創天界セラフィクション
■魔導師の名はベルマイア■
蟻塚のような砂の山。アロースリットなどをみると人の手で作られたのがよくわかる。
砂漠のど真ん中に陣取る蟻塚が、周辺で名をとどろかせるガルーダ強奪団のアジトだった。
影が一つ。
紅い髪にマントを羽織る長身の女性。
腰のベルトに下がるハードカバーは魔導書だった。
女の肌は透き通るように白く、整った目鼻立ちはまるで精巧に作り込まれたビスチェドールをおもわせる。
瞳は透き通る鳶色でいくらか憂いを含む。
彼女の周囲を取り囲むのは無骨な男達。
眼帯だのスキンヘッドだのモヒカンだの、みるからに野盗、山賊のたぐいである。
十数人が彼女を囲んでいた。
その誰もが頬を赤らめ、もじもじと落ち着き無い。
「ああ、なんてこった、俺のハートはもうドキドキバクバクだぜ」
男の一人がため息をもらす。磨き上げられたスキンヘッドを頭皮まで真っ赤にして、男は茹で蛸と化していた。瞳はとろけ落ちる寸前で、鼻息あらく女魔導師を見つめている。
「……いい……いいよあんた……地上に降りた天使か女神ってやつだ」
モヒカンのひょろっとした青年は目を丸くして魔導師に熱い視線を送っていた。
「…………」
女魔導師は動かない。
(おそらく彼らが賞金首の……)
心のなかでひとりごち、小さく息を吐く女魔導師。
ため息とともに白い肌に朱がさす。
ほのかな色香。彼女の一挙手一投足に男達は身もだえる。
(まったく、気持ちの悪い連中だ)
その原因が自分にあるとはつゆ知らず、彼女は心の中でばっさり切り捨てる。女魔導師に「自分が絶世の美女」という自覚が無いのは致命的だった。
もともと女に餓えているような賊の一団のアジトに、いきなり正面からやってくる女神のような女性。その美貌は普通の男でさえ一目惚れは必須であり、告白せずにはいられなくなるほどの超絶美形なのである。
「も、もう我慢できねぇ! 俺が! 俺が告白する! でででで、デートしてくれぇ!」
茹で蛸状態のスキンヘッドが一歩前に出た。瞬間、スキンヘッドの頬に紅い筋がツーっと浮かぶ。
「ま、待て! 抜け駆けはゆるさねえぞ!」
モヒカンの手には投擲用ナイフが光っていた。投げつけられたナイフがスキンヘッドの頬に傷を付けたのである。仲間同士で一触即発の空気が充満する。
「やろうってのか!?」
スキンヘッドもスキンヘッドで得物の斧を構えてみせた。
「殺伐としているな……喧嘩はよくない」
女魔導師の一言でモヒカンはナイフを投げ捨てる。
「はい! 喧嘩はよくないです!」
背筋をピンッとのばし、甲高く声をあげるモヒカン男。
「て、てめえ! 自分だけイイコチャンかよ! あ、はい! ボクもそのぉ、喧嘩はよくないと思うのだ」
一度モヒカンをねめつけてから、スキンヘッドが斧を投げ捨てると、今度はうやうやしく女に礼をした。
「そうだ喧嘩はよくねぇぞバカどもぉ」
部下二人を笑う眼帯をつけた大男。
身長は二メートル以上あり、二の腕が女の腰ほどある巨躯である。
頭ははげ上がり、あごひげはもみあげとつながっていた。脂ぎった肌が気色悪い。
「お前がガルーダか?」
女は落ち着いた口調で眼帯の大男に聞く。
「い、いかにもワシがこの『ガルーダ強奪団』団長のガルーダである! ときにご婦人! どうかね? 我々の家で旅の疲れを癒していかないか? よければ何泊していってもかまわんし、できれば……その、なんだ、ワシの嫁さんにでもなってくれれば間違いなく幸せにしてやろう」
男の威厳たっぷりに宣言する団長に、女魔導師は小さく笑う。
(あれがアジトか……なら力の違いを見せることでわたしに服従を誓ってもらおう)
女一人が男達十数人と渡り合うなど不可能に近い。
だが魔導師となれば話は別である。
強大な魔導の力を見せつけ、その威力の大きさを目の当たりにさせることでで相手を無力化する。実際に傷つけることなく、実にスマートな作戦だった。
めぼしいものが何もない砂漠のど真ん中。
力を誇示するための良い的は男達のアジト──蟻塚だけ。
彼女は決断する。
「さあ、どうだね旅のご婦人!」
「断る」
ニコリと微笑みながら、女は何事もなかったように告げる。
砂漠の真ん中で、燦々とふりそそぐ陽光に、女は腕のリングを掲げると呪文をつぶやいた。
魔導師の手の中に光が集約すると、それは光球となる。
異様な熱気に気圧される男達。
団長をふくめ、強奪団の全員がたじろぎジリジリ後退をはじめる。
「強奪団に告ぐ。先日お前達が帝国の車両を襲ったさいに奪ったと思われる魔導機械の図面というものを出してもらいたい。もし、わたしの質問に明確に答えなければ大変なことになる」
この一言でようやく強奪団は彼女が「なぜたったひとり、辺境の賊のアジトにやってきたのか?」を無理矢理理解させられる。
「ま、まさか! 賞金稼ぎ!?」
スキンヘッドが青ざめると悲鳴を上げた。
「明確な回答ではないな」
女魔導師は無雑作に光球を放つ。
熱気を帯びたそれはゆっくり弧を描きながら、賊の一団をこえるとその背後にあった蟻塚……彼らのアジトに着弾した。
瞬間、巨大な炎の柱がアジトを包み込む。
「強奪団に告ぐ。先日お前達が帝国の……」
魔導師が再度通告する。
すでに第二弾の光球が魔導師の手の中に生まれていた。
今の一撃を目の当たりにして賊の大半は正気を保てず失神を余儀なくされる。
凶悪すぎる魔導師の一撃に、なんとか意識をつなぎ止めていた眼帯の巨躯……団長ガルーダはゆっくりとアジトを指さす。
「あの中に……」
「……?」
震える巨躯の言葉に女魔導師は首をかしげた。
「いや、強奪したものはアジトの中に保管するのがワシらの習性でありましてな……」
補足説明をされて魔導師はようやく理解する。
「ということは……魔導機械の図面は?」
「あの……灰……です」
巨躯は敬語で魔導師に告げた。
呆然とする女魔導師。
雲一つない空を見上げると。
「まあ、済んでしまったことは仕方ないというからな」
女の声は青い空にむなしく消えていった。
これで彼女の任務失敗は七つ目である。
魔導師の名はベルマイア。
自分の魅力にまったく気づかず、実力と依頼完遂率が反比例するという奇特な賞金稼ぎである。
■賞金首の名はラージック■
ガザックは帝国領の南端に位置する。ワインが名産な他に見るべき名所もない辺境の街だった。
街を囲むように城壁が築かれ、西の砂漠や南の樹海と人間の領域を隔てている。
砂漠には盗賊団……それよりもさらに西にはかつて人間とこの大陸の覇権を争った魔族の領域がある。
そして、南には人間とは違う文化をもつ獣人たちが巣くっていた。
石造りの歴史を感じさせる街並み……といえば聞こえはいいが、改築できないだけで放置というのが実情。城壁も数百年野ざらしにされたまま、補修されることもなく風化している。
大陸の勢力を帝国が握って百年。一度は魔族によって滅ぼされかけていた人間たちも、神話の天使の助成と数千年前に栄えたとされる古代魔導文明の力によって魔族を一掃し、現在では大陸の半分以上が人間の領域となっていた。
人間と魔族。その戦いの激しさから、当時の記録物はほとんど戦火で失われてしまっていた。昔話で語り継がれる程度で、大陸を二分した大戦が人々の記憶の彼方へと忘れ去られて久しい。
とはいえ、その栄華も辺境の街ではうかがいしることはできない。
帝都には魔導の力で走る導力車やら、魔導力で光を作り出すランプ。極めつけは巨大な戦艦が空を行く。と噂だけは流れてきている。
「おかげで、街の若いやつらはみんな上京しちまってねぇ」
蓄え髭のビア樽を思わせるような体型の店主は、一週間後れで届く帝都新聞に視線をはわせながらぼやいている。
新聞をみているかと思えば、ちらちらと女の顔に視線が向く。
カウンターにかけているのは店主がこの店を始めてからおとずれた客達の中でも最高の美形だった。が、視線を向けると睨まれるのでビア樽はまた視線を新聞に戻す。
「…………」
女──ベルマイアは無言だった。
過疎化が進もうと二十四時間営業の便利屋がなくても、どんな田舎にも賞金稼ぎの情報源となるバウンティーズギルドは存在している。
仕事を探しにきた彼女に、店主はなかなか仕事の斡旋をしてくれない。
「なになに……帝都を騒がせた未確認飛行物体襲来はデマ? ゴシップ記事なんか読んではしゃぐ年でもないですしなぁ……おお、それよりもこっちの記事! 凄いことになりますなぁこりゃ」
小さなカウンターと数個テーブルのある宿を兼任した酒場がこの街のギルドだった。
店主は新聞に目を丸くしている。
「ついに出航ですか。異種族駆逐戦艦ゲルマークV世。全長五百メートル。小型戦闘艇が五十機。機銃やら大砲やら……おおッ魔導砲なんてものまでついてるらしいですな。セイシェント中佐ってのはたいしたもんですわ。こんなもの発掘するんだからなぁ……」
一瞬カウンターの席にかける紅髪の女の眉が動いたが、さして気にすることもなく店主は私感を交えながら続きの記事を読み上げる。
「なになに? ああ、このゲルマークってのはこの飛行戦艦を発見した大佐の名前なんだそうで。殉職したっていうのは気の毒だが、歴史に名を刻んだってわけだ。これで西の果ての魔族なんかも一掃できちまうんでしょう。世の中便利になったもんですねぇ。しかしまあ、これで魔族相手の仕事がなくなっちまうと賞金稼ぎの生計も…………っと、お客さん、なんのようでしたっけ?」
「新しい仕事が早急にほしい」
「ああ、そうそう、お客さんあれでしょう? 依頼人の回収物ぶっこわして賠償請求させられてるって。はやいとこ損害賠償しないと賞金稼ぎのライセンス抹消どころか犯罪者リストに名前がのるとかのらないとかで。いくら美人でもやっていいことと悪いことがあるってのに」
「わたしが悪いのではない。盗賊たちがもっと素直だったならだれも不幸にはならなかっただろう」
「いやお客さん、素直な盗賊ってのもそういやしないでしょうし、犯罪者ってのはみんなどこかひねくれっちまってるもんでしょ。第一素直なやつなら犯罪者にゃならんて。犯罪者にならんってことは、そもそも事件がおこらねえんだから、お客さんも飯の種なくなっちまう」
「それはそれ、これはこれ」
等級の一番低い、水で薄めたような葡萄酒を飲み干すベルマイア。陶器人形のような整った顔つきは、アルコールがはいっても変化がない。
「それよりも情報がほしい」
「ん? ああ、そうだったそうだった。いやねお客さん、実はとっておきのがあるんですわ。なんと捕縛した場合のみ一億ゼノっていうとんでもない賞金首がこの街にきてるって噂でねぇ。なんならその、まあ特別に教えてもいいんだが」
ビア樽が髭で覆われた顎をさする。
一瞬だがベルマイアの眉がぴくりと反応を示した。
「主人、冗談を聞きに来たつもりはないのだが?」
一億の賞金首とは破格というより眉唾物である。
「いやいや、そんな熱い視線でみつめられちまったら出さずにはいられんか」
カウンターの引き出しから、そっと手配書を差し出すビア樽店主。
黒髪の青年の写真。髪の毛は長く、獅子のたてがみをおもわせる。
前髪も長いせいか目の部分を隠していて人相がややつかみづらいのだが、特徴的というべきか、男は手配書の写真ながらカメラに向かってピースをしているのである。
「名前はラージック……。クライアントはなんと帝国軍部だから、かなり公的なものでしょう。ともかく公になっていることは、この青年を見つけ次第捕縛し、帝国に突き出すこと……殺しちゃならんというのがなかなか難儀だが、一億は破格だわ。わしもあと十歳わかけりゃなぁ」
と遠い目の店主。
「お、おい店主。本当に、本当に一億ゼノなんだろうな?」
声をあらげるベルマイア。
「まあまあおちつきなってお客さん……と、まあ、落ち着いてもいられんか。もう手遅れでしょうしねぇ……ついさっき賞金稼ぎの馬車ツアーご一行がきたばかりでしてね。やっぱり目的はこの男らしい」
手配書の写真を指さしながら恰幅の良い腹を店主はポンっと叩く。
「それを早く言え。こうしてはいられないではないか」
サッと席を立つベルマイア。
が、タイミングを見計らっていたかのようにギィときしんだ音が店に響いた。
ドサリと黒い影が店に倒れ込んでくる。
「──ッ!?」
革袋だった。
「た、たすけてくれ……」
袋には人間の顔が生えていた。中年くらいの男──無精ひげをはやしたその顔は恐怖にゆがんでいる。首から下を袋につめられ、じたばたもがく様は芋虫だった。
簀巻きにされた……といったところだ。
「おいおい、どうした?」
店主はカウンターから出てくると、かけよって男の上半身を抱き上げる。
袋を観察してみると観光ツアーなどで参加者の印となるバッチが袋にピンで留められていた。加えて『捕獲用』とでかでかと文字が刻印されている。
「お、お客さん! この袋、口の部分のヒモが固くて……ちょっとカウンターの下の棚からナイフとってもらえんですか」
革袋の口は巾着になっている。しかも固結びのため結び目がほどけない。
「断る……というか主人」
ベルマイアの視線は袋詰めの男の顔よりも、袋の方にむいていた。
袋の表面が波打つようにもごもごとうごめいている。
袋の中に巨大なタコが二〜三匹入っていて中で暴れ回っている──そう想像すれば、袋の動きには充分説明がついた。
袋がうごめくたび男は悲鳴をあげた。
「た、助けてくれ! 中で、中であばれるんだ!」
(──何があばれている?)
いつでも焼却できるように魔導書のホルスターに手をかけるベルマイア。
「と、ともかくこの袋をあけてやらんと! お客さん! 薄情なことはいわずてつだってくれんか!」
「いや、あけるとこの店どころか、街中汚染されるような気がする。この場合燃やしてしまう方が合理的かつ犠牲を最小限に抑えることができる」
「お、お客さん、そりゃぁあんまりですって!」
「ともかく、中で暴れているものがなんなのかわからないことには手出しができない……時に袋の人、どういう経緯で誰に何をつめられ、そういったおもしろおかしいことになってしまったのか?」
一瞬両目を閉じて、袋男は思い出そうと眉間にしわをよせる。
次の瞬間、何が脳裏をよぎったのか両目を見開き男は叫ぶ。
「そうだ! 俺はみつけたんだよ! 一億ゼノの男だ! どうにか生け捕りにしようとしたんだが……目があって……光だ! 白い光に包まれたかと思うと、俺は……俺は自分で服を脱いでいた! そして捕縛用のこの袋に自分から入り……ああ、思い出せない! なにか得体の知れないものをいれられたのだけは確かなんだ! 足の数は……八本……いや、十本かもしれない。それを三匹はいれられた! でもなんだかわからないんだ! だが具体的にはぬめぬめとしていて、かつニチャニチャ全身をいたぶり俺は今非常におぞましい感覚に襲われている!」
(──十本ということはイカ?)
袋の中身を妄想するベルマイア。丁寧に現状を実況する袋男は言い終えると細かく痙攣を始めた。
「おい! おい! しっかり!」
店主がぺちぺちと頬を叩くが、袋男の視線はうつろで次第に瞳が濁っていく。
「いいか、あの男には……近づくな……」
男の言葉は弱々しい。
それとは反比例して、袋の中身はいっそう激しくのたうちまわった。
「おい! おいッ!」
がくがくと店主が首を揺らすが、男はゆっくりと目を閉じるとピクリともしなくなった。
かろうじて呼吸は確認できる。
袋男の気絶を確認したのか、袋の中身も活動を停止してしまった。
いっきにしぼんで、微動だにしない。
「…………これが一億ゼノの男の実力か」
ベルマイアの顔からただでさえ少ない血の気が一瞬失せる。
店主はゆっくりと立ち上がった。
「お客さん……相手が悪すぎるんじゃねぇですか?」
店主の目つきが変わる。半分脅すような忠告の視線。だがベルマイアは動じない。
「いや、わたしは早急に借金を返さなければならない。これでも魔導師の端くれ。おそらくこれほどえげつないことをやってのけるのだから、ラージックというのは魔族なのだろう。相手にとって不足はない」
自分に言い聞かせるように店主に告げてベルマイアは背を向ける。
紅いマントを羽織って魔導師は店を出ていった。
◆
街のメインストリート。いくら過疎化が進んでいるとはいえ、まだ午前中だというのに人通りが皆無だった。
「──ッ!?」
息をのむベルマイア。
異変に気づくと紅髪の魔導師はスペルブックに手を伸ばす。
ストリートのそこかしこに背負い袋が転がっていた。
もちろん先ほどの袋男同様、首から上だけが露出させられている。
馬車ツアーに参加した賞金稼ぎたちのなれの果てなのだろう。袋がどれも一緒なのをみると、どうやら参加者全員に配布されたものらしい。
ツアーならではというか、参加した人間も参加した人間だが、生け捕りだからといって人の入る袋を配布した旅行代理店も旅行代理店である。
人間芋虫がストリートの左右に、きれいに二列並べられていた。
中にはまだ動いているものもあったが、数秒で、悶絶。激しい痙攣ののち、呼吸を荒げながら活動を停止してしまう。
ゆっくりと芋虫の列を追ってベルマイアは歩を進める。
このままだと行き着く先は街の中央にある噴水公園だった。
「なあ! なぁぁぁ! いれるな! いれないでくれ! そんなわけのわからんもん! 四匹もぉ!」
野太い男の悲鳴が公園からこだまする。
(──いる……この先に……)
ベルマイアは一気に石畳を駆ける。片手にスペルブックを構え、いつでも魔導術が放てるように精神を練り上げる。
到着すると噴水の前で黒髪の青年がかがんでいた。新たな被害者となった袋男がうめき声をあげている。
その首もとに下がっている袋の口ヒモを、黒髪の青年はほどけないように三重に固結びで閉めていた。
「呼吸苦しくねぇか? でもきっちりしめんとはみ出ちまうからなぁ」
「こ、ころじでやるー! ゴロジデヤズー!」
ツアー参加者なのだろう、頬に傷をもったいかつい男が、鼻水と涙を垂れ流しながらわめき散らしている。
「これも正義を守るため。ま、許せや」
耳元で袋男につぶやいて青年はスッと立ち上がる。
ゆっくりベルマイアに顔を向けた青年。
前髪が目のあたりを隠していて表情が読みとれない。
黒いシャツに同系色のジャケット。スラックスまで黒ずくめのいでたちだった。
中肉中背といったところか。女性ながら背の高いベルマイアと、ほぼ同じくらいの背丈である。
「……お前がラージックだな」
やや緊迫した声色のベルマイアに、黒髪は「うん……う、うん?」と自分でもわかっているのかどうかやや不安げに返事をしてみせた。
対峙する二人。
ベルマイアは違和感を覚える。
青年ほどの年頃の男ならばベルマイアの前で気持ち悪く身もだえるなり、頬を赤らめるなりするのだが、賞金首にそういった症状はみられない。
気を取り直してベルマイアは口を開く。
「わたしはその……職業で言うならばお前の足下でころがっているそれと同様ではあるが、魔導師なのでお前のような魔族が相手だったとしても、決して引けを取ることは無いということだけ宣言しておこう」
ベルマイアはスペルブックのページをめくり、攻撃系魔導術の中でも最大の火力を誇る火柱弾の詠唱に入る。
詠唱した呪文は左手のブレスレットにストックされ、ベルマイアの意思で自在に発動させることができた。
複数の魔導術を行使するには高い知識と強靱な精神力が要求される。
ストックリングは魔導師の中でもアカデミーと呼ばれるエリート輩出を目的とした機関に在籍し、なお主席クラスであって初めて扱えるかどうかの代物である。このレッドジュエルがはめ込まれたリングには二つの魔導術が保持できた。
ストリートを走りながら完成させ、現在保持状態にあるのは魔導防壁だった。光の壁が半径一メートルほどの球形に発生し、魔導系の攻撃を防ぐ結界である。
これを二重に発生させれば、中級以下の魔族の攻撃まではシャットダウンできるだろう。
(──お前の攻撃が終わった瞬間に火柱弾をたたき込めば勝利は確定。一億ゼノはわたしのものだ)
心の中でほくそ笑むベルマイアだが、生け捕りという条件に加え、街への損害賠償という配慮が欠落していることに気づいていない。
「悪事を働こうとする魔族に正義の鉄槌を!」
口上を決めて熱球を振りかぶる。相手がさせまいと攻撃を仕掛けてくる瞬間、防壁を発動。相手の魔導を防ぎきり、無防備になったところで必殺の一撃を放つ。作戦は完璧だった。
「そいつはすばらしい!」
高らかに宣言するベルマイアにあわせて、ラージックは拍手を浴びせる。
「この世に悪の栄えた試しなどない。わたしがきれいさっぱりとけしさってやろう」
「なんという高潔さだ! 俺様は今とてつもない感動の荒波にもまれて絶頂の海を遭難しちまってるぞ!」
拳を握りしめ、黒髪は半分涙声まじりに絶叫した。
「さあ、観念してそこに居直るのだ魔族!」
「そうだ! さっさと姿を現して、この高潔なる紅髪の魔術師に浄化されやがれ!」
「…………いや、そうではない」
「そうではないとはどういうこっちゃ! ああ、悪辣卑劣にして卑怯きわまりない、非常の刺客たる暗黒仏滅の権化にして闇の眷属たる魔族よ! 観念して姿をあらわしやがれ! 貴様は今、正義の戦士二人に完全に包囲されたのだ!」
ラージック青年の言葉は青い空に吸い込まれていく。
「正義の戦士が……二人?」
きょとんとした表情でベルマイアの視線が宙をおよぐ。
周囲を見回しても芋虫と化したツアー客をのぞけば、今この公園にいるのはベルマイアと彼女の目の前にいる賞金首だけだった。
「そうだ! ああ、今俺様は運命的な出会いを感じちまってる。志を同じくする正義の同志に、こんな辺境の地で巡り会うなんて。さあ、ともに手を取り合い、正義の名のもとにこの世界に平和を取り戻そうじゃないかッ」
両腕を広げ片膝をつき青年はベルマイアに呼びかける。
一瞬硬直したベルマイアだが、一度ラージックから視線をハズしてから、スペルブックをホルダーにしまう。ストックした魔導を解除し、顎先を人差し指と親指てはさむような素振りを見せる。
何かを感あげるように小首をかしげてから「作戦変更」と、聞こえない程度に魔導師はつぶやいた。
「どうかしたのか? ああっ! ま、まさか……貴様もこの『袋をかぶせたがる人々』の仲間なのか!」
「それは違う。わたしもラージック、お前のような正義の魂を持つ勇者を探し旅を続けていた」
棒読みをさらにぎこちなくしたような口調でベルマイアはラージックを見つめる。
「さあ、わたしの目をみるのだ。これが嘘をついている人間の目にみえるか?」
ベルマイアの鳶色の瞳は濁り、どこかうつろで冷たい光をたたえている。どろりとした泥のように、濁り、停滞し、腐っていくような視線。
死んだ魚の目をラージックはじっと見つめて……いるのだろうが、長い前髪のせいでそれもよくわからない。
「………………」
無言だった。ラージックは膝立ちから立ち上がると、小さく咳払いを一つ。空を見上げるように首をあげる。
(──感づかれたか)
とっさにベルマイアは魔導書に手がのびる。
が、その手は寸前でぴたりととまっていた。
青年の頬を滝のように涙が流れ始めていたのだ。
吐息とともに青年はつぶやく。
「なんて熱い視線なんだ……貴様はサイコーだよ……」
いきなりベルマイアの両手をつかみ、ラージックはぶんぶんと上下に振る。
その瞬間、魔導師はこの青年から信用を得たと確信した。
■上位魔族の名はルシル■
「ラージックさんに正義だなんて……なんていう恐ろしいことを吹き込むんですか!」
ベルマイアの背後から、ボーイソプラノがかった声が響く。
噴水公園で両手をとりあったままの二人がそっと視線を向けると、そこにはまだあどけない顔つきの少年が立っていた。
いつのまに現れたのだろうか、まるで瞬間移動でもしてきたようにわいて出る。
薄紫のローブを身に纏い、全体的にゆったりとした服装の少年。
胸元には黒い金属のチェーンでつながれたアメジストかなにかのペンダントをしていた。
(──五十万ゼノくらいか)
とっさに値踏みするベルマイア。その視線をあげると、少年と目があってしまう。
両目に大粒の涙をためこんで、今にも泣きだしそうな雰囲気だった。
「だいたい、だまってきいてれば魔族は悪辣だとか卑劣だとか! ボクが何をしたっていうんですか!」
少年──髪の毛は前髪が眉にかかるかどうかといったところで、ショートボブだった。髪の毛が長ければ少女とも見まごうような中性的な印象である。
「ボクはただ、ラージックさんに……その……愛を……あーもうはずかしくってこれ以上はボクの口からとてもいえたもんじゃない」
頬に両手をあてて赤面する少年。
ラージックはそんな少年を一瞥してから、またベルマイアに顔を向け直す。
「ところで魔導師殿、名前を聞いていなかったとおもうんだが。ああ、俺様はラージック。職業は……まあ見れば解るだろうけど、ごく一般的な正義の味方っつうやつだ」
全身黒ずくめの正義の味方というのもよくわからないのだが、ベルマイアは「なるほど、名は体を現すのか」と、適当にあしらう。
「ちょ、ちょっとボクを無視しようっていうんですか!」
少年──瞳は大きく丸く、肌は透き通るようで色素も薄い。いくつかの特異点をのぞけば普通の美少年だった。
髪の毛はさらさらとさわり心地もよさそうだが、紫色をしている。さらに、頭に二本の触角をゆらしているのだ。
紫色のゼリー状で、少年が言葉を発するたびにぷるんぷるんと揺れる。先端には団子のような丸い塊がくっついており、その重さで二本とも適度なアーチを描いていた。
紫色の噴水か、丸文字で書いた「Y」のようなそれは、明らかに人間の持つ器官とかけ離れている。
「ボクは……ボクはラージックさんのことを想って言ってるんです! こうやって追って、追って……ようやく追いついたと思ったら人間なんかと意気投合して……そんな人間なんかより魔族の方がいいことずくめなんですってば! なんで理解してくれないんですか!」
中身のない力説をふるう少年。その瞳もアメジストのような紫だった。
びしっと少年が指さす先にはベルマイアが捉えられている。
「そんな」扱いをされて、多少カチンときたのかベルマイアは口元をゆるませた。
「わたしはベルマイア。ラージック、お前と志を同じくする正義の使徒だ」
死んだ魚の目のまま、抑揚のまったくないぎこちなさ丸出しの口調でベルマイアは告げる。
「やっぱり! やっぱそうだったんだなベルマイア! ああ、俺様は今感激の奔流に飲み込まれ滝壺でもがき苦しむがごとく心苦しく胸が熱いぜ」
ラージックの言葉を理解しきれないものの「その滝壺はおそらく海よりも深いだろう」と魔導師は適当にあしらう。
「に、人間の分際でラージックさんを苦しめるなんて……許せない! ボク、許せないよ!」
勘違いもはだはだしいが、少年が触角をピンっと張らせて抗議する。どうも興奮すると触角が反応するらしい。
「ところでラージック、あの少年はお前のなんなのか?」
ベルマイアの言葉にラージックは小さく笑いながら「さぁ?」としか答えない。
「そ、そんな! ラージックさん! ボクとの思い出を忘れてしまったっていうんですか! あんなに楽しかった二人の熱い友情の記憶を……」
一瞬ラージックの眉がぴくりと反応をみせる。どうも「熱い」や「友情」といった言葉そのものに弱いらしい。
「フッ……ルシルよ。俺様はもはや貴様みたいな下劣な存在と下等な競争を行っていられるほど暇人ではないのだ。今、俺様は探し求めていた同志と魂の再会を果たした。これは運命ってやつなんだよ。そして俺様の中から貴様との悪しき過去は消え去り、輝かしい未来が今この瞬間より幕を開けるって感じだ」
声を張り上げ、勝ち誇ったように笑うラージック。一方少年──ルシルはぽろぽろと涙をこぼしながらその場に座り込んでしまった。
「おい、ラージック。子供を泣かせるのはどうかと思う」
一瞬いたたまれなくなり、ベルマイアがラージックに非難めいた視線を向ける。
ラージックはルシルに向き直るとため息を一つ。
「ベルマイア……たしかにアレの見た目は子供だ。でも内容は腹黒く、残忍で狡猾。小指を家具の角にぶつけた時の痛みを遙かに越える、苦痛と悪夢の権化なんだよ。そう、たとえば適当なサイズの袋があるとしてだ、それに人間を放り込み、入れている本人もよくわからない『何か』を数個……いや数匹か? まあ数え方なんてどうでもいいけど、袋に挿入したのち口を固結びで三重にしめるほどの極道な存在……それがあの少年──ルシルなのだ」
ふとベルマイアは足下に転がる「元賞金稼ぎで今袋詰め男」の顔と、淡々と告げたラージックの顔を数回見比べる。
「……まさに魔族の所業だな」
ベルマイアの言葉にラージックは大きく頭を縦にふる。
「その通り。あの触角こそが上位魔族の証明だ」
「上位魔族?」
一瞬ではあるがベルマイアの表情が硬直した。
中位魔族まではあくまで魔軍の兵力でしかない。この世界に巣くう魔の眷属はすべて上位魔族によって創造された「道具」だった。
中には多少ながら意思を持つものもいるが、ほとんどが上位魔族の命令をうけて行動する程度の存在である。
その中位魔族以下を支配する上位魔族。彼らの戦闘力は並の魔導師が束になっても相手にならない。アカデミーの講師クラスが十人がかりで一体の上位魔族と渡り合えるかどうか……とさえ言われている。
その分上位魔族は個体数が少ない。少なかったからこそ人間は数の優位で彼らと渡り合い、戦争の歴史を繰り返しながら大陸の覇権を争ってこれたともいえた。
その歴史の終焉も近づきつつある。魔導に目覚め、発掘した古代文明を駆使する人間が彼らを西へと追いやっているというのが現状だった。
だが上位魔族の力がいまだ驚異の的であることに変わりはない。
高等な魔族にはツノがある。たしかにそういった記述をアカデミーの資料でみたような気はするが、ベルマイア自身、こうやって対峙するのは初めてだった。
「そ、そんなぁ、ボク照れちゃうよ」
いつのまに泣きやんだのか、少年は地面にぺたりと座り込んだまま、はにかむように笑ってみせる。
「別に……恋人だなんて、ハズカシィ」
頬を赤らめるルシル。少年というよりもその仕草一つ一つが少女じみてみえる。
「貴様の耳は節穴か! この暗黒魔族が!」
ラージックの一喝に肩をびくつかせる魔族……らしき少年。
「そ、そんな! ボクは清く正しく美しく、健全にラヴの力をもって悪の世界のすばらしさををみんなに……なによりもラージックさんに理解してもらおうとがんばってるだけなのに!」
「愛がそこにあろうがなかろうが、悪を広めようとする貴様をこのまま放置しておくわけにはいかねぇぜッ」
子犬のような潤んだ瞳のルシルをラージックは再度一喝してみせる。
戦いの始まる気配をベルマイアは肌で感じとった。
(──上位魔族に……わたしの力が通用するのか?)
自問するも答えは返ってこない。
ラージックという男がどれほどの使い手なのかは解らないが、ルシルとのやりとりを見る限りでは相当な力を持っていると推測できる。因縁めいた関係ならば、二人の力はおそらく拮抗しているのだろう。だからこそこの二人の間の戦いは長引いている。
もしルシルが上位魔族だとするならば、おそらくベルマイアの防壁程度では防ぎきれない攻撃を仕掛けてくるだろう。
(──直撃よりはましか)
スペルブックに手をかけ、ベルマイアの口が防壁の呪文を口ずさむ。
「ルシルよ……聞き分けない貴様には……」
あまりにも不用意に、ラージックはルシルにつかつかと歩み寄る。
「いいか、そこを動くな」
座り込んだままのルシルは小首をかしげてみせた。従順な犬のように、ルシルは言われたとおり回避するそぶりもみせない。
ジャケットの内ポケットから黒塗りの荒縄の束を取り出すラージック。
(──物理的にあんなものが入るスペースはない……魔導か?)
冷静にベルマイアは観察眼を働かせた。わりとゆったりめではあるが、ジャケットの中に荒縄が入るような空間はない。
一瞬、ラージックの前髪がふわっと風になびいたかとおもうと、かいま見えた瞳が閃光を放つ。
「ルシルよ、貴様に罪の意識があるとするならば両手を出すがいい」
「え、あ、は〜い」
どこかぼんやりとした生気のない瞳の少年。操られてでもいるのように両手を差し出す。それをラージックは荒縄でぐるぐる巻きにすると、さらにルシルの足首にまで荒縄をからめた。
手際よく全身に縄をからませるラージック。
膝立ちの姿勢のままルシルはなんの疑いももたずされるがままである。
「おい! ラージック! そんな縄程度で上位魔族の動きが封じられるということは、魔導学的にも物理的にもあり得ない」
「ベルマイアよ。世の中……正義があればなんとかなるもんだ」
つぶやきながらもラージックの視線はずっとルシルの瞳を見つめ続けていた。
口元をゆるませ立ち上がる自称正義の味方。またしても一瞬その瞳が発光したかと思うと、今度はルシルの身体がビクンと跳ねるように痙攣する。
「は、はぁぁぁうあぁ! ま、またしてもこんな格好に!」
首だけをじたばたとさせる少年。全身に荒縄が食い込んで良い感じに痛々しく不自由さが爆発といった姿である。
「ラージックさん! ボクを解放してください! むしろボクと一緒に愛の世界を築き上げる真の魔王となって、過激派と穏健派を結び世界の覇王となってください! ボクは本気です! だから……もうこんなことは」
「貴様の都合を押しつけんな極道魔族!」
一喝するラージックの言葉に小動物のように震えるルシル。触角は力無く垂れ下がり、恐怖におびえているようにも見える。
「ラージック。なんだかおびえているようにも見えるが? というか本当に上位魔族なのか?」
二人のやりとりに半ばため息混じりのベルマイア。ぴりぴりとした緊張感はいつのまにやら、完全に解きほぐされていた。
「そうやっておびえる素振りをしているだけなんだよ。魔族は狡猾だ。対処は万全じゃなきゃならん」
ラージックがジャケットの内ポケットから小さな器具を取り出す。
子供の握り拳ほどのボールだった。それの両脇にベルトが伸びている。
それをじたばたもがくルシルの目前につきつけた。
「これは恐怖の拷問道具だ。ルシルよ、貴様はこれから魔族の寿命が長かったことをのろい、悔やみながら苦しみ、発狂し、死んでいくんだ」
「い、いやです! 死ねません! ボクはラージックさんと世界を征服するまで……」
「黙れ! さあ、口をあけるがいい」
口を開けろといわれるや、ルシルは真一文字に口を結んで首を左右させる。
だがお構いなしにラージックはルシルの鼻をつまむ。
「ふがっ!」
「このまま呼吸ができずにもだえ苦しんどくか?」
「げふっ! ゲホゴホッ」
呼吸のためにせき込みながらルシルは口をあけてしまった。その瞬間を逃さずベルトのついたボールが少年の小さな口に押し込まれる。
「ふが! ふががっ!」
つまんでいた鼻を解放し、ラージックはベルトでボールを少年の口に固定すると口元をゆるませた。
「非道劣悪代表選手権準優勝級魔族よ。もはや貴様に生きる明日はない。この拷問器具は口をあけっぱなしの状態で固定するものだ。これのおかげで貴様は唾液を大量に分泌し、口の脇あたりからとめどなく大量の唾液がながれはじめ、そのうち脱水症状をおこして死に至る」
激しく首を左右させ、ルシルは必死に「とってほしい」と哀願する。
「これも貴様が悪をひろめようなどという、愚かな理想に燃えたことが原因なのだ。諦めるがいい。ちなみにベルトは三重に固定してあるんで安心も三重丸。間違って拷問器具がはずれてしまうと一大事なんでな」
ルシルの口元から徐々にではあるがよだれが垂れ始める。
呼吸もあらく、首を左右させるが荒縄で固定された四肢は動かない。
「貴様が与えた恐怖、ばらまいた憎悪と悪夢をその身で味わうがいいさ!」
ふんぞりかえって笑う自称正義の味方。
(──さきに倒すべきは魔族よりも……いや、一億ゼノ……一億ゼノ)
必死にそう自分に言い聞かせ、ベルマイアは火柱弾の詠唱をなんとかストップさせる。
恐怖に怯えふるえるルシルだが、数秒で頬が紅潮し、なぜか瞳がとろ〜んとしはじめる。
恍惚の表情とでも言うべきか。
先ほどまで弱々しくしおれていた頭部の触手が、今はピンッと張りを取り戻し……いや、今まで以上に凛々しくそそり立っている。
「ふ……俺様も鬼ではない。正義の看板を背負っちゃいるが、悪に非情にはなりきれない男……それが俺様だ。だからこそひとおもいに止めをさしてやろう」
さらにジャケットの内ポケットからアイマスクを取り出すと、ルシルに装着して視界を奪う。
「永遠の闇の中、地獄の苦しみを味わいながら朽ち果てよ邪悪魔族!」
ビクンビクンと激しく触角を痙攣させると、膝立ちのまま束縛されたルシルはその姿勢のまま地面に倒れ伏した。
細かい痙攣ののち、荒々しかった呼吸がゆっくりと小さくなっていく。
触角も力無くうなだれてしまった。
(──毒をもって毒を制す……いや、この男は猛毒すぎる。どうりで一億ゼノなわけだ)
できるだけ視線をあわさないように、ベルマイアは虚空をながめながら「世の中正義にまさるものはなし」と適当な相づちをうつ。
「これでまた悪が一つ滅びた。さあベルマイアよ! 行こう!」
ラージックはちょうど正午をまわって南中に位置する太陽を指さす。
「どこへ?」
「南だ!」
この街の南にあるのは、人間に世界を閉ざした種族……獣人の住む樹海だけだった。
■古代文明の名はアガスティア■
昼でもなお暗い樹木の迷宮は、人間を拒むように大陸南部に広がっていた。
もちろん舗装された道などなく、地図もなければ道しるべのようなものもない。
樹海。人間を拒む領域は、帝国が栄華を極めたこの五百年間のあいだも閉ざされ続けていた獣人の「聖域」だった。
名だたる冒険家達がその最深部へ挑むも、誰一人として聖域の中心に踏み行ったものはいない。
途中で諦めて戻る者はまだよかったが、大半は片道切符でもどってはこなかった。
それが本当か嘘かはわからないが、噂だけは勝手に一人歩きをはじめる。
──獣人達が人間を食っている。
樹海は彼らの領域であり、その中では人間の法は通用しない。弱肉強食という自然界の法則だけが適用されるのだ。
もちろん獣人だけではない。過酷な森の環境に適応するために生物は外界とは違った進化の道を歩んでいた。
サーベルタイガーや大型ハ虫類などは魔の力によって変化したものではなく、環境に適応した進化の形の一つ。そういったもろもろに追われながら、それでも幸運にも逃げ帰った人間は、二度とこの森のことを口にしなかった。
二人は道無き道を進む。昼でも暗い森の影にとけ込むような黒ずくめの青年。自称正義の味方は胸を張ってベルマイアを先導する。
森の入り口といえるようなものはどこにもなかった。裏を返せば踏みいったそこが入り口である。
歩き始めて一時間。まっすぐに突き進むラージックのうしろを歩きながら、ベルマイアは少しだけ不安になっていた。くわえて「自分はいったいこんなところで何をしているのか?」と魔導師の中に疑問付が浮かんでくる。
「なあラージック。聞きたいことがあるのだが?」
「ん? ああ、聞きたいことがあるなら死ぬほど聞くが良い」
足をとめ振り返るラージック。
「いや、死ぬほど質問責めをしようというわけではない」
「遠慮はいらんぞ、遠慮は。ハッハッハ」
腰に手をあてラージックはふんぞりかえって豪快に笑う。
「……なぜ樹海をわたしたちが進んでいるのか?」
まっていましたとばかりにラージックが口元をゆるませる。
「ふっ……じつはこの樹海というのは、数千年前に滅んだとされるアガスティア文明の都市があった場所らしいのだ」
ベルマイアは小首をかしげた。
アガスティア文明──数千年前に滅んだ魔導文明は、当時の技術が発掘される現在もその滅んだ原因だけは明かされていない。
学者たちは魔導力を発生させる機械──魔導機の暴走が原因と仮説をたてているが、その魔導機自体ブラックボックスの塊だった。なにがどう暴走してそうなったのか立証するには、まず魔導機の仕組みを解き明かす必要がある。仕組みが解明できない学者達の仮説は、いまだその域を出ない。
「こんな密林に都市があるというのか?」
「眠っちまってるんだ……」
口をむすび、空を仰ぐようにラージックはつぶやく。
「で、その都市に何をしに行く?」
「発掘に決まってるだろう!」
「何を発掘する?」
「帝国を倒す最終兵器さ」
ニィっと白い歯を見せ不敵な笑みを浮かべる自称正義の味方。
「国家を転覆させようというのは犯罪ではないのか?」
「革命といってくれてかまわんぞぃ」
「ものは言い様という……。しかし、古代人の遺産兵器で国を滅ぼそうというのか? お前の正義というのはそんな程度のものなのか?」
ベルマイアの口から少しだけ本音がこぼれる。
「それを言うなら、なおのこと帝国の軍部に言ってやるべきだ! なんだあの戦艦は! あんなものが空中をぷかぷか浮いてて、明日にも攻めてくるなんていわれりゃ誰だって不安にもなるだろう!」
ラージックの口調は熱がこもっている。
戦艦の一言にベルマイアの表情も憂鬱気味になる。
(──あれはたしかに……)
異種族を滅ぼす戦艦ゲルマーク三世。大きすぎる力はいつしか人間を滅ぼしかねない。仮にあの力を魔族が得たならば、人間は滅ぼされてしまうことだってあり得るだろう。
「俺様は思うのだ。この世界に平和を取り戻すには、あんな戦艦からなにから、片っ端から粉砕してくべきではないか……ってな」
「それでは魔族に攻め込まれてしまう……軍の関係者ならそう言うな」
「な、なんのために俺様がッ」
言いかけてラージックが言葉を飲み込む。
「ん? どうしたラージック?」
「いや、ともかくだ、俺様は帝国の連中を止めなきゃならん。これが正義の星のもとに生まれし者の宿命ってやつだ」
「だからといって同じ発掘した兵器で……いや、たしかに人間が太刀打ちできるようなものではないと思うには思うが」
「ベルマイアよ。俺様を信じるろ。俺様の記憶が確かなら、この樹海に封印されし兵器はすべてを無力化する力を秘めている」
口調は真剣だった。
ただ理解できたからといって、ベルマイアが信用できるわけでもない。
彼女にとって目の前の青年は一億ゼノの小切手なのだ。
「信じよう! わ、たしは今お前をすこぶ、る信じ、人生を賭けてみ、たいという気持ちでい、っぱいな状況下」
泥のように濁った瞳と、さらに磨きの掛かったぎこちない口調でベルマイアは木漏れ日をあおぐ。
「そうか! やっぱ信じてくれるか!」
うれしそうに笑うラージック。
「と、ところでもう一つ質問がある。時にラージック。さきほどからお前についていっているのだが、正直わたしは帰り道が見当もつかない。実はわたしは方向音痴の世界では右に並ぶ者がいないほどの方向感覚皆無人間であり、先日砂漠で盗賊団を更正してからも、街に帰るのに三日ほどかかった……いや、そもそもこんな辺境にくるつもりもなかったのだが……。ともかく一人で帰る自信がまったくもって無いということだけは、先に言っておこう」
一度顔を背けると、なぜかラージックの頬に朱がさす。
「いや、偶然だな。実は俺様も……」
「それ以上言わないでほしい。現実を直視できるほどわたしは強くない」
迷子……。
そんな言葉がベルマイアの脳裏をかすめた。
「大丈夫だ。この世界は球形をしてる。まっすぐに進めばいつかどっかに到達すんだろぅ。なにより我々には正義がついている。これほど心強いことはない! ハッハッハ」
強がりではなく本気で言っているのだろう。ラージックの言葉は一つ一つ無意味な自信で満たされていた。
「わたしは一億ゼノを……」
どんな手をつかってでも手にしなければならない。そのためにはこんな森の奥地でさまよい、あげく朽ち果てている場合ではない。と、途中で言葉を無理矢理飲み込むベルマイア。
「一億ゼノがどした?」
どこか冷たい口調のラージックに魔導師は首を左右させる。
「いや、なんでもない。ただ一億ゼノもの大金があれば、自分を含めた多くの人間を幸せにできるだろうと」
「なんだとッ! ベルマイア。貴様は……貴様はよりもよって金の亡者なのか? だったら俺様は天文学的数値で悲しいぞ」
「亡者とは人聞きの悪い。金で幸せは買えないが、金があれば不幸にはならない。そういったまで」
少し考えるように顎先に指をあて、ラージックはぽつりとつぶやく。
「最低でも三十億……」
「なにが三十億と?」
「いや、参考までの話なんだ。あくまで、仮にだけど、もしあの兵器をうっぱらった場合には最低でもそれくらいでさばけるかなぁ……とな」
一瞬だがベルマイアの瞳が輝く。三日間餌にありついていなかった狼が、目の前に血のしたたる生肉を山積みされた瞬間のような嬉々とした瞳。
「すまなかったラージック。わたしはどうやら間違っていたようだ。今は金など問題ではない。世界に平和を取り戻し、帝国軍部を更正することこそがわたしたちにとっての最優先事項に他ならない。今は目先の一億よりも、三十億……もとい、繰り返されようとする愚かな力の暴走に歯止めをかけなければならない」
声高らかと歌うように告げ、ベルマイアはさらに瞳を輝かせる。本音がまざっているせいかぎこちなさもない。
「そっか! わかってくれたかベルマイア! ハッハッハ」
どうもベルマイアの本音の部分だけは聞こえていないのか、都合の良い部分だけを理解してラージックも声高らかと笑う。
森の中で声を上げて笑う二人。声はむなしく森の暗闇に吸い込まれ消えていく。
それはある意味、鮫の出る海に肉塊を放り、血の臭いで海の殺し屋を呼び寄せているようなものだった。
声を聞きつけ、森に「なじまない」臭いを嗅ぎ取り二人に近づく影。
「さあ行こうベルマイア! この先に必ず目指すべき遺跡はあるったらある!」
ラージックの言葉にベルマイアは硬直したまま動かない。
気づくと二人を木の影ではない、小山ほどの影法師が覆っていた。
ベルマイアがそっと指さす。
ラージックがゆっくりと背後に振り返る。
青年の目前に牙だらけの巨大な口が開いていた。ラージックの頭にかぶりつこうと涎をたらして待ちかまえている。
「ぬおぁ!」
とっさに首を引っ込めるラージック。
巨大な口は空を切り、牙のかみ合う「ガチン」という嫌な音が響いた。
悔しそうに鎌首をもたげ咆哮する。
尻尾から首まで合わせれば体長五メートルといったところか。
ダチョウのようにも見えるが、羽毛ではなく蛇やワニのような硬そうな肌が露出している。
大型ハ虫類。牙の形からみて肉食だとベルマイアは見抜くや、スペルブックに手をかける。
(──炎熱系魔導術ッ!)
集中するベルマイア。攻撃的な魔導術には炎熱系の他、雷撃系や氷結系などがあるが、ベルマイアはとりわけ炎熱系のスペシャリストといえた。アカデミーの講師も一目置く才能とセンスが火柱弾のような強力無比な魔導を可能にしている。
だが森に充満する水や樹木の生命力が炎の力を抑制していた。
太陽光も少ない。魔導師の魔導力は万能ではないとベルマイアは痛感させられる。
あくまで魔導とは「導き出す力」であり、周囲の環境に存在する生命力を利用して力を発動させるものだった。
陽光少ない森の中では、得意の炎熱系魔導術も威力がぐっと低くなる。
「き、貴様! この正義の使者を食そうなんて言語道断!」
「クキョー!」
ラージックの言葉に大トカゲは奇声をあげて応えた。
大トカゲを指さしねめつけて……いるのだろうが、いかんせん前髪のおかげで視線から表情が読みとれないラージック。
沈黙……と、大トカゲは突然身体をひねる。
瞬間、ラージックの目前に長い尻尾が鞭のようにせまっていた。
バックステップでかわすラージックだが、尻尾の振りが生み出した衝撃波に吹き飛ばされると、そのまま手頃な木の幹に激突した。
「大丈夫か!」
ベルマイアが声を張る。
ラージックは答えない。激突の衝撃で気絶したのか、木の根本でぐったりとしている。
(わたしの一億ゼノが……一億ゼノが食われてしまう)
動かないラージックを小首をかしげて観察する大トカゲ。
(やむを得まい……)
一瞬でも注意をこちらに向ける。そう決意してベルマイアは炎熱系の呪文を詠唱を始めた。
が、大トカゲはラージックが気絶したと本能的に直感してか、跳ねるようにラージックに襲いかかる。
時間がない。注意をそらすためとベルマイアは詠唱の最も短い呪文をチョイスしていたが、それが発動したのは大トカゲが飛びかかるのとほぼ同時。ぎりぎりか……一瞬遅れたかというタイミングだった。
「火集弾!」
小指の爪ほどの大きさの火の玉が、数発大トカゲの後頭部に発射される。
普段ならば火の玉の大きさも握り拳ほどになるのだが、環境の影響で本来の力が発揮できない。
間一髪のところで小さな火の玉は大トカゲに着弾した。一瞬大トカゲの動きが止まる。
だが、頭の当たりが軽く焦げた程度でほとんどダメージになってはいない。
くぱっ……っと口を大きく開き、大トカゲはラージックに頭からかぶりつく。
「──ッ!?」
一億ゼノッ! と声にならない悲鳴をあげるベルマイア。目の前で行われるスプラッタ&最悪の事態を直視できず、おもわず彼女は両手で顔を覆ってしまった。
今頃ラージックの頭部は大トカゲの奥歯でがりがりとこぎみ良い音をさせているのだろう──ベルマイアの頭の中に惨劇が浮かぶ。
「……ったく、あぶねえところだった」
声の主はラージックだった。
「ぶ、無事だったのか!」
そっと目をあけたベルマイアの視界に飛び込んできたのは、木の幹を背にしたまま大トカゲと対峙するラージックの姿だった。
大トカゲの口はめいっぱい開かれている。
閉じることはない。涎をこぼしながら大トカゲは自分の身になにがおこったのか理解できず、硬直していた。
「ふ……俺様にたてつくから貴様もこんな目にあうんだよ」
口元をゆるませ大トカゲをあざけるようにラージックは笑う。
大トカゲの口には巨大なボールがすっぽりはめ込まれていた。
もちろんボールにはベルトが生えており、しっかりと大トカゲの口に球体が固定されている。
「このまま唾液を垂れ流しつづけ、いずれ水分不足で枯れ果て干物のように死んでいくんだな」
大トカゲは首を左右させてボールを振り払おうとするが、逆にベルトが食い込んで痛々しい。
そっとジャケットの内ポケットから、座布団ほどの布地を取り出すラージック。
アイマスクだった。それもこの大トカゲのためにつくったような大きさである。
「貴様に朝陽を見る資格無し……トウッ!」
気合いの入ったかけ声とともに、馬のように大トカゲの背中にまたがると、自称正義の味方はアイマスクを無理矢理かぶせる。
いきなり視界を奪われ混乱した大トカゲは走り出す。
華麗に飛び降りて軽くジャケットをはたき、ラージックは「正義は勝ってあたりまえ」と誰にきかせるわけでもなくつぶやいた。
暗闇の中、口に異物を押し込まれた大トカゲは恐怖からかこの場を離れようとまっすぐに走る。走る。走る。
その先の巨木に頭から追突すると、それでも立ち上がりまた走り、また追突……それを繰り返しているうちに、脳震とうを起こしたのか大トカゲはばったりと卒倒した。
「ぶ、ぶじでなにより」
「ありがとうベルマイア。貴様がやつの気を逸らしてなけりゃ今頃どうなっちまってたか。ああ、背筋がゾッとするぜ」
その一言になぜか「後悔」の念が心に浮かぶベルマイア。どうなってでもいたほうが世界が平和になるのでは? そんな気持ちと一億ゼノとがぶつかり合う。
「クキョー!」
奇声が森中に響き渡る。
しかも一つや二つではない。
十は軽く越える奇声が二人の背後からこだまする。
奇声の集団に視線を向けるラージック。
いきなりベルマイアがその腕をつかみ走り出す。
「逃げよう! いくらなんでもあの数を相手には」
「え、あ、ああ」
ラージックの攻撃(?)は一対一ならまだしも、複数に対しては有効とは思えない。
いや、かりに有効な攻撃手段があったとしても、それはそれでベルマイア自身が正視に耐えられず精神崩壊を起こす可能性さえある。
二人は道無き道を奇声に追われながら走り出す。
足場の悪さを感じさせない、森に住む鹿のようにしなやかな動きでベルマイアは疾走する。茂みなどは軽くジャンプで飛び越え、道にあわせて柔軟にコースを選びながら軽やかに走り抜ける。これも魔導アカデミーでの実技訓練のたまものだった。魔導を行使するものには知力だけでなく体力も必要なのである。
ラージックはといえば、多少の茂み程度ならば直進していく。強引ではあるが最短距離をまっすぐに……この青年の性格なのかもしれないが、できるかぎり曲がらずに進んでいく。
だが奇声との距離は少しずつ詰まってきていた。
やはり人間と彼ら森の生物とでは後者に分がある。
「しかたねぇ!」
ラージックの足が一瞬止まる。
ジャケットの右ポケットに手をつっこみ、中から乾いた麦かなにかの束を取り出した。
薄い茶色というか、枯葉色の乾いた茎。その束は上下できっちりとたばねられており、茎の束の真ん中あたりがぷっくりふくらんでいた。あきらかにこの麦わらには何かが包まれている。
それを右ポケットから出しては投げ、出しては投げ、いたるところに麦わら束がばらまかれる。
「な、なにをしているラージック?」
「なに……足止めってやつさ。それよりも耳をすませてみろ。川のせせらぎが聞こえねぇか? 文明ってのは川の流域に発生する。おそらくこの川が俺様たちを遺跡に導いてくれる!」
そっと聞き耳をたてると、たしかにベルマイアの耳にも渓流のせせらぎが小さくだが聞こえてくる。
二人は水の音を追って木々の合間を縫い、また走り出す。
数十秒で大トカゲの一団が二人のあとを追ってくる。
なんの警戒心ももたず獲物を追う先頭の大トカゲ。少しずつ距離が詰まってきているのは、臭いでわかるらしい。
その足下には地雷のように麦わらには気づくこともない。
先頭の一匹が無雑作にそれを踏みつける。
ぶにゅりとナメクジを素足で踏んだような不快な感触が大トカゲの足に伝わってくる。
次の瞬間、麦わらは爆発した。
中の粒状物体が四散し、それにあわせて粘液の糸が飛び散り周囲を汚染する。
粘ついた糸が足にからまると大トカゲは前のめりに転倒した。その先にも麦わらが待ちかまえ、接地と同時に爆発する。
中身の粘つく「何か」が大トカゲの顔にべったりと、しかも大量に張り付いた。
豆だろうか。強烈な粘着力のある糸を引く豆である。腐ったような臭いに大トカゲの嗅覚は完全に撹乱されていた。
先頭の大トカゲだけでなく、後発の一団までも麦わらを踏みつけ、粘糸の爆発に巻き込まれる。足をからめ取られて顔から倒れ伏すものが続出していた。
「クキョー! クケー!」
奇声は悲鳴に変わっていた。
強烈な臭いにつづいて、粘液に触れた部分が強烈に痒くなる。
逃げようともがけばトリモチのような糸がさらに大トカゲの全身をからめ取る。
かろうじて難を逃れた最後尾の一匹は目の前の惨劇に本能的な危険を察知すると、数歩後ずさってから完全に180度ターン。助けを求める仲間の怨念めいた悲鳴を背にしながらも、唯一の生き残りはいそいそと巣へと逃げ帰るしかなかった。
■部族の名はギャギャジ■
川沿いは拓けていて、せせらぎの音が心地よい。鬱蒼とした森から一転して、ベルマイアは散策でもしているようなさわやかな気分になる。沢は白い砂利が敷き詰められていた。自然が作り出した川辺の風景は、ここ数時間でめっきり荒みきったベルマイアの心を、きれいに浄化してくれるものだった。
大トカゲたちの奇声はある瞬間からパタリと止まっていた。魔導師は数回後方を確認したが、追ってくる様子もない。
ベルマイアの肩から力がどっと抜ける。
ふと視線を横にむけると、相変わらずボサボサの前髪で表情の読みとれない青年が胸をはって意気揚々と川の上流を目指して歩いている。
川幅は十五メートルといったところか。見た目は浅そうだが思いの外流れは速く、歩いて横断しようとすれば流されるのが目に見える。
「ところでベルマイア。貴様はなんでまた正義を志した?」
不意にラージックはの口が開く。
「父の影響……としかいえない」
ぼそりとつぶやくベルマイアに、ラージックは「そうか。さぞや立派な父君だったんだろぅ」となぜか一人納得してみせる。
「なら、ラージック。お前のほうこそなぜ帝国に戦いを挑む?」
青年は応えない。ただ前を向いたまま無言で歩く。
「わたしの質問に答えられないというのはずいぶんと不平等な話だと思うが」
「…………」
青年は歩きながら首を前後させている。
川のせせらぎのなか、ズズズズッと低くくぐもったような音が混ざっていた。
音はラージックの首の前後運動に呼応してリズムを刻んでいる。
ぴたり──。
不意に足を止め、ラージックは首をあげると大きく口をあけた。
「ふぁぁ……眠い」
軽く目のあたりをこすり、また数回あくびをしてみせる。
「ああ、すまない。今睡魔が俺様を猛襲し、一瞬だけど完全にノンレム睡眠の世界へと誘われて……ところでなんの話だったっけか?」
青年は半分ねむったような口調で首を傾げて見せた。
「……だからラージック、お前は」
ベルマイアの言葉が始まるのと同時に、ラージックは首を上下運動させ、低くくぐもったいびきをかく。
「……わかった。もう聞かないでおこう」
その一言でまた首をあげると、ラージックはあくびを一つ。
「さあ、死ぬほど聞くが……ZZZZzzzz」
言葉の途中でラージックがまたしても首をコクリ、コクリとさせる。
暖かい日差しは確かに居眠りをするにはベストだった。
先ほどまでの危険な空気も、今は平和なそれにすり替わっている。
こうなると、この先に遺跡があろうとなかろうと、半ばどうでもよくなってしまうのではないだろうか──ベルマイアはそもそも遺跡などに用事などない。たしかに発掘した品物が何十億となるかもしれないというのは魅力的だが、冷静に考えてみればそんなあるかどうかも解らないものなど信用できない。
魔導師にとって、今は目の前の話を聞かずに歩き寝する青年を帝国に突き出すことが最優先だった。
帝国も軍部も遺跡も好きではないが、これも仕事──とベルマイアは自分に言い聞かせる。
「この先超危険地帯。立ち入り禁止。だって秘宝が……おっとこれ以上はひ・み・つ♪ ともかく無断で入ったりしちゃったなら、我らのギャギャジ族の女神の裁きが下り、ほどよくふっくらとした仕上がり……」
ふとベルマイアが足をとめる。道しるべなどない樹海奥地の川辺に、木製の立て札がぽつんとたっている。
文字だった。後半がかすれて読めなかったものの、明らかに帝国でも使われている共用語である。
(──ギャギャジ族?)
ベルマイアには聞き覚えの無い名だった。
眠ったままのラージックはまっすぐに立て札に向かうと、正面から衝突して立て札ごと前のめりに倒れ込んだ。
瞬間、立て札から地面を這うように張ってあった細いワイヤーが大きくしなる。
続けざまに拍子木を乱打するようなけたたましい音が沢に響いた。
罠……なのだろうか? ベルマイアが身構える。
「くせ者ッ!」
相変わらずラージックは沢の砂利に倒れたまま、なぜか立て札を抱き枕のようにして寝息をたてている。ベルマイアが周囲を見渡すと川の対岸の茂みが揺らめいた。
「起きろラージック!」
手っ取り早く起こす方法が思いつかず、ベルマイアはラージックの腹部を数回蹴りつける。
ゲホゲホとせき込みながらラージックが立ち上がる。
「ともかくこの場を離れよう」
ベルマイアが腕をとって走る。
対岸から人影が飛び出した。
川を挟み併走してくる。
女戦士風といったところか。ほとんどビキニのような露出度の高いアンダーウエアに、なめし革の肩パッドと革製胸当てをしている。露出した腹筋はくっきりと六つに別れていた。身長は高くラージックよりも頭一つ大きい。全体的にがっちりしており、顔つきは彫像のように凛々しかった。
背中に自分の背丈ほどある巨大な剣を背負っている。だがその動きは機敏だった。
屈強の女戦士といったところか。適度に日焼けした肌と、栗毛色の髪は無骨さよりも、ある種の美しさがある。
だが何よりも特徴的なのはその耳と尻尾だった。
長く大きい獣毛に覆われた耳と、大型犬のようなふさふさとした尻尾を揺らしている。
(──これが獣人か)
ベルマイアが読んだ書物では「全身血のような色の毛むくじゃらで、目玉が飛び出し裂けた口をもち、頭にプロペラだかなんだかわけのわからないものをつけた化け物」と表記されているが、実際にはずっと人間に近い。
「聖域に踏みいろうとする人間どもよ! たちさるのだ!」
対岸からやや低いながら通る声で獣人の女戦士は二人に警告する。
「……ってことは、この先に聖域があるってんだな! ハッハッハ! それみたことか! 行くぞベルマイア!」
ラージックは満足そうに笑うと、ベルマイアに引っ張られていた手を振り払い、いちもくさんに川上を目指す。
「ああ! いくな! そっちにはギルモア様が! 危険だ! 今行くのは危険なんだ!」
「フッ……いくなといわれて行かないわけにはいかねぇなぁ! 俺様の行動を制限しようなんて愚かな貴様には、もれなく天罰みまってくれる!」
ラージックが左ポケットに手をつっこむと、濃緑色をした枯れ葉のかけららしきものを取り出した。
そのまま川に投げ込む。
「ベルマイア! 全速力だ!」
気合いの入ったラージックの言葉に、ベルマイアは思わず残りの体力を考えずに加速していた。
一瞬だが警戒した獣人女戦士の動きが止まる。
ラージックが川に放った濃緑色の物質は、水を吸収してふやけるように肥大化を始める。
川をワニのように、ゆっくり女戦士めがけて進む「何か」。
攻撃と悟った女戦士が背中の巨剣に手をかけた瞬間、すでに直径五メートルまで肥大化した謎の物体は川を飛び出すと女戦士にのしかかった。
「……なんなのだあれは?」
「ふえるワカメ」
思わずベルマイアの足が止まる。
女戦士に覆い被さったのはたしかに海草だった。
意思でももっているのか、自分から巻き付き女戦士の動きを封じていく。悲鳴をあげる獣人だが、完全に頭まですっぽりと覆われると動かなくなった。
「…………」
立ち止まったまま絶句するベルマイアに、ラージックは「正義の前に海草さえも協力を惜しまない」と、意味不明な解説を付け加える。
「ちなみにふえてるんじゃなく、単純に水分をすって元の大きさになっただけだがな」
「大きさが元にもどるのはいいが、なぜワカメが人を襲う?」
「凶暴な人食いワカメだから」
川岸にこんもりもりあがった海草の小山は微動だにしない。
「大丈夫だ。充分にミネラルを吸収させきってからワカメの方が枯れ果てる。死にやぁしない」
「………………そうか」
それでは人食いワカメというネーミングもどうかというところだが……思いつつ、いつもよりも長い沈黙を経て、ようやくベルマイアは頷いてみせた。
◆
追っ手を警戒しながら二人がたどり着いたのは湖だった。
巨大な滝を有し、絶えず水しぶきが周囲に充満している。
奥のそびえ立つような滝は肉眼でとらえることができるが、湖の両端は霧に覆われていていまいちその大きさを把握できない。
「ギルモアってのは……なんだろうな?」
霧の立ちこめる湖のほとりでラージックがポツリとつぶやく。
女戦士の口走った「ギルモア様」……。
しかも看板には「秘宝」などと書かれている。
「いくな……とも言っていた。それにあの看板……わたしの推理が正しければ」
「この先に何かある……って言いたいんだな? まあ俺様も同感」
ベルマイアはコクリと頷く。
「しかし、あるかどうかっつう以前にだ」
ラージックがあたりを見回すが、霧でぼやけているためかよくわからない。
先ほどから滝の音だけがけたたましい。
その音にベルマイアの眉がピクリと動く。
「そうか! あの滝の裏手にきっと宝がある。そういうことではないのか?」
「ベルマイアよ。そいつはおかしいぞ。ギルモアは……おそらく人名だ。あの屈強そうな女戦士に『様』づけで呼ばれるんだ。相当な使い手とみていい」
腕組みをして嘆息混じりの青年を、ベルマイアは逆にねめ返す。
「いや、滝の裏に宝のある洞窟。これは世界の法則であり、宿命的決定事項に他ならない」
「それは違うぞベルマイア。ギルモアはおそらく体長三メートル近くの大男だ。獣人を束ねるボスって感じじゃないか?」
熱弁するラージックをベルマイアは鼻で笑う。
「そんなものに遭遇して何が楽しい? わたしの意見を採用した方が圧倒的かつ合理的に有効及び高収入ではないか?」
「それは貴様の思いこみだ! 絶対にギルモアはこの森を支配する悪の権化的な獣人だっつーの!」
「それこそ大いなる勘違いでしかない」
お互いに譲歩するような雰囲気もまるでなく、ただ水の流れ落ちる音だけがしばらく二人を包み込んだ。
「……わかった。ではこうしよう。わたしは滝の裏の洞窟で財宝を探す。お前はこの湖の周辺でギルモアとかいう大男を捜せばいい」
きびすを返し、ベルマイアは湖を滝壺に向かってゆっくりと左側から迂回しはじめる。
「おい! ちょっとまてベルマイア! ここまで二人協力して戦ってきたんじゃないか!」
魔導師にはまったく話を聞く素振りもない。
「悪いがわたしたちの旅はここまでだ。短い間だったが充実した時間を過ごさせてもらったな」
背をむけたまま、ベルマイアの影はぼんやりと霧に飲み込まれていく。
「待ってくれってベルマイア! 俺様は……俺様はようやく……」
どこか口調にいつものような勢いがない自称正義の味方。だがベルマイアはつかつかと歩む。
(──秘宝、秘宝、秘宝、秘宝……すまないラージック。お前の一億ゼノよりも獣人の秘宝の方が、少しばかり天秤が傾いてしまっただけ……秘宝を手に入れたらお前もしっかり換金するので、それまで他の賞金稼ぎに捕まらないことを祈っている)
すでにベルマイアの頭の中には金銀財宝の山が妄想されていた。
当面の目標はラージックを帝国に引き渡すことだったが、本当に秘宝があるというなら魔導師の天秤は断然そちらに傾く。
目標変更……となれば得体のしれない自称正義の味方につきあう義理などベルマイアは持ち合わせてはいなかった。
完全にベルマイアは霧に吸い込まれて消えてしまう。
なにか考えているようにラージックはその場で腕組みをしたままだった。
うつむいたままピクリとも動かない。
五分……十分……十五分……。
時間ばかりが進んでいく。
(──いや、ベルマイアがああ言うんだ。俺様はなんで……なんでそれを信用できなかった! ああ、俺様のバカ、バカ、バカ! こんなことじゃ帝国の野望なんか阻止できないじゃないか!)
ラージックが追いかけようと霧の中に走る。
「キャーーーーーーーッ!」
一瞬遅れて立ちこめる濃霧の中、ラージックの耳をつんざくように甲高い悲鳴が響き渡った。
■獣人の名はギルモア■
霧の中の悲鳴にラージックは一瞬とまどった。
声の質からしてベルマイアではない。まだ年端もいかない少女の悲鳴である。
(少女の悲鳴! っつうことは……)
悲鳴をあげるということは何か危険な状況に直面しているから──ラージックが頭脳をフル回転させ導き出した結論はただ一つ。
(少女がギルモアに襲われている!)
ベルマイアに向かいかけた足を悲鳴に向け直す。
右回りで湖を迂回し走る。
「イヤー! 来ないで! 来ないでってば!」
激しく拒む声はだんだんと近づいてきていた。
いや、近づくほどに拒否の度合いが増加しているというべきか。
「来ちゃだめ! つうか来んな! 来たら殴るぞ! 刺すぞ! ぶっころすぞ!」
少女の声には似合わないセリフが連呼される。
「待っていろ少女! 今この俺様が災厄を粉砕してやっからな!」
声に導かれラージックは霧の中を走る。
さしずめ白い闇といったところか、十歩先に何があるかもわからない。
声めがけ、湖の浅瀬を水を踏みながら進むラージック。
「イヤイヤイヤー!」
「ゴルァ! ギルモアとかいうおそらく大柄で眼帯でもつけてそうな、獣人の親玉風味よぉ! 狙うなら俺様をねらいやがれ!」
少女の悲鳴は白い闇の中遠ざかっていく。
「ああ! 逃げまどうな少女よ! 俺様が来たからにはもう安全だってば!」
「あっちいけー! 投げるぞ! 咬むぞ! ぶっとばすぞぉ!」
「そうだ! あっちに行け! 少女から離れろギルモアッ! 俺様が相手だっつーの!」
少女の悲鳴と逃げまどって水を踏む「パシャパシャ」といった水音だけは確認できる。
だがいっこうにギルモアは応えない。足音もラージックと少女のものだけだった。
(──できる! 完全に気配を消すとは……俺様の相手をするのに不足なし)
いくら神経をとぎすませ、霧の中に身を隠したギルモアを追ってみても、その気配はまったく感じられなかった。
ばしゃん!
不意に大きな音とともに、少女の足音が止まる。
「おい! 大丈夫か少女よ!」
「あぐ……あ、あご打っちゃったじゃんか! あー、もう終わりよ! 死んじゃうんだ! あたし殺されちゃうんだ! なんて不幸なのあたしってば!」
前のめりに倒れたらしい少女。甲高い涙声でわめき散らす。
(──まずいぞ! 倒れていては完全に無抵抗じゃないか!)
正義の味方に迷っている時間はない。今は少女を肉眼で確認し、保護することこそが最優先。とラージックはジャケットをまさぐった。
「そこを動くな少女! こうなったら奥の手だッ!」
ジャケットの内側からラージックは球体を取り出す。緑地に黒いラインが稲妻のごとく入った果物──大玉スイカだった。
ツルが一本スイカの頭頂部から生えている。
おもむろに胸ポケットからオイルライターを取り出し、ラージックはツルに着火。
一瞬でツルから火花が散り始めた。
大玉スイカを両手にかかえ、ラージックはそれを赤子をあやすように、天にかかげる。
それを一度ゆっくりと腰のあたりまでおろすと、膝をはじめとした全身のバネを使い勢いよく大玉スイカを投げあげた。
大きく空めがけ浮かび上がったスイカは、投げあげられた頂点の位置で……大爆発する。
「ギルモアよ! 俺様を本気にさせた貴様が悪いのだ! だから俺様は悪くない……と思うんだけど、どうだとおもう少女?」
爆風が霧を吹き飛ばした。
霧がはれるや、少女はラージックの目の前に座り込んでいた。
しかも一糸まとわぬ姿で、唖然としている。
紅い汁が全身に滴っていた。
黒い粒……種がぽつぽつと少女の白い肌にはりついている。
何が起こったのかもわからず、不可解な出来事に少女は硬直していた。
霧が晴れ、果汁が飛び散り、種がはりつく。いや、それ以上に不可解な存在が少女の目の前に立っている。
あれだけの爆発にもかかわらず、なぜかラージックにはスイカ汁も種もへばりついてはいない。
「しかし……ギルモアは逃げちまったのか」
呆然とする少女を意に介さず、ラージックは周囲を見渡した。
緑の木々が周囲をかこむ静かな湖畔……だったその場所の半径十数メートルが紅い果汁と黒い種子の粒で、ものの見事に異様な風景に様変わりしていた。
「いいか少女。正義の戦士たる俺様が来たからには指一本ふれさせん!」
「え、あ、だ、だれに?」
おびえる少女をみてかラージックは笑顔をみせる──といっても前髪が邪魔でいまいち口だけしか笑っていない不気味な人相なのだが。
「貴様を狙う悪党だ。俺様が守ってやる」
「え、あ、あぐ……う、うん」
少女はふせていた耳をピンとたてる。
「しかし……少女よ。貴様はその……獣人というやつなのか?」
ラージックが少女の顔をのぞき込む。
「こ、こっちみるな! って言ってもおそいか……はだか……みられちゃったよぅ」
水にぬれた尻尾はうなだれている。
白い透き通るような肌はスイカ汁でまだら模様になっている。人間ではない毛色は桃色というよりもピンクだった。半身浴状態の姿勢だったためか、濡れた長い髪は水面に海草のようにただよっている。
とがったコーン型の獣の耳が細かく震えている。
「どうした? 怖がるなよ。安心しろ。俺様が貴様を死守してやるってば」
周囲を警戒するようにラージックは少女を背にしたままつぶやく。
「まもって……くれるの?」
「ああ、当たり前だろ。だって俺様正義の味方なんだから」
少女は押し黙ってしまった。
「そういえば自己紹介がおくれたな。俺様はラージック。見ての通り職業正義の味方だ」
「……うん。えーと、あたしは……」
少女の言葉が終わる前に森の茂みから獣人の女戦士が飛び出してきた。
肩で息をしている。
「貴様、さっき俺様に天罰をくらったヤツじゃないか」
褐色肌の獣人女戦士──その肌には張りとツヤが増し、あきらかに肌年齢が三歳は若返っている。
「おのれ人間め! 人質とは卑怯!」
女戦士の目は血走っていた。
続いてぞろぞろと茂みから獣人の戦士──なぜか女ばかり──が現れる。
武器も装備も統一感がない。剣や斧、かぎ爪に槍などそれぞれ得物をかまえていた。ノリはほとんど盗賊団のそれである。
「きやがったな手下ども! さあこい! 俺様が相手だ! この少女には指一本ふれさせねぇぜッ!」
スッとジャケットの内ポケットにラージックが腕をつっこむ。瞬間女戦士たちだけでなく、背後の少女までも肩をびくつかせた。
「あ、いいよ! べつにまもらなくったって」
「正義の味方が一度口にしたことだ、この場は絶対にまもってやるぞ少女よ」
「あぐ……あ、あのさ、勘違いしてるかもなぁ、ってあたし思うんだけど」
「勘違いだろうがなんだろうが、今貴様を狙って謎のアマゾネス軍団が襲来していることはまごうことなき事実ってやつだ! 逃げるんじゃねえ! 現実を直視しろ!」
「いや、その、そこからして間違ってると思うんだけどね」
「間違いなどあるものか! いや、仮にあったとしても今はそれでころじゃない! 俺様がここをくい止める。貴様は全速力で逃げるのだ!」
少女はうつむいてしまった。
冗談ではなく青年は本気である。
真剣な口調と死にものぐるいの気迫を少女は肌で感じてしまった。
「なんで……なんで見ず知らずのあたしなんかに……ニンゲンがそんなこというの?」
その目には涙がうっすらとにじんでいる。
「理由? 考えたことねぇな……強いて言うなら」
青年の前髪の間から、一瞬だが黒い瞳がかいまみえた。
優しく包み込むような視線。温かい色と光のこもった瞳。そのまなざしには揺らぎも曇りもない。
「俺様は守るためだけに生まれてきたからさ……」
少女のなかで見ず知らずの青年の一言が膨らんでいく。
(それって……つまりあたしを守るために……守ってくれるためだけに生まれてきたってことなの? うん、きっとそうよ! そうに違いないわ! きっとこの人が……あたしの白馬にのった王子様なのよ! だってお母さんもお父さんと契りの約束をしたのはこの湖だし……。これって……これってきっと運命の出会いなんだわ!)
「お逃げくださいギルモア様!」
不意に女戦士の言葉が少女を現実に引き戻した。
「ギルモア?」
ラージックがあわてて周囲を見回すが、そんな大男の姿はみじんもない。
「その男は危険です!」
「う、うん。危険だと……思うけど」
すくっと立ち上がる少女。
「さあ! ギルモア様をこちらに渡してもらおう」
女戦士の言葉がいまいち理解できないラージック。
「渡すもなにも、だいたいギルモアはどこにいやがるんだ!」
ラージックが周囲を見渡してもピンクの髪の獣人少女と女戦士たちしかいない。
「くそ……時間をかせぐなら……これを使うしかねぇな」
ラージックの手にはいつのまにやら手袋が装備されていた。
丁寧というべきか、わかりやすいというべきか、むしろアホというべきか。手袋の甲の部分に「耐熱仕様」と書かれている。
ラージックが動いたのと同時に女戦士の一団から、まだやや貫禄にかける若い戦士が跳ぶように襲いかかってきた。
「ハッタリなど通用しませんわ! お助けしますッ!」
両手に金属製の爪を装備している。猫のようにしなやかな動きで若い女戦士はラージックの首に狙いを定める。
「はやまるな! テスターニャ!」
リーダー格が言葉を発した時にはすでに手遅れだった。
テスターニャと呼ばれた爪使いの顔に、白い厚手の布がばふっとかぶせられている。
その布は猛烈に蒸気を発していた。
「キャアアアア!」
悲鳴をあげながら女戦士は空中で姿勢を崩して浅瀬に顔面からつっこむ。
第二波を予測してか、ラージックの手には筒のように巻かれた布が湯気をあげていた。
「これがアツアツのおしぼりサービスだ」
テスターニャの犠牲に逆上したのか、槍をかまえた女戦士が一歩踏み出してしまった。その動きにラージックの右手が反射的におしぼりを放つ。
筒状のそれは空中で良い感じに開くと、槍使いの顔面をやんわり包み込んだ。
「──ッ?!」
声にならない悲鳴をあげながら、槍使いは自らの意思で顔面を湖につっこむ。
(──動けば標的にされる)
戦士達は硬直した。すでにラージックの両手には、ホカホカのおしぼりが三本ずつ握られている。
完全に膠着した戦局を打破したのは、ラージックの背後の少女だった。
「さあ! 逃げたい放題逃げやがれ少女よ!」
自称正義の味方の言葉に首を左右させ、少女が口をひらく。
「あ、あのね、あたしが……その」
「いいか! 俺様はここで死ぬかもしれん……だがここは必ず死守してやる!」
「ギルモアなの!」
少女が叫ぶ。
ラージックは口をひらいたまま硬直し……。
「だ、騙したな!」
驚きのあまり声が裏返る正義の戦士。
その両手からおしぼりが砂のようにこぼれ、着水すると激しく蒸気を発生させた。
スモークの中に青年と少女が二人。幻想的な絵だがおしぼりの湯気というあたりがどこか虚しい。
「あなたが勝手に勘違いしただけでしょ! もう、そそっかしいんだから……まるでお父様みたい……」
そのあとも頬を紅潮させながらブツブツと少女は独り言を続けるが、ラージックはまるで聞いていない。ただただ呆然と立ちつくす。
瞬間、女戦士の一人がその隙を逃さず青年に覆い被さるように飛びかかった。
続けざま、包囲していた女戦士たちが次々と重なりあい小山をつくる。
押しつぶされたラージックは少女に騙された──一方的な勘違いではあるのだが──ショックにより、ぐったりとしたまま無抵抗だった。
女戦士たちがゆっくりとラージックから離れる。
目を閉じたままぴくりともしないラージックを取り押さえると、丸太に手足をくくりつけた。捕獲された獲物よろしくつり下げ状態の自称正義の味方。それを女戦士のリーダ格が部下二人にかつがせる。
「お怪我はありませんでしたかギルモア様」
少女の前でうやうやしく膝をつくリーダー格。
その間にもラージックは丸太にくくられたまま、森の奥地へと運ばれていく。
「シャーリギン……あたし……みられちゃったよぉ……どうしよう」
「ご安心くださいギルモア様。一族の習わし通りに……ふっくらとほどよく仕上げてしまえば……」
「え、ええ! で、でも……」
「まさか……人間などにお気持ちを奪われたなどと言われるのですか?」
「そうじゃ……ないけどぉ」
戦士長シャーリギンに少女──ギルモアは言葉を濁す。
「ともかく族長様に報告を……なによりギルモア様がご無事で……本当によかった」
シャーリギンはうっすらと涙をにじませていた。
■謎の生物は毛むくじゃら■
滝の裏にはベルマイアの予定通り洞窟がぽっかりと口を開いていた。
人間が三人ほど並んで歩けるくらい幅があり、天井も高い。その天井には鍾乳石が垂れ下がっている。
ベルマイアは魔導書を開き、洞窟の前であらかじめ「集光」の魔導を発動させる。
片手におさまる程度の光球が先導するようにベルマイアの前に浮かびあがった。
およそ一時間ほどで消えるこの光球をさらにストックリングに作り置きし、ベルマイアは洞窟に踏み入る。もう一つのストックには、かすかな太陽光から集めた「火集弾」で埋まっていた。
滝の打ち付ける音が洞窟に反響して外界と内部を隔てる。
じめっと湿気がまとわりつく。岩肌むき出しの壁にはコケが密生していた。
足場も悪い。ところどころに水たまりができている。
奥に進むほど、入り口の滝の音はぼやけて小さくなっていった。
そして完全な沈黙。
時折水を踏む音と、鍾乳石から垂れる水滴の音が闇の中洞窟に音の波紋を描いていく。
手の中の光球で照らしても同じような風景が続き、光の届かない闇へとフェードアウトする。
一本道だった。
分かれ道も何もない。足場の悪い鍾乳洞が続く。
心なしか進むごとに傾斜がつきはじめ、いつしか上り坂となる。
足下の水たまりも小川となって下っていく。
自分がどこにいるのかもわからない。
闇の中、ベルマイアは独り。
(──さびしい? このわたしが?)
先ほどまで自分の意志とは無関係に騒がしかった分、その反動からか、普段考えもしないようなことが魔導師の脳裏をかすめていく。
父親のこと……。魔導機械……。
(──なにが戦艦か。あんなものに……いったいなんの価値がある)
不意に周囲を照らしていた光がしぼみ、消えていく。
魔導の光が消えて魔導師は暗闇の中に置き去りにされたような気持ちになる。
同じような道を一時間歩き続けていることに気づくベルマイア。
「ふぅ……」
ため息とともに妙な彼女の中で後悔の念がわき上がる。
「騙されたか? わたしは」
秘宝に向かっているような気がしない。
足を踏み外せば転げ落ちてしまいそうな……そんな坂道をゆっくりと登り続けてきた。
いまから戻るために光球を使うべきか。
それとも、進むために使うべきか。
(金がいる……他には何も必要ない……)
不意にベルマイアの頬を風がなでる。
(この先に、地上につながる出口がある)
風が吹き抜けるということは、この先に外へとつながる道が続いている証だった。
残された光を解放し、ベルマイアは傾斜を登り始める。
数分で視界は拓けた。
傾斜を登り切るとそこにはドーム状の空間が広がっていた。
一枚岩をくりぬいて作ったように、ドームの内壁にはつなぎ目がいっさいない。
白い、磨きぬかれた大理石を思わせる。
ほのかにだが、壁そのものがベルマイアの光球に「刺激」されて発光をはじめた。
魔導を感知する……つまり古代魔導文明の遺跡なのだろう。
傾斜をのぼりきったベルマイアの左手には巨大な門がどっしりと構えている。
観音開きで、高さ十メートル以上はあるだろう。磨き上げられた内壁とは対照的に、光を吸い込むような漆黒だった。扉部分には線と点が密集して、回路のように複雑な文様を描いている。
鍵穴の類は無い。ただその中央に小さな丸いくぼみがみうけられ、複雑な文様はそのくぼみを中心に広がっていた。
ドームの正面にはまだ道が続いている。
かすかにだが、紅い光がその道から差し込んでいた。
魔導師は胸元から懐中時計を取り出す。
午後六時をまわっていた……紅い光は夕焼けだろう。
(ともかく外に出よう)
扉の開鍵にはおそらく魔導を要する。しかし、今のベルマイアに力は残っていなかった。魔導は導き出す力だが、導き出すために人間の精神力をいくらか消費する。
野営のために安全を確保したい……そのためには周囲の状況がどうなっているのか、陽光のあるうちに見ておく必要がある。
扉を後回しに、ベルマイアは正面の通路を進む。
「──?」
紅い光の中に影が立っていた。
毛むくじゃらで、おそらく「紅い」のだろう。保護色よろしく夕日の中にとけ込んでいたせいで、一目見ただけでは判別できなかった。
人影……いや、それが人なのかもわからない。
全身を紅い体毛に覆いつくされている。
しかし、手の部分だけは白い手袋のようなものをしていた。
人影といいがたい──ベルマイアがそう第一印象をもったの、そのシルエットに首が存在していないからである。
それはゆっくりとベルマイアの方を振り返る。
丸くやや黒目がちな瞳はまんまるく飛び出していた。
ぽっかりと開いた口は、黒く塗りつぶされている。
頭には黄色いプロペラのようなものがゆっくりと回転している。
鮮血に全身を紅く染めた雪男……そんなズングリムックリなプロポーションは、ベルマイアがアカデミーの図書館でみた獣人図解の挿し絵そのものだった。
ムックリとした毛むくじゃら。
「──ッ!?」
こちらに気づいたのか、ムックリとした毛むくじゃらは肩をびくつかせ、口をぱくぱくさせながらベルマイアを指さしている。
本能的な危険を感じてかベルマイアはとっさに「火集弾」を放っていた。
やはり霧の中の太陽光でつくった「火集弾」では、赤子の握り拳程度の大きさにしかならなかったが、それはまっすぐにムックリ生物に向かっていく。
ゴワンッ!
着弾し、鈍い音が洞窟に響いた。
ムックリは両手で顔面をクロスブロックしたまま動かない。
「し、しぶといな謎の生物!」
ベルマイアは精神を集中し呪文を口ずさむ。
だが燃え落ちかけた夕日から、炎を生み出すだけの力は残っていなかった。
ムックリはゆっくりとベルマイアに近づいてくる。
とっさに本を閉じベルマイアはショートソードを抜いた。飾りに成り下がっていたそれも魔導の尽きた今はたった一つの頼れる武器だった。
「あッ、あッ、ちょっと待ってください」
ムックリが口をぱくぱくさせる。
「わたしに近寄るなムックリ生物よ!」
ショートソードは突きの構えだった。間合いをみて懐に飛び込み心臓を一突き。
シンプルすぎる作戦だが威力は高い。
「いや、ほら、これはですね、あくまでコスチュームプレイといいましょうか」
両手をばたつかせるムックリ。
「いや、たしかに彼ら実際の獣人の姿と、資料とでは小さな誤差はありましたが……かなり彼らにとけ込むような……ほら、全身毛むくじゃらですし、ある意味そっくりでしょう?」
「いや、ぜんぜん」
「そ、そうですか?」
両手で頭をかかえこむムックリ。
「というか……お前はその、なにものか?」
ベルマイアは剣を鞘におさめる。見た目のインパクトとは逆に、ムックリから敵意は感じられない。
「あ、私はですね。その、なんといいましょうか。公務員です。素性はその……いえないんですけど」
「あ、ああ、そうか……公務員か。ご苦労なこと」
火集弾が通じない装甲……おそらくこの男が纏っているムックリスーツには、なんらかの魔導が付与されているのだろう。ともかく獣人の領域に単身乗り込んでいることを考えれば、かなりの使い手に違いない。
ベルマイアが無益に戦いを仕掛けるメリットはどこにもない。
「ええ、そうなんです。いえ、どうしてもみんなこのデザインをみてですね、やりたがらないんですよ。かっこわるいだのなんだのと……危険任務っていうこともありましたし。そこで私自身がこうやって来ることに……あ、でも本当はお気に入りで、どうしても着てみたかったんですよコレ。っと、それはまあ秘密なんですけどね」
いまいち理解できていないベルマイアに、ムックリは両手をパンっと叩く。
「あ、そうだ、こんなところで立ち話もなんですし、どうです? 私のテントにきませんか? なかなか眺めも良いですし」
ムックリは背をむけて「こっちです」と手で合図をする。
(──もう日も暮れる……)
夕焼けはゆっくりと夕闇に姿を変えつつあった。
ベルマイアは「わかった。世話になる」とムックリの後をついて洞窟を抜ける。
当てもなく、ひとまず話の通じる相手なのだから下手に警戒するよりも利用したほうが効率がいい。風体の奇怪さはともかく、それがベルマイアの正直な心情だった。
小高い、すり鉢状の盆地が眼下に広がっていた。
コロシアム型というべきか。その一番高い席のあたりが、洞窟の出口になる。
足下の……闘技場ともいえる平地に高床式の家屋がいくつも見受けられる。
「あれが獣人達の集落です。ああ、私は内気なもので、彼らとまだ接触はしてないんですけどね」
高台に三角型のテントを構え、ムックリは集落を指さした。
「ほらほら見てください。何か一団がやってきたようですよ」
ムックリ着ぐるみ男はテントから双眼鏡を持ち出した。
夕闇の中、たき火に先導されながら戦士の一団が村へと入っていく。
「ああ、どうやら狩猟の帰りなのでしょうかね? 彼ら獣人は狩猟という原始的な生活をしているようです。みてみますか?」
ムックリが差し出した双眼鏡。断る理由もなかったため、ベルマイアはのぞき込む。
どこかでみたような獣人の女戦士が先頭だった。どうも肌ツヤが良いのだが、その点をのぞけば確かにラージックにワカメを食らった獣人そっくりだった。
そのうしろにまだ年端もいかない少女がついて歩いている。
なんの飾り気もない服──ボタンはなく、ジャケットのように羽織るのだが胸の前で布地を左右させ、帯で止めるタイプの独特な民族衣装を着ている。長いピンクの髪をうしろで一本結っていた。
少女の四方を囲むように女戦士がガードしている様子から、この少女が特別な存在であるということは読みとれた。
しばらくして、視界に女戦士の集団が入ってくる。
長い丸太にくくりつけられた黒い影。
獲物……なのだろうか。女戦士二人が丸太の両端を肩にかついで村に入っていく。
黒い物体にベルマイアは見覚えがあった。
「どうなさったんですか?」
唖然とするベルマイアを気遣うようにムックリ男が身体を傾ける。
首がないぶん、首を傾げようとすると全身が傾いてしまうらしい。
不意の問いにベルマイアは言葉を返す。
「いや、知り合いが捕獲されている……」
とてつもない脱力感、虚脱感。
呆気にとられたベルマイアの手から双眼鏡がこぼれ落ちる。
「な、なんですって! って、あああ!」
ムックリが悲鳴をあげる中、双眼鏡はコロコロと加速をつけて崖の下に転落していった。
■族長の名はパパナム■
「しかし、今宵は女神アストラガノン様への生け贄がこのように多いとは」
村一番の戦士シャーリギンは嘆息混じりにつぶやく。その手には縄が握られていた。縄の先には黒髪の自称正義の味方が、荒縄で乱暴にぐるぐる巻きにされている。
村中央の広場には丸太が立てられていた。
村の男衆がシャーリギンの指示でもう一本丸太を準備する。もちろん新しくやってきた生け贄用に……である。
すでに立てられている生け贄棒の用意はできていた。
丸太の周囲には枯れ木や枯葉がこんもりと盛られている。
その棒の先端で生け贄がぐったりとしている。気絶しているらしい。
ショートボブの似合うまだ年端もいかない少年がくくりつけられている。
「おい! 獣人女! まさか俺様を……」
「察しがいい。この生け贄の儀式で生きたまま、ほどよくふっくら仕立てのバーベキューになってもらう。すべては守護神たる女神アストラガノン様に、森をお守りいただくため」
「貴様ぁッ! 俺様をどなたと心得てやがる! 正義の味方をグリルしようなんて神が許しても俺様的に不許可だぞ!」
「アストラガノン様を侮辱するのか! これだからニンゲンは……。アストラガノン様こそこの森と生命の守護者であらせられる! おまえのような下劣な存在とは比較すること自体がすでに間違っている」
シャーリギンとラージックの口論に気づいたのか、すでに生け贄としてくくられていた少年が首をあげる。
「みよ! 先ほど森をさまよっているところを捕獲したあの生け贄を! あんなにも従順に命を捧げる時を待っている!」
女戦士が指さした先、ラージックが視線を向けると少年と目があってしまった。
「あ、ああ、ああああ!」
「なっ、なぜ貴様がこんなところに!」
少年の顔が紅く染まる。
「ラージックさんが……ボクを、ボクを助けるためだけに、こんな人里離れた大魔境に単身のりこんで、ボクを救出したうえ愚かな獣人に鉄槌を下してくれるなんて」
恥じらいたっぷりに少年はつぶやいた。
「な、なんで貴様がここにいやがる! 水分出し切って死んだんじゃねえのか!」
「愛あるかぎるボクは不死身です! けども、実は……ラージックさんを追いかけようと思って……でも森でまよっちゃったんだ。ボクってほら、身体弱いし、気も小さいから怖くて怖くて……それでオドオドしながら歩いてたら……なんか投網をなげられちゃって」
頭の触角は申し訳なさそうにうなだれていた。
「でも、信じてました! きっとラージックさんが助けに来てくれるって! だからボクはずっと耐えて、耐えて……耐え抜いて! そしたらやっぱり来てくれた! やっぱりラージックさんはボクの白馬に乗った王子様なんだ! 今自信は確信にかわりました!」
「…………」
ラージックは応えない。いや、小さくシャーリギンの耳元でつぶやく。
「え? いいのか? 知り合いなんじゃないのか?」
「いや、構わない。とっととウエルダンぐらいの焼き加減で……」
「ま、まあもとよりそうするつもりだったが」
「ともかく、今すぐに頼む」
「いいだろう。これからお前がどうなるか、デモンストレーションしてやろう」
シャーリギンが手をあげて号令をかける。
村の男衆がたいまつをかざし丸太を囲む。
「あ、あああ! た、助けてくださいラージックさん!」
「すまんなぁルシルよぉ! 俺様もほれ、今は虜の身。貴様を助ける余裕はないわけだ」
わざとらしく声をあげるラージック。
炎はゆっくりと足下の薪に近づいていく。
「……わかりました。ボクは……ボクはラージックさんに頼りすぎてたんですね。だからラージックさんはそんな弱いボクの心を見透かして。やってみます! ボクひとりでこの危機的状況をのりきってみせます!」
紫の触角を激しく揺らす少年。
胸元の紫色をした宝石が一瞬輝く。
すると雲一つなかった夕闇の空に、いきなり雷鳴がとどろいた。
「な、なんだ?!」
シャーリギンが空を見上げた瞬間、小さな暗雲が少年の上だけに発生する。少年を中心とする半径一メートル以内が、バケツをひっくり返したような豪雨となる。
近づいた男たちのたいまつは消え、生け贄棒の足下に積まれていた薪も雨に濡れて使い物にならない。
大粒の雨に野ざらし状態のルシル。
捨てられた子犬のように瞳を潤ませながらくしゃみを連発するさまは哀れみを誘う。
「へ、ヘクチュ! ヘクチュ! ……うう、風邪ひいちゃいましたけど、これで生け贄は……ヘクチュ!」
ゆっくりと雨雲はひいていった。これが上位魔族としての力の片鱗なのだろう。
その場の全員が呆然とするなか、肩幅のがっちりと広い大男がのそっと広場に現れる。
片目に眼帯。浅黒い肌に濃い茶髪は癖がかかっていた。厳つさ丸出しといったところか。
ラージックが想像していた「獣人の親玉」のなりそのままである。
シャーリギンは男が現れるやひざまづく。
「こ、これはパパナム様」
「おお、シャーリギン。どうやら今夜は生け贄は無理そうじゃな。ところで……それがギルのいっていたニンゲンか」
パパナムと呼ばれた巨躯はラージックに視線を向けて豪快に笑う。
「貴様がこの集落の責任者かッ!」
「いかにも。ギャギャジ族の族長パパナムとはワシのことじゃ。どうやらおぬしにゃワシの一人娘が世話になったようでの。カッカッカ」
「世話した覚えなんざねぇ。だが敬う気持ちがあるってんなら縄を解きやがれ!」
「よかろう。シャーリギン、縄を解け解け、パーッとなぁ」
巨躯は笑う。解放しろと言ったラージック自身がまったく予想もしていなかった返事だった。
「そ、それはできません! この男は危険です!」
「族長の命令は絶対じゃろ?」
一瞬だがドスの利いた声ですごむ族長に、シャーリギンが耳を伏せる。
「で、ですが」
「つべこべいわんでええ。なんかあったらワシが責任とっちゃる」
「話が解るなオッサン」
ラージックの軽口に、強面ながら穏和な態度を保っていたパパナムの表情が険しく一転する。
殺気に満ちたような視線でラージックの顔をのぞき込む巨躯。
彫りの深い迫力のあるひげ面に、ラージックも一瞬だがたじろいだ。
「お主……オッサンとはどういう了見じゃ! ワシをそんな他人行儀に言うなど言語道断じゃぞ!」
「他人行儀もなにも、他人じゃねえか!」
「バカを言うな。いいかニンゲン……いやラージック。そんなことではギャギャジの明日を任せてワシが隠居できんじゃろ。これからはワシをオヤジやらお父様やら父君と呼ぶんじゃ! わかったな!」
ドスの利いた声ですごむ族長にラージックはぽかぁんと口をあけたままだった。
「お、おい、話がみえねぇんだが?」
「まさかラージック……いや義理ながら息子よ! 何もきかされておらんのか?」
ラージックが視線をシャーリギンに向ける。
シャーリギンも首を左右させるばかりだった。女戦士は目を丸くしながら族長に応えを求める。
「パパナム様! まさか……」
「うむ。どうやら手違いで聞かされておらなんだようじゃな。ここでしっかり説明しよう。ギャギャジの掟として、族長の血族はのぉ、成人後に裸をはじめて見られた異性と添い遂げねばならぬという、きびしぃ決まり事があるんじゃ。この決まり事は相手が死んでしまえば白紙になるんじゃが、ともかくだ、婿殿には次期族長となってもわんといかん。ギルは今年で十五になった。今まで村の男衆が挑んだが、ことごとくシャーリギンに撃退されてしもうてのぉ。村じゃシャーリギンにかなう男はおらなんだから、正直ギルが行き後れてしまうんじゃなかろうかと、内心冷や冷やじゃったわい」
「こ、こんな……よりにもよってニンゲンなどと!」
抗議の声をあげるシャーリギンを族長はねめつける。
「じゃがおぬしの警備網を突破しよったんじゃ、文句はなかろう?」
「ぜ、絶対反対! ヘクチュ! ヘクチュ!」
相変わらず丸太にくくりつけられた少年魔族──ルシルがくしゃみとともに抗議する。
「おお、お主には若い二人の門出を祝う生け贄になってもらおうと思うんじゃ。いやぁカモネギが渡りに船じゃのぉ、カッカッカ」
意味不明なたとえ言葉とともに豪快に笑う族長。
「いや、その……俺様は……」
「不服かねラージック? ギルの申し出をうけられんというんかね?」
族長が丸太のような腕を背に回す。
巨大な斧がその手には握られていた。
「では……しかたあるまい。うけられんというんなら、掟に従いこの場で死んでもらおうかの」
豪快に大斧を振り上げるパパナム。冗談を言っている雰囲気ではない。目が完全に据わっている。
「わ、わかったわかった!」
「ふむ、さすが婿殿じゃ。さぁて村の衆! これより婚姻の儀式の準備に入る! 祭りの準備じゃ!」
族長の言葉に村中から歓声があがった。
◆
パパナムの号令で村中にたいまつの炎があがる。
中央広場の奥、ひときわ大きな高床式の建物が族長の家だった。
狩猟中心というわりには、食料を備蓄しているらしく、ラージックの前には次々と果物やら、大型ハ虫類の蒸し焼きやらが並ぶ。
子供一人入るくらいの大瓶からは、果物を発酵させてつくったらしい酒が村の若い男衆に振る舞われた。
しかし、この席でもう一人の主役になるであろう少女の姿がない。
「おい……オッサ……もとい父君よぉ」
床であぐらをかいて、広間を男ばかりが十数人。
大男の隣で宴会騒ぎになじめず居心地の悪そうなラージックがつぶやく。
「ギルが気になるんじゃな? こればかりはしきたりでのぉ、花嫁は色々準備があるんじゃよ。カッカッカ! いやぁ、ワシもこの歳でようやく息子と酒の器を酌み交わせるて幸せじゃぁ」
すでに大瓶一つ一人で飲み干して、族長パパナムはすっかりできあがっている。
「さぁ、婿殿飲め飲め!」
竹を輪切りにした器に、柄杓で酒がつがれる。これで八杯目。蒸留してあるのかアルコール度もかかなり高い。
それなのにラージックは顔色一つかえず、勧められれば一気に飲み干してしまう。そののみっぷりに余計に気に入られてしまう正義の味方。
「うむ、見事なのみっぷりじゃ!」
「な、なあ……そういえば俺様はギルモアの母親……父君の奥方さんにゃあ挨拶してねぇが?」
場を取り繕うようなラージックの言葉に族長が眉を一瞬だがピクリとさせる。
「まぁ、女衆はギルの準備が……といってもアレの母親はアレがまだちいさいときになぁ……」
言葉を濁す族長にラージックは酒の器を床に置く。
「悪いことをきいちまったか?」
パパナムは首を左右させる。
「……ギルの母親は巫女じゃった。ワシはお主同様、巫女を守る女戦士たちをかいくぐり、聖域の泉で身を清めていたアレとまあその……ともかくそれはそれとしてじゃ、ワシらはふかぁく愛し合ったんじゃが、なかなか子宝にはめぐまれんで、ギルはようやくできた子供じゃった。じゃが……」
ここでまた言葉を濁し、族長の口が一度止まる。
「ニンゲンがな……アレの母親を殺したんじゃ」
「どういうことだそりゃ?」
「ワシらはこの地で女神様をお守りしてきた。そして女神様と意思の疎通を図るんが、巫女の血筋なんじゃ。ある時ニンゲンがこの村にきよってな、女神様の聖域を調べたいと言いおった……ワシらは断ったんじゃが……そのニンゲンはこともあろうギルの母親から扉の開き方を聞こうとして……そんときゃギルはまだ六歳くらいだったか、目の前で殺されたんじゃよ。……まあそれ以降森に入ってきた異種族はみんな生け贄にしとるんじゃが」
「…………じゃ、じゃあなぜ俺様を婿なんぞに……」
パパナムは深くため息をつく。
「もちろんふつうなら婿殿は生け贄になっとるとこじゃが……実はギルモアのたっての希望でのぉ」
「はぁ?」
「どうも婿殿に惚れ込んでしまったようじゃ」
あごひげをさすりつつパパナムは笑う。
「面と向かれていわれてしもうたんじゃよ。『あの人と結婚できないなら死んでやるー!』じゃと」
「…………おいおい、俺様が何をしたっつうんだ?」
「裸みたじゃろ?」
「いや、それでいきなりそうなるわきゃねぇだろう?」
「まぁ……あの年頃の娘はわからんもんじゃから」
「自分の娘だろうが! 把握しやがれ!」
「いかにも! ワシの唯一の自慢じゃよ!」
「いや、そういうこっちゃないぞ!」
眉間にしわをよせ、言葉を詰まらせてからパパナムは落ち着いた口調でつぶやく。
「ワシは……まもれんかった」
パパナムの瞳が寂しげな色にかわった。
「守ってやってくれんか? ワシら獣人の力じゃニンゲンにゃ対抗できんのじゃ。これからもどんどんニンゲンは強くなる。ニンゲンはこの世界に祝福されとるんじゃろう。ただ……あの娘だけは……ギルモアだけは守ってやってほしい。正直、もう村のもんも、あの事件から諦めちまっとる。いつかワシらはニンゲンに滅ぼされるとな。じゃが婿殿……婿殿とギルに子が産まれれば、その子にはワシらの魂が宿るんじゃ」
「……オッサ……もとい父君よぉ」
それ以上かける言葉も見あたらないラージック。
「ニンゲンにゃあなにより天使の加護があらぁな。天使はニンゲンを守るためにおるってな……創造主が世界を作り出す時、天使を世界に遣わせた……天使は創造主から授かった力で大地と空と海を作った。この森もおおもとは天使が作った。ワシらやニンゲンや……さまざまな種を生み出して……その中から天使はニンゲンを選んだんじゃろ」
「なんでそんな事を知ってやがるんだ?」
「言い伝えじゃ。ワシらは何千年もこの森におる。ワシらの祖先は天使とともに森をつくったんじゃからな。ずっとこの聖地にギャギャジの民が居続けるのも、この森と……女神の秘宝を守るため。じゃがもしかしたらもう、ワシらの役目はおわっとったるんかもしれん」
どこかさめたような視線で、パパナムは脇の大瓶をかかえるとぐびぐび飲み干す。
ラージックは黙り込んだままだった。
「おっと、すまんな婿殿。つまらん話じゃったろ?」
「いや……」
多弁なはずのラージックの口は、それ以降一言も発することなく酒を飲み続けた。
◆
月が高くなるころには男衆は誰も酔いつぶれてしまっていた。
ラージックは「離れに部屋を用意した」とパパナムに言われるまま母屋を出る。
広場に立てられた生け贄台をみれば、泣き疲れたのか諦めたのかルシルがぐったりと棒にくくりつけられたままだった。
「…………魔族と獣人と……人間か……」
丸く大きな月明かりに照らされてラージックはポツリとつぶやく。
一つあくびをしてから中央広場に背を向けてゆっくりと離れに歩を進める。
離れは高床式で一部屋だけの小さなものだった。
木の階段をあがり戸に手をかける。
「──!?」
月明かりの差し込む部屋に少女の姿があった。
薄手の布を身体に巻き付けているだけで、ほとんど全裸に近い。
「…………あ、あのね……」
「……そういう準備か?」
「うん……」
素直に首をたてにふる少女。
「断る……俺様にはいろいろやらねばならんことがあるんで、族長になるわけにゃならん」
「え、え……でも、守ってくれるって言ったじゃんか!」
「あれは正義の味方として当然のことだからな。しかぁしッ! 正義の味方というのは公共の福祉を最優先せねばならん。貴様だけを守るというわけにもまぁ、いかねぇんだよ」
「うそつき……正義の味方が嘘ついていいの?」
少女の純真な瞳にラージックは応えられない。
「じゃあ……どうすりゃいい?」
少女は無言で瞳を伏せる。
そっと顔をあげる。
濡れた唇が月の光をほのかに反射していた。
なにかを欲している……ラージックは本能的にそれを感じ取る。
こういったシチュエーションにはそれにふさわしい行為があるのだろう。
「わかった……貴様が望むなら……」
ラージックはそっと彼女に覆い被さる。
恥じらうように少女の頬は紅潮した。
「はじめてなんだな」
青年の胸の中でコクリと頷くギルモア。まだ身体を固くさせて緊張している。
「安心しろ。痛くないようにしてやっから」
「うん……」
瞳をふせたままの少女。
ラージックはそっとジャケットの胸ポケットをまさぐる。
不意に少女の唇になにか冷たいものが触れた。
「や……あん……」
妙な吐息を漏らす少女をお構いなしに、ラージックは突然彼女の鼻をつまむ。
「──ッ!?」
声にならない悲鳴をあげ、後ろに一つ結ってあったピンクの髪が大きくゆれる。
呼吸ができずに彼女が口をあけた瞬間、それは彼女の口内に押し入ってくる。
子供の拳ほどの球体がギルモアの口にはめられていた。しっかりとベルトで固定されている。
気づけば手足もいつのまにやら、黒塗りの荒縄でがんじがらめにされて身動きがとれない。
少女が目を見開くとそこにあったのは闇だった。
黒い布がぴったりと張り付いてギルモアの視界を奪っている。
「貴様ずいぶんと物好きだな。自分から正義の拷問を受けたいなんて」
「ムグムグムググー!」
口にはめられたボールのせいでまともに発音できない少女。
「ムグじゃわからんぞ? 他になにか要望があるんか?」
「モゴモゴー!」
「ムグをモゴにかえられてもなぁ」
困ったような表情を浮かべるラージック。だが、その姿は目隠しをされたギルモアの目に映らない。
少女の瞳のあたり、アイマスクの布地がじわっと染みをつくる。
「感涙するほど喜ばれっちまうとはなぁ……正義の味方冥利に尽きるぜ」
じたばたしようにも荒縄できっちりとぐるぐる巻きにされている。唯一動く首を激しく左右させ意思表示をしようにも。
「それくれいではずれるほどやわじゃねぇから、心配すんなって」
と、まったく話にならない。
「さてと……どうしたもんか……」
少女から視線をはずし、ラージックは考える。
あんな話を聞いてしまった以上、発掘のために獣人達が協力してくれるとは思えない。
しかし、空中戦艦を無力化するには、この村に眠る発掘兵器が必要不可欠。
「あぁ、正義の味方は辛ぇぜ」
ともかく遺跡への入り口だけでも探そうと、ラージックは少女を放置したまま離れをあとにした。
中央広場に出ると、ラージックは村の周りを被うようにそびえる壁を眺める。円形劇場の客席というべきか、壁は段々畑のように村を包囲していた。さしずめこの広場は舞台の真ん中といったところである。
(──ま、ともかく村を一周してみっかな)
心地よい夜風に吹かれながらラージックは歩き始める。
とりわけ注意することもなく広場を抜けるが、広場は先ほどと一カ所だけ様子が違っていた。
生け贄棒の前を素通りしていく自称正義の味方。
つい数分前までぐったりとしていたルシルの姿がいつのまにやら消えている。気づくことなく、青年は遺跡への道を探して夜の闇に溶けていった。
■謎の光は未確認飛行物体■
紅い毛むくじゃらが、床を掃くモップのようにほふく前進で進む。
そのうしろを無警戒にベルマイアが歩く。
月の光が充分ライトの役割をしていた。
高台のテントから迂回しながら山道を下り、ようやく二人──ベルマイアとムックリは集落にたどりついた。
茂みを利用して村でも一番大きな建物まで、あと少しである。
「さあ、こっちは安全です」
「いいかげん脱いだらどうか?」
「そういうわけにはいきませんよ! もし彼らと遭遇した時に、こちらが人間であるとバレては大変ですからね」
「たしかに人間であるということはバレないかもしれないが」
「そうでしょう? そうですよね」
すくっと立ち上がり、全身の土埃をパンパンはたくムックリ。
「ともかくです、本来潜入任務は新月の夜が好ましいのですが……ここまでしっかりと警戒を怠らなかったことが幸いしてか、私たちは現在非常に彼らに近づいています。なによりこのスーツが自然とこの村にとけ込んでいたことが、私たちの成功の秘訣といえるでしょう」
一人満足げに語る紅い毛玉。
ベルマイアはそのスーツを着ていない。それどころかほふく前進のような隠密行動的なことも一切していないのだが、ムックリは自分の発言に陶酔していて自信たっぷりの口調である。
「まるで軍人のようだな」
ベルマイアの一言にムックリの頭部につけられたプロペラが激しく回転する。
「そんなわけ無いですよ。なぜ軍部の人間がわざわざこんな辺境にやってくるのですか?」
口調は変わらないのだがプロペラはひっきりなしに回転を続ける。
「本当にお前は公務員なのか?」
「公務員といってもピンからキリまでありますからね」
プロペラは今にも外れて竹とんぼのように飛んでいくような勢いで高速回転する。
「ところでムックリ。1+1は?」
「2に決まってるじゃありませんか」
ピタリと静止するプロペラ。
「それはそれとして、そのムックリ毛玉スーツにしてもかなり魔導に長けた……そう、アカデミーの講師クラスの人間でなければ耐魔コーティングはできないと思うのだが……それができるとすれば軍部や帝国の機関になる……違わないか?」
「さあ、私も表向きは上層部の命令で動いていることになっていますから」
プロペラがちぎれ飛ぶ勢いで猛烈に回転数をあげる。
「表向き?」
「いえ、別に帝国軍第七特別部隊と私は無関係です」
ベルマイアにはプロペラが静止している……ように見えた。
しかし空気を切る音はしっかりと今まで以上に響いている。
あまりに高速回転しすぎてプロペラが止まっているように見える──目の錯覚を起こさせるほどプロペラは回転数限界まで回っていた。
帝国軍第七特別部隊──おもに遺跡の発掘調査や学者の警護などを行うのが設立当初の目的だった。しかし戦艦を発掘し、指揮する人間が変わってからは異種族を殲滅するための部隊に変貌を始めている。
セイシェント中佐。どこからともなく現れた青年が、発掘中に事故死した大佐に代わってこの部隊を指揮している。
(──このムックリ……第七部隊の人間なのか)
悟られない程度だがベルマイア瞳には小さな敵意がにじむ。
この毛むくじゃらが悪いわけではないのだが、正直ベルマイアは軍が好きではない。
「……ところで、本当に助けにいくのか?」
「あなたの友人でしょう? 獣人に捕まったらいつか食われてしまいますから」
ベルマイアの問いにムックリは腕組みをしてみせる。
二人は獣人の集落で行われた祭のようなものを遠目にだが観察していた。
ベルマイアの漏らした一言に、「助けに行くべきです」とムックリ毛玉生物の発言と──おかげで今二人は村のほぼど真ん中に限りなく近づきつつある。
祭も月が南中より西に傾きかけたころには沈静化していた。
今はたき火の炎も燃え尽き、村中が寝入っているような印象である。
それをみはからっての侵入だった。
「それに、私はこの村を調べなくちゃいけないんです。祭の後のようですし、今がチャンスですから」
どこから取り出したのか、ムックリは小さじの計量スプーンを取り出すと突然地面をえぐる。
「何をしている?」
「見てわからないんですか?」
地面をえぐり、擦り切りいっぱい分の土をムックリは自分の口に放り込む。
「いや、解らないから聞いている」
「調査ですよ……ふむふむ、ややケレンみたっぷりで、ウエット感のある土ですね。かすかに干し草のにおいがします」
口を上下させてムックリは唸るようにつぶやく。
「……それで何がわかる?」
「調査は念入りに行わなければならないんですよ。たとえ地面の土だろうと、手に入る情報はできるかぎり入手する。それが私のやり方なんです」
力説するが答えになっていない。ムックリに返す言葉も見つからず、ベルマイアは周囲を見回した。
すでに視界には集落の小屋が見えている。あの小屋から広場を通って母屋のような建物は目前だろう。
「さて……あなたの友人はどこにいるんでしょうか? やはり母屋の方でしょうかね?」
言いながら、周囲に生えている雑草やら、落ちている小石やらを手当たり次第に口に放り込む毛玉人間。
「ギルモア様がッ! ギルモア様がァッ!」
突然、目の前の小屋近くから声が響く。
ややハスキーな女性の声だった。
瞬間、たいまつの炎がいっせいに小屋に集まってくる。
「……逃げた方がいいかもしれないな」
「大丈夫ですよ。私のこのスーツの出来映えならきっと……」
人差し指をたててムックリ毛玉は余裕たっぷりだった。
「人影が見えるぞッ!」
たき火の炎がムックリとベルマイアが潜伏していた茂みに向けられる。
「ば、化け物がいる! 全員武器を構えよ! 子供や年寄りは非難させろッ!」
ハスキーな女の声が指示を飛ばす。
一瞬だがムックリの姿が炎に照らし出されてしまった。
「……お、おかしいですね? 今私を化け物と」
ムックリが振り返るとそこから女魔導師の姿は消えていた。
「おのれッ! よくも、よくもギルモア様をかように辱めてくれたな!」
女戦士のリーダー格が、自分の身長ほどもある巨剣をふりまわしながらムックリめがけて走る。
「な、なんのことですか!?」
「問答無用! 生け贄の儀式を省略してこの場で切り捨ててくれる!」
「や、やめてください!」
剣を振り回しながら追ってくる狂戦士に話は通用しない。ひょうひょうとした態度のムックリもさすがにそれを理解したのか、背を向けて全力疾走する。
「私が何をしたというんですか!」
「胸に手をあてて自分に聞いてみろッ!」
剣を振り回すリーダー格。ムックリ生物にはすべて紙一重のところで当たらない。
「……どうせそのようなナリもまやかしだろう! さあラージック! 正体を現せ!」
「ラージック?」
ムックリは首をかしげつつ巨剣の水平軌道を描いた一撃をしゃがんでかわす。
すくっと立ち上がり、ムックリは振り返る。
「あなたラージックをご存じなのですか?」
「黙れッ! どうせその姿も変装……ごまかそうとしても無駄だ! 覚悟ッ!」
唐竹割に巨剣がムックリに振り下ろされる。
ムックリは避ける素振りもみせない。
かすかに毛玉生物の肩が動いた。
瞬間、巨剣の一撃は白い手袋によってピタリととめられてしまう。真剣白刃取り……というやつだ。
剣を両手にはさみこみ、ムックリは口をぱくぱく動かす。
「落ち着いて話を聞かせてください」
「な……、このッ! このおッ!」
女戦士がいくら力をこめても、巨剣はピクリともしない。
「あの男は……世界を滅ぼそうとしています。この村のどこかに眠る発掘兵器を使い……魔族と共謀して世界を破滅に導こうとしているんです! 私はそれを阻止しなければなりません! お願いします! 私に協力してください!」
ムックリ毛玉は必死に訴えかける。
突然の申し出にリーダー格……シャーリギンの動きが止まる。
そっとムックリは巨剣を解放した。
「お前いったいなにものだ?」
「私はそう……天の使いとでももうしましょうか」
毛玉生物はパンパンっと身体をはたきながら口をぱくぱくと上下させた。
◆
獣人の凶暴さは魔導師の予想を遙かに上回っていた。
視認するなり襲いかかってくるところをみれば、彼らに見境や哀れみといった言葉は存在しないのだろう。
もはやベルマイアにとって獣人は森の大型ハ虫類と大差ないレベルになっていた。
来た道を全速力で戻る。
道無き道、月の光さえ射さない鬱蒼とした茂みを走る。
凶悪すぎる獣人たちへの対処方をベルマイアは未だにみつけられない。
(──誰もが争わず平和に生きる世界など絵空事でしかないのか?)
魔導師の中になつかし声とともに言葉がうかぶ。
だが、とうてい解り合える気がしない。
「やはり村ごと燃やして……いやそれはまずい」
この村のどこかにラージックがいる。それが気がかりだった。
村ごと焼き払うのは簡単だが、彼を巻き込んでしまっては一億ゼノが水の泡。
それに獣人の秘宝も欲しい。
何はともあれ金がいる。
思考を続けるうちに村を抜けてベルマイアは山道までたどり着いていた。
岩肌むき出しの山道は、迂回しながら例の扉がある洞窟まで続いている。
不意に魔導師が夜空を見上げると月が視界に広がっていた。
大きい。太陽よりも強烈な存在感をもって浮かぶ満月。
星たちは月の力に押されて輝くことをやめてしまったのか、暗闇の中に満月だけが浮かんでいる。
その月明かりに鳥のような影が揺らめいた。
巨大な翼を羽ばたかせる人影。
翼は柔らかい光を発している。
羽ばたくたびに羽毛が雪のように空を舞う。
羽毛は光の渦を空に作り出した。
渦の中、人影は光の球に変化を遂げる。
羽毛の柱が空気に溶けていく。裸になった光球は漆黒の空を弾むように飛び回る。
月の周囲をぐるぐるとまわったかと思えば、今度は直線的な軌道に。
慣性を無視した動き。縦横無尽に光球は空を高速移動する。
帝都でも一時期噂になった未確認飛行物体。一度だけ目を通したことのあるゴシップ記事の内容が、ベルマイアの目前で繰り広げられていた。
光球は一通り空を駆け回ると、ぴたりと空中で静止する。
一瞬だが、ベルマイアと光球の間で「目があった」ような気まずい空気がながれた。
光球に目はないのだが、ベルマイアが動けないまま見つめていると、その球体もぴたりと動きを止めている。
どうしていいのかもわからずベルマイアが光球を指さすと、光球は先ほどにも増して無茶苦茶な軌道を描いた。空中で暴れ、のたうち回る。
そのまま光球は加速し、ベルマイアが通ってきた茂みに落下した。
距離にして茂みと山道は二十メートルほど。
ベルマイアが身構えると茂みは大きく揺れた。
黒い人影が現れる。
「いててて……こりゃあれだな、くじいたっていうか折れてるかもしれねぇ」
聞き慣れた声だった。
茂みからのっそり身を乗り出す青年……ラージック。
その右腕には白い包帯がぐるぐるに巻かれ、なぜか左足にギプスをつけている。
頭にも包帯が巻き付いていた。かすかにだが紅いものがにじんでいる。
首はコルセットがはめられ固定されていた。
左腕に松葉杖。なぜか右手には点滴の下がった金属製の移動台を持っている。
「お、おお! ベルマイア! 奇遇じゃないか! やはり正義を志す仲間を心配になってわざわざやってきてくれたんだな?」
ラージックの口調はどこかうわずっている。
みれば額に玉の汗。何かを必死に隠そうとしているのか、声にビブラートがかかっている。
瞳は見開かれているが虚空をさまよい挙動不審さ丸出しだった。
「光球が……」
ベルマイアがつぶやくと、ラージックは激しく首を左右させようとするがコルセットのおかげで動かせない。上半身を揺らしながらベルマイアに訴える。
「みてないぞ! 俺様は光球が妙な軌道で空を駆け回ったあげく、墜落して骨折したところなんてみてないからな!」
「骨折したのか?」
「いや、くじいたと思ったが骨折していた……なんて、口が裂けてもいえない。いうもんかってーの!」
完全に混乱しているラージックにベルマイアは小さく吹き出してしまう。
「お前……アホだな」
「な、な、な! ベルマイアよ! 同じ正義の志士をアホ呼ばわりするのはかなり、その、なんだ……よくないぞ!」
何を弁明しようとしているのかわからないラージックに、ベルマイアは声を出して笑ってしまった。
「そ、そんなに笑うことねぇだろ」
「いや、すまない……ただ、なんだかこらえきれなくて」
どこかいつも冷めたようなベルマイアが、呼吸もままならないほどに笑っている。しかも目には涙さえためていた。
「……ベルマイア? 俺様そんなに変なことをしたか?」
「したというか、よくよく考えてみれば存在そのものが変だと思う」
帝国に一億もの賞金をかけられた賞金首。
魔族に勧誘される自称正義の味方。
得体の知れない……魔導を超越した意味不明な能力。
「ラージック……お前は何者なのか?」
「俺様は正義の味方だっつーの!」
「ああ、そうだな、そうだった」
ようやく落ち着いてきたのか、ベルマイアの呼吸が元に戻る。
「ともかく墜落して負傷しているな?」
「つ、墜落はしてねぇって! ちょっとしたミスっつぅか焦りっぅか……いや、俺様は光球とは一切関係を否定しやがります」
混乱が口調にまで伝染したラージック。
ゆっくりとベルマイアは近づくと、そっと右手をラージックの胸にそえる。
ベルマイアは呪文を口ずさむ。
魔導師の右手を介して淡い光がラージックを包む。
「癒しの力は水や木々の生命力のほかに、月の光からも抽出できる。あまりわたしは得意ではないが、月の力がこれだけあれば骨の一つや二つくっつくだろう」
いつもどことなく平坦な魔導師の口調は少しだけ穏やかだった。
山道の手頃な岩に腰掛けながら、二人は月を見上げる。
ラージックからギプスもコルセットもはずれていた。魔導の癒しは肉体のダメージをしっかり取り除いたようである。
男と女が月夜に二人きり。
一般的にはロマンチックな情景ともいえる。
「なあベルマイアよ。なんでまた貴様は賞金稼ぎなどという守銭奴的なことをしている?」
先に口を開いたのはラージックだった。
「金が必要」
「なんで金がいる?」
「生きるため」
さすがに「なんで生きている?」とはいえずラージックは考え込んでしまう。
相変わらず前髪が目を隠していて青年の表情は読みとりづらいのだが、むーだのうーだのうなっていれば困っていることは手に取るようにわかる。
「逆に聞くが……なぜラージックはそんなことを聞く?」
「それは俺様が正義の味方だからにきまっとろうが。困ってるやつを助けるのも仕事のうち。だからなんで困ってるのか知る権利がある! さあ吐け! なんで貴様は金がいる?」
困ったような顔をしてベルマイアは黙り込んでしまった。
「いえないのか?」
「言ったところでどうにかなるとも思えないし、そうしてもらう義理もない……そう思ったから」
「遠慮はいらんぞ!」
一瞬だが、青年の言葉がベルマイアには懐かしく思えた。
父親を思い出させる。
「悪いが……わたしをお前を頼るわけにはいかない。お前にたよってしまったら、もしお前がいなくなった時に自分でなにも解決できない人間になってしまうかもしれないから」
本音が漏れる。ベルマイアにしてみれば目の前の青年はあくまで「利用すべきもの」であって、頼るべき相手ではない。
「心配いらねぇよ。俺様はいなくならん」
胸を張りにべもなく断言してみせる青年。その口調には自信があふれている。
「その根拠は?」
「俺様が正義の味方だからさ!」
先ほどからベルマイアが何を言ってもその言葉が返ってくる。
「すごいな……正義の味方という言葉は」
「ああ、かなり万能だ」
ベルマイアはうつむいてしまう。
肩が細かくふるえていた。
「では……ではなぜわたしの父を救ってくれなかった?」
月明かりの中でベルマイアは泣いていた。
「父は帝国の軍人だった。わたしがアカデミーで主席をとり続けたのも、父の仕事の役に立ちたかったから……なのに父は発掘中の事故で」
「ベルマイア……」
ほかに何も言葉が浮かばないラージック。
なにか溜まっていたものが爆発したように彼女の頬を涙が一筋落ちる。
「それでも発掘された戦艦には父の名前がついた……。なぜあんなものが必要なのか? 魔族と戦うため? たしかに魔族は辺境の小さな村や街をゲリラ的に襲ってはいる。だがそういった相手はわたしが……わたしが全部倒してやる! だからあんな戦艦など必要ないし、あんなものを発掘しなければ父だって死なずにすんだ」
ベルマイアは声を震わせる。
言うつもりもなかった言葉が、なぜかラージックの前ではこぼれ落ち、あふれてしまう。
「俺様に何ができる?」
魔導をもってしても、一度失われた命を再生することはできない。
それは無から創造を行う神話の天使にだけ許された力だった。
魔導を操る者だからこそベルマイアには「言っても無駄」だということが解っている。
「別に……そんなつもりで話したわけではない」
言ってどうにかなるわけでもない。それがベルマイアの結論だった。
不意に夜の風がラージックの前髪を揺らす。
一瞬だがベルマイアはみてしまった。
青年の瞳はどこか懐かしい……父親のそれなのだ。
「俺様にできることなんて限られてるだろう。だが、聞くことくらいならできる。聞くことができれば今度は一緒に考えることだってな。もちろん俺様は貴様とは違う生き物だ。だから貴様の思うこととは違うことを言うだろうし、考えるだろう。貴様のためと恩着せがましく言うかもしれん。だが……何もしないというのが俺様には辛いんだよ。目の前でそんな顔されちまったら、なんだか辛くなっちまう」
やや恥ずかしそうにラージックはつぶやく。
「うお、なんだか歯がういちまうぜ!」
「……ラージック」
ベルマイアはそっと青年の肩に身を預ける。
「父は軍人だったが……孤児院を作っていた。辺境の村が魔族に襲われた時、生き残った人間の力になろうとしてな。子供は弱いので大人のように割り切れない。一人では生きていけない。孤児院の運営には金がかかる。父が死んでも……わたしが子供たちを守らなければならない」
だからこそ、ラージックを帝国につきだして運営資金を確保しなければならなかった。
「そうか……」
「わたしにはわからない。魔族がいる限り孤児は増える。あの戦艦が魔族を滅ぼせばすべて片が付くのか? あんな戦艦を発掘しようとしたから父は死んだというのに……」
ラージックは立ち上がった。
空を見上げる。
月が高いところから二人を照らす。
「魔族の連中にだっていろいろいるらしい……」
「何を言っている? 魔族は有史以来人間と争い続けてきた種ではないか? いろいろも何も敵ではないのか?」
「全部この世界を創造した奴のせいなんだよ。それぞれの種には役目があった。獣人は人間が生まれるよりも前、この世界がまだ不安定なうちに、大地や緑をはぐくむために造られた」
ラージックの視線は月を眺めたまま動かない。
「世界が安定したところで、魔族を作り出した。魔族は人間を鍛えるための必要悪……。最後に人間が生まれた。人間は魔族にあらがいながら、次第に力をつけていった。そして今人間は魔族を西の果てに押し込めるまでになった」
「いきなり何を言い出す?」
「魔族は今、まっぷたつだとよ。あの戦艦の存在を知って人間と戦おうって連中と、人間と共存したがってる連中。ルシルは穏健派の代表なんだと」
ラージックは一呼吸おく。
ベルマイアに反応はない。
「ぜんぶ……人間を進化させるためだった」
「ラージック……お前はなぜそんなことを言える?」
魔導の歴史、人間の歴史、アカデミーでそれらを学んだベルマイアも、ラージックの唱える仮説は初耳だった。
月を見上げながら青年はため息をつく。
「俺様もわからん。ベルマイア……貴様がわからんのとおんなじだわ。どうしたらいいんだかな」
「答えになっていない」
そうだな……とラージックは小さくつぶやく。
「ところで人間の役目は……なんだと思う?」
ラージックの口調は真剣だった。
獣人は世界創世の手助けと、遺跡の番人。
魔族は人間を強く鍛えるための存在。
すべての種の存在に何らかの意味があるとすれば、人間はなぜこの世界に存在しているのだろうか。
「わからない」
ラージックの問いにベルマイアは素直にそのまま胸の中に浮かんだ言葉を返す。
「俺様もしょうじきなところは貴様と同じ意見だ。ただあの戦艦も女神も、人間が運命にあらがうためにつくられたことは確かなんだ」
ラージックは笑う。
「そうだラージック? そもそも戦艦や魔導は……わたしたちの歴史が始まるよりも前に存在していた……」
誰がなんのために作り出したのか。すべてが謎だった。ただ魔導の力やそれらを応用した機械の技術はこの世界に存在していて、人間はそれを利用しているだけで生み出したわけではない。
それに対して学者たちは古代アガルタ文明の遺産というカタチで仮説をたてたが、その文明がなぜ滅んだのかは未だに解明されていなかった。
「……旧世界が滅んだのはすべて『無』のせいだ。それにあらがおうとした人間は、戦艦や魔導や女神なんかをつくったんだろう」
「なんだその『無』とは?」
青年は口をつぐんでしまった。
「さて……どうしたもんかなぁ。獣人の協力なしにゃアレへの道は開けなんだろうけど」
「話をそらすな!」
青年は黙ってしまう。
よく見ると、首をこくりこくりと上下させていた。
静寂の中、寝息だけが響く。
「あ、ああ、すまねぇ。今猛烈な睡魔が俺様をダイレクトアタックしてきやがって」
「まったく……」
ため息まじりにベルマイアも立ち上がろうとする。
が、どうも自分の上限以上の力を出してしまったせいか、ベルマイアの足取りはおぼつかない。
ラージックにむかって倒れ込んでしまう。
「お、おい、大丈夫か?」
「すまない。すこし立ち眩みがしただけだ。たいして休んでもいないのに力を使いすぎたのかもしれない」
月明かりのもと、照らされる二人。
必要以上に二人の顔は近づいていた。
「ラージック、誰もが争わず平和に生きる世界など絵空事でしかないのか?」
突然の言葉にラージックは考え込む。その顔にベルマイアは小さくため息をついた。
「いや、なんでもない……」
「なんでもないこともねぇだろ? わかった。俺様がなんとかしてやっから」
放り出すわけにもいかずラージックはベルマイアを抱いたまま告げる。
淡い月光のカーテンに包まれ、二人は無言だった。
「ラージックの、ラージックのばかああー!」
甲高い悲鳴が二人の沈黙を突き破った。
少女が肩で息をしながら二人をにらみつけている。
ボタンの無い帯でしめる独特の民族衣装に身を包んだピンクの髪の少女。
尻尾は喧嘩をするときのネコよろしく、ピンっと立っていて毛もさかだっていた。
「ん? おおギルモア? なんでまたこんなとこに?」
「ニオイでおっかけてきたの! 愛する人のニオイだもんね」
やや恥ずかしそうに少女はもじもじとつぶやく。
「まだ拷問が足りなかったか?」
「あ、あんな辱め……え、あ、でもね、なれちゃうと逆に……って違うわよ! ともかくアレはアレでひとまずオッケーにしとくけど……なによその女は!」
「オッケーなのか?」
ラージックが目を点にする。
少女──ギルモアがびしっとベルマイアを指さした。
「ああ、彼女はベルマイア。俺様と同じ正義を志す勇者なわけだ」
「嘘ね……うん……わかってるの。むしろ納得したわ」
ギルモアは腕を組みながらうんうん首を上下させる。
「ラージックがあたしに素直になれないのも、その女がラージックの弱みを握って無理矢理愛を誓わせてるからでしょ!」
さすがのラージックも呆然としてしまう。その推理はあきらかに飛躍しすぎだった。
ベルマイアに至ってはなにがなんだか状況も把握できないでいる。
「さあ、あたしのラージックから離れてよ! ラージックはあたしを守るためにやってきた白馬の王子様なのよ!」
「い、いや、違うぞ! 違うんだベルマイアよ! あの少女を救ったのはあくまで正義のためで、無理矢理婚姻届にはんこを押させられそうになった俺様の方がある意味被害者っつかなんつうかな」
ベルマイアの方から体を離す。
「ラージックってば、その女の前だからってココロにもないこと言って……ともかくあたしのラージックに手を出すっていうなら勝負よ!」
「といっているが、どうしよう?」
魔導師は青年に意見を求めるが、自称正義の味方は今、自分をとりまく状況に「心ここにあらず」というか、どうしていいのかわからず放心状態だった。
「勝負を拒否するのね?」
「いや、相手ならしてもかまわないが」
「なら勝負よ!」
ギルモアが胸元から小刀を構えてベルマイアに飛びかかる。
まだ少しだけ立ち眩みの余韻は残っているものの、小刀の切っ先を予測してベルマイアは柳のようにかわす。
「なんであたんないのー!」
ただ振り回すだけでは、戦闘訓練を受けているベルマイアにかすりもしない。
一分ともたず少女は肩で息をしてその場にへたりこんでしまう。
「獣人というのは目があっただけで襲いかかってくる種族なのか?」
「う、うるさいな! あたしだってラージックがそばにいてくれたら……ハァハァ」
呼吸を乱す少女。半分泣き言のようにつぶやく。
不意にそんな少女の瞳が輝いた。
「あぐ……そーだ! そうしよぅ!」
立ち上がり小刀を構えると、少女は切っ先をラージックに向けた。
「ラージック! 死んで!」
「のあああ! なぜだギルモア!」
「ラージックを殺してあたしも死ぬ! そうすればこの女も追ってこれないわ! 天国で二人幸せになろ!」
小刀を振り回し青年を追いかけ回す少女。
「やめろギルモア! 貴様おもいっきり後ろ向きだぞ!」
「あたしは前向きよ! ただ二人の愛を永遠のものにするにはこれしか方法がなかったの!」
「まてぇい! いつ俺様と貴様が愛し合ったってんだ!」
「それは……さっきの……ラージックの愛情表現にはちょっぴりびっくりしたけど、これも愛の試練と思えばなんともないわ! だから死んで! いっしょに死んでー!」
さすがに殺されてしまうのは困る……とベルマイアが止めに入ろうとした瞬間、周囲が一気に闇に包まれる。
見上げると月あかりを遮る巨大な影が空を覆い尽くしていた。
ギルモアも異変に気づき首をあげる。
「なに……あれ」
あっけにとられる少女の手から小刀が落ちる。
その影をベルマイアは冷淡な瞳でねめつけた。彼女でさえ実物を見るのはこれが初めてである。
空飛ぶ巨鯨といったところか。
流線型のそれには、小型の飛行艇などにみられるプロペラのたぐいは見受けられない。ほぼそのすべてが発掘された技術をそのまま流用しているのだろう。
──異種族駆逐戦艦ゲルマークV世。
三度目の改修でついに実戦配備された帝国最大の空中戦艦だった。
■指揮官の名はセイシェント■
毛むくじゃら生物がぼんやりと月を眺めている。
生け贄の木に縛り付けられた状態で……である。
周囲にはたいまつの炎を掲げたシャーリギンはじめ女戦士たちがムックリを囲んでいた。
その真ん中に巨躯の影が揺れる。
「あの、私の話をきちんと聞いて置いた方がいいですよ」
「いや、なんじゃか直感的に危険な気がするんでの。ラージックとお主は……よう似た匂いはするが、お主からは濃い血の匂いがする」
言いながら族長はため息を一つ。
「いいですか? ラージックの狙いはあなた方の守る女神そのものなんですよ! もし彼の手に遺産が渡れば世界は滅びます! 遺産を守るためにも私に協力してください!」
「信用できんのぉ」
「扉を開く方法は言い伝えとして残っているはずです!」
「たしかに言い伝えはあるんじゃが……まあそのまえにお主にゃバーベキューになってもらおうか」
ゆっくりとパパナムがたいまつを近づける。
月明かりに照らされた広場が不意に大きな影に包まれた。
女戦士たちが見上げると、そこには月も星もなく、巨大な生物の腹のようなものが天井よろしく空に覆い被さっていた。
小型のプロペラ式飛行艇が十数機、鯨の背から小蝿のように降りてくる。
同時に、一度は寝静まったはずの集落は騒然となった。
「な、なんじゃアレは!?」
月並みなセリフとともにパパナムも空を見上げる。
「あれは帝国のジャイロですよ」
対照的にムックリの口調は落ち着いていた。
「まったく、私は話し合いで決着を付けたかったというのに……ここまであえて素直にあなた方の指示に従ってはきましたけど」
くくりつけられたムックリはぼやくようにつぶやく。
「どうやら仕方ないようですね」
ジャイロの一機がゆっくりと広場に降りてくる。
小さな円盤といったところか。
天井の無い麦わら帽子のようなシルエットをしている。
コッピットといえるほど上等なものではない。腰の部分まで金属製のレールで被われている。むき出し具合は気球のゴンドラに近い。
コンソールに計器類が取り付けられ、操舵用のハンドルと足下にペダル。立ったまま操縦するものらしく、一人がハンドルを握り、その脇に二人の兵士が武器を構えている。
蒼い軍服の兵士が三人広場に降り立つ。蒼は帝国を象徴する色だった。長い詰め襟のような服に、頭巾のようなシルエットの帽子を被っている。
広場だけではなく、ジャイロが集落の各所に着陸する。
「えー、我々は帝国軍第七特別部隊であーる!」
操縦していた青年兵士が声を張る。
「突然空から降ってきてアストラガノン様の聖地を汚そうとは良い根性じゃな」
パパナムのドスの利いた声をきくや、威勢の良かった兵士の目は点になった。
「おいおい、話ちがうよ? あんな化け物どうしろっていうんだ?」
「いや、こっちには古代文明のハイテク兵器があるからなんとかなるっしょ」
「でも、通用するのか? どうする?」
小声で三人の兵士は話し合う。
「で、帝国がなんの用じゃ?」
あくび混じりのパパナムに兵士のリーダー格が武器を構える。
手に収まるほどの小さな機械だった。
剣などと同様に、握るための柄はあるが、そこから先は折れ曲がっている。
さらに、人差し指の部分だけ握る部分が浮いていた。
持つとちょうど人を指さすような手の形になる。
筒のような先端には穴があいており、兵士はそれをパパナムに向けていた。
「これより我々がこの村を調査する」
「……断る。これ以上村に土足で踏み入ろうというならまずお主から生け贄にしてやろう……このようにな」
パパナムが指さした先には、紅い毛玉生物が丸太にくくりつけられ、今まさに火を放たれようろしていた。
「ひ、人質とは卑怯な! さすが未開の野蛮な生き物だ」
「なんじゃ、コレと知り合いか?」
「知り合いもなにも、そのお方こそ我々第七特別部隊を指揮される……」
「人質が卑怯とな。ふむ。ではいたしかたあるまい」
パパナムの手からたいまつが落ちる。
同時に腰に下げられていた大斧をつかむと、パパナムは横一文字に毛玉生物の首めがけ一撃を放った。
厳密に言えばどこからが首なのか見分けのつかないシルエットだったが、ムックリの頭部がポーンと音をたてたように宙を舞う。
鋭い一撃に兵士達はまったく動くことができなかった。
「さて……帰るならよし。帰らぬというなら」
斧を突きつける族長に三人は困惑する。
「いやはや……間一髪といったところでしょうか」
どこか間の抜けたセリフが緊迫した空気に妙な間を作った。
確かにムックリの頭部は吹き飛んだのだが、声はそれである。
みれば毛玉生物の背中は、羽化したあとのさなぎのようにぱっくりと割れていた。
人一人出られるかどうかという微妙な隙間。毛玉生物の着ぐるみはすでに空っぽだった。
銀髪の青年。
軍服は高級佐官用の詰め襟で、他の兵士とは明らかに違う意匠のこらされた派手なものである。
一般兵が蒼を基調としているのに対して、青年の詰め襟は白というか……ほのかに光輝く銀白色だった。
白い手袋だけはムックリ毛玉生物の時と変わっていない。
長い銀髪は夜風になびく。
切れ長の瞳をさらに細める。衆目美麗。白い肌には汗一つ見受けられない。
兵士たちが条件反射的に敬礼する。
「ご無事でありましたかセイシェント中佐!」
「ええ、まあなんとか……それよりも遅かったですね?」
「そ、それが届くはずの発掘データが不慮の事故で紛失されてしまい、ゲルマークのメインジェネレーターが安定せず……いえ、すべて加減を知らないバカな賞金稼ぎのせいでありまして」
「もういいですよ」
口調も柔らかく微笑んではいるが、それが逆に若い兵士の背筋を凍り付かせた。
中佐はこつこつと靴をならしながら、何事もなかったようにパパナムの脇を素通りしようとする。
「そのまま行かせるわけにゃあいかんのぉ」
大斧を振りかざしセイシェントと呼ばれた青年めがけ、族長は一気にそれを振り落とす。
ズシリ……。重い、くぐもった音に手応えは感じられない。
それどころか巨躯の放った一撃を、セイシェントは背をむけながら白い手袋で易々と受け止めていた。
「ぬう……うごかん!」
押しても引いても斧はピクリともしない。
「私は見た目こそ頼りないですが、力だけは人一倍強いんですよ」
口調こそどこかとぼけているが、セイシェントが力を込めると斧ごとパパナムの身体は浮き上がった。
そのまま斧ごと巨躯を投げ捨てる。
軽く払ったような動きだが、パパナムの巨体は十メートルほど地面を滑り、ようやく広場の端のところで砂煙とともに止まった。
女戦士たちが族長をかばうように囲み、おのおの得物を構える。
「抵抗するのは構いませんよ。私はあまり乱暴なことは好まないんですけどね」
困ったようなセイシェントを女戦士長シャーリギンがねめつける。
一瞬の沈黙。
見計らっていたようなタイミングで村のあちこちから光が明滅する。
ライトを使った合図だった。
発光信号を読みとり、セイシェントは小さく微笑む。
「この集落は包囲しました。寝入っている男たちと子供も現在こちらの監視下にあります。さて族長。私はあまり荒っぽいことは得意ではありませんが、この集落にラージックが来ているというのなら事態は一刻を争うわけです」
焦っているという割にセイシェントの口上は長く回りくどい。
青年の言葉とともに、村のあちこちから兵士達が武器を構えて現れる。
「そこで提案があります。どうでしょう? あなた方の守る秘宝……破壊の女神アストラガノンを譲渡してはもらえないでしょうか?」
「断るッ! 貴様のようなニンゲンに渡せば世界を滅ぼしかねん」
「ではそうですね……」
セイシェントは兵士から片手に収まる得体の知れない武器を受け取ると、そっと構える。
「勇ましい女戦士長さん。さきほどさんざん私をしばったりあぶろうとしたりしてくれましたね。一つお礼といきましょうか」
微笑んだままセイシェントは筒の先端をシャーリギンに向ける。
とっさに女戦士が剣を構えた。瞬間、小さな破裂音が一つ。同時に女戦士長の右肩から鮮血が吹き出す。
突然の激痛に悲鳴をあげて戦士長はその場にうずくまってしまった。
今までに感じたことのない、内部からえぐられたような痛みに呼吸もままならない。
「これは銃という武器です。まあアガルタのオリジナルと比べれば本当にお粗末な代物ですけど。魔導のエネルギーを圧縮して爆発させ、金属弾を発射するという簡単な仕組みの道具なんですよ」
「それがお主の答えか!」
悔しそうに立ち上がるパパナムに、青年は相変わらず笑顔を浮かべたままだった。
「一人ずつ死なない程度にいたぶっていきましょう。もちろん封印解除の方法さえ教えていただければ話は別ですが……」
兵士たちも銃をいっせいに構える。
「我々はあなた方に危害を加えに来たわけではありませんから……まあ、お望みならば鉱石採掘場などの職場を用意しますよ。帝国の管理下で文明社会に帰属してもらってもかまいません」
つまり人間の奴隷になれ……という通告だった。
不安そうにざわめきはじめる女戦士たち。
右肩を押さえたまま、それでもシャーリギンが立ち上がる。
「ギャギャジの誇りにかけてもそれはできない! たとえ死のうともこのような輩に……」
破裂音が再びシャーリギンを襲った。
今度は左太股を金属弾に射抜かれる。
「頭部に放てば即死でしょうけど……私は不用意に命を奪うようなことは好みませんから安心してください。次はそうですね、おへそのあたりでも狙いましょうか?」
「やはり……ニンゲンなど……ニンゲンなど」
シャーリギンは気力で立ち上がろうとするが、激痛が走り意識が朦朧とし始める。
「もし頭にあたってしまったら我慢してください。ああ、我慢しなくても死んでしまいますね」
銃口が虫の息の女戦士に向く。
「ま、待ってくれ!」
パパナムだった。シャーリギンの前に盾のように立ちはだかる。
「族長様……お逃げくださ……い」
「それ以上しゃべるでない……セイシェントと言ったな。お主の要求には応えよう。じゃが村の衆の安全を保障してもらいたい」
「最初から素直に協力していただければ、こういったことにもならなかったんですが……」
セイシェントはニッコリと微笑むと手を挙げて号令する。
兵士達が銃を降ろす。
「さあ、そちらも武装解除してもらいましょうか?」
女戦士たちはそれぞれ武器を捨てさせられた。
そのまま両手を後頭部にそえ、地面に座らせられる。
「治療のできる魔導スキルのある者は、あの女戦士に治療をしてあげてください。まあ傷をふさぐ程度でいいでしょうけど」
セイシェントの指示ですかさず兵士の一人がシャーリギンに治療を施した。
傷はふさがったが肉体的なダメージの回復には至らない。今すぐに動くことは無理だろう。
「抵抗しないように、しばらく寝ていてもらいましょう」
中佐の指示で魔導兵が眠りの呪文を口ずさむ。
ひときわ輝く月から抽出された魔導力。すり減ったシャーリギンの精神がそれに抵抗することは不可能だった。女戦士長は意識を失ってしまう。
「では族長。教えてもらいたいのですが?」
シャーリギンが動かないのを確認してセイシェントは冷淡に告げる。
青年の表情は柔和だが、その瞳の奥は冷たい光で満たされていた。
「ハーッハッハッハッハッハ! ハーッハッハッハッハ!」
高笑いが広場に反響する。
突然の出来事に兵士達は銃を構えて周囲に視線を走らせた。
「無抵抗な者を暴力でいたぶる悪党どもよ! 貴様らに安心して暮らせる老後は無いッ!」
その影はまさに空から降ってきた。
生け贄をくくりつける丸太の上に、影はストッと降り立つ。
足場が不安定にも関わらず、両腕を組んだままシルエットは丸太の上で微動だにしない。
突然の登場に四方八方からサーチライトが向けられる。
光の筋の先、全身黒ずくめの青年が浮かび上がった。
しかしその顔はなぜか「鳥」なのである。
頬のあたりはやや薄いグレーだが、人間でいうもみあげのあたりから上の毛色は白くなっている。頭頂部にはトサカよろしく黄色がかった長い毛が逆立つ。さしずめ冠といったところか。
愛くるしい瞳は適度にうるんでいた。
何よりも特徴的というか、異様さ丸出しなのはその頬に浮かぶ紅い丸である。
まるでリンゴを二つくっつけたような紅丸が、ライトに照らされ鳥マスクの頬で自己主張をする。
「我は大空の勇者──その名も小鳥仮面!」
専門用語で言えばオカメインコ……なのだろう。
鳥のかぶりものをした黒ずくめの不審者は声たからかに笑う。
その様子に兵士の一人が指さし声をあげた。
「気を付けろ! 賞金首のラージックだ! なにされるかわかったもんじゃないぞ! できるだけ目立つ行動は……うぉばっ!」
鳥男の腕が高速で動く。
ばふっ……という音とともに、注意をうながした兵士の顔には蒸気をあげる高熱の布きれがかぶさっていた。
「フゴオオオッ!」
顔の布を取り除こうと兵士は引き剥がしにかかる。だが何かネバネバとした粘液がからみつき、余計に布が顔に張り付いてしまう。
粘液には茶色い小さな豆粒がぐでんぐでんにカラミついていた。
「アツアツおしぼりイン納豆ッ! 一般兵士のくせにしゃべりすぎた貴様が悪いのだ! ついでに言うと俺様はラージックなどという光の加護をうけた伝説的正義の勇者ではないぞ! ハーッハッハッハ!」
聞き慣れない「納豆」の一言に兵士ほか、広場の全員が一瞬首をかしげる。
だがはじめに被害者となった兵士の悶絶ぶりが尋常ではないと確認すると、アツアツおしぼりも納豆も危険なものだということがハッキリと理解できた。
猛烈な異臭が男の顔から周囲にジワジワひろがっていく。
熱と臭いの二重苦に兵士は立っていられない。
地面をころげのたうち回り、苦しみのうめきを発しながら、次第に細かい痙攣をおこし最後にはぴくりともしなくなった。
この一連の動作が十秒間で完遂される。
「さあ! 次は誰だッ!」
十秒で相手を廃人にする抹殺兵器……腐敗豆入りおしぼりを、「耐熱仕様」と書かれた手袋の中で小鳥仮面は遊ばせる。
兵士だけでなく獣人たちまでも動くことができない。なにも小鳥仮面が獣人に襲いかからないという保障はないのだ。
そんな中セイシェントだけは一人落ち着いている。相変わらずの笑顔を保ったまま小鳥仮面をじっと見つめていた。
「そこまでだなラージック」
誰も動くことのできない広場に、透き通った声が響く。
いつ止めようかと状況を傍観していたセイシェントも、予測していなかった横やりに視線を声へと向ける。
茂みから現れたのは長身の女だった。
マントに身を包んだ紅い髪──ベルマイアである。
脇にはピンクの髪をした獣人少女を連れている。その首にベルマイアはショートソードの刃をぴたりとあてがっていた。
「ああ、あなたは先ほどの……友人はみつかりましたか?」
セイシェントは微笑む。
「悪いが友人とはアレのことだ」
聞き覚えのある声でその銀髪がムックリの中身だとベルマイアは理解した。
兵士達が息をのむ。
月明かりに浮かぶベルマイアは女神という言葉がピタリと当てはまるのだ。
しかし、当人はまるで意に介さず、瞳は冷たい。
女魔導師は視線を小鳥仮面に向ける。
「なるほど……そうでしたか」
意外なほどあっさりした返事にベルマイアの方が肩透かしをくらう。
「それよりもラージック。突然だが抵抗すれば彼女の命はない」
気を取り直し魔導師は声を張った。
「お、俺様は小鳥仮面だっつーの!」
「その恥ずかしい仮面をとるように。わたしの指示に従わないなら即、この少女の首をはねる」
ひときわ冷淡な口調のベルマイア。
先ほどまで一人お祭り騒ぎだった小鳥仮面の動きがとまる。
「さあ、ラージック。まずは仮面をとってもらう」
肌に刃が食い込む。ピンクの髪の少女──ギルモアは小さな悲鳴をあげた。
「し、しかたあるまい」
小鳥仮面がそっとかぶりものに手をかける。
すぽっ……と仮面を脱ぐとそこには白塗りの顔が現れた。
頬には紅い丸がでかでかと描かれている。
長い前髪で相変わらず瞳は隠れているのだが、それが余計に異様さをかもしだす。
「みよ! このフェイスペインティングを! これでも俺様をラージックとかいう流浪の親善平和特派員と疑うっつうのか?」
もはや誰もそのことに触れようとはしない。
淡々とベルマイアは続ける。
「さて……ラージック。実は私はお前に言い忘れていた……というか、お前が一方的に聞かなかったのが悪いのだが……わたしの目的はお前の首の一億ゼノ。なにはともあれ武装解除して帝国軍に投降してもらいたい」
「なんだと! ベルマイア! それが正義を志す仲間への言葉なのか! だいたいギルモアを人質にするなんて貴様かなり混乱してやがりますか?」
むしろ小鳥仮面──ラージックの口調の方が混乱を来している。
「ともかくわたしはこの機会を待っていた。お前と行動をともにしていたのも、帝国とお前が接触する時を見計らって裏切ろうと思っていてな……」
「な、なぜだベルマイア!」
青年の頬に描かれた赤丸がにじむ。涙だった。涙でペイントがドロドロと解け始める。
「しれたこと……何度でも言うが目的はその首の一億ゼノに決まっている」
「嘘だろ? なあ、嘘っていってくれベルマイア!」
冷たい瞳で魔導師は笑う。
「悪いなラージック。わたしには金がいる。理由も知っているだろう? 正義の味方というなら、戦争被害者の子供達を餓えさせるような真似はしてほしくないものだ」
ラージックには裏切りの魔導師に言い返す言葉が見つけられない。
ショックだった。ベルマイアが……彼女が金のいる理由を語った時ようやくうち解けられたと思ったという矢先、皮肉にもそれが仇となったのだ。
やり場のない怒りがラージックの中で渦巻く。
「残念でしたねラージック。……ベルマイアさん。あなたの協力に感謝を表しましょう」
セイシェントは二人のやりとりに目を細める。
「ラージック。正義の味方が人質を無碍にはできないな?」
ベルマイアの言葉は皮肉がたっぷりと込められていた。
ラージックはアツアツのおしぼりを地面に放り、耐熱手袋をはずすと生け贄棒の上から飛び降りる。
「……わかったよ……好きにしやがれ」
そのまま地面に大の字になったラージック。
くやし涙で頬のペイントはすっかりはがれ落ちていた。
■戦艦の名はゲルマークV世■
「やめて! やめてってば! 離してください! ああ、もう引っ張らないで!」
少女じみた声は紫髪の少年のものだった。
鉄格子ごしに銀髪の青年──セイシェントが頭頂部の触角をぐいぐい引っ張っている。
笑顔のままだが目は笑っていない。その脇で黒髪の青年が二人のやりとりをぼんやり眺めていた。
いっこうにやめる様子もなく、かれこれ三分ほどラージックは立ったまま待たされている。
「すいません。泣くまでやらないと解らないようなので」
引っ張りながら中佐は微笑む。
少年は瞳に涙をため込んでいた。苦痛を我慢する顔がセイシェントの加虐心を煽ったのか、触角へのいたぶりはさらに加速する。
ちぎれるほどひっぱたかと思えば、今度はゆっくりとねじり、ぎゅうっと握りしめて圧迫する。そのたびに少年は声にならない悲鳴をあげていた。
金属製の通路の先、戦艦ゲルマークの船底に位置する牢屋練。攻め込んだ地域の種族を、捕虜として生け捕るために作られた檻が通路の左右に並んでいる。
その一つに少年──ルシルは捕獲されていた。
両手で鉄格子をがっちりと持ち、少年が瞳を輝かせてしまったことがセイシェントには許せなかったらしい。
ラージックをみるなりわめきちらしたルシル。重苦しい牢屋練の雰囲気が台無しである。
「ラージックさん! た、助けてぇ!」
半分泣きながらルシルはセイシェントの背後で両腕を拘束されたラージックに助けを求める。
「なんだ貴様……ああ、そういえばいたんか?」
ラージックの中では存在そのものがかなり曖昧になっていた少年魔族。
「ひ、ひどい! ぼ、ボクはラージックさんのためにこの戦艦を内部から破壊しようと……でもボクって弱虫のドン亀だから、ドジしてつかまっちゃって」
ムギュウ……セイシェントが触角の先端部分にある団子状の突起をヒネリ潰す。
「少し黙ってくれませんか? まったくこれ以上騒ぐというなら殺してしまいますよ?」
中佐はうっすらと笑みを浮かべる。魔族の少年は捨てられた子犬のように震えるばかり。
「で、でもラージックさんが……ラージックさんがボクを助けにきてくれたんだもの! そうですよね? そうなんですよね? それ以外に考えられないッ」
ルシルは声を震わせる。
だが無言で黒ずくめの自称正義の味方は首を左右させる。
「そ、それじゃなんでこんなところに来たんですか?」
「貴様にゃ関係ねぇ」
ラージックの言葉はぶっきらぼうでまるで答えになっていない。
「少し黙っていてもらえませんか?」
セイシェントがルシルの触角にさらにヒネリを加える。
「鬼ッ! 悪魔ッ! ひとでなし!」
最後の抵抗なのかルシルが叫ぶと、よけい触手を引っ張る手に力が入る。
「おい、それ以上やるなってセイシェント!」
「ひとまず泣くまではやりますよ。反省してもらわなければいけませんからね」
「いや、そういうこっちゃなくてな」
ゼリーかグミのように柔らかかった少年の触角は、むくむくと鎌首をもたげはじめる。
「……いったいなんのつもりなんですか?」
手の中で熱を帯び、固くなっていく触角。セイシェントに一瞬動揺が走る。
ルシルはまともに答えない。頬を真っ赤にして呼吸も荒くなっている。中佐が触角を絞るごとにルシルの瞳がトロリと恍惚感丸出しに急変していく。
「や、やめて……あひぃ」
「まったく、いい加減にしてください!」
つぶれるほど握りしめるセイシェント。
「フ、フアアアァァッ!」
嬌声をあげると少年は白目をむいて気絶してしまった。
「さて、とりあえずおとなしくしていてくださいねラージック。あとでたっぷり二人きりで話をしましょう」
「…………」
気絶したルシルの対面の檻にラージックは押し込まれた。
「まぁしたいというなら別に抵抗してくれても構いませんよ。あなたが何かすれば獣人達は皆殺しですけどね」
「わかったよ」
「あなたも私もシステムの一部なんですから、お互い選ばれた存在としての運命を享受しましょう。人生は楽しまなければいけませんよ。間違っても……刃向かおうなんていう愚かな真似はしないでください」
微笑んだまま表情を一切かえないセイシェント。
答えないラージックに一度ため息をついてから背を向ける。
「私には他に片づけなければならないことがいくつかあります。それまでしばらく我慢していてくださいね」
コツコツと靴音を響かせて、銀髪の青年は牢屋練から去っていった。
◆
艦の最後尾に位置する部屋でベルマイアは待たされている。
革張りのソファーや古代樹製の猫足テーブル。鹿の頭の剥製に、実用性のない暖炉。毛足の長い真っ紅な絨毯は妙に居心地が悪い。
戦うために作られた金属の塊の中で唯一、調度品で彩られた艦長室。アーチ状の強化ガラス窓からは月夜の空が広がっている。
視線を落とせば眼下には樹海。そして獣人の集落を囲むコロシアムのような地形が視界に入る。カルデラ山のように巨大な円形の窪地である。
空から観察すると、集落はクレーターの中心に位置していた。
「お待たせしました」
不意に窓と対面に位置する扉がスライドした。
銀髪の青年──セイシェントが立っている。相変わらずの笑顔がベルマイアには不気味だった。
ソファーに掛けるセイシェント。ベルマイアの前には冷めかけた紅茶が手も着けられていないままだった。
「お気に召しませんか?」
「早速で悪いが賞金をもらいたいものだ。できることならこの場で現金を希望する」
「その前に少しお話をしましょうか? ベルマイア……いえマリア・ゲルマークさん」
青年は口元を小さくゆるませる。
ベルマイアは押し黙ったままだった。
「色々と調べさせてもらいましたよ。大佐に娘がいることは知っていましたが……あなただったとは偶然といいましょうか。いえ、運命的なものを感じますね」
「なにがいいたいのか? それよりもラージックを捕縛したのはわたしだ。賞金一億ゼノ耳をそろえて払ってもらおう」
「しかたありませんね……」
セイシェントは突然財布を取り出すと、銀色の硬貨を三枚。茶色い硬貨を五枚取り出し、テーブルの上に置く。
「なんのつもりか? これでは安い昼食代ではないか?」
合計350ゼノ。帝都ではパン二つに飲み物を買ってこの程度の値段になる。
「本来ならあと九億五千万は足りないんですが……あなたが英雄である大佐の娘ということも考慮した結果です。今後は分割で払ってもらいましょう」
「何の話か理解できないな」
「まず一億ゼノの賞金のうち五割は税金として徴収されます。加えてあなたが盗賊団のアジトとともに灰にした魔導制御システムの図面……その補填にはあと九億五千万ゼノほどかかりそうなんです」
「そんなッ! ギルドの話では保険の適応で二千万ゼノで済むと。それに税率が高すぎる!」
「一億を越えると税率が急激に引き上がるんですよ。申し訳ないですね……実際にゲルマーク三世を起動させたところ、魔導ジェネレーターが非常に不安定でして、やはり制御システムが必要になってしまったわけです。ただ今回は発掘品ではなく我々が開発をするということに急遽決まり、その開発費として十億ゼノほどが必要と試算されました」
「いったい誰がそんなことを決めたッ!」
「今この場で私が決めました」
「ふざけるなッ!」
「ふざけてなどいません。私にはそれだけの権限がありますから。そういうことなので、残り九億五千万ゼノを一生かけて支払ってもらいましょう。そもそもあなたが図面を灰にしたことがいけないんですよ。おかげで主砲の出力が安定しませんし、本艦だけで駆逐できるはずだった西方魔族撃滅作戦に、わざわざ他の発掘兵器をつかわねばならなくなるし……」
ベルマイアは魂が抜けていくような錯覚に陥る。
「どうです? 魔族撃滅作戦に参加してみませんか? 優秀な魔導師は戦力になりますから歓迎しますよ。そうだ、こういうのはどうでしょう? 見事魔族を全滅させたあかつきには今回の借金を白紙にするっていうのは?」
断る権利は無い。青年の顔は笑っていてもその瞳は別物だった。
「わたしに軍属しろというのか?」
「それが大佐の孤児院を守る唯一の方法でしょうね?」
「知っていたのか」
セイシェントは小さく首を縦に振る。
「ええ、大佐は本当に立派な方でした。魔族の被害にあった子供達のために孤児院を建設したのはすばらしいことです。古代文明への造詣も深く知識もあった。部下想いの理想的な上司でした。ただの一点をのぞいてはね」
セイシェントの表情から笑みが消えた。
「この戦艦を発見した時、大佐は本国への報告をせずに……存在そのものを隠蔽しようとしたんですよ」
「ずいぶんとよくしゃべるな」
「あなたは大佐の唯一残された親族ですからね……。しかし、なぜなのでしょうね? 魔族が消えれば孤児院の子供達が増えることも無いというのに、大佐は切り札となるであろう、この戦艦を隠そうとされた。力無き正義など無力に等しいというのに」
「それは……」
一度黙り込んで、呼吸を整えるとベルマイアの中から言葉が自然と浮かんでくる。
「この戦艦は魔族だけではなく、獣人や他の種族を刺激し、敵意を増大させるだけの存在でしかない。他の種族を力でねじふせることが……はたして本当に正義なのか?」
セイシェントはその回答を期待していたのか目を細めて笑った。
「あなたも大佐と同じことをおっしゃるわけだ。やはり血は争えませんね」
「どういうことか?」
「この戦艦が出土した夜を思い出しますよ」
セイシェントの視線は冷たい。殺意……そんな言葉がベルマイアの中に浮かぶ。
「……父は発掘中の事故で……まさか」
父親の死については発掘中の事故死としかベルマイアは聞かされていない。何度問い合わせてもそれ以上のことはわからなかった。
「あまりくだらない想像で他人を疑うのはよくないですよ」
大佐の事故死ののち、発掘の陣頭指揮をとったのはベルマイアの目の前にいる青年だった。
笑っている。
確証もなにも無いのに、ベルマイアにはこの青年が父親を謀殺したようにしか思えなくなっていた。
(──誰もが争わず平和に生きる世界など絵空事でしかないのか?)
父親が調査隊に参加する直前、ベルマイアに残した最後の言葉が浮かぶ。
そして理解する。
誰もがというのは人間だけではないのだ。
魔族や獣人と人間が共存できないか……。それが父の言葉の真意なのかもしれない。そして目の前の青年はそんな父の理想を力でもみ消したのだ。
ベルマイアの中で言い様のない怒りがわく。
「さて、ひとまず今夜はこれでお帰りねがいましょうか。部下にガザックまで送らせましょう」
「その必要はないッ!」
女魔導師はとっさにスペルブックに手を伸ばす。
だがそれよりも早く、セイシェントの手の中には銃が握られていた。
銃口は魔導師の頭部に狙いを定めている。
「あとからいくらでも口実はつくれるんですよ。ここであなたを殺しても、正当防衛にしてしまえばいいわけですから」
「そうやってお前はわたしの父を殺したのか!」
「さぁ……どうでしょう?」
ベルマイアは動くことができなかった。
ここで逆上しても犬死ににしかならない。
そっと手を下ろす。
「賢明な判断ですね。まあ仮に私に魔導による攻撃が成功していたとしても結果は一緒だったと思いますが」
青年が扉のロックを開くと、そこにはベルマイアをエスコートするために呼ばれていた若い兵士が立たされていた。
◆
新造艦の牢屋は重苦しい無機質な雰囲気こそあれ、鉄格子やら金属板の壁は真新しい。
傷も汚れもない、鈍く光る金属板の壁に、うっすらと全身黒ずくめの青年が映り込んでいる。
「ラージックさん! ラージックさんってば!」
対面の牢から紫髪の少年──ルシルがいくら呼んでも、ラージックは見向きもしない。
「ラージックさん……元気ないですよね。いつもならこんな牢屋ぶちこわす勢いじゃないですか……ラージックさんが元気ないと、ボクもなんだか元気でないよ」
ルシルの触角はうなだれている。
何か考え事でもしているのか、床にあぐらをかいたまま自称正義の味方はぽかんと虚空を見上げてばかり。
両腕を拘束されたまま黙り込んでいる。
「うん、そうだよ! こんな時だからこそボクがラージックさんを元気づけてあげなきゃならないんだ! それが内助の功ってもんだよね!」
押し掛け女房的な発想でルシルは呪文を口ずさむ。
胸のペンダントは没収されていたが、ストックを必要としない単発の魔導は発動すぐさま発動した。
人間がまだ認知していない領域から力を引き出すルシル。
瞬間、少年の姿は牢から消えると、同時にラージックが幽閉されている檻の中に現れた。
空間という概念から力を引き出した瞬間移動だった。
上位魔族でもこの力を操れるのはごく限られた者だけである。
神出鬼没。突然現れては消える少年の正体はこの能力によるものだった。
「ラージックさん! ボク……おもいきってきちゃいました!」
純真無垢な笑顔で子犬のように甘えた声を出す少年。
そっとラージックの背中に抱きつくと、顔を青年の肩にのせて耳元に息を吹きかける。
「のああああ!」
ようやく反応を見せるラージックにルシルはさらなる追い打ちをかけた。
青年の頬に唇をあてる。
頬を軽く吸いたてる。
「ぬおおお! や、やめやがれこの野郎ッ! なにしやがる!」
両腕を拘束されているため振り払うこともできずに、ラージックは体制を崩して仰向けに倒れる。
「なにって、人間のする元気の出るおまじないですよぉ」
青年を押し倒し、ルシルは黒いシャツのボタンに手をかける。
少年のアメジストのような瞳には妖しい炎が燃え上がっていた。
「さあラージックさん! 元気の出るおまじないの続きしよ。ボクがたっぷりと教えてあげるからラージックさんは身を任せてくれればいいんです!」
「やめろッ! なんかようわからんがやめやがれ!」
まな板の上にのせられた活魚よろしく、じたばたもがくラージック。
「ようわからんなんて……遠慮しなくていいんですよ。ふたりっきりですることなんて決まってるじゃないですか」
「知るかッ! ともかくこのロープをはずせっつーの!」
「それがはずれたらラージックさん逃げちゃうでしょ?」
「あたりめぇだ!」
「じゃあ、やだー! ボクとめくるめく禁断の愛と悪の世界にレッツゴー!」
シャツのボタンがはだける。
「いっただきまーす!」
少年がラージックの素肌に触れようとした瞬間、その動きが止まった。
「…………これ……なに?」
青年の胸には鳥の翼を記号化したとでもいうべきか、翼のタトゥーのような文様が広がっていた。
胸の中央に黄金色の石が埋め込まれている。
石は肉体と融合しているのかぴったりとはまっていた。
「なにって言われてもなぁ……っつうかいい加減馬乗りはやめろ!」
「ラージックさん……人間じゃなかったの?」
石から発せられる巨大なエネルギー。もし人間がこれだけのエネルギー塊を体内に埋め込まれれば、大きすぎる力に肉体が耐えきれず崩壊してしまうだろう。
ルシルの触覚が小刻みに痙攣する。
「……ルシル。俺様は……化け物なんだよ。残念だったな。魔族に懐柔したって……」
少年はうつむくと震え出す。
「すごい! やっぱりラージックさんはすごいや! もう絶対に離さない! ボクといっしょにまずは魔族を統合してください! そして世界をッ! 世界を二人の愛で征服するんですッ!」
頬を紅潮させる少年にラージックは無反応だった。
不意に牢屋練の扉が開く。
コツコツと靴音が鳴り響くと、周囲の温度が3℃ほど下がったような空気が広がる。
銀髪を揺らし、軍服の男はじゃれ合うように身体をかさねている二人の前で立ち止まった。
「…………」
「あっ」
無言のセイシェントと目が合い、ルシルが間抜けな声をあげる。
表情こそ笑顔だが、セイシェントの瞳は今までで最も冷たい光を宿していた。
「少年……甘いものは好きですか?」
「え、あ、うん」
セイシェントが手招きする。もし逆らえばどうなるか……ルシルが恐る恐る鉄格子に近づいた。
笑顔のままセイシェントはポケットの中から紙で包装された飴玉らしきものを取り出した。
「え、えーと、食べろってこと?」
「ええまあ」
鉄格子を通過して純白の包装紙につつまれた飴玉がルシルの手に移る。
セイシェントはずっとルシルを見つめていた。無言である。
「い、今食べないとだめ?」
ルシルの言葉に銀髪は黙って頷いた。
そっと包装紙を開くと、黄色と緑にくすんだ青い色の混ざったマーブル模様むきだしの球体が姿を現す。
とても食べ物の色をしていないそれを、ルシルはじっとみつめたままどうしようか迷う。
その間もセイシェントは笑顔をうかべたままルシルの行動を観察している。
「あ、あの、ボクダイエットしてるから」
無言で中佐は首を左右させる。
拒否権無し。なのだろう。
恐る恐るルシルはその飴玉を口の中に放り込む。
舌の上でころがすと甘みが広がった。
一瞬、安堵の表情を浮かべた少年。
だが次の瞬間肉体から魂が分離するような錯覚に襲われる。
目の焦点があわなくなり、次の瞬間視界が黒く塗りつぶされ意識が泥の中にひきづり込まれる。
平衡感覚がなくなり、少年はその場で卒倒した。
「おい、何を食わせた!」
「飴玉ですけど?」
「いや、ふつうの飴玉でこんなにゃならんだろうが!」
ラージックの足下には白目をむいたまま泡を口からふく魔族の少年が倒れている。さすがに触角もうなだれたままピクリともしない。
頸動脈の血流がストップしたような……まさに締め技で落とされた感がある。
「調理場にあった香辛料と、薬品庫にあったクスリを適当にまぜて砂糖で味付けし固めたものですから私もよくわかりませんが、それなりに期待した効果を発揮したようですね」
ラージックは無言だった。
「ところでラージック。ベルマイアは賞金を手にしてこれからガザックに帰るそうですよ。私が説得したところ軍にも参加し魔族討伐に力を貸してくださるとか。あなたはあの人間に騙されていたんですよ。聞けば全部金目当てだったというじゃありませんか。彼女は笑っていましたよ。『孤児院なんて嘘つけばあんなバカを騙すのは容易だ』だそうです」
あざけるようにセイシェントは続けた。
「貴様の言葉を信用するわきゃねぇだろ」
「心外ですね。私たちは同じ仲間じゃないですか」
「うるせぇ!」
「創天使であるあなたの力では私に勝てませんよ。私はあなたの暴走を止めるために作られたのですからね」
「暴走してるのはそっちだろうが?」
「人間を守護し進化を促進することが私の使命です。その邪魔をしようとしたあなたは明らかに創造主のプログラムから外れて暴走していますよ」
「創造主なんてとっくの昔にしんじまっただろうが。俺様は人形じゃねえっ! 俺様は……ラージックだッ!」
「……それ以上言うならまた破壊してあげてもいいんですよ。次にあなたが再生した時には世界から人間以外の種族を根絶やしにしておいてあげましょう……二百年はかかりませんね」
セイシェントの顔から薄っぺらい笑顔ははがれ堕ちていた。
「人外種の役目はもはや終わりました。再生した世界に必要な種族は人間と私たちだけなんです。それがなぜあなたには解らないんですか?」
「わかんねぇな。自分たちさえよけりゃあいいのか?」
「くだらない……」
銀髪は鼻で笑う。
「今の人間もいつか『無』に突き当たる。アガルタが滅んだのは……いや、自ら滅んだ理由は知っているだろ?」
「人類進化の終焉ですね。今更何を言い出すかと思えば」
「繁栄し、平和な世界が続くことで人間は退化し始めた。その再生のために自らの手で世界を滅ぼすなんて……バカげてやがる!」
「山火事があるから森は再生できるんですよ。松毬は常温では開きませんが、山火事の熱で種子を飛ばし、焼け野を再生させます。高度に発展しすぎた世界を一度白紙に戻したからこそ、新たな人類の中に魔導の使い手……魔導師が生まれたんじゃありませんか。これは種としての進化でしょう? 魔族なんてそのためだけに作られたわけですから」
足下で気絶したままのルシルを見下すセイシェント。
「さて、扉の場所はわかっていますが、封印解除の方法を聞かなければなりませんね。彼らのことですから私たちに従属はしないでしょうし……。秘密を知る族長の娘以外はクズ同然ですから焼夷弾の一つでもうちこんであげましょう」
「それが……それが正しいことなのかよッ!」
「不純物を取り除き浄化しているだけですよ? それに軽く脅しておいた方が封印解除の方法も手っ取り早く教えてくれるでしょうしね」
「もしそんなことをしてみろ……。俺様が貴様をブッ殺す」
ラージックの前髪から一瞬だが瞳がのぞく。
敵意……いや、殺意に満ちたその視線はセイシェントの背中に冷たいものを走らせた。
「あなたでは私に勝てません」
自分に言い聞かせるように告げるとセイシェントは牢屋の前を去っていった。
◆
円盤形をした小型艇の格納庫にベルマイアの姿はあった。
「まあ全速力で飛ばせば二時間くらいでガザックにつきますから」
若い兵士が円盤のコンソールを操作する。
声がやや裏返り、青年は頬を真っ赤にさせていた。
「わたしの顔に何かついているのか?」
「い、いえ! 異常はありません」
彼女の顔をのぞき込み青年はさらに顔を赤らめる。
(こんなに美しいヒトがなぜ賞金稼ぎなんて……)
(顔が赤い……風邪でもひいているのか?)
一瞬の沈黙が気まずい空気をつくる。
「そ、そうか……ところでこのハンドルというのを回すと左右に動くのか?」
ベルマイアの質問に兵士は「そうですけど……興味ありますですか?」と逆に聞き返してくる。
「いや、わたしは魔導機械のことはよくわからないから一つ基礎的な部分で勉強してみたいと思って」
「さ、さすがアカデミーの魔導師は違いますね。いや向学心旺盛といいますか。僕のつたない説明でよければ協力しますよ」
素直な青年の言葉にベルマイアは「よろしくたのむ」と抑揚無く告げる。
青年は嬉しそうに動作を交えて説明を始めた。
「まずこの足下のペダルですが、右を踏み込むと前進します。その隣のを踏むと後退です。それで中央のハンドルを回すと左右に方向転換します。そしてこのハンドルそのものを引くと船体が上向き、押すと船体が下を向きます。他に空中で制止させたりするにはこのコンソール脇にあるレバーで……」
「だいたいわかった」
「いえ、実はこの機体は奥が深くて、動力源の魔導ジェネレーターは小型ですが軽量化された機体との相性は抜群なんですよ。とくに加速性能なんかは従来の機体の二倍以上。しかもこの三十一番機は僕がちょっとばかり手を加えていて、ノーマルの機体よりも旋回性能が高いんです。ですがジェネレーターに負荷がかかりすぎてオーバーロードしやすいのが難点なんですけど、そこはパイロットの腕次第というか……」
青年兵士の口上に適当な相づちをいればながら、ベルマイアは転がっていた鉄パイプに手を伸ばす。
周囲は薄暗く他に兵士の姿は見あたらない。
「つまりエースパイロットにしか乗りこなせないんです。消費も通常の三倍ですが、総合的な機動力も三倍。本当は機体のカラーリングを紅くしたいんですけど、許可がおりなくて」
ゴスンッ……。と鈍い音とともに、頸動脈に衝撃がはしり青年兵士はその場にへたり込んだ。
「すまない……」
兵士をずるずると物陰に引きずり、ベルマイアの姿は闇に消えていった。
◆
檻の前に兵士が立つ。帽子を深く被っている紅髪の兵士は無言で牢の鍵を解放した。
「こんどはどこに行けっていうんだ? 俺様は今すこぶるご機嫌斜めなんで何しでかすかわかんねぇぞ」
兵士は応えない。その腕にかかった鍵束の音だけが牢屋に響く。
ラージックの脇で寝息をたてている少年を確認すると、兵士は服のポケットからネックレスを取り出した。
アメジストのあしらわれたそれを少年の首にかけ、数回頬を叩く。
「ん、ふにゃあ、あ、アアン! ラージックさんってばそんなトコ舐めたらボク感じちゃうよ」
寝言を言いながら赤面する少年に、紅髪の兵士は拳を握り、少年のこめかみに拳をあてがうとグリグリとさせる。
「イタタタタタタッ! な、なにするんですか!」
ようやく目を覚ます少年。兵士は無言でラージックを拘束する縄にとりかかる。
床にあぐらをかく青年の後ろにまわり、膝立ちの体制で兵士は拘束の状態を確認した。
「……魔導で何らかの封印をしているようだな」
小声でつぶやくと兵士は腰のベルトから魔導書を抜く。
ぺらぺらとページをめくる音が止まる。開かれたのは解呪の頁だった。
兵士は腕にかかっている鍵束をそっと触れると呪文を唱えた。
鍵という属性から解呪の力を導く。
淡い光につつまれ、ロープは意思でももっているのかひとりでにほぐれていった。
「なんのつもりだ貴様」
「今更謝って済むこととも思えないが、わたしにできることはこれくらいだからな」
帽子に手をかける兵士。
その声はどこか女性的でラージックにも聞き覚えのあるものだった。
長い髪が滝のようにあふれる。
陶器人形を思わせる整った顔が現れた。
「ベルマイア! や、やっぱり助けに来てくれたんだな! 俺様はしんじてたぞ!」
「そんなに喜ばれると苦しいな。わたしはお前を裏切った人間だ」
「なにをバカなことを言ってやがる! 敵を欺くにはまず味方からとか言うしな。ぜんぜんオッケーでノープロブレムだぜ!」
口調からもラージックはベルマイアの裏切りを全く気にしていない。
「よぉし! ともかく脱出だ!」
「うん! 脱出して世界征服だねラージックさん!」
ルシル少年が立ち上がり拳を振り上げた。
ラージックは笑顔を浮かべたままルシルの頭部に手を伸ばす。
二本の触角を器用にリボン結びにする。
「ああ! な、なんてことをぉするんですかぁ!」
少年は立ち上がるとその場をくるくると時計回りに回転しはじめた。
「いいかルシルよ。俺様の指示に従うというのならその結び目をほどいてやろう」
ルシルはルシルで結び目に手を伸ばすが、どうやら平衡感覚が欠如してしまったのか頭の触角に触れることさえできない。
「ひ、ひどいよぉ! ボクが何をしたっていうんですか!」
「まあそういうなっての。ともかくこれから俺様とベルマイアは脱出する。その間敵兵を引きつけるのが貴様の役目だ!」
「な、なんでボクがそんなことしなきゃならないんですか!」
相変わらずぐるぐる回りながら少年は必死に反論する。
「いいのか? もし俺様がセイシェントにつかまっちまったら、魔族を誰が取り仕切るんだ?」
「そ、それじゃあ!」
ルシルが紫色の瞳を輝かせる。
「まあ貴様の申し出、その働き次第では考えてやってもよかろう」
「わかりました! ボク、がんばります!」
その言葉にラージックは少年の頭を押さえ込むと結び目をほどく。
そっとベルマイアがラージックに耳打ちする。
「そんな約束をしていいのか?」
「なに、考えてやると言ったまでだからな」
考えるだけ考えてなる気など毛頭ない……ということなのだろう。
なぜかベルマイアには目の前で喜びのあまり小躍りする少年が気の毒に思えてならなかった。
◆
ブリッジの艦長席正面に備え付けられた大型のモニターが、獣人の集落を映している。
「さて……どうしましょうか」
セイシェントはため息混じりに画面を眺めながら、ぬるくなったコーヒーで口元をしめらせた。
兵の志気も落ちてきているが、それよりも問題は頑固な獣人達をどう説得するかである。
もちろん彼らが帝国に協力するとは思えない。
「やはり彼らに復活させてもらうまで待ちましょうかね」
カップを脇に銀髪は笑う。
不意にカップに視線を落とすとセイシェントの表情は凍り付いた。
琥珀色の液体の中に、何かがうごめいている。
びしゃん、びしゃんとしぶきをあげて、カップの中身は這い出してくる。
細長い触手のような生き物──ミミズだった。
「中佐! 中佐ぁ!」
操舵手が悲鳴を上げる。みれば舵にはびっしりと白い体長五センチほどの軟体生物が触角を揺らしていた。
「ナメクジが! ナメクジがぁ!」
ブリッジが混乱する中、突然少年の声が響く。
「さあ人間どもよ! ボクを本気にさせたきみたちが悪いんだ! これから一人残らず恐怖と後悔のどん底にたたき落とし、ジワジワとあぶり焼きチキンのようにジューシーなエキスを一滴のこらずしぼりとって、おもしろおかしく発狂してもらっちゃうぞ♪」
少年が舵の脇に虚空から浮かび上がる。
その胸のペンダントは妖しい紫色の光を発し、頭の触角はこれ以上ないほどに隆起していた。
「さあ闇の眷属よ! 食事の時間だ! すすれ! しゃぶれ! くらいつけぇ!」
何もない空間から突然ミミズやらナメクジやらが豪雨のように降ってくる。
床中が得体の知れない生物で埋め尽くされ、そこかしこに粘液があふれる。
足をとられた兵士たちは立っていることもできずに床に倒れると、そこに今度は人間の手首ほどの太さのミミズが這い寄った。
両手両足にからみつき動きを封じると、首もとや袖から小型のミミズやナメクジが入り込んでくる。
「ウギョアグアラガァヘナァジャァ!」
意味不明な悲鳴をあげる兵士の姿に魔族の少年は満足げだった。
「ふっふっふ、そのままパンツの中までお祭り騒ぎ!」
少年の言葉に服の中に入り込んだ虫たちは内部でさらにのたうち回る。小さな口で兵士の身体に吸い付きおぞましい感触を与え続ける。
兵士たちは口をぱくぱくさせたまま痙攣し動かなくなった。
「魔界の虫の恐ろしさ! とくと味わうってくださいねー!」
「ところで少年……この虫たちは人間の生命エネルギーを吸い尽くしてミイラにしたりとかしないのですか?」
「そんな怖い機能はないけど……ただ猛烈な粘液と吸着で心に傷を負わせるだけだけ……って、なんで虫がついてないのぉ!」
ルシルが振り返るとセイシェントは相変わらず艦長席で涼しげな表情を浮かべていた。
うっすらとだが銀色の膜が青年の周囲を包み込んでいる。
その膜に阻まれ虫たちはセイシェントに近づくことができなかった。
「まったく、子供だからといって甘くしていればつけあがる」
ゆっくりと立ち上がるセイシェント。
その背中の空間が一瞬だがゆらめいた。
ルシルが目を細める。光の膜の向こうで青年の背中にうっすらとだがシルエットが浮かぶ。
翼だった。
ほんの一瞬、セイシェントは翼を羽ばたかせる。
目に見えない力の波がブリッジを駆け抜けた。
まるで風速五十メートルの突風にあおられた傘よろしく、ルシルの身体が浮き上がり吹き飛ばされる。
同時に床を被っていた虫たちも衝撃に耐えきれず消滅した。
兵士たちは銀の旋風の攻撃目標に入っていないのか、ぐったりとしたまま微動だにしない。
正面の強化ガラスに叩きつけられ、張り付けにされる少年。
見えない力で四肢を固定され、空中で身動きがとれない。
セイシェントに捕まった……そういった表現がぴたりと当てはまる。
「まったく……魔族風情が私に勝てるとでも思っているんですか? よりにもよって、あの男に……ラージックに与しようなんて愚かなことを……」
「そんなことはないよ!」
冷笑するセイシェントに少年が目を見開く。
「愚か者に従うのは愚か者の証拠です」
「……愚かだって? いま……いまラージックさんの……ラージックさんの悪口を言ったな!」
少年の瞳が白めと黒目の区別もなく真っ赤に染まる。
風もない密閉空間のブリッジで、ルシルの法衣がなびき始める。
「まだ抵抗しようというのですか?」
「ボクのことをどういったって構わない! けど、ラージックさんを侮辱するなんて……ゆるせない」
ルシルが小さく呪文を口ずさむ。口調は冷淡だった。魔族の本質がほんの一瞬だけだが露出する。
「私には通用しませんよ?」
セイシェントは翼の結界を発生させる。
瞬間、羽音が銀髪の青年を包み込んだ。
空間からわき出したのは、一匹が大人の拳ほどもある蜂である。
それも一匹や二匹ではない。
数百の蜂が銀の結界に群がる。
「こざかしいですね……殺人蜂なんて、まるで私を殺す気充分じゃないですか?」
翼を羽ばたかせふりほどくように銀の波を発生させた。
蜂たちは波に押し返されて、次々と消滅していく。
蜂の群の犠牲によって、銀の波に切れ間が生まれた。
その瞬間に一匹、小指の先ほどの毒蜂がセイシェントの結界内に入り込む。
毒蜂が青年の頬をかすめ、赤いラインがセイシェントの頬に刻まれる。
毒の効果をうち消そうとセイシェントが集中した瞬間、ルシルを捉えていた翼の力がゆるむ。
青年の頬は数秒で完治した。
同時にルシルは空間跳躍を行い戦艦の外に逃れる。
(時間……かせげたかな?)
少年の瞳は元にもどっていた。
不意にゲルマークの上甲板が開く。
発射台に一機だけだが小型機を確認すると、ルシルは小さく笑ってセイシェントに舌を出す。
今回も創天使の懐柔はお預けか……少年は胸の中でポツリとつぶやいた。
「バーカバーカ! いつかナメクジの海にしずめちゃうから覚悟しておけー!」
そのまま空間跳躍でルシルの姿は空気に溶けるように消えてしまった。
◆
「おいベルマイア! 運転できるのか?」
「なに、さきほどレクチャーは受けている。わたしはこれでもアカデミーで主席をとり続けた天才。この程度の魔導機械など簡単に服従させてみせよう」
コンソールの前にたち、ベルマイアはハンドルを握ると、一瞬考えてから左のペダルを思いっきり踏み込む。
瞬間、円盤機械は浮き上がったかとおもうと正面とは逆方向に一気に加速した。
格納庫に逆戻りする円盤は、蛇行しながら積んであった木箱の山に激突してようやく止まる。
「べ、ベルマイア! どうなってんだおい!」
「ああ、すまない。どうやらこのペダルではなかったらしい」
ハンドルからコンソール脇のレバーに手をかけると、それをぐいっと引く。
今度は円盤機械が浮き上がり、そのまま上昇を始めた。
ラージックが首をあげると格納庫の天井が目前に迫っている。
「ベルマイア! 上、上ぇ!」
ラージックが悲鳴をあげてもベルマイアの表情は変わらない。いや、少しだけ額に汗が浮かんでいる。
「ならばこうしてみよう」
ハンドルを押して円盤が前傾姿勢で止まる。天井すれすれの位置からベルマイアが右のペダルを踏み込むと円盤機械は加速した。
格納庫のハッチを飛び出し滑走路につっこむ寸前でベルマイアはハンドルを引き機体を起こす。
水平飛行を保つと小型機は巨鯨の背中から飛び立った。
低く張った雲をつきぬけ、円盤はさらに加速しゲルマーク三世の周囲を旋回する。
「脱出成功だな! さ、さすがベルマイアだ。俺様は信じてたぜ」
声を震わせるラージックにベルマイアは微笑む。
「なるほど、この右のペダルを踏み込むほどに加速するのか」
もはやラージックのことなど頭に入っていない。ベルマイアの目はスピード狂のそれに変貌していた。
さらに踏み込むベルマイア。
加速により発生した重力でラージックが顔をゆがませる。
だが数秒それが続いたかと思うと、突然円盤は動きを止めた。
コンソールに視線を向けるベルマイア。
赤いランプが明滅し、そのランプの脇に書かれた文字に目を細める。
「ジェネレーターオーバーロード……つまりどういうことか?」
振り返るとラージックが円盤の後部を指さしていた。
動力源と思われる装置は赤熱しながら黒煙を上げている。
「つまり……動力源が停止したということは」
「落ちるんじゃねえか? これ?」
二人が頷き合った瞬間、円盤は浮力を失い一気に落下を始めた。
重力を中和する呪文も無くはない。だがそれが完成するころにはすでに地面に到達している──ベルマイアは両目をつぶり覚悟を決めた。
円盤とともに身体が墜落していく。
妙な浮遊感はあったが、これがあと何秒か続いた先にあるのは死以外の何者でもない。
死ぬと解ると悔しいなどという気持ちさえ浮かばず、ただ心の中まで空っぽになっていく。
「ベルマイア! 俺様にしっかりつかまってろよ!」
声が聞こえる。
誰かに抱き寄せられたような錯覚……いやベルマイアは抱き寄せられていた。
「ラージック!」
瞳をあけると青年の顔がすぐ近くにある。
前髪は風圧で押し上げられていた。
その瞳はまだ諦めていない。
「我、創天使として命ずる! 光翼よ我を天空に導きたまえ!」
ラージックの呪文のような叫びとともに、光の粒子が二人を包み込む。
光は次第にラージックの背中に集まり、ひときわ大きな翼を作り上げた。
青年は黄金の光をまとう。
全身黒ずくめのカラスのような姿が、まばゆい光を放つ天使の姿に変わっていく。
黒髪は淡い金髪に。瞳も猫の目のような金色をしている。
前髪は逆立ったままで、青年の本当の顔がそこにはあった。
似ている……セイシェントとその顔は瓜二つなのである。
黒いジャケットは光の粒子に包まれると白い布のローブに変化していった。
物質そのものを最小単位である粒にまで分解し、再構成したのである。
柔らかい布に包まれたラージックの姿は、まさに神話の天使そのままだった。
「ラージック……わたしはお前を裏切った。今もわたしの失敗で……わたしは自分で思っているよりもダメな人間らしいな」
魔導師の言葉に瞳を細めるラージック。
「別にこの場でわたしを離してくれてもかまわない。考えてみればいまさらお前にあわせる顔なんて」
二人は空中で制止している。
ラージックがゆっくりと羽ばたくだけで、二人は重力から解放されて空に浮かんでいられた。
「ベルマイア。なんで貴様そんなにへこんでいるんだ?」
「それが……解らないのか?」
「ああ、なんつっても貴様はちゃんと助けにきただろ? さっきのだってちょっとばかし怖かったが、まあおもしろかったので良いんじゃねぇか」
青年の言葉も視線も嘘をついている様子はない。どうも本当に解らないらしい。
「そうか……最初にあった時から変なヤツだとは思っていたが……天使というのは人間とは感覚が違うのかもしれないな」
「そんな言い方は酷いなベルマイア」
苦笑いを浮かべる青年。
「わたしはもう自分がわからない。獣人も魔族も嫌いだったが、今はあのセイシェントという男の方が嫌いだ。なにより獣人や魔族を嫌悪していた自分が一番嫌いになったよ」
「領域を侵さなければ獣人たちはもともと温厚な種族だ。魔族は人間と戦うために作られた存在だが……今はルシルみたいなのが増えてきてる。世界が変わるかもしれないって時にアイツは……セイシェントはそれを受け入れるつもりがねぇらしい」
天使は悲しげな瞳で戦艦を見上げる。
「正直俺様もどうなるんかわからねぇ。ただ旧世界の連中がつくった設計図なんかクソ食らえってことだ。だから俺様はセイシェントを止めなくちゃならん」
「なんで最初からそれを教えてくれなかった?」
「言ったところで信じたか?」
「それもそうか」
二人は笑う。得体の知れない賞金首だった男を、今少しだけだがベルマイアは理解できたような気がした。
「ラージックはどれだけ一人で戦ってきたのか?」
「数千年か……もう覚えていないくらいだ。だからベルマイア。貴様に出会ったあの瞬間は本当にもう嬉しかったっつうか、なんつうか」
照れたような笑顔のラージック。
「正義の戦士か……わたしには無理だな」
ベルマイアの顔から笑顔が消える。
「元気がでないのか?」
魔導師は答えない。ただ視線を伏せている。
「本当は逃げ出してしまいたいくらいだ」
青年の腕の中でつぶやくと、不意にラージックの顔が近づいた。
突然その唇がそっと頬に触れる。
「さきほど覚えたおまじないってやつだ」
「………………」
ベルマイアは無反応だった。いやどうリアクションしていいのかもわからず硬直してしまう。
「な、なんだ? 人間のおまじないじゃねぇのか?」
「あ、あ、あぁ」
腕の中でベルマイアの肩が小刻みに震え始める。
「どうした? うーむ、やっぱりルシルに騙されたのか俺様は」
「アホぉ!」
至近距離からベルマイアの右アッパーが青年の顎を捉える。
完全な不意打ちにラージックは空中の姿勢を維持できなくなり、落下を始める。
「あ、おいラージック!」
「…………」
ベルマイアの声は届かない。みれば白目をむいたまま青年は口をぽかんとあけている。
徐々に加速をつけて、二人を包み込んだ光の球体は真っ逆様に落ちていった。
■女神の名はアストラガノン■
母屋にシャーリギンを寝かせ、パパナムは中央広場に村の衆を集めると重い口をひらいた。
「あのニンゲンどもに女神を渡すわけにゃいかん。とはいえ今やこの集落そのものが人質のようなもんじゃ」
たいまつの炎で照らされた広場。
パパナムの脇にはピンクの髪を揺らす少女が添え物のように座っていた。
正座のまま、はちまきのような布で目隠しをしている。
真っ白い装束に身を包んだギルモア。その肩はかすかに震えた。
「おそらく連中のことじゃ、素直に従ったところでワシらを皆殺しにすることなどめにみえておる」
パパナムの手には大斧が握られてる。
「秘密を守って死ぬことこそが、唯一できる抵抗じゃろう」
広間に集められた村の者たちを、重い沈黙が包み込む。
「ギル……これも奴らに女神を渡さないために仕方のないことなのじゃ。許せ」
「お父様……ギルは……ギルモアは幸せでした」
覚悟の口上も震えている。
それでも族長は瞳の奥に涙を押し込めながら、斧を振り上げた。
「よいか! ギャギャジの誇りは永遠に不滅!」
振り上げた斧がピタリととまる。
村人たちの視線が集まっていた。
ここで躊躇すれば覚悟を決めた村の衆の決意が鈍る。
「許せッ! わが娘よぉ!」
耳をふせて少女はうずくまった。
瞬間──。
ドッゴォォォォン
空から広場の真ん中に光の球体が落下する。
小さなクレーターをつくった球から、光が周囲に四散した。
「いたたたたたッ。かろうじて折れちゃいねえが」
粉塵の中に人影が浮かぶ。
土煙が引くと、そこには黄金の翼を広げた天使が腕の中に人間を抱いて立っていた。
「な、なにものじゃ!」
「ようオッサン! 俺様だって」
「お主のような派手な知り合いなぞワシにゃおらんぞ!」
巨躯が斧を天使に向ける。
「その声……ラージックなの! ラージックでしょ! 匂いと声でわかるんだから!」
目隠しをされていたギルモアが歓喜の声をあげると立ち上がった。
自分で目隠しを取ると、瞳の中に映った青年にむかって走る。
「よぉ獣人少女!」
「ラージック! 死んで!」
唐突に小刀を懐から取り出すと、ギルモアは天使に斬りかかった。
「のあッ! やめろギルモア!」
「あたしは集落の秘密を守るためにこの命を捧げることになったの! そしたらラージックは寂しいでしょ? だから一緒に死んで! 二人で愛の国に羽ばたきましょ!」
ベルマイアを胸に抱いたままのけぞりながら獣人少女の攻撃をかわすラージック。
「いいか落ち着きやがれギルモア! そして獣人たちよ!」
翼を羽ばたかせラージックは空中に逃れる。
「だいたい貴様ら後ろ向きっつうか閉鎖的すぎだ! いや原因が人間にあるのかもしれんが、ともかく早まるんじゃねえよ!」
「しかしのぉ義理の息子! 女神様を守るにゃ他に方法がなかろうに」
「その女神ってのを貴様ら守り続けてきたのはなんのためだっーの! これだけ村が危機だってのに、その女神ってのは知らんぷりか! こういう時だからこそ、その女神が村を守るべきなんじゃねえのかよ!」
ラージックの言葉に獣人達が騒然となる。
次第に「そうだ! その通りだ!」やら「人間なんぞに渡すくらいなら俺達が封印といちまえばいいんだ!」などなど意見が合唱を始めた。
「しかしのぅ、そのようなことをすれば世界は沈黙に包まれる……すべての力を無力化する女神アストラガノン様にゃ触れちゃならんのじゃ!」
それでも弱腰というか保守的な族長に業を煮やしたのはその娘だった。
「お父様! ラージックの言うとおりよ! 今こそアストラガノン様に救ってもらわなきゃ割に合わないわ!」
「ギルよ……じゃがそれはアノ儀式をしなきゃならんことになる」
その一言に少女の顔が真っ赤に染まる。
「もう相手はみつかってるから……」
少女の視線の先にはラージックが捕捉されていた。
「婿殿ぉ! 婿殿が言い出したことじゃ! しっかりと役目は果たしてもらわんと困るぞぉ」
斧を腰に下げ直し、隻眼の大男どころか村の衆全員が、空中をぷかぷか浮かぶ青年に視線を向けていた。
◆
巨大な扉をベルマイアは遠巻きに見つめている。
扉をもう一度観察すると、黒い壁材に幾何学的な筋が幾重にも張り巡らされていた。その中央には人間の頭ほどあるくぼみがぽっかり口をあけている。
「おいベルマイア! 俺様を助けようという意思はねぇのか!」
「しかしそれが儀式というなら仕方ないだろう」
ラージックの姿は元の黒ずくめに戻っていた。前髪も降りて相変わらずの得体の知れない青年っぷりを醸し出している。その青年は棒にしばりつけられて立たされていた。
その直線上、ギルモアが腕の中に球体を抱いている。
金属製なのかそれとも石なのか、黒光りするそれをベルマイアは判別することができなかった。
ずっしりとした重さがあるのだろう。抱える少女の腕に力が入る。
ちょうど人間の頭ほどあるそれには、穴が三つほど開いていた。
「よいかなベルマイア殿、かけ声は『ナイスカン』ですぞ」
巨躯が腕組みしながら娘の成長を見守るように儀式に視線を送っていた。
ラージックの紹介もあってひとまずベルマイア自身が獣人の攻撃対象にはならなくなったものの、やはり目の前の光景に魔導師は獣人という種族が理解できないと改めて実感する。
「ところで族長……わたしをみてなんともならないか?」
「ん?」
獣人の村に入っても、男達はベルマイアに見向きもしない。常に男につきまとわれていたベルマイアにしてみれば拍子抜けといった感がある。
「いやぁ、どうもお主ら人間とは感覚が違うようでしてな。たしかに顔つきも身体もばっちりじゃが肝心の尻尾と耳がないんではなぁ。おっとこんな時にワシとしたことが不謹慎じゃったかの」
目を細める族長。視線の先で儀式は着々と進行していた。
扉を背に丸太でくくられたまま立たされるラージック。
それに向かってギルモアは黒い玉を構える。
開いている穴に親指と人差し指、中指をはめ込む少女。
「お、おい! なにを! なにをする気だっつーの!」
「ラージック! これも全部古いしきたりなの! あたしたち獣人は古い価値観に縛られた種族だからしょうがないのよ! でももし死んじゃっても大丈夫だから! ラージックの魂はあたしの心の中に生き続けるの!」
自分の言葉に陶酔しながらギルモアは黒玉をアンダースローの姿勢で構える。
大きめのテイクバックで黒玉を背中の方にもっていくと、腕を振って地面を転がすようにそれを放った。
黒玉はまっすぐにラージックをくくりつけた丸太に向かっていく。
しかもただ転がっているのではなく、次第に加速し、魔導の光をまとってゆっくりと浮き上がり始めた。
バコンッ!
ラージックの目前で黒玉はアッパースイングでもするように一気に空中へ駆け上がる。
その最に青年の顎のあたりをえぐるように打ち据えて、黒玉はそれでも加速を失うことなく扉の穴に吸い込まれていった。
「ナイスカンッ!」
族長とベルマイアが声をそろえると、ギルモアは胸のあたりで小さくガッツポーズを決めた。このガッツポーズも儀式のうちらしい。
顎下から宙に浮くほどの打撃をうけて丸太は石床に転がる。
くくりつけられたままのラージックは一瞬消えかけた意識をなんとか引き戻して叫ぶ。
「おい! この儀式に俺様って必要だったか?!」
「あれ? ラージック無事だったの? さすがあたしの愛する人ね。これくらい丈夫でないと新婚生活は営めないから、まずは第一関門突破だわ。きゃ、あたしってば幸せ者」
頬に手をあて身をよじらせるギルモア。
「なあベルマイア! 貴様からもなんとかいってくれないか!」
「封印が解けたなら結果オーライではないか」
ベルマイアの言葉が終わるかというところで、黒玉のはまった扉に変化が起こる。
球体から光が発生すると、黒い扉の壁に光の筋が走った。
刻まれていた筋に光が満ちると、ゆっくりと黒い扉そのものが消えていく。
漆黒に塗りつぶされている扉の内部。通路が手前から順に魔導の光で照らされていく。
「生きている遺跡は初めてみるな」
ベルマイアがラージックの縄をほどくと、青年は顎のあたりを抑えつつ立ち上がった。
「しかし……誰だこんな儀式なんてつくったんわ」
「神話の天使が残したんじゃが……」
族長の視線がラージックに向けられる。
「お主がその転生じゃろ?」
「お、俺様がこんな意味不明な仕掛けを好きこのんで作るとでもおもうってのか貴様らは!」
ラージックの言葉を聞くなり、三人は同時のタイミングで首を縦にふってみせた。
◆
左右に広い回廊はゆったりとした下りの傾斜がまっすぐに続いていた。
道の左右には魔導光のランプが照らしている。
足下の道にはレールのようなものがしかれていた。ゴンドラかなにかの通路のようである。
進むのは三人だった。族長は村の衆を束ね、帝国の使者が来た場合に時間を稼ぐなどと理由をつけて遺跡には入りたがらない。見た目とは正反対で意外と小心者……とベルマイアは口には出さずに思うだけに止めた。
三人は無言で下る。
通路の壁に模様のようなものが描かれていた。
進むにつれて、それは壁画にすり替わる。
空から翼の生えた人間が降りてくる絵。
それに続くのは荒野だけの世界に、翼を持った人間が少しずつ水の流れや緑や生物を……獣人が生まれ、魔族が生まれ、人間が生まれ……壁画の物語は最後に天使がもう一人の天使を作りだしたところで終わっていた。
ベルマイアが不意に足を止める。
「ラージック? 神が使わせた翼ある者……天使の神話は人間をつくったところで終わりではなかったのか?」
「いきなり何をいいやがるベルマイア?」
足を止めラージックは振り返る。ベルマイアは天使が天使を生み出した壁画の前で止まっていた。
「天使が寂しがって仲間でもつくったんだろ?」
軽口をたたくように、ラージックはさらりと言ってみせた。
「……神とはなんなのだろう」
「神なんていやしねぇっての」
ラージックは笑う。
ベルマイアは怪訝そうに首をかしげる。
「つうかまぁ、いてもいなくてもどうだっていいじゃねぇか? この世界は俺達の場所だ。べつにそんないるかどうかもわかんねぇヤツに気を使う必要もねぇだろ? 世界は誰かがつくったんじゃねぇ。あったんだよ。ずっとずっと前からな。俺様たちはありのままなんだ」
「どういうことか?」
「うまく説明はできねぇけど、ともかく今は世界平和が最優先だ! そして勝利の鍵はこの奥にある!」
結局はぐらかす青年にベルマイアはため息を一つ。
「この先に……破壊の女神がいるというのか?」
二人の会話に頬を膨らませ不平不満をため込んでいた獣人少女が、ついに我慢できなくなったのか、二人の間に割ってはいる。
「あぐ……ちょっとオバサン、アストラガノン様を呼び捨てなんて良いコンジョーしてるわね」
「……誰がオバサンと?」
冷たい空気が魔導師と獣人少女の間に走る。
「だいたいオバサンってばラージックのなんなのよ?」
「わたしは……その」
「ラージックはね、このあたしの夫となる人なのよ! あたしたちは相思相愛でラブラブだからオバサンの入る余地はないのッ!」
突然ラージックの腕に抱きつく獣人少女。
どうも思いこみが激しさは半端ではないらしい。
ここでラージックが「いや違う」などと言えば彼女は間違いなくラージックを刺すだろう。
「いや違うぞギルモア」
少女の足が止まる。
(そんな、愛し合う二人のあいだにそんな誤解が生まれるはずなんてないわ! これもそうよ! きっとこのオバサンがラージックの弱みを握っているからいけないんだわ! でも過去の対戦成績からしてあたしじゃこの忌々しいニンゲンの魔導師には勝てない。ああ、非力なあたしを許してラージック!)
懐から小刀を取り出すとギルモアはお構いなしにラージックめがけ突きを放った。
「死んで!」
「おいおい! なんでそうなるんだ貴様は!」
「ラージック! この悪魔のような女に騙されているのね! でもあたしじゃこの悪魔を倒すことはできないの! だからいっそあたしの手で……」
「おい! 今はそれどころじゃねえだろうが! 正義のなのもとに村を救う大作戦を決行中だってことをわすれちまったのか!」
ラージックの言葉で少女の手から刃物がこぼれ落ちる。
「そ、そうだったわ! あたしたちは今こそ団結しなきゃいけないのに!」
「ということでギルモア。わたしたちは団結するためにも女神について解る範囲でよいので情報がほしい」
言葉を選んでベルマイアが言い直すとギルモアも首を縦に振る。
「あぐ……女神はあたしたちが守り続けてきたんだけど……本当は封印したってお母様がいってたわ。すべてを無力化し沈黙させる究極の力を秘めてるって。でもその力を使えば大いなる破壊が巻き起こる。だから誰も女神をめざめさせちゃいけない……」
無力化する兵器……ベルマイアは思索する。
形状は解らないが、おそらく魔導による攻撃を防ぐ結界発生装置かなにかなのだろう。
魔導砲を搭載しているゲルマークV世に、もしこの結界が加われば今にもまして脅威となるに違いない。
逆にこの力があれば魔導砲を防ぐことができる。
「その力を使えば大いなる破壊が巻き起こる……か」
独り言のようにベルマイアはつぶやく。
抵抗する力が強くなれば、それをねじ伏せようとする力も増大する。
いずれ両者の力は暴走し、最終的にはお互いを滅ぼすことになる。
おそらくそういうことなのだろう──とベルマイアは少女の言葉から読みとった。
突然先頭を行くラージックの足が止まる。
緩やかな下りはそこから急激に傾斜をきつくしている。
ほぼ九十度に近い、垂直の縦穴にぶつかる。
「時間がないな……二人ともしっかりつかまってんだぞ!」
ラージックの肉体が光に包まれる。
翼をまとった天使の姿に変貌すると青年は二人の手を取って羽ばたく。
「さあ、女神のツラってのを拝ませてもらおうか!」
ラージックが飛び降りると、ベルマイアもギルモアも心の準備などする暇もなく、一気に闇の中へと落ちていった。
◆
パラシュートのように翼が開く。
ゆっくりと重力を中和してラージックが降り立った。
続いてベルマイアとギルモアが着地する。
魔導光がうっすらとだがソレを照らし出していた。
直立する人影。その高さは五十メートル近い。
全体を白い綿のようなもので被われていた。綿はとがっている部分や細い部分を包み込み保持しているようにもみえる。
地下の空間に立つ姿はまさに威風堂々。
両手を胸元で祈るようにあわせ、その表情は柔和でおだやかなものだった。
青いローブのようなドレスに身を包んでいるが、布製ではない。ひらひらと風になびくようなデザインを施されている。
巨大な女神像。
長い髪も服同様に硬質的な素材でつくられていた。
美しさを追求し、人の手で生み出された巨大な偶像である。
完成された美の集大成が三人の前にそびえていた。
「……そうか……そういうことか……ようやく思い出してきたぜ」
ラージックは一人巨像を見上げて納得する。
「ラージック、これがすべてを無効かする女神なのか?」
「ああ、間違いねぇ! これならあの戦艦とだってやり合えるぜ!」
ラージックが翼を羽ばたかせ女神像に触れると、暗闇の中に浮かび上がっていた女神像はゆっくりと瞳を見開いた。
■創天使の名はラージック■
ゲルマークV世のブリッジは一時謎のミミズ&ナメクジ攻撃で沈黙したものの、ようやくその機能を回復させつつあった。
艦長席にかけたままセイシェントは懐中時計を開く。
朝焼けまであと十分ほど。獣人たちに与えた刻限まであとわずかだった。
「中佐……もし彼らが従わなければ?」
「どちらにせよ皆殺しにはしますよ。準備はしておいてくださいね」
副官に笑顔で告げてセイシェントは時計をしまう。
「中佐! さ、さ……」
突然索敵担当が悲鳴をあげた。
「左舷に巨大な……魔導力反応です!」
「どうやら私の期待に応えてくれたようですね。モニターに映してください」
中央のスクリーンに映像が展開する。
滝と湖だった。その湖から水が引いていく。
流れ落ちる滝の水流も停止した。
湖の底がゆっくりと割れる。
「間違いないですね。女神アストラガノンを起動させたんでしょう」
「ば、バカな! 低脳な獣人に魔導機械を操れるわけが」
「しかし目の前で動いているんですから仕方ありません」
副官の言葉を遮ってセイシェントは発令する。
「総員第一級戦闘配備! 主砲発射準備です」
「中佐! まだ魔導砲は出力が安定せず、試射も満足に行っていないような状況で……威力の方も」
「構いません。もし目標が本当にアストラガノンだというのなら、この攻撃を無力化できるでしょう。相手は同じ魔導兵器……最大出力で撃ちなさい」
セイシェントの顔から笑顔が消える。
副官は一度押し黙ってから復唱を開始する。
「了解しました。主砲発射準備! 主動力炉を魔導砲に直結。艦内の動力を副動力炉に切り替え」
号令と同時にブリッジの中を照らす光源が紅い光に変わる。
空中に浮かぶ巨鯨はゆっくりと口を開いた。
巨大な砲身が口の中からせり出してくる。
ゲルマークV世は方向転換し、巨大な魔導力の発生する方角に砲身を向けた。
「エネルギー充電四十パーセント!」
「各部回路異常なし」
「主動力炉臨界まであと百二十秒」
ブリッジの中に言葉が飛び交う。
水のひききった湖から、それはエレベーターに乗ったままゆっくりとせり上がってきた。
瞳を見開いた女神の巨像。
全身を包み込んでいた白い綿が空気に溶け、女神像はゆっくりと両手を降ろす。
清純な乙女のもつ清らかさと美しさ。
いっぺんの曇りない瞳が戦艦を射抜くように見つめていた。
朝焼けがゆっくりと女神像を背中から照らし出す。
その姿はまさに神々しい女神そのものだった。
「充電率百パーセント!」
「目標に変化なし」
「照準固定! いつでもいけます!」
女神像はゆっくりと両手を差し出す。
その顔はまるで生きているように微笑んでいた。
安らかな気持ちを起こさせるような温かい笑顔に兵士達の動きが一瞬止まる。
「主砲発射!」
得体の知れない空気を振り払うようにセイシェントは一喝した。
「主砲、発射します!」
復唱とともに砲撃手が照準を合わせ引き金を引く。
ドゴオオオオオオオオオオオッ!
雷鳴のような轟音が樹海中に鳴り響いた。
空気が振動し空が鳴く。
巨大な光の柱が巨鯨の口から吐き出されると、それはまっすぐに女神の上半身を包み込んだ。
「さあすべてを無力化する力をみせてみなさい!」
セイシェントが立ち上がる。
しかし、光がやむとそこにあったのは女神像ではなく……。
「……な、なぜですか? そんなバカな……そんなはずは……そんなはずではないのに」
女神像の下半身だけがポツリと残されていた。
「目標は沈黙……」
あまりにもあっけない幕切れにブリッジ中の視線が中佐に向き直る。
女神の上半身はものの見事に消し飛び、見る影もない。
「これがすべてを無力化する女神……」
力無くセイシェントは艦長席に腰を下ろす。
「中佐! 非常事態です!」
「なんですか……こんな時に」
「制御システムが破損していたためか、主動力炉が主砲発射の負荷に耐えきれずオーバーロードが発生」
「それで?」
「本艦は……その、浮いているのが精一杯ともうしましょうか。一刻も早く本国に戻らなければ墜落の恐れもあります」
副官の報告にセイシェントは呆然と虚空を見上げる。
「しかたありませんね」
銀髪が風もないのにゆらめく。中佐は立ち上がった。
「中佐どちらへ?」
「ゴミを掃除してきましょう」
冷たい笑みを浮かべるセイシェント。
「本国にはセイシェント中佐は戦死したとでも伝えておいてください。副官であるあなたにすべての権限をゆだねます」
銀色の光がブリッジを包み込む。
「中佐! 中佐ッ!」
セイシェントの言葉の意図が理解できず副官は叫ぶが、光がやむとそこからセイシェントの姿は忽然と消え去っていた。
◆
湖の脇でラージックは首を傾げる。
黒髪にもどった青年は目の前で上半身の消し飛んだ女神に唖然とする。
「なぜだ! なぜ戦艦は攻撃できたッ!」
「いやラージックよ。この女神に魔導結界のような機能はなかったのか?」
ベルマイアの言葉に青年は首を左右させた。
「バカなことを言うな! そんなものがなくともあの美しさを目の当たりにすれば、すべての生物はあまりの神々しさに刃向かうなどという愚かな考えなんざおこさんだろうに!」
「何を言っているのかわたしにはよく理解できないのだが」
「つまりだ! あの女神の美しさはすべての攻撃を寄せ付けない……無力化してしまうもんなんだよ! なのになんでこんな無惨なことになりやがる! 帝国には美的センスってもんがねぇのか!」
黒髪の青年は叫ぶ。
その上を戦艦が黒い煙を吐きながら素通りしていった。
「ニンゲンの船が逃げていくわ! 勝ったのね! あたしたち勝ったんだわ!」
ギルモアが一人興奮気味にまくしたてる。
「たしかにあたしたちは女神様を失った……いえ、あたしたちの胸の中に女神アストラガノン様の魂は生き続けるの!」
相変わらず都合の良い解釈のギルモアにベルマイアはため息も出ない。
破壊の女神アストラガノン──ベルマイアは不意に下半身だけになった女神像を見上げながら率直な感想を述べる。
「つまり……破壊の女神というのは割れ物のように壊れやすい女神という意味だったのかもしれないな。破壊するのではなく、破壊される女神ということか」
ギルモアとベルマイア。二人の視線が青年に降り注いだ。
「女神を作り出したのは天使だったということだが」
魔導師の言葉に青年は首を左右させる。
「お、俺様がそんなくだらないものつくると思うんか?」
二人は同時に頷く。
その二人に割ってはいるように、触手がぴょこんと頭をだした。
「二人ともなに言ってるんですか! ラージックさんのすばらしい思想が理解できないなんてどうかしちゃってるよ!」
どこからわいて出たのか少年は自分の言葉にうんうんと頷いてみせる。
「なんだルシル、貴様生きていたのか?」
「ぼ、ボクはラージックさんのために無茶苦茶がんばったんですよ! さあ約束果たしてください! ボクと一緒に魔族を統合して世界を征服するんです!」
その一言に過敏に反応する少女が一人。両手で顔を覆って、なぜか彼女の周囲だけ白黒反転したような空気が広がっている。
「ラージック! 死んで!」
再度小刀を取り出してギルモアがラージックの懐に飛び込む。
間一髪のタイミングで身体を横にそらす自称正義の味方。
「まさかオバサンだけじゃなく男にまでつきまとわれているなんて……ラージックを救うにはもうこれしか手段がないのね! 死んで! ラージックを殺してあたしも死ぬッ!」
小刀を振り回しながらギルモアはラージックを追いかけ回す。
「べ、ベルマイア! なんとかしてくれ!」
「なんとかするのは構わないが、わたしのお願いを聞いてほしいものだ」
「おお、俺様を頼ってくれるのか! さあ死ぬほど頼って良いのでギルモアを説得してくれないか!」
ベルマイアは少し考える素振りをしてから。
「ギルモア……もしラージックのことを思うならまずはその少年を倒すべきではないか? その少年はなんと魔族な上に悪の力でラージックを洗脳し、自らの奴隷までしようとたくらむ卑劣な存在」
ギルモアの動きがピタリと止まる。
「あぐ、ほ、本当なの?」
「そうなんだよギルモア! もし俺様のことを慕ってくれるってんならその魔族をどうにかしやがれ!」
「ラージックが……ラージックがあたしをたよってくれてる。ようやく二人の気持ちが一つになったのね! うん! あたしがんばる! この卑劣な魔族からラージックを守ってみせるから!」
刃物を振り回しながらルシルを追いかけ回す獣人少女。
悲鳴をあげながら少年は逃げまどう。
「ラージック……わたしにはどうしても倒さなければならない相手ができた」
「倒さなきゃならん相手?」
「セイシェント……あの男だけは許せない。わたしも獣人を野蛮な種族と誤解し、魔族を憎むだけだったからあの男と同じかもしれない。しかし、今は少しだけ違う。獣人も魔族も人間も、きっと分かり合うことができるはず。わたしの父はあの発掘戦艦を封印しようとしてセイシェントに謀殺された」
不意にラージックが空を見上げる。
次第に暗闇が白けていく空の一点を青年はじっと見つめていた。
「聞いているのかラージック?」
「……どうやら向こうからきちまったらしいな」
瞬間、黒ずくめの青年を金色の炎が包み込んだ。
光を集約し翼を生み出す。
炎の中から天使が姿を現すと、ゆっくりと羽ばたく。
ルシルを追いかけていたギルモアもこの変化に視線をラージックに向けた。
追いかけられていた少年も足を止める。
「おいラージック! どこへいくつもりか?」
「今度こそ決着をつけてやるぜ!」
ラージックの見上げた先には、銀色の翼を背に羽ばたく天使の姿が捉えられていた。
「セイシェント……なのか?」
ベルマイアの目に映るもう一人の天使。冷たい光に身を包んだそれは、雲一つない青空にピタリと制止していた。
「ヤツは俺様を制御するためにつくられた破天使だ。だがあんなヤツの言いなりになって、世界を管理しようなんて性にあわねぇんだよ」
「あなたでは私に勝てませんよラージック! 私たちはそうプログラムされているんですからね!」
セイシェントの言葉が空から響く。
「ずっと一人で戦ってきた。だがそのたびヤツに身体をバラバラにされちまった。だが今は違うぜ」
「そうだそうだ! ラージックさんはボクといっしょに魔族を束ねて世界征服するんだぞ!」
「ち、違うわよ! ラージックはギャギャジの族長として世界中の獣人の王様になるの! そしてあたしと熱くスィートな夜を……きゃ、恥ずかしいこと言わせないでよもう!」
好き勝手に主張する二人に便乗するようにベルマイアも付け加える。
「せっかくだから人間も征服してもらいたいものだな。すべての種族の王として二十四時間不眠不休でただ働きしてもらおう」
ベルマイアが小さく笑う。
「おいおいこんな時に冗談は勘弁しやがれ! だいたい世界征服考えるようなヤツは悪人にきまってやがる。俺様は正義の味方だからそういうことはしねぇんだよ!」
視線の先の破天使をラージックはねめつけた。
人間の帝国に入り込み、異種族を滅ぼし、いずれ人間の管理者にでもなろうというのだろう。
「つうわけでちょっくら行って来るわ」
光の翼を大きく羽ばたかせる創天使。
「勝てるのか?」
ベルマイアの瞳には不安の色が浮かんでいた。
「勝つさ。俺様はもう一人じゃないッ! ベルマイア、今度はもっと気楽な旅をしたいな」
「わかった、約束しよう」
魔導師が笑顔で答えると、ラージックは「おう!」と満足げに笑い、光をまとうと流星となって空を走る。
「何度やろうと同じことです!」
銀の光に身を包むとセイシェントも光弾となって飛ぶ。
正面から二つの光はぶつかり合った。
青白い空が純白の光に包まれ、大気が鳴動して大地までも揺らす。
視界を被う金と銀の閃光。
目を開けていられない光の渦が空を塗りつぶしていく。
白い闇の中に二人の天使は浮かんでいた。
金色に身を包むラージック。
白銀をまとうセイシェント。
発している光の色が違うだけで、二人の顔かたちは一卵性双生児のようにほとんど同じだった。
「いい加減にしてください。なぜあなたはプログラムに従わないのですか?」
セイシェントに笑顔はない。冷たい視線でラージックをねめつける。
「貴様にゃわかんねぇのか! 俺達は世界の平和を守るために存在するんだろうが! 世界は誰の所有物でもねぇ! 人間だって魔族だって獣人だって……」
「人間と人外種の共存による平和ですか? あり得ませんね」
セイシェントが銀白色の光を右手に集約した。
光は一振りの長剣となる。
「やってみなけりゃわかんねぇだろ?」
ラージックの手の中で光が踊る。
光の中から生まれたのはアツアツのおしぼりだった。
「やらなくてもわかりますよ」
セイシェントが長剣を構える。
「そんな分からず屋の貴様に天誅ッ!」
おしぼりを投げつけるラージック。だがセイシェントはそれを長剣でまっぷたつにしてみせる。
「こんどは何を出すんですか? あなたの手品では私は倒せませんよ」
ラージックの手の中に生まれるものといえば、おしぼりやスイカ型爆弾といったものばかり……何を出そうとセイシェントにとって脅威にはなり得ない。
「創天使は戦いには向いていないというのに……いい加減学習してほしいものですね」
「それがなんだってんだよ」
「あなたには私を殺すことはできない……いえ、創天使であるあなたは誰も傷つけられない。違いますかラージック?」
長剣をふるうセイシェント。切っ先から発する衝撃波がラージックの胸元を切り裂く。
「さて、どれほど保ちますかね?」
続けざま長剣の衝撃波がラージックめがけ発せられる。
翼を広げ空を舞うようにラージックは回避するが、とぎれることのない衝撃波に少しずつ羽を散らしていく。
全身に紅い筋が浮かび、胸元がはだける。
胸の中央で輝く光球にセイシェントは狙いを定めた。
「ラージック。これが最後通告です。私に忠誠を誓いなさい。創造主亡き今、この世界を導けるのは私だけなんですよ。完全なる創造主によって選ばれた世界の管理者はこの私なのです。無から生み出すことを許されたあなたを……管理できる私こそが新たな神にふさわしい」
「だれがそんなこと決めたんだよ」
「私たちを作り出した創造主に決まっているでしょう?」
セイシェントが銀白色の翼を広げる。
冷たい光をまとった破天使は美しいが、どこか発する光がもの悲しい。
「完全なる存在ってヤツか? だったら聞くが、なんでその完全な創造主は滅んじまったんだ? 完全なら別に滅ぶこともねぇだろう?」
「そ、それは……」
セイシェントの動きが止まる。
「それに完全な創造主が貴様や俺様を作ったなら……なんで俺様はこんなことを考える? 世界を変えたいと思うこの気持ちはいったい誰が俺様にインプットしたっつうんだよ? 完全な存在が俺様を作ったっつうのなら、俺様はなんでプログラムに反発するようにプログラムされちまってるんだ? これは……創造主が望んだことなんじゃねぇのか?」
「あなたのそれは暴走です! あなたが出来損ないだから完全な私が存在しているんです」
セイシェントが羽ばたくと銀の疾風が巻き起こる。急流の木の葉のようにラージックの身体が光のうねりに飲み込まれる。
「まだ刃向かうというのなら……その胸のコアストーンごと塵にしてあげましょう! 二度と再生できなようにね」
銀の疾風の直撃を受けて、ラージックの翼は今にも折れて散ってしまいそうだった。
「さあ、どうします? もう少し思い知ってもらいましょうか?」
セイシェントが羽ばたくと一瞬でラージックとの間合いを詰める。
おもむろに剣を構え、ラージックの右太股に突き刺した。
鈍い手応えとともに剣は太股を貫通し、鮮血がしたたり落ちる。
「人間と同じように血を流し、痛みを感じる不完全な天使……同情しますよ」
破天使は冷笑を浮かべた。
ラージックの太股から強烈な痛みが走る。
セイシェントは手首を返して剣で太股をえぐる。
「強情を張るのはあまりあなたのためではありませんよ」
創天使は答えない。
うつむいたまま全身を震わせている。
「セイシェント……貴様に聞きたいことがある」
ラージックの言葉にセイシェントは小首を傾げた。
「なんです? この期に及んで……命乞いならいくらでもしてくれて構いませんけど」
「ベルマイアの……アイツの父親を……殺したのか?」
「ゲルマーク大佐ですか? ええまあ人間にしては魔導の知識もありましたし、ずいぶんと利用させてもらいましたが……あそこで私の説得を受け入れていれば死なずに済んだというのに」
セイシェントは目を細める。
「貴様が……殺したんだな?」
「試作型の銃の試射にはちょうど良い的でしたよ。自分で発掘した武器で死んだのですから大佐も本望だったでしょう? そうですね、あとで娘の魔導師も処理しておきますか。獣人の村もろとも浄化しておいた方がよさそうですしね」
笑いながらセイシェントは長剣を引き抜いた。
「で、そんなことを聞いてどうすると言うんですか? もう浮いているのもやっとの創天使さん?」
「俺様は……ラージックだ」
ラージックの胸に輝く光球が閃光を放つ。
「なんのつもりですか?」
「俺様達に創造主がいるっていうんなら……この世界の理を破壊することを望んでやがる」
光は創天使の手の中でひとふりの剣を作り出す。
「あなたに武器は作れない……斬れないオモチャの剣ですか?」
「試してみるか?」
すでにボロボロの肉体を引きずるようなラージック。だがその瞳は死んでいない。射抜くようにセイシェントを見つめている。
「いいでしょう! そこまで言うなら四肢をバラバラにしてからコアストーンを粉砕してあげます!」
再び銀の刃がラージックに襲いかかる。
ガシュウウウウウウゥゥゥゥンッ!
金属がぶつかり合う音と、蒸気のあがるような音が混ざり合い、金と銀の波動が周囲に広がっていく。
ラージックの剣はセイシェントのそれを受け止めていた。
それだけではない。銀の刃がラージックの剣に吸収されていく。
「ば、バカなッ!」
「悪いな……武器を作れないんじゃねぇ……作らなかっただけなんだよ」
セイシェントの剣を吸収してラージックの手の中には虹のような光を放つ長剣が握られていた。
「どんなトリックをつかったかしりませんが……所詮まやかしですッ」
再びセイシェントは白銀光を集めて剣を作り出す。
「遅い……」
ラージックが虹色の剣を振るうと、同時に白銀光を集めていたセイシェントの右腕がちぎれ飛んだ。
「そんな……創天使が攻撃をするなんてあり得ないッ」
「腕がちぎれても……貴様は痛みを感じないんだな」
「う、うるさいッ!」
明らかにセイシェントの口調は動揺している。
左手に光を集めようとした瞬間、またしてもラージックが虹の剣を振るった。
音もなく吹き飛ぶ左腕。腕はそのまま銀の粒子となって虚空に消える。
「な、なぜ武器を……二百年前も……いえ、数千年前からでもあなたは私を……いつでも消せたというのですか!?」
「貴様を説得できなかった……この結果は俺様の責任だよ」
力無くラージックはつぶやく。
「説得?」
「結局俺様もやってることは貴様と同じだ。力で貴様をねじ伏せようとしている」
「何を言っているんですか? わ、私は破天使セイシェント! 世界を管理し創天使を……あなたを制御するためにつくられて……」
言いながらセイシェントの言葉は勢いを失う。
「その記憶だって……誰かに刷り込まれたものじゃないのか?」
「神が私に与えたものです」
認めたくない真実をセイシェントは無意識のうちに遠のけようとしていた。
「貴様は神ってやつをみたことがあるのかよ!」
「それは……」
自分を作り出した者が神だというならば……。セイシェントはそれを認めたくはなかった。だからこそラージックにここまで固執していたのかもしれない。今、セイシェントはそれを自覚しつつある。
「神なんて本当はいないんだよ……いや、貴様が神と思ってるものは……」
「あなたが……ラージック、あなたが私を生み出したというのですか? あなたを殺そうとする存在……あなたを傷つけ滅ぼそうとする存在……それが私だというのに」
ラージックはゆっくりと頷く。
「結局何千年もかけてこれが結果だったとはな。セイシェント……簡単な傷は修復できても、単体で転生するちからの無い貴様を……結局俺様は破壊するしかないのか?」
「私の記憶も、目的も……すべてあなたが? なぜです! なぜ私を……あなたは自分に敵対する者を自らの手で作り出したことになる!」
「……セイシェント……もし貴様がいなければ俺様は迷うことなくこの世界を『制御』しただろうな。世界にも俺様にも必要だったんだよ。貴様の存在があったから、俺様は……」
「……それが『無』への対抗策とでも言いたいのですか? 一つの力、一つの勢力によって染まった世界はいつか腐敗し『無』へとかえる。そう言いたいのですか?」
そのために創天使は自分と対立する存在──破天使を最初に生み出した。
無言の会話が二人の天使の間で瞬時に行われる。
「ラージック。あなたが……この世界の悲しみをすべて生み出した元凶だったのですね」
セイシェントは力無く笑う。
両腕を切り飛ばされ、すでに反撃する気力も失せている。
「全部俺様の責任だ」
「……とんだ道化ですね。私は……。人間だけの世界を作り出せば悲しみの無い世界になる。それが創造主の願いと信じていたのに」
「貴様は……ベルマイアと……父親を手にかけた」
「そうです! 犠牲を最小限に抑えただけですよ! だれも傷つかずに平穏な世界を手に入れようなんて都合が良すぎるじゃありませんか?」
ラージックは虹の剣を構えなおす。
「そうかもしれないな」
「魔族を生み出したあなたのせいで、多くの人間が傷つき死んでいった。多くの魔族が傷つき死んでいった! あなたの生み出した悲しみと私の行いに差があるとでも言うんですか?」
「そうだ」
「あなたも私と同罪……いえ、私などよりも遙かに重い罪を背負っている」
「断罪されるべきは俺様だろう」
ラージックは剣を突きに構え、ボロボロになった翼を羽ばたかせる。
「……すでに俺様たち天使の役目は……おわっちまってるのかもしれねぇな」
瞬間、セイシェントの胸を虹の剣が深々と貫いた。
「こんな形でしか決着つけられなかった……最低だな俺様は」
傷口からセイシェントの肉体が銀の粒子に変換されていく。
痛みを感じることのない破天使の頬を、涙の粒が流れていた。
ゆっくりと剣を引き抜くと破天使の肉体は光を発してゆっくりと空気に溶けていく。
「必要といって生み出しておいて……あなたは私を消すんですね」
「すまねぇな……セイシェント」
ラージックの全身が細かく震えていた。
無力な自分に対する憤りから、ラージックの頬に涙の筋が伝う。
「俺様は……貴様を救えなかった。守るために……貴様という世界の敵を作りだしちまったんだ」
「あなたは……それでもこの数千年間……私に呼びかけ続けてきた。こうなることを……望んでなど……いなかったのでしょう?」
冷淡な言葉を続けたセイシェントが、光の中で小さく微笑んだようにみえた。
銀の翼が散る。
そこから破天使の姿は消え、白い闇の中に創天使は取り残された。
(──力……使いすぎちまったな)
虹の剣を手放すと、それは羽の一枚になって空に舞った。
意識が遠のき始めると、ラージックの胸の光球が閃光を発する。
(そうだ……また……眠りの時が……きちまった)
光はラージックを包み込み、白い闇を上空へと運んでいった。
◆
鳴動が収まり、ベルマイアがゆっくりと目を開く。
雲一つない空に鳥の羽が雪のように舞っていた。
金と銀の羽毛のようなそれは、次第に空気に溶けて消えていく。
二人の天使の姿はない。
ただ空に一筋、光が登っていく光景だけが魔導師の目に映る。
「ラージック!」
ベルマイアが叫ぶと、羽の一枚がゆっくりと魔導師の手の中に落ちる。
雪のように溶けてしまう他の羽とちがい、それはしっかりと重さのあるものだった。
不思議な……虹のような光を発している。
一陣の風が他の光の羽を空高くさらっていく。
「あーあ、またいっちゃったか」
声は少年のものだった。
ルシルがふてくされたように光の筋を見上げている。
「どういうことか?」
「二百年前にも似たようなことがあったんだけどね……ああやってまた衝突しちゃうと天使って記憶の部分が壊れちゃうんだ。探して思い出させないといけないし面倒なんだよなぁ」
少年はあくびを一つ。
「今度は何千年後か何百年後か……もしかしたら何ヶ月後かもしれないけど」
その脇で獣人少女が空をぼんやり眺めている。
「ラージックが、ラージックが光に……そんなの嫌! こんな若さで未亡人なんてあたし……あたし寂しくて夜も眠れず昼寝しちゃうわ!」
ギルモアはその場で泣き崩れてしまった。
「さてと……そろそろ過激派の連中に圧力かけないとね」
少年は触角を揺らすと呪文を唱える。
「あ、ベルマイアさんだっけ。その羽売ったらお金になると思うよ」
言い残すとルシルの姿は空気に溶けていった。
獣人少女と魔導師がからっぽになった湖の脇にぽつんと取り残される。
空は吸い込まれるように蒼い。
風が吹き抜けていくなかでベルマイアはこれからどうしようかと羽を手に空を見上げていた。
エピローグ
ガザックのバウンティーズギルドは相変わらず閑古鳥が鳴いていた。
一週間後れの新聞に店主は視線を這わせる。
「なになに、セイシェント中佐が失踪? 第七部隊及び発掘調査隊はしばらく活動停止か。しかもゲルマークV世ってのは見た目だけでまともにうごかんときたもんだ。ああ、セイシェント中佐の責任逃れってやつなんかねぇ。……えーと、次はっと、天使の羽がオークションで二億。どうせニセモノにきまってますわな。世の中物好きもいるもんだ……なになに、収益の半分は福祉施設に寄付か。なるほどどうして世の中まだまだ捨てたもんじゃねぇもんですなぁ……ってお客さん何かご用で?」
紅髪の女はカウンターに一枚の手配書を差し出す。その脇には珍しいピンク髪の少女が寄り添うように立っていた。魔導師の方は旅慣れた冒険者の風格があるものの、もう一人はまだ年端もいかない少女である。頭に布をまき帽子のように被っている。
「これを張っておいてもらいたい」
「ほぉ、あんたこの前の……」
手配書を持ってきたのは、一億ゼノの賞金首の話を聞いて飛び出していった女魔導師だった。
「生け捕りにした場合のみ一億ゼノの賞金首になる。クライアントはわたし。この男の名前は……」
女魔導師……ベルマイアが口にしようとした瞬間、突然ギルドのドアに何かが倒れ込んでくる。
「ひ、ひぃ! 中で、中で暴れてるぅ!」
村の男だろうか、巨大な袋に全身すっぽり被われて首だけが露出している。
その袋の表面は十数本の突起が波打ち、中でタコかイカの化け物がもんどりうっているというのは容易に想像がついた。
意外なほど早いというか、まるで待ち伏せでもされているようにベルマイアは錯覚した。
「オバサン! ラージックの匂いがするわ!」
ピンク髪の少女が鼻をくんくんとさせる。
ポカッ!
「あぐッ! 痛いよ」
「オバサンではない。正義の戦士ベルマイアと呼ぶように」
頭をさする少女に言い聞かせる女魔導師。
(約束を守らなければな……)
気楽な旅……それも悪くはない。
ベルマイアは意を決するとギルドの扉を開く。
その先に黒髪の青年の姿を思い描いて。
おわり
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