「サイバーパンクはロマンティック――古橋秀之『ブラッドジャケット』」

海燕です。いくらなんでもたまには書評もアップしなきゃまずいだろ、というネットの神の声(悪魔の囁きとか、毒電波も云う)がどこからともなく聞こえてきたので、最近読んで面白かったブラジャケ(いきなり略称)の解説とか行きます。前回の書評と文体全然ちがうけど、まあいいっしょ(いくない?)。この作品について詳しく知りたい方は教授の書評を読んでください。僕のは補足ということでよろしく。

で、古橋秀之『ブラッドジャケット』。この作品、第2回の電撃ゲーム小説大賞でみごと大賞を受賞した前作『ブラックロッド』の続編にあたるのですが、それと内容的な繋がりは薄いし、はっきり云ってこっちのほうが面白いので、古橋未経験者はこちらから入るのが吉かと思われます。よくわからない用語が説明なしでぽんぽん出て来たりしますが、ま、サイバーパンクってそういうものじゃん、みたいな、という感じで読んでいけば問題ないかと。わけわからなくても別に気にする必要はないでしょう。僕なんかいまでも『ニューロマンサー』完全に理解できていないぞ、みたいな。

作品の舞台は前作と同じ積層都市ケイオス・ヘキサ。科学と魔法が入り混じったこの退廃の都で、血と背徳の物語は幕を開けます。主人公アーヴィング・ナイトウォーカーは悪夢的な舞台設定に似つかわしくない純朴な青年で、物語冒頭からたあいもない美人局にひっかかったりして読者を心配させてくれます。このいかにもたよりない青年――というかほとんど少年――が、いかにして伝説の対吸血鬼専門殲滅部隊「ブラッドジャケット」の恐るべきリーダーへと変貌するのか、変貌してしまうのか、というのがこの小説の筋なわけです。

血と薔薇と硝煙の芳香ただよう暗いロマンティシズムの物語。ゴシックロマンス的浪漫主義とサイバーパンク的SFガジェットとTVゲーム的幻想描写が混ざり合い、独特としか云いようのない世界観を生み出している作品です。ただ、ポップなファンタジーと現代ものとをくっつけちゃえ、みたいなアイディアというのはこれまでも実はけっこうあったわけで(富士見ファンタジアの『銃と魔法』とかね。これも面白いのだが)、それ自体はそれほど独創的なものではない。この作品がそれ系の凡庸な作品群と一線を画す傑作になっているとすれば、それは作者の描写力と、そして物語そのものの魅力のおかげでしょう。この小説、サイバーパンクらしくもなくお話として充分以上に面白いのです。

そもそも、サイバーパンク小説というものは、まあ、1984年に発表されたウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』によって既に頂点を極められてしまった表現ムーヴメントなわけです。だれも、ギブスン本人でさえも、この作品を越えることはできないし、正気の作家だったら越えようとも思わないでしょう。サイバーパンクといえば『ニューロマンサー』、『ニューロマンサー』と云えばサイバーパンク。当時ヒューゴー、ネヴュラの両賞をはじめとしてSF界のあらゆる賞を独占したこの超絶的歴史的傑作は、サイバーパンクというもののありうるべきひとつの理想をただ1作で完成させてしまいました。それではその後のサイバーパンクはどうなったかというと、

1.『ニューロマンサー』以上に情報密度をあげ、そしてその情報を扱う手法をさらに洗練させる(例 ウィリアム・ギブスン『カウント・ゼロ』、士郎正宗『攻殻機動隊』)。

2.その時代の最先端の社会風俗を取り入れ、それを知的に分析解体してスタイリッシュに描写する(例 ウィリアム・ギブスン『ヴァーチャル・ライト』『あいどる』)。

3.情報の濃さはそのままにギャグにしてしまう(ニール・スティーブンスン『スノウクラッシュ』)。

などという手法を用いて時代の半歩先を行こうとしているわけなのですが、ブラジャケの方法論というのはこの三つのいずれとも異質です。ギブスンらが時代とともにあることを最優先命題として時代遅れのSFとは異質な先端的世界観を築き上げようとしているのに対し、古橋秀之はサイバーパンクそのものをゴシック・ロマンスなどと同等な過去の遺物とみなしていかにも古典的な物語ロマンティシズムの背景となさしめようとしていると云ってもいい。

かつて、ほんの十数年前、確かに時代の最先端だったサイバーパンクの世界観は、今日すでにドラキュラ公が闊歩し切り裂きジャックが暗躍したあの霧のロンドンに匹敵するほど古臭い舞台設定でしかない、というクールでシニカルな認識。これがこの物語のレベルを普遍的な領域にまで高めている。『ブラッドジャケット』の描く悲劇は、世代のエッジをいくものではなく、かつて百万回も繰り返されてきたありふれた悲劇にすぎないかもしれない。だがそれでも僕たちは楽園を追放されたアーヴィーとミラの物語に涙することができる。まさにそれこそが物語の力であり、不世出の天才作家ギブスンがついに手にすることができない(たぶん手にしたいとも思っていない)ものなのだろうと思います。

いつかどこかであなたが咲き誇る赤い薔薇の花をみつけたとき、ひと組の結ばれざる恋人たちのことを思い出すことがあれば、それだけでこの小説は成功していると云えるのだということ。真に偉大な物語は定命の人の限界を越え永遠を手にすることができるのだということ。

ただね、これだけ魅力的な物語設定とガジェットとキャラクターを創ったんだから、僕としてはもっといっぱい文章を使って長々と詳細に描写してほしかったですね。これじゃあもったいないお化けがでるじょ。いやこういうのが凡人の発想なんだろうけどさ。



トップへ。