回想録
 俺とあいつはその日、仮設の宿舎の外で話をしていた。
「なあ萱野。俺達、勝てると思うか?」
 天下分け目の大決戦。そんな戦を明日に控えた日、あいつは愚かにもそんな事を尋ねて来やがった。
 図体はでけえくせに、妙なところだけ心配性な奴だ。
「馬鹿かお前? ここを守り通せば敵の首都へ攻め込む足場が出来る。それだけにここに配置された味方の数も半端じゃねえ。これで負けたらお前、あの世で待ってる如月と篠島に申し訳ねえだろ」
 如月高雄、篠島宏三。二人とも俺達の戦友で、親友だった。つい先月、ここを攻め落とす時に敵の機関銃に殺られて、今じゃ本国の家族の元に一足早く戻ってる。
 幸か不幸か、俺とこいつ、金成結城だけが生き残っちまった。俺は今度の戦はあの二人の弔い合戦だと意気込んでたのに、「明日勝てると思うか?」なんて、こいつと一緒に五年間戦ってきた自分が恥ずかしい。
「そうだよな、勝てるよな! いや、不安だったんだよ。小隊でいっつもチーム作って戦ってた俺達なのに、あいつら先に逝っちまうからよ……。寂しくてよ、ちょっと弱気になってたんだけど、そうだよな。ここで泣き言言ったら、あいつらに嫌われるよな!」
 俺の心情も知らずに、金成は一人で自分を励ましてやがった。これでよく今まで生きてこられたもんだ。
 俺は半ば呆れつつ、
「弱気を吹っ飛ばしたんならもう寝ろ。敵が何時攻めてくるかわからねぇんだぞ? 少しでも体力……!」
 そん時だ、警報がけたたましく鳴りやがったのは――
「畜生! あいつら、夜襲してきやがったな?」
 俺がそう叫んだのとほぼ同時に、前方の方で何かが爆発する音が聞こえた。俺達の居た所から五キロぐらい先だろうか。どうやらドンパチが始まったらしい。
「おい萱野、急いで準備しようぜ!」
「あ、ああっ!」
 俺は頷くと、急いで戦闘の準備を整え、小隊が集まっている場所へ駆けていった。
「いいか、つい先程第二十九独立混成旅団が敵の夜襲を受けた。軍団長殿は直ちに迎撃命令を発し、前線に赴かれている。我々は第一九歩兵連隊連隊長近藤八一中佐指揮下の元、敵左側面に回り込み突撃する。我々の強さをゲンストライヒの連中に見せてやれ!」
 小隊長が言っていたことはだいたいこんな内容だった。俺達は直ちに移動を開始し、今は敵の左側面、距離にして約一五〇〇メートルの位置にいる。ここまで近くにいるのだから、敵さんもとっくに気付いているだろう。
 俺達は最後の武器点検をして、突撃の号令を待った。
「ん?」
 少し先の方で、何かが薄く輝いている。目を凝らすと、どうやら誰かが軍刀を抜いたらしい。
 それから十秒もしない内に号令が聞こえた。
「着剣! 突っ込めええぇぇぇ!」
 先程の軍刀、どうやら近藤中佐の指揮剣だと思われるが、それが振り下ろされるのと同時に左右に配置されていた機関銃が火を噴く。耳をつんざくような連射音と共に、一足遅れて味方が小銃を乱射しながら敵陣地へ突っ込んで行った。
「俺達も行くぞ!」
「おおっ!」
 俺と金成も他の奴等に続いて、いや、他の奴等よりも先に乗り込んでやろうと全速力で走った。
 距離を半分ぐらいまで縮めたとき、チカッ、チカッと前方が光ったと思うと、今まで眠っていた敵さんの機関銃が火を噴いてきた。
「伏せろッ!」
 前に居た奴の掛け声が一秒でも遅れていたなら、俺も金成も今頃生きては居ないだろう。
 俺達はその場に伏せて、歩伏前進で移動を開始した。周りには敵の機関銃弾にやられた仲間の死体が転がっている。
「さっきは助かった。有り難う」
 俺が先程の奴に声を掛けると、そいつは照れ臭そうに頭を掻いた。
「そんな、当然のことをしたまでですよ。誰だって、無駄死にだけはしたくないでしょうから」
 もっともだと頷くと、俺はそいつの横に並んだ。
「お前の名は?」
「私は須藤菊次朗って言います。そういう貴方達は?」
「俺は萱野慎一郎。こっちは金成結城だ」
 金成は、よっ! と言う風に手を軽く上げた。
「そうですか……。ここで会ったのも何かの縁、どうです、私が敵陣地の方に向けて五二式手榴弾を擲弾します。敵機関銃が沈黙したら、貴方達が他の方達を先導して敵陣地に突撃して下さい」
 ここから敵陣地まで約五、六〇〇メートル。確かに五二式手榴弾を五式重擲弾筒で打ち出せば十分届く距離だ。しかし、それには上体を起こし、屈まなければならない。ただでさえ敵機関銃から近い距離だ。もしそんなことをしたらすぐさま射殺されることは目に見えている。
「おい須藤、そんな事したら……」
 俺はそこで言葉を止めた。「無駄死にだけは――」つい先程須藤が言ったことだ。このままでもっと甚大な被害が我々に及ぶ。それを防ぐためには、一刻も早く敵機関銃を沈黙させなければならない。
 須藤の瞳は、強い決意に満ちていた。
 俺と金成は無言で須藤に敬礼を送った。
「我が国に弥栄あれ」
 そういった須藤の表情は、あいつが生きてきた中で一番輝いた笑顔だったと思う。
 須藤は左手に持っていた擲弾筒に五二式手榴弾を入れると、急いで上体を起こして擲弾筒を構えた。
 慎重に狙いを定めて、発射した。それと同時に、血の華が俺のすぐ横で咲く。
 須藤の肩に、胸に、頭に銃弾が当たっていく。さながら、スローモーションのように。 隣に須藤の亡骸が倒れ伏すのを見ながら、俺は強く祈った。
 あいつの命が詰まった手榴弾、どうか外れてくれるなよ!
 一秒が一分にも、一時間にも、一日にも感じられた。
 轟音と共に、前方が爆発した。それと同時に、先程から我々を撃ち殺そうとしていた機関銃の連射音が嘘のように止んだ。
「よし!」
 俺と金成は勢いよく体を起こした。俺は腰に差していた軍刀を抜刀し、高々と上に振り上げた。
 今敵は先程の爆発によって発生した粉塵によってこちら側が見えないはず。それに、機関銃も大破しているはずだ。
 須藤の命によって作られた、絶好の機会!
 俺は、高々と振り上げた軍刀を振り下ろすし大声で叫んだ。
「勝機は我等にあり。全員突撃いいいぃぃぃ!」
 地を揺るがすような咆哮と共に、幾百、幾千の味方の兵士達が突撃を開始した。
 これが一時の勝利でしかないのに、今正に完全勝利を得たように皆は大声で歌った。

 遠き異国の地を踏んで
 今大義のため国のため命を捨てよう
 個々の想いを抱きつつ今命を捨てよう
 勝機は我等にあり!
 今こそ戦友の屍を踏み敵陣突撃
 死して会おうぞ常世の庭で
 桜見ながら戦話
 戦友倒れる中なれど我等は進む
 勝機は我等にあり!
 悔いの残らぬ生き様を見せて散ろうぞ戦友よ
 生きて会おうと言いはせぬ
 今共に進もうぞ
 命預けた戦友と
 兄弟仲の戦友と
 勝機は我等にあり!
 勝機は我等にあり!
 いざ命預けた戦友と

「うおりゃああ!」
 俺は粉塵をかき分け、見つけた敵兵に力の限り軍刀を振るった。
 味方撃ちを避けるため味方陣地の機関銃部隊も銃撃を止めている。
 小銃や軽機関銃の連射音と、敵か味方かわからない絶叫が場を満たしていた。
 幾任もの敵を斬り殺した頃、ふと後方から聞き覚えのある叫び声が聞こえた。
「金成?」
 俺が振り返った先には、敵の弾を喰らった神成が今倒れようとしている光景が映った。「てんめえええぇぇぇぇ!」
 そこから先はよく憶えていない。俺が激昂して金成を撃った奴に一太刀入れるところまでは憶えているが、次に映ったのは俺が金成を抱き起こしているときからだ。
 金成が喰らった弾は三発。いずれも貫通しているが当たり所が悪い。多量な出血をしているため、金成の目はもう焦点があっていない。
 ……死ぬのは、時間の問題だろう。
「金成! 金成! 死ぬな! お前故郷に許嫁がいるんだろう? 今死んだら如月達に笑われんだろ? 死ぬな! 死ぬな!」
 俺夢中になって叫んだ。無駄だとわかっていても、急いで止血を試みた。
「クソッ! 血が、血が止まらねぇ……」
 急いで止血をしたが、それでも血は止まらず、止血したところから血が滲み出てくる。
「……なぁ萱野……」
 俺はハッと顔を上げ、自分の手首を凝視した。
 金成が、血塗れの手で俺の手首を掴んでいた。
「萱野……俺が死んだことちゃんと香織に伝えてくれよ? だからな、それ伝えるまで死んじゃ駄目だぞ……」
 金成は、そういって笑った。
「金成……。……何言ってんだよ? 大丈夫だって、助かるって」
 何で死ぬ奴って、こんなにも綺麗な笑顔が出来るんだろう。どうしてそれを見届けるのが俺でなきゃいけないんだろう。
「早く……行け」
「出来ねえよっ! お前置いて……」
 俺は泣いてたと思う。きっと、凄げえ情けない顔して。
 そんな情けねえ俺を、あいつは叱るように怒鳴った。何度も咳き込んで、血を吐きながら。
「いいから行け! いつも俺を怒鳴ってるお前は何処行ったんだよ? お前は萱野慎一郎だろ? めそめそ泣き言言うのは俺の役目だ。こんな事してると、お前まで死んじまう」
「だからって……!」
 俺の眉間に、金成の拳銃が突きつけられていた。
「いいから、行けえええぇぇぇぇ!」
 金成は、最後の力を振り絞って叫んだ。
 俺は金成の迫力に押されて、その場を離れた。きっと、俺があのときまだぐずぐずしていたら、金成は俺のことを撃っていただろう。
 それから俺は鬼神のごとく戦った。敵兵を斬っては捨て斬っては捨て、何人殺したかなんて憶えちゃいない。
 その戦闘で勝利を収めた我が軍は、それから二ヶ月後敵の首都を占領。見事勝利を収めた。尊い犠牲と引き替えに。
 それから五十年後。
「今じゃ俺も七〇の年寄りだよ、金成、如月、篠島」
 ここはあのときの英霊が眠る墓地。あの戦争が終わって、結局俺だけあぶれちまった。「結局、仏様がお前の願いが叶うまで俺を死なせなかったのかね。なあ、金成」
 戦争が終わって、俺は三人の戦死を家族の元へ伝えに行った。
 全員死亡通知が来てはいたが、三人の形見や遺言は俺しか知らない。
 やはり金成の許嫁、九条香織が一番嘆いていたと思う。死亡通知が来てもう一ヶ月以上経っていたはずなのに、俺が行ったときもまだ金成の死を悲しんでいた。
「半身が引き千切られたみたい」
 そうぼんやり語っていた。今でも独身を守り続け、「私はあの人のものだから」と笑っている。
「手前は果報者だよ、金成」
 三人の墓にそれぞれ生前一番好きだだった物を添えて、俺は墓地を後にした。
 俺の身体も病魔に蝕まれて、後一年の命だと医者が言っていた。やっと俺もあいつらの場所に行くらしい。嬉しいのやら、悲しいのやら。
「遠く異国の地を踏んで
 今大義のため国のため命を捨てよう
 個々の想いを抱きつつ今命を捨てよう
 勝機は我等にあり!
 今こそ戦友の屍を踏み敵陣突撃
 死して会おうぞ常世の庭で
 桜見ながら戦話
 戦友倒れる中なれど我等は進む
 勝機は我等にあり!
 悔いの残らぬ生き様を見せて散ろうぞ戦友よ
 生きて会おうと言いわせぬ
 今共に進もうぞ
 命預けた戦友と
 兄弟仲の戦友と
 勝機は我等にあり!
 勝機は我等にあり!
 いざ共に戦友と」
 あの曲を口ずさみながら、俺は一瞬だけ墓地を振り返った。
 あの日あのときの若々しい姿で、あいつらが酒を飲み交わしているように見えたのは決して錯覚ではないと思う。
「後一年、待っててくれ」



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