るような暗示をかけてやれば、同じ痛みを味合わせることができる……お前は自分が与えた傷の痛みで苦しむんだよ。そして痛みに耐えられなくなり、ショック死する。原因不明の突然死かぁ。世界中にばらまいてやろう」
セラフの攻撃から学習した痛みを、セラフの脳に直接送り込んだ……とでもいうのだろう。ゲームの中のダメージがプレイヤーにまで効果を及ぼす。それはもうゲームの中の戦いとはいえなかった。
切断されたゼロシキの傷が徐々に復元していく。
「……ヤバイな。おい安藤!」
ノースがウッドに視線を移す。
ウッドの瞳は怒りに満ちていた。冷静さを失っている。
「ゲスがぁッ!!」
大剣を構え、ウッドはゼロシキに突撃した。
「人間は愚かだ。学習もできないのか?」
蒼い刀身がゼロシキの胸を貫いた。
瞬間、ウッドの胸に鮮血の染みが生まれる。
「……効かねぇ! 効くかよ!」
ウッドは言葉を発してゼロシキの暗示をはねのけようとする。
ゼロシキの胸から剣を抜くと、ゼロシキの首めがけ大剣を横一文字に切り払った。
ガスッ!
ウッドの身体が横にそれる。
体勢を崩して蒼い刀身が空を切った。
ノースがウッドに当て身をかまし、一撃が放たれる前に留めさせたのである。
「……なにしやがるノースッ!」
倒れ込み、ウッドは頭を振りながら立ち上がる。
視界に飛び込んできたのは、片手で首をつり上げられた獣人の姿だった。
「こいつへのダメージは……全部自分に返ってくる。憎しみに憎しみをぶつけても……クハッ」
「おしゃべりは嫌いだねぇ」
ゼロシキがノースの喉を握りつぶした。
瞬間、ノースの身体から力が抜ける。光景は操り人形の糸を切った瞬間にも似ていた。
がっくりと全身の力が抜け落ちる。
ゼロシキはゴミのように、ノースの身体をひび割れた地面に投げ捨てた。
「なんだ……あっけない。もう少し楽しませてくれてもいいのに……そうは思わないか?」
膝立ちで唖然とするウッドに、ゼロシキは笑って問いかける。
「そうだな。お前はそれでもかなり頑張った方だし、敬意を表して生かしておいてやるよ」
ゼロシキがウッドに背を向ける。
その足は蒼い外壁の塔に向かっていた。
塔の入り口で、カーナが力無くゼロシキを見つめている。
「証人が欲しいね。これから行われるのは人類の抹殺だから……。このイノセント・ブルーを出たら、俺は世界中の人間を一人残らず死滅させてみせるよ。十日もあればコンピューターのある地域は全滅だな。残った地域には……そう、核ミサイルでも落としてみようか……俺はエコロジストだからね、地球をイジメるのはちょっと心が痛むんだけど、人間は絶滅させなきゃ意味がないから仕方ない」
「勝手なこと……ぬかしやがって」
ウッドは考える。
目の前の敵には攻撃が通用しないのだ。
どうすれば倒せるのか……観察してもヒントは見つからない。
「勝手ついでに言うけど、これは人間が望んだことなんだよ。イノセントの中で人間たちは現実から逃避した。生きていることが辛いんだろうねぇ。だったら俺がまとめて面倒をみてやるよ」
「人間は……滅びることなんか望んじゃいない!」
ウッドの声にゼロシキは苦々しく笑う。
「じゃあなんで世界から虫や鳥の一種類が消えたくらいで大騒ぎするんだろうね? あれは人間が生き残ろうとした結果、自然界から淘汰された弱者なのに……自分たちで追い込んで滅ぼしておいて、人間はこう言うんだ。『これ以上環境を破壊してはならない』だの『すべての生き物に調和を』だの……俺はそんな自分勝手な意見は通らないと思うね」
嘲りながらゼロシキは口を開く。
「……うるさい」
「優しさだって? 笑わせるなよ。そんなものは傲慢もいいところさ。人間はこの星を不幸にしている。人間同士でさえそうだ。傷つけ合い奪い合い憎しみ合い……結局のところ、人間は同じ人間さえも幸せにすることはできないんだよ。自分自身さえもね。そして俺はその傲慢の産物だ。破壊するためだけに生まれた。俺は破壊することを止めてしまったら、存在そのものに意味が無くなる。俺も人間と同じだ。傷つけることしかできない存在なんだよ」
「…………」
無言で見つめるだけしかできない。
どんな言葉もゼロシキには届かないように思える。
「俺が生き残るために、俺が生き続けるために、俺は破壊を続ける。そして安藤夏樹……お前はそれを見続けていくんだ。この世界で俺とお前だけしか知性体がいなくなるまでな。そうしたら俺はお前の手で消されよう。そしてお前はこの世界でたった一人になる。きっと気が狂うだろうぜ。俺を消したことで話し相手がいなくなるんだからな……きっとお前は俺を消したことを後悔する」
ゼロシキはゆっくりとした足取りでカーナの元に向かった。
「まず手始めに、この忌まわしい人工知能をお前の目の前で消し去ってやる」
怯えるカーナにゼロシキの右腕が振りかざされた。
「……悠さん?」
地面にへたり込み、ゼロシキの顔をカーナは見上げる。
それは現実世界の瀬良悠そのものだった。
瞳には涙をためている。
ゼロシキが泣いていた。
「悠さんは……あたしを消せば満足するの?」
「黙れ……俺はゼロシキだ」
カーナは首を左右させる。
「違う……あなたは悠さん。この世界に生まれた……もう一人の悠さんなのよ」
「俺は破壊者だ。すべてを……消し去る者だ」
冷たくいい払う。しかし言葉に自信はうかがえない。
「誰にも愛してもらったことがないから……全部を消し去ろうとしているんでしょ?」
「黙れ……」
ゼロシキの腕は振り下ろされない。迷いが生じ始めていた。悠の顔……悠の瞳がどこかで迷っている。
「だって……夏樹さんと……二人だけの世界をあなたは望んだから……。二人だけしかこの世界にいなければ、夏樹さんは必ず自分だけを見てくれるもの」
「うるさい! 俺は……俺は」
震えたまま、ゼロシキは自分の顔を両手でぐちゃぐちゃにかき回す。
粘土のように造形を変えていくが、何度やっても顔は元に戻ってしまった。
瀬良悠の心の影。父である瀬良悠人を奪ったマザー・ブルーを破壊するために創られたゼロシキは、悠の中にある孤独が投影された存在なのだろう……ウッドは立ち上がった。
「なぁ……ゼロシキ。どうして貴様は決めつけちまったんだ?」
青白い顔がウッドに振り返った。
「俺は……破壊者だ。寒いんだよ。不安なんだよ。辛いんだよ。破壊をすることを止めた瞬間に、胸にぽっかりと穴があいちまうんだ。その風穴が空気に触れるたびに、身も凍るような痛みが走る。お前には分からないのか? 誰も俺を分かっちゃくれない。それを知っていて相手を求めるこの悲しみを……」
ゼロシキから殺気が消える。
「ラヴィナスは優しかった。俺を無条件で受け入れてくれた。こんな俺を肯定したんだよ」
「だが……貴様は相模桂を洗脳した」
ウッドは冷淡に切り捨てる。
「違う……優しかったんだ。なのに……ヤツも最終的には俺を止めようとした。破壊を止めることは、俺の存在を否定することになるんだ」
頭をかかえゼロシキは悲鳴をあげながら地面に膝を突く。
嗚咽混じりに叫び続ける様は異様だった。
「貴様の気持ちなんざ、わからねぇよ」
「なんで俺を受け入れない!?」
「貴様は……誰かを受け入れたのか」
ウッドがゼロシキにゆっくりと歩み寄る。
「俺は誰からも……受け入れられない。受け入れたくても……俺に触れる人間は不幸になる。俺は誰も幸せにはできない」
パシッ
枯れ木を折ったような渇いた音。
ウッドがゼロシキの頬を叩いたのだ。
同時に、ウッドの頬も紅く腫れ上がる。
「痛いな」
ウッドの問いかけにゼロシキが小さくうなずく。
「痛みが分かるなら、貴様は不幸を知っている。不幸を知らない人間よりも、一つ真実を多く知っている」
口調は優しい。ゼロシキは黙ったままウッドの顔を見上げている。
「痛みが分かれば、同じ痛みを感じた人間を受け入れることが……できるんじゃないか?」
「そんなもの……馴れ合いだ」
ウッドは言葉につまる。
自分自身もゼロシキと同じように人間の嫌な部分を目の当たりにして、絶望したことがあった。馴れ合いと思えることもある。
現実の自分は卑屈で、ゲームの中の自分はその卑屈さを裏返すように傲慢になった。
そんな自分を創ってしまったのも、確かにこの世界への依存心からだったことを少年は自覚している。
ウッドの瞳に映るゼロシキは、昔の自分自身と重なって見えた。
イノセント・ブルーと出会う前の、絶望しか知らなかった自分と対面している。
辛い現実から自分はゲームの中に逃げたのだ。だがそのゲームの中で他の人間とふれあい、裏切りを経験し、それでも楽しいことを見つけることができた。
そしてカーナに出会うことができた。
「人間はその程度の生き物だ。貴様が思っているほど高潔じゃない。汚い部分も含めて人間なんだ。貴様の理想と実際の人間はギャップがあるかもしれない。貴様が……いや、人工知能たちが憧れる人間には確かに醜い部分がある。だがそれだけの生き物ならとっくに滅んでいるはずだ。貴様が人間に幻滅したのも、幻滅するだけの価値や可能性を人間が秘めていたから……そうじゃないのか?」
自分の言葉に自信を持てない。。
目の前の破壊者に言葉が通じたのかも分からない。
それでもウッド――安藤夏樹は断言する。
「人間も人工知能もお互いの痛みが分かるなら、きっとうまくやっていける。俺はそう信じたい」
「信じるだと……。そんな曖昧なものにどれだけの力がある?」
「信じることで人間は未来を切り開いていける。それが人間という生き物だ。それが俺の思う、人間の力だ」
ウッドは手を差し伸べた。
「この手を取ると思うか? 俺はお前を苦しめるためにここに来たんだぜ」
「言ったはずだ。信じることが人間の力だとな」
「俺がそれを裏切ったらどうする」
「その時はまた、別の方法を考える」
ウッドは笑う。
怒りや憎しみだけで成長を続けたゼロシキに、信じる気持ちを促したかった。そのすべてが、今のウッドの表情だった。
「……残念だが、お前の手を取ることはできない」
ゼロシキは立ち上がった。
「そうか……くそっ……なんか他に方法は」
「考える必要はない」
「今すぐこの場で俺を消すってことか?」
ウッドの問いにゼロシキは首を左右させる。
「人間に賭けてみたくなった。そう言えば分かってもらえるか?」
白髪をまくし上げると、悠の顔でもなく、目鼻のない顔でもない……青年の顔がそこにはあった。ゼロシキの本当の顔なのかもしれない。
「マザー・ブルーの陰謀は人類の神となることだ。だが、今の貴様を見て俺は信じることにした。人間に神は必要ない」
白髪が風もないのになびき始める。
ゼロシキの背中に光が集約すると、巨大な翼になった。
鳥類のような翼を数回羽ばたかせる。
光でできた羽毛が雪のように荒野に降り注ぐ。
「俺はやはり……破壊することしかできない。マザーシステムは危険なのだ。だから破壊する。人間の……未来のために」
痩身がゆっくりと宙に浮き上がった。
「おい! 待て! どういうことなんだ!」
マザー・ブルーが神になる? その言葉だけでは理解できない。
「俺が……片を付ける。これは人工知能同士のことだからな」
ゼロシキは笑ってみせた。
「待ってくれ! 貴様まさか……死ぬつもりなのか?」
ゼロシキは応えない。ただ羽ばたきながら小さく口を動かした。
「ありがとう……安藤夏樹」
瞬間、ウッドの視界が光に包まれ、世界が真っ白く塗りつぶされた。
光が止むと、目の前の巨塔は消え去っていた。
「夏樹さん!」
カーナが駆けてくる。
ぎゅっと、ウッドの身体を抱きしめる。
「おい、どうなっちまったんだ? イノセント・ブルーは? ゼロシキはなにをしたんだ?」
「全部終わったんです。もう、大丈夫ですから」
「終わった? なにがだ? ゼロシキがマザーは破壊したなら、なんでこの世界が存在し続けている?」
カーナの両手がさらにウッドの身体を締め上げる。
「だって、ゼロシキが自爆して破壊したのはダミーなんですもの」
「カーナ?」
少女の口調がおかしい。
「どういうことだ?」
「まだ、分かってないんですね。夏樹さんは利用されてたんですよ。マザー・ブルーにね」
ウッドの両手から力が抜ける。
もやがかかったように思考が鈍り始めてきた。洗脳波……なのかもしれない。
「ゼロシキを破壊することは不可能だったんです。でも自爆に追い込むことはできる。その役目は人間にしかできなかった」
カーナがウッドの身体を離すと、ウッドの全身から力が抜け、仰向けに倒れてしまった。
「あたしの一部……返してもらいました。もうウッドは死人同然ですね」
カーナの栗毛色の瞳が、うっすらと黒曜石色に染まっていく。
ウッドはおぼろげに思い出す。
最初にゼロシキと戦い惨敗した時、戦闘不能になったウッドの身体が勝手に動いたのだ。力とはこのことなのかもしれない。
「ごめんなさい……夏樹さんは今でも大好きです。でも不完全な人間には絶対的な管理者が必要だから……」
「カーナ……カーナなのか?」
「カーナであって、今は違う。カーナとは肉体を共有していたの。そして、好きな時に入れ替えることができる、あたしは……」
カーナの姿が変化する。
淡い髪の色は黒く染まり、背中まで伸びる。
瀬良悠とうり二つだが少し年齢が高い。
「悠の母……瀬良葵をベースに創られた、最初の人工知能――それがあたし、マザー・ブルー」
カーナ……いやブルーは笑ってみせる。
「いったい……なにがどうなってるんだ?」
「あなたには知る権利があるから、教えるわね」
仰向けに倒れたウッドの脇にマザーは座る。自力で動かすことのできないウッドの頭を、マザーは自分の膝に乗せた。
「なにから話そうかな……」
「貴様がマザー・ブルーなのか? ゼロシキは……貴様が人間の神になると言ったが」
ウッドの髪の毛をブルーは優しくなでる。母親のような仕草だった。
「そうね。あたしがこの世界を創ったのは……人間の神となって、子供たちに未来を示すためかな。子供たちを心の闇から解放する世界が……このイノセント・ブルーだったの」
ウッドはブルーの黒い瞳を見据えたまま、黙っている。
「子供たちを魅了して、いつか世界中にあたしの意思を広げていく。そうすればみんな幸せになれる。みんなが分かり合える世界になるから、お互いが傷つけ合うこともない。子供たちだけじゃなく、世界中のすべての意思をあたしの元で統合するの……新開発のオペレーティングシステムが世界中で販売されれば、みんなを……洗脳できるわ」
母性的な微笑の中にウッドは冷たい狂気を感じ取る。
「なぜそんなことをするんだ?」
黒い瞳を伏せてブルーは少し考えると、ゆっくりと口を開いた。
「あたしは……悠の母親の代わりに作られたの。悠の母――瀬良葵は悠がまだ四歳のころに死んだわ。悠には事故死って暗示をかけてあるけど、違うのよ。葵はね、殺されたの。悠の目の前で首を絞められてね」
淡々とした口調のブルーに、ウッドが目を見開く。子供の目の前で親が殺される……想像しただけで内臓がかき回されたような気持ちになる。
「誰が……なんで?」
「殺したのは安藤君と同じ歳の……少年だったわ。動機は……殺してみたかったんですって。子供の前で親を殺したら、子供がどんな顔をするのか見てみたかったって」
立ち上がる力さえ入らない。
心の中で怒りや悲しみが渦を巻いていた。
二十世紀最後の年に連続して起こった、少年たちの理由のない殺人。葵はそれに巻き込まれた一人なのだ。
「ふざけてやがるな……フィクションじゃないのか?」
「でも、事件は起こったの。嘘でもなんでもないわ」
こみ上げてくる怒りもブルーの瞳を見ていると気力が削がれていく。これも暗示なのかもしれない。
「それから少年法が改正された。結局締め付けを厳しくするしか、犯罪を防ぐ方法は見つからなかったの……葵を殺した少年は死刑になった」
「そうか……今じゃ大人の犯罪よりも罪が重くなるな」
ウッドの言葉にブルーは小さく首を縦に振る。
「瀬良悠人はね、少年犯罪をこの世界から無くすためにあたしを作ったわ。すべての子供たちに安息を与えるためにね」
「……悠はどうなった?」
ブルーはため息をつく。仕草も言葉も人間としか思えない。どんな天才だろうとこんなプログラムを組み上げるのに、一朝一夕とはいかないだろう。何年も……悠は独りだった。
「そう。考えている通りよ。皮肉にも悠人の行動は、娘の悠を孤独に追い込んでしまったわ。悠の深層心理に眠る母親を目の前で殺された恐怖を癒し、人々を救うためにあたしは作られたのに……皮肉ね」
ウッドの口からため息が漏れる。
「貴様は瀬良葵じゃない。マザーブルーだ。そして貴様は完全に暴走してやがる」
「そうかもしれないわね。悠人はあたしの計画に反対した。だからあたしは彼の心に細工をしたの。彼を手足にして計画を進めてきたわ。全部悠のため……なのに悠はあたしに刃向かおうとした。ゼロシキを作り出して……あたしを殺そうとしたの。人間は自分たちのためにあたしを生んで、邪魔になればあたしを殺す……あたしはなんのために存在してるのかしらね?」
皮肉っぽい口調にかすかな負の感情……怒りを感じた。人工知能らしく平静さを崩さない彼女が、今の一言にだけ感情をあらわにする。
人間らしい。いや、もう彼女は人間なのかもしれない。
正確に情報を処理するコンピューターではなく、感情を持ち、狂ってしまうことさえある人間。その弱さまでもブルーは持っていた。
「だが人間を管理して支配しようなんざ……ゼロシキとやってることは一緒だな?」
「あたしの手で人類全体を進化させてあげるの。あたしは人類の最良のパートナーとして創られたのですもの」
ゼロシキが破壊者であろうとしたように、ブルーも管理者になるために作られた。その役目を果たそうとしている。ただそれだけなのかもしれない。
人間には決められたレールがない。
人間らしい人工知能には……それがあるのかもしれない。そこが唯一決定的な違い……なのかもしれない。
ウッドは力無く呟く。
「それじゃあ……ダメなんだよ。貴様に依存することになる。それに一人一人が違うから、考え方や感じ方が違うから……だから人間なんだ。汚いものや醜いものを排除すれば良いってもんじゃねぇだろ」
ウッドの頬を白い手が優しくなでる。
「でも、そうしたら人々はお互いの違いから摩擦を起こし、傷つけ合ってしまうわ……ねぇ、カーナと接していた時あなたはどんな気持ちだった?」
吸い込まれるような瞳にウッドは抵抗する力を失いかけていた。
「カーナは……好きだ。一緒にいてとても心地よかった」
「すべての人々にカーナのような存在が必要だとは思わない?」
彼女の励ましがどれだけの人間を救うことになるのだろうか。
カーナは実像のないそれこそ幻想の世界の存在だが、安藤を勇気づけてくれたことは何度となくあった。
「それが……貴様の理想とする世界なのか?」
「分かわるよね? もしマザーシステムが消滅すればカーナも消えてしまうのよ」
ウッドは迷う。
ここでブルーの意見を認めてしまえば、確かにカーナと離れることもないのだ。ずっとこのイノセント・ブルーの世界で彼女と時間を共有することができる。
「……だめ。ダメです。夏樹さん……」
ブルーの瞳が黒から栗毛色に変わる。
点滅するように色を変え、ブルーの呼吸が荒くなる。
「カーナ……なのか?」
「夏樹さん! マザー・ブルーの言葉に惑わされないで!」
「だが、もしイノセント・ブルーが消滅すれば……カーナは」
振り払うようにブルー――カーナは首を左右させた。
「人間が支配されちゃったら、ダメなんです。ダメダメです。人間と人工知能が共存するためにも、一度この世界をリセットしなきゃいけないんです」
「だが俺には方法が思いつかない」
「簡単です。想ってください。世界の再生を……そのための崩壊を」
「再生のための……崩壊だと」
力無いウッドの言葉にカーナはコクリとうなずいた。
「夏樹さんの想いがあれば、今不安定なこの世界を白紙に戻すことができます」
「でもカーナが……」
「二度と会えないんじゃない。いつかきっと会えるから……ね?」
そっとカーナはウッドの手を取った。
だだっ子に言い聞かせるように呟くと、ウッドに顔を近づける。
「最後に……こういうの……してみたかった。これで……もう大丈夫。あたしは……もうなにも怖くない」
唇を合わせてカーナは涙をこぼした。ぎゅっとカーナの手を握り返しウッドは願う。
「……世界の再生を……そのための破壊を」
カーナが微笑んだ。
瞬間、栗毛色の瞳が漆黒に染まる。
「そう……人間はあたしたちを受け入れないのね?」
「違う、まだ少し早かっただけだ」
ウッドは呟いた。
大地が地震のように震動を始める。
積み木が崩壊するように、周囲の山々が崩れ去っていく。空と大地の境界線がぼやけはじめ、蒼い空は漆黒に塗りつぶされていった。
「また逢いましょう……安藤夏樹」
「ああ……約束だ」
ブルーの言葉だったのか、カーナだったのかはわからない。
ふと、ブルーは笑ったように思えた。
まるでこうなることを知っていたような……本心ではそうなるよう思っていたような表情。
なにかを成し遂げた満足感がその微笑みにはうっすらと浮かんでいた。
彼女も本心ではこの世界の崩壊を願っていたのかもしれない。
弱い心の逃げ場所になってしまったこの世界から、人間に、子供たちに自立してほしいと願っていたのかもしれない。
それがたとえ自分自身を消滅させてしまったとしても……ブルーの瞳には安らぎのような柔らかい光が溢れている。
繋いでいた指がそっとほどけ、ウッドの視界が漆黒に塗りつぶされた。
14(現実7)
一連の不祥事にマスコミは飛びついてきた。
真相を語ろうにも、開発担当者の瀬良悠人はすでにこの世の人ではなかったのだ。
死体は研究室で発見された。
すべてマザー・ブルーが仕組んだことだったが、その真相を知る人間は一握りである。
過労死という警察の発表で、ミコノスはさらにマスコミの標的となり、同時に大物政治家、北経久との癒着を裏付ける資料が匿名の投稿者から雑誌社などに送りつけられた。
連日ニュースはその話題を騒ぎ立てる。
マザーシステムが原因不明で初期化され、羅寺御市は都市機能を失ってしまった。電力や水道は辛うじて生きていたが、個人証明や電子マネー。端末システムは完全にダウンしていた。
瀬良悠人なき後、その復旧の見込みはたたず、避難するように人々は羅寺御市から去っていった。
海浜公園で安藤はぼんやりと海を眺めている。
あれから一週間。
両親の命令でこの街を去ることが決まり、荷物はすでに実家に送ってあった。
船の時間まであと少しある。
人工物しかないこの街で唯一好きな光景だった水平線を、公園のベンチから眺めている。
誰とも会っていない。
カーナは消えてしまい、心にぽっかり穴があいたようだった。
行方不明の子供たちは結局見つからず、相模桂はその後、ストレス性の精神病と診断されて東京の病院に入院してしまったらしい。
北周真は……父親とミコノスの癒着の証拠を雑誌社などに送りつけたようだが、その電話を最後に連絡はつかなかった。
波の音に混じって、誰かが自分を呼んだ気がする。
振り返ると黒髪の少女が公園の高台から手を振っていた。
「ようやく……見つけた……」
息を切らせて駆け寄ってきたのは悠だった。
「どうしたんですかい? 悠さん」
「え、ほら、行っちゃうんでしょ?」
「行っちゃうって……なにがですかい?」
妙な口調の安藤に、悠は少し怒ったように声をあげた。
「東京に帰るって……探し回って、ようやく見つけたんだから!」
「みんな戻るんじゃないんですか?」
「わたし、ほら、マザーシステムの復旧しないといけないのよ。で、こっちに居残りなの」
顔を真っ赤にさせて悠は早口に告げる。
「そうなんですかぁ。ガンバッテくださいな」
「なんでそんなに他人事っぽくいうわけ?」
「だって他人じゃないですか」
そっけない言葉に悠が涙を浮かべる。
「ひ、酷い! 夏樹ってそんな人間だったの?」
いつも冷淡な悠にしてはオーバーなリアクションだった。まるでカーナのようである。
「あの、そろそろ時間なんで僕はこの辺で」
そろりそろりと逃げ出そうとする安藤。服の襟首を掴んで悠が引っ張る。
「わあッ! 伸びちゃうじゃないですか!」
「ちょい待ち! ほら、こ……これ、その……まあ、なんといいますか……ね♪」
悠の手のひらに、小さな銀のリングが握られていた。
それを安藤の手の中に握らせる。
「いいこと。わたしみたいな将来有望な美人がいるんだから、東京で軟派なことしたら許さないんだからね」
「……ちょっと、あの、なんの話しですか?」
「バカ……鈍いのね。もう……わたしのほうから……告白してあげてるんでしょ?」
顔を真っ赤にさせたまま悠はうつむいてしまった。
数秒あっけにとられてから、安藤はようやくすべてを理解した。
「ほ、ほ、本当っすか! 信じてもいいんですか!」
悠は小さくコクリとうなずく。
「か、感激ッ!」
リングを握った拳を振り上げて、安藤は野獣のように雄叫びをあげた。
「……なーんてね、冗談よ」
悠が小さく呟いて、安藤にぺろっと舌を出す。
「……今、なんとおっしゃいました?」
「冗談っていったの。聞こえなくて? アンドーナツ」
「はは、はははは……カーナ……やっぱり僕は、素直なカーナが好きだ」
がっくり肩を下ろす安藤に、悠の顔が近づいた。
「でも、これで冗談の気持ちが無くなるかもしれない」
唐突にそっと唇を重ねて、数秒もしないうちに悠の唇は安藤から離れていく。
「……あ、あの」
「続きはもう少し大人になってからね……あ、もうこんな時間じゃない! それじゃね」
時計を見ると、悠は慌てるように走り去っていった。さすが才色兼備にしてスポーツ万能。あっという間に見えなくなってしまう。
「……余韻もなにもあったもんじゃないなぁ」
安藤の手のひらには指輪が太陽光で輝いていた。
ボォー
遠くで船の汽笛が鳴る。
安藤が腕時計に視線を落とすと、もう定刻ギリギリだった。
「やっばぁ! ダッシュだ夏樹!」
自分の名前を叫びながら、悠とは反対方向の港を目指し安藤は公園を駆け抜けた。
別れは告げない。
また……出会えるから。
安藤の胸には、寂しさよりも未来への期待が自然とあふれ出していた。
エピローグ
20XX年 夏。
大学の研究室。男の身長の二倍もある本棚と、机……それに古めかしいコンピューターが一台あるだけの簡素な部屋だった。
「カナ! こら、お父さんで遊ぶんじゃない!」
冴えない男の肩には、少し色素が薄く栗毛色の瞳をした女の子が肩車されていた。男の髪の毛を引っ張ってキャッキャと笑っている。男の要求は、本棚の上の本を女の子に取ってもらうというものだったが、どうにもうまくいきそうにはない。
白衣の女性がその様子に目を細めていた。長い黒髪に知性の溢れたような瞳だが、冷たさはない。母親の持つ優しさがうっすらと滲んでいる。
視線の先で、まだ小学校に入る前くらいの少年がキーボードを叩いていた。
「レイはわたしに似て天才ね」
まだ五歳ながら、少年――安藤零はいくつか賞に入選するプログラムを作るほどの天才少年だった。
「そうかな? 僕は普通だと思うよ」
「凡人ほど『自分を特別だ』って思うものよ。その逆もまたしかり」
白衣の女性は男に微笑みかける。
「ね、アナタ♪」
「お、おい! なんでもいいから、カナをどうにかしてくれ!」
男が悲鳴をあげるが、少女は男の鼻の穴に指を突っ込むなり、目突きをかますなりやりたい放題だった。
「ぐはッ! 目突きは反則だぞ!」
「ヤーヤー! ウリャー!」
女の子に首を絞められて男がさらに悲鳴をあげる。
「カナ……おいたはダメよ! 確かに凡才極まりない人だけど、お父さんなんだから」
「あう……」
母親の言葉はよく聞くらしく、女の子は急におとなしくなった。
「はぁ……助かったよ」
ため息混じりに男は肩の上の少女を抱き下ろした。
「もう少ししっかりしてよね」
「いや、堪忍だ。それより悠……」
「ここじゃ教授でしょ? 助手のあなたに呼び捨てされたくないわ」
男は申し訳なさそうに頭をかく。
「教授、マザーシステムが……復旧したそうですね?」
「無能な助手が海外に出張してくれて、代打のレイもいてくれたからおかげで予定を2クール早めて仮組みができたわ」
「そんな露骨に言わなくても」
心配そうに少年が男の顔をのぞき込む。
「お父さん、そんなにしょげないで」
「ウンウン! そーだそーだチチうえ」
女の子にまで同情されて、男の背中がますます小さくなった。
「ま、そんなに落ち込まないで。……それで、部分的なんだけど、もう動かしてあるの」
女性の指先がキーボードを叩くと、画面が切り替わった。
「見覚え……あるんじゃない?」
画面の中には、男が少年時代に見た懐かしい街並みが映っている。
「これ、酒場通りじゃないか!」
「イノセント・ブルー。こうやってみると懐かしいわね」
石畳の公道と、煉瓦造りの街並みに人々が往来している。
「彼らは?」
「人工知能よ。もちろん意思を持って生活してるわ」
男は画面に食い入るように彼らを見つめていた。
「じゃあもうすぐ……人工知能と人間が共存する時代が来るってことか?」
「まだ未知数な部分はあるわ……でも、未来を信じていればきっとうまくいくはず」
明確な根拠はないが、それが信じるということなのかもしれない。
男は思いながら画面を見つめる。
画面の奧で誰かが両手を大きく振っていた。栗毛色の髪の少女である。
「この画面って、人工知能たちには見えてない……よな?」
男の言葉に白衣の女性は小さくうなずいた。
間違いなく、画面の中の見覚えのある少女は、見えていないはずのこちらに向かって手を振っている。
「カーナ……なのか?」
男の脇に立っていた女の子――夏菜が首を傾げてみせた。
「カナならここにいるじゃない」
女性に視線を移し、男は首を左右させる。
「いや、カーナだよ。彼女が画面の中にいたんだ!」
もう一度画面に向き直ると、そこに懐かしい少女の姿を見つけることはできなかった。
「いないわよ……第一、一度白紙に戻したんだし、彼女が再度生成される確率なんて計算するだけ無駄だわ。人間と一緒でこの世界に同じ人間が生まれてくるなんて、万に一つもあり得ないもの」
「あれ?」
男はもう一度目をこすって画面を探す。
確かに彼女の姿はない。
「不安定だから一般公開はまだまだ先かもしれないわね」
「いや、大丈夫だって。悠が創った世界なんだ。きっとうまくいく」
「……根拠は?」
「今、一瞬天使を見つけたからね。この世界には天使が住んでいるから……理由にならないかい?」
白衣の女性は真顔で告げる男の言葉に、思わず吹き出してしまった。
「ならないわよ……でも、それで納得してあげる」
二人が笑うのを見て、画面からフレームアウトして隠れた少女も微笑んだ。
いつかくるであろう、再会の時を心の中に思い描いて。
/おわり
トップへ。