インテグレイションオーダー
紫ゆきや
ある者は、それは神の奇跡だと賛美した。ある者は、それは悪魔の邪法だと嫌悪した。ただ、かならず語られるのは、それが途方もない力をもつということ。
インテグレイションオーダーとは、強力なモンスターを従え、それと融合することで、人ならざる能力を手にする超常の能力者達である。
剣と魔法の大陸ルーンガレイアの長くつづく戦乱のなかにあって、それは常に最強の存在であった。
おだやかな陽ざしが高原にふりそそぐ。
なだらかな起伏のつづく草原には、馬車がようやく通れるていどの細くて土肌の道がのびていた。
カランカランという鐘の音と、メーメーという鳴き声をあげる羊の群れが、その荒れた道をゆっくりと登っていく。
白い巻き毛に土と草をひっつけた羊たちを引きつれるのは、ひとりの小柄な少女だった。
少女のまとう革のローブはスソがすり切れて、ところどころに土と羊毛がついている。深くかぶった革帽子のしたには、肩にかからないていどの短い赤髪がゆれていた。
その身なりは、少女が決して裕福でないことを示しているが、この辺境ではまったく特別なことではない。ルーンガレイア大陸における二大勢力、神聖大エルダリア帝国とマトゥーダ同盟の長くつづく戦争は、人々の生活をとても苦しいものにしているのだ。
しかし、今のところ少女の苦言の相手は、重税を課す神聖大エルダリア皇帝陛下でも、貧乏な星のもとに遣わした神様でもなく、一匹の羊だった。
まわりの羊よりやや大きめのそれは、群れを離れて道端でうろうろしている。
「ボクらは、毎日毎日おなじ道を歩いているのに、どうしてキミは、そうやって道をはずれていくのかな? 見てみなさい、みな行儀よく歩いてる。キミは年長の羊として恥ずかしくないのかい?」
左手を腰にあて、ひとさし指をたてて説教する少女だが、羊はおしりを向けて、目のまえに広がる草原に熱い視線をおくっていた。
「たしかに飽きる日もあるだろう、ボクだって毎日毎日ジャガイモばかりの食事はどうかと常々おもっている。しかしだね、毎日毎日おなじ散歩ができることだって、じゅうぶんに神様に感謝すべき、ありがたいことなんだよ?」
そうやって、えんえんと道徳と協調性について教えを説いていると、羊がフイと頭をあげる。
どうやらボクの誠意が通じたらしい、と優しく微笑む少女を、あざ笑うかのように羊はひと跳ねすると草原のなかへ入っていってしまう。
「うわ、ひどい」
ちょっと涙目だった。
羊はどんどん草をかきわけ遠ざかっていく。
ショックに小さな胸を痛めながらも、少女は羊を追って草原に足を踏みいれた。
草はけっこう高くて、少女の腰くらいまで隠れてしまう。その草と草のあいだにチラチラ見え隠れする羊の白い背中を追って草原を走る。そして、もう少しで手がとどく……というところで、なにかに激しく足をとられた。
――え?
視界が一転する。
ぎゅふ。
「……痛。……くない」
けっこう派手にころんだはずだが、まったく痛くなかった。
体を起こして、手や足をしげしげと見つめてもスリ傷ひとつない。
座りこんだ地面は、妙にやわらかで黒色だった。
「し……死ぬ」
あまり歓迎できない、切迫したうめき声のする地面だった。
よく見れば、それは黒いマントであり、フードのしたからは、わずかに銀色の髪が見えていた。
「うわ、人だ」
「わかったなら、どけよ」
やや険のある若々しい男の声がした。
少女がおずおずと立ちあがると、マントの男も体を起こす。
男はよほどの長身らしく、座ったままでも、立っている少女の肩くらいまでの高さがあった。
黒いマントはかなり使いこまれていて、ところどころに穴まであいている。その胸のところに刺繍された鷲を象った紋章と、傍らにころがる泥まみれの長剣が、男の身分を物語っていた。
「軍人さんなんだ」
「ちっ、またソレかよ」
言いながら、わずらわしげにフードをうしろへ払い、男は銀色の長髪をあらわにする。それは、まったく手入れされていないのか、ツヤもなくまとまりもない。
その顔は細めの逆三角形で、鋭角な鼻と切れ長の目は、まるで彫像のように見えた。しかし、紅い瞳で睨みつけるさまは、むしろ獰猛な肉食獣を連想させる。
男は若々しい青年だった。
「なんなんだ、オマエ。オレはただ寝ていただけなのに、いきなり腹に膝おとして、頭を肘打ちか? オレに恨みでもあんのか? それとも、新手の山賊か?」
「あはは、ゴメンネ。ボクはその子を追いかけていたダケなんだよ」
青年の声と眼光にふくまれた殺気は、大人でも身をすくめるほどの威圧感があったが、しかし、少女はニコニコと笑いながら青年の左うしろを指さす。
そこには白い羊がもしゃもしゃと草をかんでいた。
青年が顔を向けると羊も顔をあげ、そして青年と目が合うと羊はニィと笑った。呆気にとられる青年のまえで、羊はなに事もなかったかのように、また草をかみはじめる。
青年は大きなタメ息をつくと、ガックリと肩をおとした。
「なんで、オレがこんな……くそっ、もういいや。行け行け。羊や子供なんかに用はない」
しかし、少女は、青年の投げやりな主張を聞かなかったことにして、その横にしゃがみこむ。そして、その顔を下から覗きこむと、まるで子供を相手にするかのような、ゆったりした口調で話しかけた。
「ボクの名まえはルーナ。キミのお名まえは?」
青年は返事をするかわりに、顔をツイッと横へ向ける。
ルーナが、それをまた覗きこむ。
また逆側へ顔を向ける。
また覗きこむ。
青年はルーナの顔をじっと見て、とうとう観念したのか、
「……フェイン」
と、短いクシャミのような名を、ボソリと口にした。ルーナがニッコリ笑う。
「フェインはどうして、こんなトコロで寝てたんだい?」
「腹がへったからだ」
「ごはんを食べなきゃ、お腹はふくれないよ?」
「食うものがないから、寝てたんだ」
「軍人さんじゃないの?」
「元軍人だ」
「お家は?」
「遠くだ」
「お金は?」
「無い」
「働かないの?」
「そのまえに話もできねえよ。村人が怖がって逃げちまうからな」
フェインの語気がやや荒いものに変わった。
「この土地の連中は、どうなってんだ? ここは帝国領だろ。なんで帝国軍の軍服を見て逃げるんだよ。おかしいだろ。なにもさ、軍人が偉いだなんて言わないよ。でもさ、敵じゃねーんだから、逃げることはないだろ?」
まくしたてるフェインをまえに、ルーナは両腕を組んで首をひねる。
「うーん、それはいろいろ事情があるんだよね」
「なんだよ、事情って?」
そう問われたルーナは、黙ってフェインの瞳をじっと見つめた。
紅い瞳は揺れることなく見つめ返してくる。
「うん、キミは悪い人ではなさそうだね。教えてあげるよ。あと、食事もつくってあげる」
その申し出に返事をしたのは、フェインの腹のムシだった。
それを了解とうけとって、ルーナは軽くうなずいてから立ちあがる。
「おいおい、本気か? そりゃ、ありがたい話だけど。オマエはオレが怖くないのか?」
「うーん、ちょっと怖いかな。でも、神官さんが、行き倒れを放ってもおけないからね」
フェインは口をぽかんとひらいた。
「神官? オマエ、神官だったのか」
「うん。これでも村でただひとりの神官さんなんだよ」
「マジかよ!? 神官の資格って、平民がもらうのは、スゴク大変だって聞いたぞ? ひょっとして、貴族か金持ちの娘……には、見えないしな」
「あはは、キミは正直だけど失礼な人だね?」
「だいたい、オマエ、いくつだよ?」
「ボクは15歳だよ?」
「うお、マジか。オレより10コも若いのかよ?」
フェインはルーナの下から上までを、まじまじと眺める。
「そうか、スゲーんだな。いや、マジでスゲーよ」
あんまりスゲースゲーと言われて、ルーナは頬がほてるのを感じた。照れ隠しの笑い声とともに、山道にむかって草原のなかを駆けだす。
「ほらほら、ゆっくりしてると日が暮れちゃうよ〜」
「羊肉にしてやろうと思ったね。かなり本気で」
「そんなことしちゃダメだよ。かなりホンキで」
フェインが呪詛のような低い声で悪態をつくと、ルーナが妙にはずんだ声で返す。
ルーナは鼻歌まじりで、ナベを火にかけていた。
ふたたび、フェインが切ない声をあげる。
「う〜、腹へった〜」
それに雷のような音がつづいた。フェインの腹のムシの鳴き声だった。
深緑色の軍服のうえから腹を押さえて、フェインが木造りのテーブルにつっぷす。
マントは「洗ってあげる」と言って、ルーナが取りあげたのだ。マントのしたの軍服も穴だらけの砂だらけではあったが、まさか裸に剥くわけにもいかなかったので、そのままである。
あれからルーナはフェインを連れて、自分の家である村の教会に帰ろうとしたのだが、そのまえに“ちらばった羊を、ぜんぶ集める”という、けっこうな重労働をするハメになったのだ。フェインも慣れないながらも手伝ってくれたのだが、帰りついた頃には、すっかり日が暮れていた。
ルーナの住む村は、五十戸ほどの家がたつ大きな村だ。
村をかこむ木の柵があまりに弱々しいので、なにかの役に立つのかとフェインに尋ねられ、ルーナは羊のためだよと答えた。
教会は村一番の大きな建物であったが、そのほとんどは礼拝堂であり、住居はそれほど広いわけではない。造りも他の家とかわらず、大小の石を積みあげた壁と、木の板をナナメに並べた屋根をもつ。その石壁にヒビ割れがいくつもあるので、崩れたりしないのかとフェインにまた尋ねられたが、ルーナはそれには笑うだけで答えなかった。
オレンジ色の火がゆらめく暖炉のなかで、くべられた焚き木がパチンと鳴った。
ナベのフタがコトコトと音をたてる。
「腹へった……」
かすれた声で、フェインがまた催促を口にした。
「はいはい、今できたよ」
ルーナはナベを火からおろすと、それをテーブルのまんなかに置く。さっとフタをとると、乳白色のシチューから香ばしい湯気が立ちのぼった。
フェインが目をうるませ、感嘆の声をあげる。
「うぉ〜〜〜、すンばらしい〜〜〜。食っていいか? いいよな? もういいだろ?」
その血走った目が狼のようで、ルーナはちょっぴり“噛まれそう”とか思った。
「いいけど、せめてスプーンとお皿はつかってね?」
木のお皿にシチューをついでわたす。
フェインはそれを受けとると、冷ましもせずに勢いよく掻きこんだ。
もうもうと湯気のあがるシチューをまるで水のように飲みこむさまを、ルーナは目をくるくるさせながら見つめる。
「ねえ、熱くないの?」
「ウマイ!」
熱くはないらしかった。
試しにルーナも自分のお皿に口をつけてみる。
――とても熱かった。
舌の先がヒリヒリする。ルーナはちょっと涙目でフェインを見た。
「ん? なんだ? ウマイぞ。サイコーだ」
「……うそつき」
「は?」
首をかしげるフェインをほうって、ルーナは水を飲みに席を立った。
こんなことなら水も用意しておけばよかった。そんなことを考えながら、木でできた玄関のドアを押して外にでる。
あたりは夜にもかかわらず、ほんのり明るかった。
ふと空を見上げると、満天の星空に、銀色の月がまばゆく輝いている、それは星々の煌めきが霞むほどに。
ルーナは礼拝堂の横にある水瓶のところまでいくと、大きな日よけ板をどかした。そこには大人でも入ることができそうなほどの大きな水瓶が、半分土に埋められている。
水というのは、あるていど寒い場所にあると腐らない。だから水瓶は、たいてい暖炉の熱のとどかない外に置かれているのだ。半分埋めてあるのは、転がらないためと、凍りにくくするためである。
ルーナは水を木彫りのコップですくい、口にふくむ。冷たい水が舌にキモチよかった。
コップを置いて、ふたたび大きな板を水瓶の上にかぶせる。そして、振りかえったところで、ルーナは目の端に小さな灯りをとらえた。
じっと目をこらす。
それは、まばらに建てられた家と家のあいだで、チラチラと揺れていた。数は三つ。それが松明の灯りだとわかった瞬間、ルーナは走りだしていた。
ドアを勢いよく開けて部屋に走りこむ。
フェインはシチューをたいらげ、ジャガイモをかじっていた。
「ふほぉ、ふぉふぉひは?」
口いっぱいのジャガイモのせいで、フェインが何を言ってるのかはわからなかったが、しかし、ルーナはそれどころではない。
「兵隊が来るの。早く隠れて」
ジャガイモをひと息で飲みこむと、フェインは小首をかしげた。
「兵隊が? なんで?」
言うまにルーナはフェインの襟首を両手でつかむと、有無を言わせずテーブルから引きはがす。そして、玄関とは逆側にある寝室のドアを蹴り開けると、そこへ放りこんだ。その細い腕からは想像もつかないような剛力である。
「いいから隠れてて」
ひっくり返ったフェインに、そう言いつけて、寝室のドアを閉めたところで、玄関を叩く音が耳を突いた。
野太い男の声が高圧的に叫ぶ。
「開けろ!」
ドアを硬い何かで殴打する音が、その声に重なる。
ルーナはひとつ深呼吸すると、できるだけ落ちついた声で返事をする。
「鍵はかけていませんよ。どうぞ」
しばしの沈黙のあと、もったいつけるように、ゆっくりと玄関のドアが開かれた。
訪れたのは、黒いマントをまとった三人の兵士だった。彼らの胸にはフェインのとおなじ帝国軍の紋章の刺繍があり、右手には松明がにぎられている。
先頭にたつ髭面の兵士が無遠慮にふみこんできた。マントをひるがえし、腰の剣を誇示するように左手をそえる。剣が軽い金属音をたてた。
そのうしろに色黒で長身の兵士と、背の低い小太りの兵士がつづく。
髭面がジロリとルーナを睨んだ。
「他所者を連れこんだそうだな?」
ルーナは兵士たちを真正面から見すえる。
「はて、なんのことかな?」
その言葉に、髭面は鼻をフンとならして口の端を吊りあげた。
「ほう、なるほど、では神官様ともなると、毎日シチューをこさえて、皿を二枚も出すのですかな?」
「うっ……」
我ながら間が抜けていたな、とルーナは思ったが、今さらどうにもならない。
うぬぬ〜、と唸っていると、それまでうしろにいた色黒の兵士が、あざけるようにアゴをつきだし歩み寄ってきた。
「オヤオヤ? まさか神官サマがウソをつくのか? あん?」
きゅっと拳を握りしめるルーナの髪を、横から近づいた小太りの兵士がなでる。
「へへ、神官さ〜ん」
背筋がゾワッとした。
「と、とにかく、ボクは……」
ルーナが、詰め寄る兵士たちに、意を決して言葉を返そうとした、そのとき、ルーナの背後でドアを勢いよく開ける音がした。
とっさに振りかえったルーナは、驚きに目を見ひらき、口もとを両手でおおう。
大きく開かれたドアの向こうには、ヘラヘラと笑ったフェインが立っていたのだ。
「よお、なんか賑やかじゃん♪」
「ナッ……」
おもわず声が裏返った。
唖然とするルーナのうしろで、髭面が声をあげる。
「なんだ貴様!?」
「いや、なんだと言われると照れるんだけどさ」
なぜ照れる? いや、今はそれどころではなかった。
「ちょ、ちょっと、フェイン、なんで出てきちゃうの?」
駆け寄るルーナに、フェインはニッコリ笑って、
「だって、神官さんに嘘をつかせるわけには、いかないだろ?」
なんて、あっさり言いきった。パチンとウィンクまでして。
ルーナはただ驚きに目を見ひらいて、フェインを見つめる。彼は、それに軽くうなずくと、つかつかと歩をすすめ、ルーナを背にして兵士たちのまえに立ちはだかった。
「どうしたオラ! さっきまでの元気はドコ行ったんだ? ああ!?」
その拳がゴキリと音を立てる。そして、その拳をゆったりと振りあげた、まるで聖典に描かれた悪魔のように。
兵士たちはうめき声を漏らして後ずさる。彼らも松明を左手に持ちかえ、右の拳をにぎった。
しばし、睨みあうフェインと兵士たち。
気を吐く咆哮があがり、四つの黒い影が交錯する。瞬間、三つの鈍い音がひびいた。
ゆっくりと崩れおちる影。
糸の切れた操り人形のようだ――とルーナは思った。
そして、ボソリとつぶやく。
「キミ、弱かったんだね」
勝負はあっけないほど一瞬で決まった。三人の右ストレート、フック、アッパーが怖いぐらい正確に入ると、フェインはあっさりダウンしてしまったのだ。
床にころがるフェインを、髭面が軍靴でこつく。
「コ、コイツは本物のバカだな」
小太りの兵士がフェインの服のポケットをあさる。
「しかも、コイツ、なにも持ってないね」
色黒の兵士がフェインの腰から剣を鞘ごと取りあげた。
「まあ、抜けねぇヤツに、剣はいらねぇだろ。オレが貰ってやるよ」
せせら笑う兵士たち。
ルーナはテーブルのうえにあった木のオタマを取ると、それを両手で構えた。
「それ以上、フェインに何かしたら許さないから」
めんどくさそうに兵士たちが顔を向ける。
オタマから白いシチューがポタリとおちた。
色黒の兵士が鼻で笑う。
「ナニしたら許さないって?」
「人の物を盗るのはいけないことだよ? 教会で教えてもらわなかったかい?」
「へっ、行ったこともねぇよ」
「それはおめでとう、今日はキミが初めて教会に来た日だね。つぎは礼拝堂へ来るのを待ってるよ?」
「チッ、このクソガキが。叩き斬ってやろうか!?」
それを止めたのは、髭顔の兵士だった。
「止めろ。もういい」
そして、ルーナに向かって、来たときと同じように高圧的な口調で命令した。
「いいか小娘、痛い目に遭いたくなかったら、とっとと、この小僧を村から追い出すんだな。もし命令に背けば、お前も、この小僧も、只じゃ済まないからな?」
ルーナがしぶしぶうなずくと、髭面が命令し、兵隊たちは部屋から出ていった。
急いで玄関のドアを閉め、鍵をかけると、ころがるようにフェインのそばにしゃがみこむ。
「だいじょうぶ?」
「……スゲー痛え。優しく介抱してくれ♪」
フェインは片目をひらいてニヤッと笑った。
大きな怪我をしてないのがわかって、ルーナはホッと息をつく。
「もお、だいじょうぶなら、そう言ってよ」
「だから痛いって。癒してくれよ」
ルーナは倒れていたイスを立てると、そこに腰をおろした。
「癒しの奇跡は、金貨三枚になります」
「金とるのかよ? しかも、めちゃくちゃ高額だって、ソレ」
フェインは昼寝を邪魔された猫のように、ひょいっと体を起こす。
ルーナは笑いながら、
「冗談だよ」
と言った。
その向かい側に、フェインも座り、テーブルに両肘をつく。
「んでさ、ナニ? あの連中」
「うん、彼らはこの付近の領地を治めるドグルハット男爵の部下だよ」
フェインが小首をかしげる。
「ドグルハット男爵? 知らねぇ名前だな」
「まだ三十歳くらいなんだけどね。まえの領主さんが事故で亡くなったとかで家督を継いで、三ヶ月くらいまえに戦争から帰ってきたんだよ。そのときに、戦場で部下だった兵士たちを連れて帰ってね。それが最近、悪さをするようになってきたんだよ」
「なんでまた、そんな連中を連れて帰ったんだ?」
こんどはルーナが小首をかしげる。
「うーん、それがわからないんだよね」
「なんにしても、盗賊まがいの横暴を放ってもおけんよな? 男爵はどう言ってるんだ?」
「うん、近頃はとくに酷くなってきたからね。今日の朝、村長さんが男爵さんのところへ直訴しに行ったはずなんだよ。男爵さんと村長さんは古くからの知り合いだそうだから、たぶん、明日には悪い兵士たちは、ちゃんと罰を受けるんじゃないかな? そうしたら、きっと、フェインの剣も返ってくるね」
フェインの目がスッと細まる。
「男爵が命令しているってコトはないのか?」
その言葉を聞いたとき、ルーナの心臓がトクンとなった。
「だって、兵隊がみんなに迷惑をかけても男爵が嬉しいことなんか何もないよね?」
なんだか息が苦しい。
「それに村長さんはスゴイ人なんだから。ボクはね、フェイン……ボクは孤児なんだよ」
声が震えてしまった。孤児であることに引け目に感じているわけではない、むしろ、それとは違う何かが津波のように押し寄せてきて心を重くする。
フェインは黙って聞いていた。
「ボクはね、村長さんにずっと育ててもらったんだよ。神官さんになってからは、ここに住んでいるけどね。村長さんなら、ぜったいだいじょうぶだよ」
自分に言い聞かせるように強く断言すると、知らずと乗りだしていた体から、ふっと力が抜けた。小さいタメ息がでる。
それに合わせるように、フェインも口もとをゆるめると、軽くうなずいた。
「わかった。まあ、明日にでも聞いてみればわかることだしな」
「うん、明日、朝ゴハンを食べたら村長さんの家に行こうね」
「……行こうねって、オレも行くのか?」
「嫌?」
「嫌ってわけじゃないけど」
「じゃあ決まりね、今日はもう寝ようか?」
両手を合わせて席を立つ。
それを、フェインの真剣味を帯びた声が止めた。
「いちおう言っておくが……」
つづく言葉に、ルーナはじっと耳をかたむける。
「オレは、子供には、興味ないから大丈夫だ」
ニカッと笑うフェインに、ルーナもニッコリ笑みを返す。
「うん、心配してないよ? だって、ボクのが強そうだしね」
乾いた笑い声をあげるフェインを残して、ルーナは寝室のドアを閉めた。
東側の小さな窓から、朝日が差しこむ。
その明かりに照らされたテーブルの向かい側には、フェインが座っていて、もしゃもしゃとジャガイモをかじっている。
どことなく羊に似てるな、とルーナは思った。
フェインが六コめのジャガイモに手をだしたとき、いきなり、玄関のドアが激しく叩かれた。
「開けろ!」
聞き覚えのある野太い声だった。
ルーナとフェインは顔を見合わせる。
「意外にも仕事熱心な人だったんだね?」
「オレ、さすがに二回も殴られるの嫌だなあ」
ふたたびドアが力強く叩かれる。
「しゃーねーな、オレはこれで消えるわ」
さらりと言って、立ちあがると、ルーナが止めるのも聞かず、フェインは玄関のドアを開け放つ。
はたして、そこには昨夜の髭面の兵士が立っていた。
ジロリと睨みつける髭面に、フェインは楽しげに声をかける。
「いよぉ、また会ったな、オッサン」
髭面はフンと鼻をならした。
「昨晩の一撃で頭を打ったか? 俺は出て行けと言ったはずだがな?」
「一撃じゃねえよ、三つだ。右のほっぺと、左のほっぺと、アゴに」
指で左頬、右頬、顎と順番に指さすフェインを、髭面が睨みつける。
ルーナはあわてて玄関まで走っていくと、フェインの腰のあたりをつかんで、玄関から引き離した。本当は襟首をつかむところだが、あまりの身長差で手がとどかなかったのだ。
できるだけ小さな声でしゃべる。
「キミね、挑発してどうするのかな?」
「いや、なごやかな朝のアイサツのつもりだったんだけどね」
「どこが?」
ヒソヒソ話す二人に、髭面が一枚の書状を突きだした。そして、高らかに宣言する。
「ルーナ・クラフトエル神官、ドグルハット・エルダーバロン・ウェストサラヴァルド男爵の召喚である。ただちに砦まで出頭せよ」
ルーナは目をまるくして、その書状をおずおずと受けとる。
それは、確かに男爵の召喚状だった。
自然と硬くなる声でルーナが尋ねる。
「どういうことかな?」
髭面がまた鼻をならした。
「この村の村長が処刑されるから、その経をあげろということだ」
「ウソ……なんで?」
ルーナの肩が震えた。
「知らんが、男爵につまらん口答えでもしたんだろ……」
その言葉が終わらないうちに、ルーナは駆けだしていた。髭面を押しのけるようにして玄関を抜けると丘を駆けのぼっていく。
フェインの制止の声にも振りかえることすらできなかった。
草原につづく山道を、ルーナは走りつづけた。
ひときわ小高い丘を登っていくと、灰色の塔が目に入り、つぎに石造りの四角い建物が見えてくる。男爵の砦だった。
小高い丘の頂上にある砦を囲う巨大な石壁。その壁にある巨大な鉄の門のまえに、かなりの人だかりができていた。
黒や茶色のローブをはおった村人たち。そこにはルーナの村からだけでなく、いろいろな集落の人たちが集まってきている。
彼らの騒然とした表情と、押し殺した声がルーナの心をいっそう掻き乱した。
「通して、通して!」
ずっと背の高い周りの人たちに阻まれ、その先がどうなっているのか、まったくわからない。ただ、大きな声で、人波を掻きわけながら進んでいく。
走りつづけた足は重く、心臓は激しく動悸し、土煙に声はかすれて痛い。迷惑そうな顔を向ける大人たちを、それでも押しのけ、ルーナは群集の最前列にでた。
まず見えたのは、丸太で組まれた柵だった。鉄の正門を中心に、大きな半円をなぞるように並べられている。
その内側に立つ何人もの兵士が槍を構えて、近づく者を威嚇していた。兵士はしきりに「柵に触れてはならない!」と叫んでいる。
それに従うように、人々は柵から数歩さがったところで、じっと柵のなかを見つめ、ときに嘆き、ときに小声で話しているのだ。
ルーナは丸太の隙間から柵のなかへ視線を投げる。
そこには鎧を着て槍を持った兵士たちと、金色の椅子だけが置かれた白い天幕、それに、太い木の柱に縛られた、それは、村長さんだった。
その両手は丸太のうしろに回され、白髪の頭をぐったりと垂らしている。
「ウソだ……」
背中の汗が全て冷たいものに変わった。瞳に溢れた涙で景色が歪む。腹のなかは火をくべられたように熱くなった。
心のなかで燃えあがった黒い炎は男爵のいる砦を睨みつける。
そして、その炎は目に入る全てのものに向けられた。
槍を構える兵士も、目のまえの柵も、眺めるだけの群集も、全てに憎悪の炎が広がっていく。
紅蓮に渦巻く激情のままに、飛び出そうとしたルーナの左肩を誰かがつかんだ。
「離せえっ!」
反射的に振り払った左手の甲が柔らかいものを叩き、乾いた音を立てる。
ハッと振り向いたルーナの目のまえには、左頬を赤くしたフェインが腰をかがめていた。どこから持ってきたのか茶色いローブをまとって。
「どうやら、オレがオマエと会うときは、まず殴られることに決まってるらしいな♪」
冷水を浴びせられた気がした。
禍々しく燃えあがっていた炎が、雨に降られたように消えていく。その雨は胸を詰まらせ、瞳から溢れでた。
「うく……フェイン……ごめんね。ボク、どうかしてたね」
「ああ」
「村長さんがね、村長さんが……」
「わかってる」
「どうしよう? フェイン、ボクどうしよう?」
土埃にまみれた両腕で涙をぬぐう。しかし、どれだけぬぐっても涙は止まらなかった。
「そいつは、オレには決められないな」
「うあ、んあ……フェ、イン。」
フェインが白い布で顔をぬぐってくれる。布は泥まみれになった。
「オマエは、ここで、他のヤツラみたいに見てるのか?」
頭を横に振る。
「じゃあ、男爵の言うとおり、村長の経を読むか?」
絶対嫌だ。
「なら、泣くのはまだ早いよな? ホレ、忘れ物だ」
そう言ってフェインは、ルーナの目のまえに長い錫杖をつきだした。
鉄の棒の先端に環をつけ、そこに三つの小環をつけた錫杖。それは、ルーナが神官であることの証だった。
「コレがねえと、入れねえだろ? 柵のなかにさ」
そう言って、フェインは片目をつぶる。
「フェイン……」
「オマエが正しいと思うことをすればいいさ」
その言葉に深くうなずくと、ルーナは自分の身の丈よりも長い錫杖をしっかりと握りしめた。
「ありがとう、フェイン。ボク、がんばるよ」
ルーナは柵のほうへ振りかえる。
もう涙は止まっていた。
召喚状を兵士に見せると、ルーナは柵のなかへと案内された。
護衛と見張りを兼ねてか、左右に二人の兵士がつきそう、重い金属鎧がガチャガチャと音をたてている。
柵のなかは思っていたより、ずっと広かった。
錫杖を持ったルーナの姿に、人々のざわめきが大きくなる。柵の外の群集は、まるで亡者の群れのように感じられた。彼らは未だ気づけない、嘆き悲しむだけでは何も変わりはしないということに……それに気づかせてくれた人の姿は、見つからなかった。
ルーナは心に垂れこめる暗雲を払いのけ、中央に立てられた柱に向かって歩く。
逃げだしたい気持ちと、駆け寄りたい気持ちの両方を懸命にこらえた。
柱に縛りつけられた村長さんは、力無くうなだれていた。その短い白髪や褐色の肌に赤黒い血がこびりついている。
ふたたび心の奥がチリチリと熱くなった。
「村長さん」
その呼びかけに、ゆっくりと顔をあげる。
「……ル、ルーナか?」
その顔は、目が細くなるほど腫れあがり、そうでないところも青黒く痣になっていた。
「なんてことを……」
「すまない……ルーナ、力およばなかった。だ……男爵は、戦争で、お人が変わってしまわれた……」
「でも、こんなのないよ。酷すぎるよ」
なにかを言いかけた村長さんが、ゴホッと咳きこみ、その足元に血が飛んだ。
ルーナは左側に立っている兵士に、
「村長さんに、水を持ってきて」
と頼んだ。しかし、兵士は頑として動かない。右側の兵士も同様だった。
村長さんが頭を横に振る。
「いいんだ」
「でも……」
「ワシは、末期に愛娘の顔を見れた……それだけでいい」
「そ……お父さん……」
そのとき、群集がひときわ大きくざわめいた。兵士たちが姿勢を正す。
顔をあげたルーナは、天幕に現れた男爵の姿を見つけた。肉をゆらす顔に、禿げあがった頭、金の装飾を散りばめた紫色のローブが樽のように膨らんでいる。その左右には銀色の鎧をまとった騎士がつき従っていた。
男爵が左手を軽くあげると、左側に居た騎士がゆっくりと前に歩みでる。そして、一枚の書簡を両手で広げると、高らかに読みあげた。
「ドンクソン・クラフトエル! この者、帝国の尊厳を侵害せし不敬罪により、死刑に処す!」
ルーナは目を見ひらいて、声をあげる。
「不敬罪だって?」
それに応えたのは目のまえの騎士ではなく、うしろでふんぞりかえる男爵だった。
「そのとおり!」
ルーナは天幕のなかを睨みつける。
男爵は豪奢な椅子に腰かけ、肘をつき、口もとを歪めて笑っていた。顔の肉が揺れる。
ダメだ……怒りに我を忘れてはいけない……目を閉じ、心のなかに渦巻く炎を見すえる。
憎しみは闘志へと変わった。
目をひらき、男爵に問う。
「彼はどのようにして、帝国の尊厳を侵害したのか?」
「我のことを盗賊の如きだと称しおったのだ! 我は帝国貴族、我への侮辱は皇帝陛下への侮辱に他ならないのであぁる!」
落ちついて、考え、ゆっくりと返す。
「侮辱とは、ばかにして、はずかしめることだね? 村人の財産を不当に略奪し、旅人を襲い、さからう者は手に掛ける……盗賊の如きと称するに、何が不足だと言うのかな?」
男爵の顔がみるみる赤くなっていく。
「貴様も処刑されたいらしいな?」
恐れるな――心のなかで叫ぶ。
「これらの悪行を、キミたちは天国の門前でどう弁解するんだい?」
「バカ者が! 貴様らなんぞ、俺様の所有物にすぎんのだ。弁解など必要ない! 水瓶の水をくむが如くだっ!」
衆人はどよめき、兵士たちは狼狽した。
ルーナは凛とした声で処断する。
「キミのその言葉は神への冒涜だよ」
「なんだと?」
「全ての存在は神の名のもとに平等なんだよ? ボクらは水瓶の水にすら許されて、それを口にしているんだ。ボクらは手に入れる全てに感謝しなくてはらない。キミの行為に感謝の気持ちはあるのかな?」
男爵は怒りをあらわにして立ちあがる。
人々も兵士たちも静まりかえって成り行きを見守っていた。
「平等だと!? 我は皇帝陛下より、この領土の全権を与えられし帝国貴族であるぞ!」
「神の代行者たる皇帝に許されているのは、この土地の営みが円滑に行われるように努力する義務を与えるコトだけだよ。キミはその義務を授かることを神に感謝しなくてはいけないんだ」
「そんな辛気臭いもんに感謝なぞするか! ボケがあ!」
「そうかい? キミは爵位を継承するときに、それを宣言しているはずだけどね? ならば、キミは神と皇帝のまえで嘘の宣言をしたのかい?」
「んぐっ!?」
顔を真っ赤にして歯噛みする男爵に向かって、ルーナはひとさし指を突きだした。
「ボクはキミを告発するよ」
「ぬぬぬ……」
肩を震わせる男爵は、キッと視線を転じると、左右に控える騎士を怒鳴りつけた。
「何をボサッとしているか! こやつを捕らえよ!」
しかし、騎士たちは顔を見合わせて逡巡する。
「お、おのれ!」
男爵は騎士たちをひと睨みすると、こんどは周りをぐるりと見まわして大声をあげた。
「兵士ども、こやつを捕らよ! 捕らえれば好きなだけ褒美をくれてやるぞ!」
多くの兵士は、やはり顔を見合わせ動かなかったが、何人かが剣を抜いた。まず、背後に立っていた二人の兵士が、雄叫びをあげながら飛びかかってくる。
ルーナは左手に持った錫杖を脇にかかえると、それをうしろへ突きだした。
「ゲゥッ!?」
カエルの潰れたような声をあげ、左うしろの兵士が腹をかかえてうずくまる。
体を左へずらし、もう一方の攻撃をかわすと、さらに左へ体を捻って、錫杖で兵士の右脇を叩いた。そして、振りかえる勢いを錫杖に乗せて先端の大環を兵士の顔に叩きこむ。兵士は悶絶して倒れ伏した。
男爵は慌てふためいて、騎士たちのうしろへ隠れる。
「な、何をしておるか! 小娘ひとり、さっさと捕らえよ!」
騎士たちはまだ動かない。
しかし、他の兵士たちが走りよってきた。
ルーナは騎士たちに背を向けると、兵士たちに向けて錫杖を立て、右のひとさし指を額につける。
「神の名において、汝ら、その罪の重さを背に受けよ!」
錫杖に青白い輝きが宿り、そこから放たれた光りが、走りくる四人の兵士を包む。すると、彼らは何もない場所でいきなり倒れこんだ。
ベチャリと顔を打ちつけ、
「動けな〜い、動けないよ〜」
と情けない声をあげたのは、昨晩の小太りの兵士だった。
その光りの届かなかった兵士のひとりが剣を抜いて、ルーナのまえに立つ。それは、あの色黒の兵士だった。
「ガキが! 叩き斬ってやる! いくぞコラァ!?」
長身から振りおろされる斬撃を錫杖で弾く。そのまま、錫杖を頭上で回して勢いをつけて真横から一閃する。
「速い!?」
色黒の右の腕と肩に錫杖を打ちこむ。金属の鎧が棒の形にへこんで、そいつは片膝をついた。返す勢いで左側の兵士の剣を跳ねあげ、ひらいた脇腹に右の掌呈を叩きこむ。その右手を錫杖の環にかけて引き、棒のうしろを跳ねあげるようにして、背後で剣を振りかぶる兵士の顎を強打した。左側と背後、両方の兵士が同時に崩れおちる。
目のまえにかがんでいた色黒の兵士が奇声をあげた。左に持ち替えた長剣で足首の高さを横薙ぎにしてくる。
跳んだ。
色黒が叫ぶ。
「もらったぜっ!」
すくいあげるような長剣の一撃が、バランスを崩したルーナに襲かかってくる。
しかし、両手でつかんだ錫杖を地面に突き立て、ルーナはさらに上へと体を持ちあげた。
長剣が空を斬る。
「なんだとお!?」
その高みから、体を捻って、錫杖を振りおとす。色黒のとっさにかざした剣を叩き折り、その顔面に鉄の棒をメリこませた。うめき声を漏らして、色黒が大の字に倒れる。
ルーナの目のまえには、九人もの兵士がころがっていた。
残った兵士たちは遠巻きに剣を構えているだけで、近寄ろうともしない。
騎士がつぶやいた。
「つ、強い」
ルーナは、騎士のうしろの男爵へ向きなおる。
「誰も死んではいないから。でも、早く手当てしてあげたほうがいいと思うよ?」
柵の外で観衆が喝采をあげた。兵士たちの威嚇など無視して柵に寄り、逆に兵士たちに石を投げつける。大騒ぎだった。
男爵の顔が赤色から青色に変わっていく。
「んぬぬぬ、おのれ、おのれ、おのれえ! こうなれば、俺様の真なる力を見せてくれるわ!」
そう叫んで、男爵は首からさげた深緑色の大きな宝石を両手でつかんだ。
「ま、まさか! 男爵様、お待ちください! ただいま我々が何とかしますゆえ!」
「黙れ! もはや貴様らの力など借りぬわ!」
手のなかの宝石が緑色に光り輝く。
「来いっ! ギガンドゥゥゥム!」
「男爵様ぁ〜!」
騎士たちが子供のような泣き声をあげた。
ルーナの心臓がトクンとなる。
異変はすぐに起きた。
砦のなかから、すごく重たいものを引きずるような音が聞こえてくる。
ルーナは胸を押さえつけられているかのような息苦しさを感じた。
閉ざされた門の向こう側で、兵士たちが喚き散らしている。
なにかが地獄から這い出てくるような、そんな音だった。
狂乱していた人々が静かになる。
音が門のところで止まった。
男爵が叫ぶ。
「砕け! ギガンドゥム!」
鉄の門を叩く轟音がとどろく。
それは信じられない光景だった。
黒々とした鉄の門が、まるで泥で造られていたかのようにグニャリと曲がったのだ。
その裂け目を深緑色の巨大な左手が、向こう側からつかむ。
「よぉし来い! ギガンドゥム! こいつらを殴り! 潰し! 噛み砕くのだあ!」
巨大な手が鉄の門を押しひらいた。
そびえ立つ、筋肉の塊のような巨体。その高さは砦のごとく高く、右手には家ほどもある巨大な鉄槌をにぎり、顔には巨大なヒトツ目と、耳まで裂けた口があった。
群集も兵士たちも絶叫をあげ、逃げまどう。
まるで、天が落ちてきたかのような大混乱だった。
「ぶはははは、いくぞお! ギガンドゥゥゥム、インッテグレイトォォォ!」
男爵の胸に輝く宝石から緑色の光りが溢れ、男爵と巨人を包む。
二人の騎士がどちらからともなく逃げだした。
「う、うわあああ!」
光が消えていく。その残光のなかから、緑色の巨体が砂を巻きあげて跳んだ。ルーナを飛びこえ背後に着地すると、そこに雷が落ちたかと思うような音がひびいた。大量の土煙があがる。
雨のように降ってくる土をローブで受けしのぐと、ルーナはゆっくりと振りかえった。
そこには小高い山のような背中があった。
巨人の鉄槌のしたで、赤い何かが潰れている。
それが、さっき逃げだした騎士たちだとわかって、ルーナは胃のなかのものが逆流してくるような気持ち悪さを覚えた。
巨人が立ちあがって、ルーナを見おろす。
その胸の中央が不自然に盛りあがり、男爵の顔を形づくった。
「ぶはははは、どうだ小娘、これが究極の力だ!」
「こ、これが……いんてぐれいしょんおーだー……」
「最強のサイクロプス、ギガンドゥムの破壊力と頑強さを手に入れた俺様は、完全に無敵だ!」
そのとき、見あげるルーナの足元から、うめくような声が聞こえてきた。
「た、助けて……」
それは、さきほど打ちすえた兵士たちだった。
ここに居たら、彼らまで巻き込んでしまう。
ルーナは駆けだした。
「あ〜? 逃げてもムダムダ〜! インテグレイションオーダーとなった俺様は、軍馬より速く走れるのだ! ぶはははは!」
大地を揺るがす足音を、すぐうしろでひびかせながらも、男爵は攻撃してこなかった。
ルーナは柵の手前まで走ると、キッと振りかえる。もう人々は逃げ散って、柵の近くには誰もいなかった。
巨人もそこで足を止める。太陽を背にしたそれは、漆黒の城のようにも見えた。
「ぶははは! もう終りか。つまらんな〜!」
巨人の胸のところにある男爵の顔が、肉を歪めてニタリと笑う。
「どうだ、小娘、命乞いをしろ! 俺様の心がトキメクくらい卑屈に命乞いすれば、許してやらんこともないぞ? ん〜?」
巨人が鉄槌を振りあげる。その勢いで砂が舞いあがった。
「それは断るよ」
「ふん! なるほど、命は惜しくないというわけか!」
ルーナはゆっくりと頭を横に振る。
「むろん、死ぬのは怖いよ。痛いのも嫌だしね」
「ならば! なぜ命乞いをせんのだ!?」
噛みつかんばかりの男爵に、ルーナは晴れやかな笑顔を向けた。
「心は、あらゆるものから自由であるべきだと、ボクが信じているからだよ」
巨人の動きが止まる。
ルーナは両手を広げた。
「信じているから、ボクはそれを裏切りたくないんだ」
その言葉に返ってきたのは、男爵の死の宣告だった。
「小娘が、あの世で説教するがよいわ!」
巨大な鉄槌が、振りおとされる。
ルーナはそれでも笑っていた。
――最期まで、笑っていよう。
自分の心を信じてよかったと。
生まれてきたことに感謝しよう。
ボクは嬉しかったよと。
青い空と、草の薫る大地と、みんなに、
「ありがとう」
ルーナのつぶやきは、激しい金属音にかき消された。
痛みも、苦しみも無かった。
鉄槌はその頭上で止まっていたから。
「よお、だいじょうぶか?」
妙に気の抜けた――それは、あの人の声だった。
「……フェ、フェイン!?」
「おう、待たせたな」
男爵が叫ぶ。
「対魔法生物防御呪文だと!?」
「正解♪」
フェインがニヤリと笑った。
「フェインは、魔法使いだったの?」
「いや、違う」
「それじゃあ……」
フェインがじっとルーナを見すえる。
「オマエに力を貸してもいい」
「え?」
「オマエには、その資格があると……オレは思う。だが、オマエが命を奪うことをためらうなら、オレはこの場からオマエを逃がすだけにする。どうする?」
フェインの瞳が紅く光った。
ルーナはその瞳をまっすぐ見つめる。
「ありがとう、フェイン。ボクは信じるものと、みんなのために戦いたい。そのためなら、どんな痛みも、争う罪も恐れない。だから、ボクに力を貸して!」
「わかった」
フェインの差し伸べた手に、ルーナはその手をかさねる。
「ルーナ・クラフトエルを、我が主(あるじ)と認めよう」
結んだ手から、まばゆい光りが満ちる。
その白い光りのなかで、フェインの姿が変貌をとげた。
背中から白銀の鱗をもった艶やかな翼が広がり、その体が形を変えながら大きくなる。紅い瞳の輝く顔は爬虫類のそれへと変化した。
それは巨大な白銀の竜だった。
ルーナを遥かな高みから見おろす紅い双眸。
「フェインなの?」
「ああ、怖いか?」
「ううん、驚いただけ。ボクはキミを信じてるもの」
竜が微笑んだように、ルーナは感じた。
光りがいっそう強くなり、ルーナの視界が完全に白くなる。無音の世界だった。自分が立っているのか、寝ているのかすらわからない不思議な感覚のなかに、ただ、清涼な風に吹かれるような心地よさだけがあった。
突如、光りが消え、周りの景色が見えてくる。
まず、自分の両手を見た。
白くて細い、人間の手だった。それは、やや大きく美しい他人のもののような気がしたが、左手にはしっかり錫杖もにぎられている。
「ダメだったの?」
「いや、そうじゃない」
まるで耳もとで囁いかれたように、フェインの声が聞こえた。
「え? どこにいるの?」
「今のオレは、オマエの霊体に融合している。オマエを魔法的に強化するためだ」
「え? どういうこと?」
「オマエの外見はドラゴン族の影響を受けながらも、オマエ自身の霊格の向上に従った想念の具現という形をとっている」
その説明は、ルーナにとって、まるで魔法の呪文のようだった。
「じゃあ、コレは?」
ルーナはローブのうえから見てもわかるほどの、ふたつの胸のふくらみと、腰まで流れる銀色の髪に目を向ける。
「オマエが“より霊格の高い姿”として認識している者の姿に近づいたんだ。なるほど、神官であるオマエが女神の姿をとったとしても不思議はないな」
「ええ!?」
「あるいは、単なる願望である可能性は否定できないが……」
「ふえ〜!?」
「そんなことより、敵が動いたぞ。上だ!」
ハッと見あげたルーナの目に、黒い鉄の塊が映る。
ルーナは激しく押しつぶされた。
光を散らしながら対魔法生物防御の障壁が霧散する。
「ぶははは! バカめ、対魔法生物防御呪文は、魔法生物の攻撃は防げても、それが投げた物体までは防げんのだ! たとえインテグレイションオーダーとなっても、魔法強化型の貴様では、この物理攻撃のダメージは……」
男爵の言葉は最後までつづかなかった。
ひしゃげた鉄の門を払いのけ、ルーナが立ちあがったからだ。
「たしかに、痛かったよ。血は出なかったけどね」
そう言いながら、頭をさする。
「ああ、たんこぶになってるよ〜」
「な、なるほど、あるていどは物理防御フィールドも強化されているわけか。だが、それでもパワーと耐久力は、こちらのほうが上のはず! くらえ!」
巨人がふたたび鉄槌を振りあげる。
「フェイン、武器はないの?」
「ああ、オマエがイメージしなかったからな。だが、竜族の威信にかけて、巨人族ごときにパワー負けするなど有りえん! オレを信じて打ちこめ!」
「う、うん!」
天から落ちてくるような巨人の鉄槌に、ルーナは左手の錫杖を突きあげる。
「えぇぇぇい!」
しかし、鉄槌の動きは止まらない。錫杖が音も無くひしゃげていく。
「死ねえええい!」
「まだだよ!」
――諦めちゃダメだ!
ルーナは錫杖を捨て、迫る鉄槌に右拳を叩きこむ。
一瞬の力の拮抗。
そして、巨人の鉄槌に無数の亀裂が走った。
「なにいっ!?」
男爵が驚愕に顔を歪める。鉄槌が轟音とともに砕け散った。
フェインが叫ぶ。
「そのままブチかませ!」
「うわあああああ!」
ルーナの右拳から放たれた青白い閃光が巨人の胸をつらぬく。
「ば、ばかな! 拳の一撃が、ドラゴンブレス級の破壊力などと……」
爆発。
轟音とともに、熱風が押し寄せる。
「うわ!?」
黒煙に視界をおおわれ、爆発音に耳が鳴った。なにかが焦げる臭いがする。口のなかが砂っぽい。
「ど、どうなったの?」
暗闇のなかで、ルーナは見えない敵をじっと睨みつづけた。
風に吹かれて煙が流れる。薄まる煙の向こうに、仁王立ちする巨人の黒い影が見えた。ルーナはふたたび右の拳を握る。
しかし、その拳が放たれることはなかった。
巨人はその胸に大きな穴をあけて、力尽きていた。
ルーナが大きく息をつく。
それを合図にしたかのように、白い光りが体をつつんだ。
暖かな光り。
そう思ったところで、ルーナは強い眠気に襲われた。
体から力が抜けていく。
意識が眠りの沼に沈んでいき、虚ろな視界が傾いた。
――倒れる。そう思ったとき、誰かがフワリと抱きとめてくれた。
陽の光りに輝く銀色の髪と、宝石のような紅い瞳。
「……フェイン、ありがとお」
「ああ、よくがんばったな」
その優しげな声に、ルーナは微笑みながら、しばしの眠りにおちるのだった。
おわり
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