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第一章
朝の湿り気を含んだ土の上を、一台の馬車が駆けていた。
帝国西部、キャグニーのはずれ。新しい轍が、街道と平行して森の中をはしる裏道に刻まれていく。
陽はまだ浅く、周囲には薄靄がかかっている。
馬車の中には、一人の少女の姿があった。
若干くすんだ金髪を腰まで伸ばし、上等な生地でできた服で身を飾っている。明るい茶色の瞳が見る者の目を引いた。
その少女を囲むように、三人の男が座っている。
少女の隣にいる男は、精悍な顔つきをしており若々しさと活力に満ちている。それでいて表情は険しくなく、口もとに柔らかな笑みを浮かべている。腰には剣を差していた。
少女の向かいには男が二人。彼らも帯剣していた。少女の隣の男よりも年上のようだ。
朝の森は、しっとりとした空気に満ちている。鳥のさえずる声が、道を挟んで交わされている。
――はぁ。
流れていく森の木々を見つめながら、少女は大きな溜め息をついた。
――あっちに戻ったら、また父さまの相手をしなきゃならないのね。いくらわたしが一人娘だからって、あんなにしてくれなくてもいいのに。
少女――ルフィル=トリーストは、先月一六になったばかりだった。父親に嫌悪感を抱いたりして、いかにも年ごろの女の子といった感じだ。
しかし彼女は、そこらにいる普通の少女ではなかった。
なぜなら……
「ルフィル様。帝都に帰られましたら、また陛下にうるさくされると思ってうんざりなさってるんでしょう?」
ルフィルの隣に座る衛士長が、そんなことを訊いてきた。
「やっぱりわかる?」
「それはもう。帝都におりました二年前までは、ずいぶんと拝見致しておりましたから。でもあれも、陛下なりの愛情表現なんですからね。露骨に嫌がってはいけませんよ」
冗談めいた口調ながら、釘を差すのも忘れない。この男、帝国の長い歴史の中でも史上五番目の若さで衛士長に任ぜられたのだが、このあたりはさすがというところだろう。
「わかってるわよ。頭ではね。でもわかってても、できないことってあるでしょ?」
そう、ルフィルは父の行動が自分を思ってのことであるぐらい、ちゃんとわかっているのである。
わかっているのであるが、鬱陶しいものは鬱陶しい。
……そもそもの始まりは、皇帝である父がルフィルの存在を世間に公表しなかったことにある。
帝国の力は、二〇〇年前のお家騒動以来、かつての栄華が嘘のようにすっかり衰えてしまった。
各地の領主は形式的には皇家の支配下に入っているが、各領の実態は彼らの専制支配になっている。皇家の意向など、入り込む余地はまったくない。領境を巡って勝手に戦争が勃発することさえ、今では珍しくもない。
ところが、皇家の威光も一般の人々にはまだまだ通用するらしい。
帝国は一〇〇〇年以上も続いているわけで、人々の心の中に『帝国』というものが染みついてしまっているんだろう。
となれば、そこに領主たちが目をつけないはずがない。
実際これまでにも、父の従兄弟がさらわれて幽閉されたり、私は一〇代前の皇帝の隠し子の子孫だとかいう、わけのわからない者まで出てきたりしている状態だ。
それぐらい、どの領主も皇家を利用したがっているのだ。
父は、自分の娘がそういう危険な目に合うことを恐れたんだろう。恐れた末の答えが、非公表というわけである。
しかし、それがルフィルの生活をすごく窮屈なものにしてしまっている。
外出はもちろん禁止。知らない人間と話すことも禁止。おまけに父は子離れできてないから、一日中行動を監視するような真似までしてくる。
本当に退屈で不自由で、このまま自分は死んでしまうのだろうかと考えては、絶望的な気分に陥っていた。
ところが二年前のある日、父はルフィルにキャグニー行きを勧めてきた。
あそこは遠いから、領主たちにお前のことを感づかれにくいだろう――父はそんなことを理由として言った。
キャグニーは帝国西端にある町で、帝都の周囲以外では数少ない皇家直轄領だ。西域貿易の拠点で、人口も多い。
ルフィルは渡りに船とばかり、その話に乗った。帝都を生まれて初めて離れる不安はあったが、父と離れられることの嬉しさの方が強かった。
しかし、この案は父の単なるその場の思いつきだったらしい。自分が子離れできない人間であることを、まったく考えていなかったのだ。
父は何度も、自分に帰宮要求の手紙を送ってきた。あんまりしつこいので、一度『もう手紙を寄越さないで』という内容の手紙を書いたが、かえって逆効果だった。
キャグニーでの生活は、本当に素晴らしいものだった。
父がいない気楽さも手伝って、ルフィルはかなり大胆な行動――例えば、衛士や侍女の目を盗んで、ちょくちょく屋敷を脱走して外へ遊びにいったりした。
キャグニーの市は、ルフィルをいつも驚かせた。
見たこともない果物、嗅いだことのない香りのする花、味わったことのない香辛料、着たことのない布地……西域から渡ってきた品のどれもこれもが、ルフィルには魅力的に映った。
そんなキャグニーでの生活も、終止符が打たれることになった。
キャグニーのすぐ近くで、もうすぐ内乱があるかもしれないという情報が伝わってきたのだ。
そこの領主はひどい悪政で有名だったから納得はできたのだが、それはともかく内乱がキャグニーに飛び火する可能性は高い。
ルフィルは帝都に帰ることにした。
思えばこの戦乱の時代、二年間に一度もキャグニーの周りで争いごとがなかったのは、まったく奇跡的なことだったのかもしれない。
そんなわけで、馬車はキャグニーを発ったのだが、今、街道ではなく裏道を通っている。
というのも、昨晩、衛士長がこんなことを言い出したからだ。
――街道は人目につきますから、裏道を通りましょう。
なんでもこのあたりは盗賊の襲撃が多く、衛士長としては万全を期したいらしい。
――ひゃっ!
突然馬車が大きく跳ね、ルフィルの体が一瞬持ち上がった。
裏道は街道と違って舗装されておらず、こんな振動がしょっちゅうあった。
「ねえ。いつまでこんながたがた道、走らないといけないの?」
「そうですね。昼までには抜けられます――よっ」
言ってる端から、また馬車は揺れた。
出発から一時間もしたころ。
すでにキャグニーの町並みは見えなくなり、近くに人の住む雰囲気もなさそうだった。
「……退屈だわ。行けども行けども木しかないんだもの」
道の両脇には、薄暗い森が茂っている。窓から見える眺めに、木や草以外のものは何も見あたらない。
町の中では嗅いだことのない匂いが満ちていて、その慣れない匂いも、ルフィルを不機嫌にするには充分だった。
――はぁ。
また、溜め息が漏れた。
そのとき、馬車が大きく左右に揺れた。
「ちょっ、な、何なの!?」
思わずルフィルは壁に手をつく。馬の鳴き声が聞こえた。
危うく横転しかかったあと、馬車はそのままそこで止まってしまった。
急いで衛士長が窓から首を出して、前の様子を窺う。
「くっ、なんでこんなところに……」
衛士長が珍しく舌打ちした。
「どうしたの?」
ルフィルは不安の色を隠せない。
「盗賊の襲撃です。ルフィル様はここで待っていて下さい!」
衛士長はそう言って外へ飛び出していった。他の護衛の者もそれに続く。
ルフィルはそっと、外の様子を覗いてみた。
抜刀した衛士長たちが、数人の男たちと対峙している。初めて盗賊なるものを見るのだが、おそらくあれらがそうなんだろう。
盗賊は皆、肌の汚さの割にはいいものを着ていたが、その着こなしは酷く、まるで猿に高い服を着せたような感じだった。
素人目に見ても、状況は不利に思えた。
人数に差がありすぎる。あっちは十人弱、こっちは三人ぽっちだ。
盗賊たちの方から斬りかかってきて、戦闘が始まった。
鼻の大きな護衛の男が、まずやられた。首を掻っ斬られて気を失って倒れ、盗賊に足蹴にされて道の脇まで転がっていった。
続いて、目の細い護衛が悲鳴をあげた。左腕を肩から斬り落とされ、気がおかしくなりかけたところへさらに右足首を斬られた。そのまま仰向けに倒れる。切り口から泉のように血を溢れさせている。
盗賊たちは、戦い慣れていた。こっちだって決して弱いわけではないと思うのだが――地の利や実戦経験の差なのだろうか。衛士というのは前線で戦うわけではないので、実際の戦闘経験が一般兵と比べて乏しいのである。
「くそっ!」
毒づいて、改めて剣を構え直したとき――衛士長は後ろから羽交い絞めにされた。
「な、この、離せ――ひ、卑怯だぞ!」
その言葉に、無精髭を生やした盗賊は楽しそうに顔を歪める。
「盗賊に説教する気か? 笑わせないでくれよ」
そして「やれ」と首で合図を送った。
衛士長の腹を、二本の剣が刺し貫いた。
――!!
ルフィルは恐ろしさのあまり、声をあげられなかった。衛士長の叫びが耳に残る。
地面に倒れた衛士長の下から、赤黒い血がじわじわと染み出ている。
全員やられてしまった。向こうは軽いケガ人はいるが、皆無事だ。
……歯の根が合わなくなっていた。胸の鼓動が早まり、急に寒気がしてくる。
「おい、中に女がいただろう。つれて来い」
髭男の言葉で、鼓動はさらに早くなった。
ほどなくして盗賊は馬車の中に上がりこんできて、ルフィルはすぐに後ろ手に縛られ、荷物と一緒に引っ張り出された。
「ほう、なかなかいい素材だな。二、三年後が楽しみだ。これから仕事に行こうかってときにたまたま出会った馬車から、こういう掘り出し物があったりするもんなんだな。運がいい」
髭男は、ルフィルの全身を舐め回すように見てきた。思わずルフィルは顔を背ける。
すぐ近くに、衛士長がうつ伏せで倒れていた。体の下の血溜まりは今も面積を広げている。
他の二人は、少し離れたところにいた。二人ともおびただしい量の血を流している。
馬車の前の方では、御者と馬が無残な姿を晒していた。
ルフィルは充満する血の臭いに吐き気を覚えるが、何とかそれを飲み込む。
――ひょっとしたら、まだ息があるかもしれない。でも……
この状況ではどうすることもできない。下手に動けば、自分の命も無事ではないだろう。
「売ったら、結構な金になるかもなぁ。お前」
値踏みするような目つきで、男はルフィルを見つめている。
男は髭の長さも揃っておらず、肩にかかる長髪には清潔感のかけらもない。
それに、ものすごく臭ってきた。自分の鼻をつまみたくなったが、なんとか我慢する。
「な、何よ」
懸命に虚勢を張ろうとしたルフィルだったが、いかにも怯えています、という声になってしまい、逆に焦った。
こういう相手には、自分が弱いというところを見せてはならない。相手は必ず、そこにつけこんでくるのだ。
もちろん、過度に強硬な態度を取れば、相手の怒りを買って殺されかねないだろう。
かといって、極度に従順な態度で命乞いをするのは、ルフィルは嫌だった。
「おい、さっさと連れていけ」
さっきから盗賊たちを仕切っている髭男がそう命じると、縄ごとルフィルは引っ張られた。どうやらこの男が一番偉いらしい。
「ちょ、ちょっとやめてよ。わたしをどうするつもり!?」
今度はさっきよりも強い調子で言えた。
「ん? そんなもん決まってんだろ。娼館に売っ払うんだよ。お前、見た目は悪く無いから、結構稼げるかもな。ガハハ」
髭男はそう言って、品のない声で笑った。
「それともあれか。まだ男を知らないから、そういう仕事をしていけるのかどうか怖いのか?」
髭男はそう言い足して近づいてくると、ルフィルの腰まである金髪を汚らしい指で愛しそうにすくった。ややくすんでいる自分の髪が、陽の光を受けて鈍く輝く。
「ひっ――」
ルフィルの全身の毛が逆立った。
「何も怖がるこたぁない。なんなら、ここで俺がお前に『男』を教えてやろうか?」
今までルフィルはいろんな表情を見てきたが、このときの男の目つきほど下卑たものを見たことはなかった。
「誰があなたなんかに――きゃっ」
かなり生理的な嫌悪も含まれた反抗的な言葉の途中で、ルフィルは襟首を掴まれた。髭男のそばに引き寄せられる。先ほどまでのいやらしい表情はすでになく、額に皺を寄せた怒りの形相に変わっている。
「お前自分の立場わかってるのか? ああ?」
髭男は力任せにルフィルを木の幹に押しつけ、顔を目一杯近づけてきた。髭男の息の臭さと体臭に、気分が悪くなる。
「それとも、立場も俺に教えてもらわないとわからねぇってか? なら今から教えてやろうじゃねぇか」
髭男は腰から下げた短刀を鞘から抜いた。短刀は刃こぼれひとつなく、よく手入れされているのがわかる。
それをルフィルの襟元へもってきた。
「素直になれよ。でねえとこれからの生活でも苦労するぜぇ」
再び下卑た表情に戻った髭男はその顔をさらにこちらに近づけ、ルフィルの首筋を何かの線をなぞるように舌の先で舐めた。同時に左手でルフィルの胸をまさぐりながら、右手に握った短刀を胸の方へ下ろしていく。
白い肌が、胸元にできていく切れ目からあらわになる。
――悔しかった。
怖さもあったが、それよりも自分に対する無力感があった。自分が無力であると思い知らされることが辛かった。
ルフィルは堪えきれず、思わず涙が頬に筋を作った。
ぎあっ
最初は何の音かわからなかった。
髭男が短刀を引っ込め、音のした背後を振り返る。他の盗賊たちも一斉に剣を抜き放った。
ルフィルはすかさず襟元に手をやる。切れ目は幸い、ギリギリのところで止まっていた。
ルフィル以外の全員の視線がある一点に集まっているが、ここからでは髭男の体の陰になって見えない。
髭男が側を離れてようやく、ルフィルはいったい何が起こったのかを理解した。
盗賊が一人、斬られたのだ。斬られた盗賊はうつ伏せで倒れていて、背中の傷口からは今も血があふれている。さっきの音は、彼の悲鳴だったのだろう。
その横に、赤く染まった剣を持つ男がいた。
背が高く、髪は黒く短い。背の高さの割りには痩せている。いかにも研ぎ澄まされた体といった感じだ。
旅人が着るような茶褐色の外套を纏い、その下にはありふれた濃い藍色の服を着ている。
何よりルフィルが目を奪われたのは、男の黒瞳から放たれる鋭い眼光だった。
まさに獣の眼差しだった。一度目をつけた獲物は必ず仕留めるという執念に満ちている。
「何だてめえは!」
髭男がいきりたって叫んだ。
「……お前ら、自分の強さに自信はあるか?」
長身の男はそう言い返した。盗賊たちは質問の意図がわからないのか、一様に困惑した表情を浮かべている。
「自分の強さに自信? まあ、なけりゃこんな商売する気にならんわなぁ」
髭男は、余裕ぶった調子でそう答えた。
「そうか。ならいけるかもな」
言うやいなや、長身の男は髭男に向かって踏み込んだ。
とっさのことだったが、髭男もそれに素早く反応する。
金属のぶつかり合う激しい音が響いた。
「自信があるんだろう? 相手になってくれよ」
そのまま押し合いになる。長身の男の方が明らかに細身なのだが、彼の方が押していた。
他の盗賊たちは、長身の男の気迫に手を出しあぐねている。
押し合いに耐え切れなくなったのか、髭男が自分の剣を右にずらした。髭男の腕も右に流れる。
その隙を、長身の男は見逃さなかった。
腕が戻る前に素早く、髭男の懐に斬りつけた。
鮮血が長身の男に向かって飛び散る。
――ぐっ
髭男は腹を押さえ、その場に屈みこんだ。押さえている手を伝って、あるいは指の隙間から、地面に赤黒い血が滴り落ちている。
「おい」
髭男は、長身の男に呼ばれて顔を上げようとして。
その首を斬られた。
胴体と別れ別れになった頭がルフィルの足元に落ちる。ルフィルは思わず後ずさりしてしまった。
髭男の目と口は、何か信じられないという驚きの形に見開かれている。
「戦いの途中でよそ見してんじゃねえよ。ったく」
長身の男はそう言い放つと、猛烈な勢いで血を吹き出している首なし死体を蹴飛ばした。髭男の体は仰向けになり、地面に激しく打ちつけられた衝撃でさらに血が吹き出る。
ルフィルは、新たな恐怖を感じていた。
この男は、自分を助けにきたのかもしれない。しかし、このままここにいたら、有無を言わさず自分は殺されてしまう気がする。
何か、狂ったような、歪んだような感じがするのだ。この男は。
「おい、お前ら」
真っ赤に染まり、元の色が見えなくなってしまった剣を片手でひと振りして血を飛ばした長身の男は、呆然と立ち尽くしている盗賊たちに大声で呼びかけた。
「他に、自分に自信のあるヤツはいないのか?」
あの目で長身の男が彼らを見回すと、盗賊たちはわれ先にと慌てて森の中へ逃げていった。
「けっ、群れなきゃ何もできねぇバカどもが」
吐き捨てるように言い、長身の男はさっきから倒れたままだったルフィルの護衛――鼻の大きい方――の服で剣の血を拭った。
そして男は剣を鞘に収め、疲れたのか、近くの木の幹に寄りかかって目を閉じた。さっき感じていた強い攻撃性は薄らいでいる。
事態が収まり落ち着いてきたのか、ルフィルの体は目の前の光景に対して素直に反応した。喉の奥からすっぱいものがこみ上げてくる。
ルフィルは口を手で押さえ、何とかそれを飲み込もうとしたが、とても堪えきれなかった。
手近な木に手を当て、吐いた。
ひとしきり吐いて、ルフィルは背後の男を振り返る。目は閉じられたままだ。
――よかった。見られていないみたいね。人前でこんなみっともないところ見られたら、たまったもんじゃないわ。
一瞬の安堵のあと、ルフィルは、気持ち悪さはまだ残っていたが、急いで護衛――中でも一番親しく、信頼もしていた衛士長のところに駆け寄った。
「ねえ、ねえってば!」
体を揺すってみる。反応はない。
「無駄だ。全員死んでる」
長身の男はぶっきらぼうに言った。
「そんな……」
ルフィルはいたたまれない気持ちになった。
彼らは、自分を護るために戦って死んだ――つまり、自分のために死んだのだ。そう思うと、とてもやりきれない気持ちになった。
ルフィルは激しい嗚咽を漏らした。あとからあとから涙と鼻水があふれてきた。
「グズグズと泣いてんじゃねぇよ、お姫さん。みっともねぇ」
――ええ!?
ルフィルは驚き、即座に男の方に振り向いた。
「ど、どうして、わたし、が皇女だ、って、わかっ、たの?」
今まで泣いていたので、うまく喋れなかった。
「なに、皇女だって!?」
男は組んでいた腕を解き、体を起こしてこちらに身を乗り出した。
――しまった、と思ったときには、もうすでに遅かった。
「その身なりとか、護衛つきの移動なんかからして、領主のお姫さんかと思ったが、まさか皇家のお姫さんだったとはね。……あれ、でも皇帝には確か子供がいないんじゃ――」
まったくそうである。ルフィルは護衛たちが死んだことのショックで思考が短絡になってしまい、早とちりしてしまったのだ。『お姫さん』と言っても、普通は領主のそれと考えるのが当たり前ではないか。
――何故なら、自分の存在は世間に公表されていないのだから。
こうなってしまったらもう隠しきれないだろう。しかし、確かにこの男には助けられた恩があるが、それだけで喋ってしまっていい秘密ではない。けれども非公表の理由を訊かれて答えないのも恩人に失礼だし……
ここでルフィルは妙案を思いついた。
「ねえ、約束守っ、てくれたら、そのあたりのこと、話してもいい、わよ」
「約束? どんな」
「あ、あとで言うわ。それで、もいい?」
男は悩む様子もなく、すぐに頷いた。
ルフィルはしゃくりあげが治まるのを待って、それから話し始めた。
「わたしね、本当に皇女なのよ。わけあって世間に公表してないけど」
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
「そうか。お姫さんは帝都に向かってたってわけだな」
ルフィルがひとしきり説明したあと、長身の男は、独り言のような口調でそう呟いた。
「ええ。……それより、さっきは助けてくれて、どうもありがとう」
ルフィルは気が動転して、ずっと言ってなかったお礼を言った。
だがその途端、男は意外そうな表情になった。
「あ? 助けた? 違う違う。あれは力試しがしたかっただけだって。結果的には、お姫さん助けたことになったけどさ。別にオレはそんなことどうだってよかったんだ」
「な……」
ルフィルは言葉を失った。この男は、自分のことなど、死のうが生きていようがどうでもよかったというのか――
目の前の男は、何がおかしいのかという顔でこちらを見ている。
怒りをぶちまけたい衝動にルフィルはかられたが、結局、喉まで出かかっていたそれを飲み込んだ。動機はどうあれ結果的には助けてもらったのだから、文句を言うのもどうかと思える。
それに、さっき感じた目つきのことを思うと、男の言い分に合点がいかなくもない。あれは人助けをする者の目ではなかった。
「それよか、さっき言ってた約束って何なんだ?」
男はそれが訊きたくてしかたなかったようだ。声の調子にそれが出ている。
「あ、えっとね、わたしに雇われてくれってことよ」
「は?」
男はまだよく意味がわからないらしい。
「つまりね、わたし、帝都に行かなきゃならないんだけど、要するに護衛が欲しいのよ。帝都に着くまでの」
「つまりそれをオレにやれと?」
「そう」
「ダメだな」
一瞬の間もなく、却下された。
「足手まといになるようなヤツは、オレの旅にはいらん。はっきり言って迷惑だ」
そして男は身を翻し、右手をあげて「じゃあな」と別れを告げてきた。
「ちょっと、話が違うじゃない! 約束破る気!?」
ルフィルは大股であとを追う。
「この外道! 人でなし! 人非人! バカ! 殺人狂! 目つき最悪!」
思いつく限りの罵声を次々と男に浴びせかける。
「痩せっぽっち! 不義人間! 変態性癖!」
男はずっと無視していたが、とうとう堪らなくなったのかこちらに振り返ってきた。
「あのな、じゃあ例えば戦いのとき、相手に待ってくれと言ってその理屈が通用するのか? しないだろう? 相手に自分の理屈がいつも通用するなんて考え、おかしいと思わねぇか?」
一見、筋が通ってるように見えるが、よく考えてみればなんて利己的な屁理屈だろうか。
ルフィルは憤慨しかけたが、ここで絶妙の殺し文句が思い浮かんだ。
「わたしと一緒にくると、強い人に会いやすいかもよ」
その言葉を聞いた男は、ルフィルの予想通り、瞬時に顔色を変えた。
「あなた、さっき言ったわよね。力試しがしたかっただけだって。それはもちろん、ある程度以上強い人が相手じゃないと意味がないんでしょう? わたしは皇女だから、まあ一応非公表の皇女だけど、おそらく宮廷に使えてる人からあちこちに情報が漏れてるだろうし――そういうところから情報を得て、わたしを狙ってくる人もいるのよ。そういう連中は、それなりに強かったりする可能性があるわよね」
ルフィルは一気にまくしたてた。ここで押さないと押し切れないと思った。
男は顎に手を当てて唸っている。
「そうだな、それもアリか……」
「じゃあ――」
「早合点するな。まだ決めたわけじゃない。そうだ、報酬はどうなる? まさかタダ働きさせようってんじゃないだろうな」
あ、という声が、思わず口からこぼれてしまった。
そう、その問題があったのだ。
今のルフィルは、まったく持ち合わせがない。盗賊たちに荷物を全部持ち去られたからだ。それは男の方もわかっていたのだろう。
「きゅ、宮廷に帰ればお金は用意できるわ」
「じゃあその証拠は? あんたが本当に皇帝の娘であるっていう証拠。さっきの話だけでは、オレが護衛を引き受けるための信用に足らんぞ」
言葉に詰まってしまった。証拠と言われても、何もないこの状況でいったいどうすればいいんだろう。
思いつかなかった。
苦しまぎれに馬車の中を覗いてみる。馬車の外側には血がべっとりついているが、中は特に汚れていない。
そこに、紙が一枚落ちていた。誰かに踏みつけられたのか、靴の跡がついている。
――あれは……
ルフィルはその紙を手に取り、裏返してみた。
予想通り、父からの手紙だった。今まで来た父からの手紙を、ルフィルはすべて持ち帰るつもりだったのだ。
盗賊たちが荷物を調べたとき、役に立たないと思って捨てていったのだろうか。それとも一枚だけということは、何かのはずみで床に落ちたのだろうか。
手紙の最後には、父のサインと皇家の家紋が押してあった。
「こ、これならどう?」
ルフィルは堂々と紙を男に差し出す。しかしそんな態度とは対照的に、声は裏返ってしまった。
――こんな紙切れ一枚じゃ……
「皇家印の偽造は死罪だからね、帝国法では。これを例えばあなたがキャグニーの司法分局にでも持っていけば、わたしが本物の皇女でなければそれで罪に問えるわ」
不安を隠すように、説明を加えてみる。
実際、皇家印の偽造は死罪であるが、果たして男にここからキャグニーまで戻る気があるだろうか。
たぶん歩くとそれなりにかかるだろう。要するに手間だ。
そこまでして確認するのは、正直バカバカしいと思うかもしれない。
疑いが取れないなら、ここですっぱり契約しないと決めた方がいいだろう。
男はそんなルフィルの動揺とは関係なく、手紙を見つめている。
「このルフィルってのがあんたの名前か?」
「え、あ、そうだけど。まだ名前言ってなかったっけ。……そういえば、あなたの名前もまだ聞いてないわ」
「ふむ……」
しかし男はルフィルの話を無視し、一人でまた何やら考え始めた。
「ちょっと、無視しないでくれる? わたしの質問にちゃんと答えなさいよ」
「よし、わかった」
男は手紙を筒状に丸めると懐に収めた。
「あんたの言うことをを信じるよ」
「じゃあ、雇われてくれるってこと?」
思わず声が弾んでしまった。
「ああ。手紙は一応、帝都に着くまでオレが預かっとく」
そう言うと男は東――帝都の方へ向けて歩き出した。
「ちょっと待って」
慌ててルフィルは呼び止める。
「ん? 何だ」
ルフィルは手頃な大きさの鞘を二つ拾い上げると、一本を男に手渡した。
「穴、掘るの手伝ってよね」
ルフィルはそう言うと一人で森に入り、適当なところに落ち着くとそこを掘り始めた。
「おいおい、ほっとけよこんな死体。そのうち鳥か獣が来てちゃんと処理してってくれるだろうし」
本当にこの男には呆れてしまう。鳥や獣に肉を食われて、それも死体も野ざらしのままで、喜ぶ人間がいるだろうか。
だがこの拒否も、実はルフィルにはある程度計算済みだった。
「さっき契約は成立したのよね」
「ああ」
「ということは、今この瞬間、あなたはわたしに雇われてるってことよね」
「ま、そうなるな」
「じゃ、穴掘り、手伝わないとね」
男は、はっ、と何かに気づいたような顔になった。
そういう顔になったのが、ルフィルにはすごく意外に思えた。戦い以外のときでも顔つきの険しい男が、こんな間の抜けた顔をするとは思わなかったのだ。
男はしぶしぶといった感じで森に入ってくると、ルフィルと並んで穴を掘り出した。
「ったく。そんな、してやったりな顔すんじゃねぇよ。ムカムカする」
不平を言いながらも、男は手を動かす。
「ところでさ、さっき答えてくれなかったんだけど」
「何を」
「……名前よ」
ルフィルは苛立ちをまったく隠そうともしなかった。
ああ、と男は答え、面倒臭そうに、
「ランドだ。ランド=クライト。よろしくな、お姫さん」
「その、お姫さん、って呼び方やめてくれない? ちゃんとわたしにはルフィルって名前があるんだから」
ルフィルは口を尖らせた。
「ん? じゃあ、ルフィル様でいいのか?」
「様、もなくていいわよ。その、わたしが皇女だってバレるかもしれない要素はなくした方がいいから」
「そうか。わかった。……ってまさかと思うが、ひょっとして盗賊の死体も埋めるつもりでいるのか?」
「そりゃ、わたしだって髭男は嫌いだったけどさ……さすがに置いとくわけにはいかないでしょ。もちろん馬も埋めていくんだからね」
男――ランドは心底呆れたような顔になったが、それでも手を抜くことなく穴を掘り続けた。
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
結局、すべての死体を埋め終わったのは、太陽が西の空に沈もうかという頃だった。
二人は埋めた場所の横に馬車を引っ張ってきて、今晩はその中で寝ることになった。
ランドはルフィルに背を向けて横たわり、すぐに寝息をたて始めた。
しかも、剣を抱えたままだ。
自分の目を疑わずにはおれなかった。
――……
死んだ護衛のことを思い出し、せつない気持ちになる。
朝、町を出たときは、こんなことになるなんて思いもしなかった。
本当に、確かな未来なんて何もないのだと思う。
――これから、どうなっちゃうんだろ。
ルフィルはまたひとつ、溜め息をついた。
自分と、今日会った男と二人。街道沿いの町に皇家直轄領はひとつもないから、帝都から迎えを来させるのもできそうにない。
キャグニーにも戻れそうにない。内乱は今すぐに起こってもおかしくない状況だと聞いた。戻るより進んだ方が安全だろう。
――となると、歩いて帝都まで行かなきゃならないの?
ろくに歩いたことのない自分の脚力で、果たしていけるだろうか。
先のことを考えると心配や不安しか出てこなかったが、いい加減、きりがなくなってきたので、ルフィルは自分も横になって眠ることにした。
第二章
帝国のほぼ中央を東から西へ、パンカプ山脈という険しい連峰がはしっている。山脈の西端はキャグニー、東の端は帝都リドパレスである。
険しい山々は、国土を北と南に分ける。そうした地理的な問題から、山の北と南では、人や物、情報などの交流が希薄であった。
山脈の南一帯は、深い森に覆われている。その森林の中に、帝都とキャグニーを結ぶ一本の街道が通っていた。
帝国が成立する以前からあるという、この石畳で舗装された幅広の道を、人々は白骨街道と呼んでいた。
有史以来、この国では幾度となく戦乱が起こった。そのたびに街道は踏まれ、ときには戦場となることもあった。
石畳は多くの血を吸い、また、街道には無数の死体が野ざらしにされることもあった。
それらの死体はやがて白骨化し、剥き出しの骨となってに道端に転がる。今でも道の脇に目を転じると、時折、白い骨を見つけることができるだろう。
だから人々は、鎮魂と畏敬の念を込めて、この道を白骨街道と呼んでいるのだ。
時は今、まさに戦乱の時代。新たな死者が、今日も街道のどこかで生まれているのかもしれない……
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
その洞窟は、街道からいくぶん北――山脈の裾野にあった。
裾野にはこうした自然の洞窟がいくつかあり、そこもそうしたもののひとつだった。
今は日没の迫る夕方。この奥行きのさほどない洞窟の中にいる人々は、早くも灯された蝋燭の明かりのもと、それぞれ手を忙しそうに動かして何か作業をしている。ある者は剣を研いでいたり、ある者は縄をなっていたり、様々だ。
そんな洞窟の中で、真ん中のあたりのコブに座っている一人は、何をするでもなくただそこにぼおっと腰掛けていた。
顔には布がまるで覆面のように巻かれていて、目だけが外に出されている。
覆面の隙間から投げかけている視線は虚ろで、向かいの壁に映る蝋燭の炎の揺らめきを見ているのか、あるいは何か思案していて目に意識がいっていないのか、よくわからない。
ただ確かに言えるのは、そこでは普段通りの時間が流れていたということだ。
――仕事に出かけた仲間が戻ってくるまでは。
「お、おお、おお頭! た、たったた大変です!」
まだ若いのに頭の毛が少し薄い男が、洞窟に飛び込んでくるなりそう叫んだ。
洞窟の中にいた人間の視線が、すべてその髪の薄い男に注がれる。
髪の薄い男は大慌てで走ってきたらしく、息を整えるのにしばらく時間がかかった。
「と、トレイクさんとジューが殺されました」
一瞬で洞窟内の空気が凍りつく。
人々は、口々に質問を髪の薄い男にぶつけた。
――誰にやられたんだ!?
――仇は討ったのか?
――他の仲間は?
「お前ら落ち着けっ!」
そんな彼らを、コブに腰掛けていた覆面が怒鳴りつけた。途端に人々は押し黙り、静かになる。
覆面は髪の薄い男に、話を続けるように促した。
「今日の朝、馬車を襲ったんですよ。で、まあこれが当たりでして、結構いい物が手に入ったんですね。それは仲間があとから持ってくるんですけど、で、馬車の中に女が乗ってたんですよ。まだ小娘ですけど、まあ磨けば将来は光るんじゃないかっていう、まずまずの上玉だったんですよ。それで、その小娘をトレイクさんが色々何かしてるとき、突然ジューが斬られたんですよ。背中からこう」
と言って、男は両手を剣を持つ形にして上段にかざし、斬る仕草を真似する。、
「ずばっとやられちゃったんですね。それで怒ったトレイクさんが、その斬った男とやりあったんですが、腹を斬られたあと首を斬られまして。こう、すぱーんと」
男は腕を水平に薙いだ。
「それで? その斬った男をお前らどうしたんだ?」
あくまでも冷静に情報を整理しようとする覆面の質問に、男は明らかに身を硬くした。微妙な間ができる。
「…………すいません、逃げてきました。あ、いや、でも俺だけじゃないんですよ。トレイクさんが殺されたあと、皆ほんとに一目散に逃げ出しまして。それに、耳寄りな情報も仕入れたんですよ」
「言い訳はいい。その男はどんなヤツだ?」
「長身で、普通の旅人の服装でしたよ。髪は黒でそんなに長くはなかったです。剣も別に普通で――あ、少し長めだったかな?」
「これからどっちへ行くとか、そういうことは何かわからなかったか?」
男の表情が急に明るくなった。
「実はですね、そのあとしばらく現場にビリスのやつをこっそり張りつかせていたんですが、すごいことがわかったんですよ」
「そんなことは聞いていない。質問に答えろ」
覆面はもともと高くない声をさらに低くした。
男の顔つきがまた強張る。
「いや、まあ、その、これがちゃんとつながるんですよ。でですね、ビリスの報告によりますと、その馬車に乗ってた小娘と、トレイクさんを殺した男が、どうも護衛の契約をしたらしいんですよ。それになんと、その小娘、実は皇帝の娘だっていうんですよ」
自分が聞いてきたわけでもないのに、髪の薄い男は誇らしげに言った。
「ロア、お前知らないのか? 皇帝には子供がいないんだよ。そんなもんデタラメだ、デタラメ」
覆面は、呆れてるのと怒ってるのが混じったような口調で返した。
「いや、それが、どうも事情があって公表されてないらしいんですよ。娘がいるってこと。それでですね、その娘は帝都に帰るまでの護衛を頼んだんですね。ヤツに」
「つまり、そいつらは東に向かったんだな?」
「ええ。今から行けばたぶん石橋のあたりで追いつきますよ。行きましょう」
その言葉を聞くと、洞窟の中にいた人々は一斉に武器を取った。
たが、覆面は賛同しなかった。
「いや、今日はもう無理だ。闇の中で戦うのは危険だしな。明日の朝、夜明けと共に出発する。ドゥマのあたりに一度出て、そこから街道を西に行けば確実に会えるだろう。とにかく詳しいことはビリスの帰りを待ってからだ。――それからロア」
「は、はい」
不満そうな表情を男はしていたが、名前を呼ばれて慌てて姿勢を正した。
「明日、お前は留守番組だ。ここに残れ。それから、もっと簡潔に喋る練習をしておけ」
そう言って、覆面は洞窟の奥に下がっていった。
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
陽も明けきらないうちに馬車を出た二人は、すぐに裏道を抜けて石畳の街道に出た。
道中、大きな馬車に乗った商人の一団とすれ違い、胸の裂けたルフィルの服を見た商人の奥さんが、女の子がそんな服じゃはしたない、と言って、大きな草色の布を一枚くれた。ルフィルは今、それに身を包んでいる。
奥さんはさらに、食べ物を少し分けてくれた。もっともこれは、ランドが図々しくもたかったからなのだが。
「本当にいるのよねぇ、世の中には。親切な人が」
ルフィルはしみじみと、感謝の言葉を口にする。しかし前を行くランドはそれに返事をせず、結果的に独り言になってしまった。
古来、それも帝国ができる以前からあるというこの街道は、人が十人横に並んで歩いてもまだ余裕があるくらい広い。
だから、一人で歩くと非常に寂しい。
ましてや、この街道は白骨街道と呼ばれており、おかげさまで街道にまつわる怪談話には事欠かない。夜、街道を移動する人間は稀である。
とはいうものの、帝都とキャグニーの間でここ以外に整備された道はなく、どうしても街道を通らざるを得ない。
そうした事情であるから、昔はもっと街道を通る人は多かったのだが、この戦乱のご時世、旅をする人の数は少なく、今は閑散としている。
「ねえ、もうちょっとゆっくり歩いてくれない?」
長身の男――ランドは、ルフィルのはるか前方を歩いていた。体力に差がある上に歩幅が全然違うので、ルフィルはランドから離れては駆け足になり、何とか追いついていっている状況だ。
「ねえ、聞いてるの? ランドってばぁ」
いくら大声で呼びかけても、前を行くランドは止まらない。
堪りかねたルフィルは、これが最後だと心に誓い、走った。ランドの前に回りこむ。
「いいかげんにしてよ! あなた、わたしに雇われてるのよ?」
怒鳴っても、苛立ちは治まらない。
「ごちゃごちゃうるせえよ。いいか、オレはお前と一緒にいると、強いヤツに会えるかもしれんから契約してやっただけで、別に金が大きな目的じゃねぇんだ」
ランドはこちらを鬱陶しそうに睨みながら、そう言い放った。
「あら、嫌なら別にいいのよ。替わりはいくらでもいるんだから。あなた、そこのところ忘れてない?」
「お前こそ忘れてないか? オレの目的は、お前にくっついてさえいれば達成されるんだぜ」
よく考えればそうである。ルフィルは完全に言い負けたと思った。
だが往生悪く、ここで突っ込みを入れてみる。
「じゃあ、なんで護衛の契約なんて引き受けたのよ?」
「そりゃ、目的のついでにちょちょっと戦うだけで金が貰えるんなら、それはそれでおいしい仕事だし、それに――」
「それに?」
「男女が一緒に行動するんだから、やっぱそれなりの理由がないとな」
「へ?」
あまりにも今までのランドから外れた返答に、思わず笑いがこみ上げてきた。
こんな生真面目なことをこの男が言うとは。あまりにも落差がありすぎる。
ルフィルは腹を抱えて笑いだした。
「ランドって、意外とカタいのね。ひょっとして、女の子とあんまり話したことないとか? そういえば昨日の夜もなんかそっちから離れていっちゃうしぃ」
ランドの顔がみるみる赤くなった。それもまたルフィルにとっておかしく、さらに笑った。
――男の人とあんな近い距離で寝たことがなかったから、昨日はちょっと心配してたんだけど、なるほど、そういうことだったのね。
ルフィルは昨晩のことを思い出し、心の中で納得する。
「……黙れ。お前だって処女だろう」
おそらく照れ隠しと思われるランドの毒舌に、ルフィルはカチンときた。
「うるさいわね! 女の子に向かってそんなこと言うんじゃないわよ! そういうふうに自分から遠さけるようなことをするから、女の子とあんまり話せないのよ」
痴話ゲンカレベルのくだらない会話は、石橋の手前に来るまで続けられた。
川は、たいして大きいものではなかった。ルフィルが小石を投げると、向こう岸に届くかどうか、それぐらいの川幅である。
石橋は充分な幅があり、橋脚も太く、荷を満載した馬車が通ってもまったく問題なさそうだった。
橋には欄干がないので、ルフィルは落ちないように真ん中を歩く。
春になると、山の雪解け水で川は増水し、橋の高さを軽く超える。欄干があると、そのとき水が引っかかって、橋が流されてしまうのである。街道には五つか六つの橋が架かっているが、そのどれにも欄干はない。
橋の中ほどまできて、ルフィルは左に目を向けた。
森が切れて開けた景色の向こうに、頂上を白くした尾根が見えた。
「ほら、ランド。見て見て。山がよく見えるわ」
立ち止まらないかと思ったが、ルフィルの少し先を行っていたランドは止まって、同じように山を見た。
今はまだ初秋なので、南側ということもあり頂上付近にしか雪が残っていない。
しかし冬になるともっと山裾の方まで真っ白くなり、それは美しい姿になる。まさしく銀嶺といった感じだ。
パンカプ山脈は、とても雪が似合う山なのだ。
「懐かしいな……」
ランドがそう呟いたのを、ルフィルは聞き逃さなかった。
「何が懐かしいの?」
ランドは、聞かれてたか、という複雑な顔になった。
「……ちょっとね」
そして、それだけ答えた。
橋を渡り終えると、再び、視界の両側に森が広がった。
たしか布をくれた商人の奥さんが、このまま歩けば明るいうちにドゥマという宿場町に着く、と言っていたのをルフィルは思い出す。
「あと少しかしらね。町まで」
そうかもな、と素っ気なくランドは返事をした。
ランドの歩く速さは朝にくらべて若干落ちているが、それでもまだルフィルのずいぶん前を歩いていて、時折駆け足にならなければ追いついていけない。
あのランドが人のことを思いやるとも考えにくいので、たぶん、疲れたんだろう。
ルフィルは今日何度目かわからない駆け足をしながら、さっきのランドとの会話を思い返した。
ああやって話してみると、結構人間味あふれるところもあって、すこしホッとする。
――最初は本当にランドが怖く見えたのだが。
そんなランドの背中を見つめていると、突然その背中が立ち止まった。
「おい、止まれ」
背中越しにランドは命令してきた。
「何よ今度は。それにもうちょっと柔らかいものの言い方ってできないの?」
ルフィルは抗議の声をあげる。
「誰か来た。オレから離れすぎると、どうなっても知らんぞ」
再度の忠告に、ルフィルは口をつぐんだ。
ランドの声に、昨日、髭男を殺したときのような攻撃的な雰囲気が含まれている。
すると街道の向こう――そこはちょうど緩やかに道が曲がっていて、木々のために先が見通せないが――その木々の陰から数人の男たちが現れた。
「あ、あいつです、お頭!」
ルフィルたちに気づいた男が、後ろを振り返って叫んだ。
「あ、まさか昨日の――」
ルフィルは一発で、昨日の盗賊たちの仲間だとわかった。
身なりの特徴が同じなのだ。さながら、猿の仮想大会である。
ところが仲間に呼ばれて前に出てきた、布で顔を覆った人物だけは違った。
一人だけ、様になっていた。
単に顔が隠れているから不恰好さがごまかされているとか、そういうことではない。
頭身の作りが他の盗賊たちと違うのだ。すらりとして、ルフィルから見ても惚れ惚れする。
呼ばれて出てきたのだから、こいつが盗賊の首領なのだろう。
覆面の首領は微妙な間を空けて、ランドと対峙した。
「昨日、仲間が世話になったのは、お前か?」
低く、ややくぐもった、しかし穏やかな声で覆面は言った。
「だったらなんだ? 仲間の仇討ちか? ま、戦う理由はどうあれ、オレはあんたが強いなら別に構わねぇぜ。相手になってやるよ」
ランドは余裕たっぷりに答えると、剣を構えた。
その相手を舐めきった言葉を聞いて、盗賊たちが今にも飛び出していこうとするが、覆面は手でそれを制する。
「まあ仇討ちもあるが、それだけでもない。なんでもそのお嬢ちゃん、皇帝の娘だそうじゃないか」
じろりとこちらを覆面は睨む。ルフィルは顔から血の気が引いていくのがわかった。
「このお嬢ちゃんをどこかの領主にでも売り飛ばせば、結構な儲けになる」
「なるほど。盗賊だもんな、お前ら」
「ちょっとちょっと、なに納得してんのよ!」
声を荒げたルフィルに対し、ランドは目だけをルフィルの方へ動かしてこう言った。
「いや、だって、昨日あのあとオレとお前が話してたとき、こいつらの仲間が一人残って話聞いてたの知ってたから」
「なっ――」
ルフィルは自分の耳を疑った。
「気づいてたんなら、なんでその場でどうにかしてくれなかったのよ!?」
「だってそいつが情報を仲間のところに持ち帰ってくれれば、もっと強いヤツが来てくれるかもしれねぇだろ」
「そうじゃなくて、わたしの秘密が他の人にバレちゃうじゃない!」
一瞬、今ごろそれに気づいたような顔にランドはなった。が、すぐに厳しい表情に戻る。
「ま、ある意味オレにとっては、お前の秘密が広くバレた方が都合がいいとも言えるしな。そう心配すんな。誘拐しようとしてきたヤツらは全員倒してやるからよ」
そしてランドは唇の端を少し歪めると、外套をルフィルに投げつけた。
「もちろん、ここにいるお前ら全員もな」
挑発と受け取ったのだろう。その言葉に、盗賊たちから一斉に罵声が飛ぶ。
「ひとつ、聞いていいか?」
ルフィルたちのやりとりを黙って聞いていた覆面が、さっきと変わらない穏やかな口調で訊ねた。
しかしさっきから二人の様子を見ているルフィルは、覆面の目にだんだんと感情が込められていっているのがわかった。意志の強そうな濃い茶色の瞳がランドを見据えている。
「何だ?」
「お前は……なぜジューをいきなり斬った?」
「なぜかって? そりゃ、盗賊の中の強いヤツと戦いたかったからだ。ああすりゃ、向こうは嫌でもオレと戦わなきゃならねぇしな。オレは強いヤツとたくさんやりあって、自分を『強く』したいんだ」
ランドはほぼ即答した。
「そうか」
覆面は剣を鞘から抜き、構えた。
細身の剣で、ランドの剣も細い方なのだが、それよりもまだ細い。
「お前も、同じなんだな」
「はぁ?」
ランドが疑問の声をあげるのと同時に、覆面が踏み込んできた。
鋭い突きが繰り出され、ランドは瞬時に体を捻った。
覆面の剣が左肩をかすめ、服がわずかに裂ける。
覆面は猛攻を開始した。
上下左右、どこへでも飛んでくる切先を、あるときはかわし、あるときは剣で払うなどしてランドは対応する。
覆面の剣はどうやら突き専門らしく、半身になって覆面は突いている。素早く突いて、瞬時に手元に戻し、また突く。それの繰り返しだ。
しかしランドも、それらをすべて見切っているかのような動きをみせ、ひとつも攻撃を受けていない。
このままでは、覆面が疲れ果てて勝負が決するだろう。ルフィルはそう思った。
だが、この勝負はそんなに簡単には決まらなかった。
覆面はもう何度目かわからない突きを、ランドの胸めがけて打ち出した。
ランドも今までと同じように、右に体を流してかわす。
覆面の剣は、これまた同じようにランドの左の何もない空間を引っ掻いた。
ところが覆面は、今度は剣を手元に戻さなかった。
剣をそのまま、ランドの方へ薙いだのだ。
完全に、ランドは油断していた。
ランドの胸の生地が真一文字に裂け、そこから覗く皮膚に赤い線がはしった。線はじわじわと太さを増していく。
「たいした男だ。あの瞬間、体を後ろに倒して直撃を避けるとはね」
再び、ランドと覆面の間に距離ができた。
「お前――隠してたやがったのか? その技」
「そういうわけでもないさ。あれを確実に当てるべく、あえて突きに徹していただけのことだ」
「けっ、それを隠してたって言うんだよ」
ランドは胸の傷に手をやり、滲み出る血を体に擦りつけた。
「お頭、俺たちも加勢します!」
このタイミングしかないと思ったのだろう。まだ若い盗賊が前に出てきた。
「来るんじゃない!」
覆面は初めて怒鳴った。
その気迫に、ルフィルは思わず肩をすくめる。
「これは私の戦いだ。……心配しなくても仇は討ってやる」
「ん? オレは別に、お前ら全員でかかってきてもいいけどな」
またも挑発じみたことをランドは言った。まだ余裕があるのか、それとも単なるハッタリなのか、ルフィルにはわからない。
「私が、自分の力で、倒さなければいけないんだ。お前のような男を」
そういう覆面の言葉に、何か情念のようなものがこめられているのをルフィルは感じた。仲間の仇以外にも、何かランドのような男に対して引っかかるところがあるのだろうか。
――おそらくあるのだろう。そうでなければ、一対一の勝負などするはずがない。仇を討つだけなら全員で襲った方がいいに決まっている。
「ハッ!」
気合の一声と共に、覆面はまたもランドに向かって飛び込んできた。
「いつまでも攻め続けられると思うんじゃねぇよ!」
ランドは上段の突き、ついで鼻をかすめる横薙ぎの一撃をかわすと、剣を下段から振り上げ、相手の右腕を狙った。
覆面は素早く腕を引っ込めたが、肘から手の甲にかけての袖口が裂けた。
そのまま、ランドは攻勢に転じた。
覆面は細身の剣で何とか受け流す。受け流しながら、時折、突きを入れるのだが、それをランドは剣で叩き落とす。
剣と剣の撃ち合う音が、途切れることなく鳴り続けた。
そのとき、盗賊たちの方から、何かが飛んできた。
それはランドの頭に命中し、袋がほどけて黄ばんだ粉が撒き散らされた。
「よっしゃぁ! どうだ、テジック家特製目潰し粉は! 目が痛くて開けられないだろう? さあお頭、今です!」
見れば確かに、ランドは必死に目をこすっている。
だが覆面は攻撃をせず、後ろの仲間に向かって叫んだ。
「誰だ、余計な真似をしたのは!? あとでわかってるんだろうな!」
「お、お頭! う、後ろ」
前列にいる盗賊が、信じられないという様子で声をあげた。
覆面も背後を振り返り、同じように目を丸くした。
「戦いの最中に、敵に背を向けんじゃねぇ!」
ランドは覆面に向かってまっすぐ正確に進み、渾身の一撃を振り下ろした。目はまだ見えないはずなのだが――あるいは、もう見えているのだろうか。
覆面もだてではない。半歩身を引くと同時に剣を水平に構え、何とか受け止めようとした。
剣と剣が、轟音を立ててぶつかり合う。
次の瞬間、覆面の剣は根元から折れ、地面に落ちた。
覆面が落ちた切先に視線を送ったその瞬間、ランドは剣を覆面の首に突きつける。
「降参しろ。……あんた強かったぜ。おとなしくすれば殺さないでおいてやる」
覆面は柄も投げ捨て、両手を挙げた。
「すまないね。ウチの馬鹿のせいで目を」
「なに、すぐ見えるようになったから構わねぇよ。――おい、それ投げてくれ」
と言われて、ルフィルが持っていた外套を渡すと、ランドはそれで顔を拭いた。
――お頭、このままじゃ引き下がれませんぜ。
――俺たちで束になってかかれば、こいつだって。
――バカかお前、ここで俺たちが攻撃したらお頭の首が飛ぶんだよ。
盗賊たちは、口々にいろんなことを話している。
「お前たち」
背中越しで、覆面は盗賊に語りかけた。
「運が悪かったと思ってくれ。今日で『テジック家』も解散だ。長い間、ありがとう」
盗賊たちから不満の声が次々とあがった。
覆面はそれに答えず、じっと目を閉じている。
「あの……解散するのなら、荷物を返して欲しいんだけど」
おそるおそる、ルフィルは覆面に話しかけた。覆面の眉がぴくりとあがる。
「ああ、そうだね。誰か取りに行ってくれないか?」
覆面がそう言うと、北側の森近くにいた男が森の中に入っていった。
「もうこれもいいか。……そこのお嬢ちゃん」
覆面は不意にルフィルを呼んだ。少し焦る。
「え、えと、何?」
「すまないけど、この顔の布、取ってくれないかな。もういらないんでね。自分で取ろうすると、この下に武器か何か隠してんじゃないかと怪しまれるし」
ランドを見ると、軽く頷いている。取ってもいいようだ。
ルフィルは覆面の頭ひとつ高い顔に手を伸ばし、布を丁寧に巻き取っていった。
すべて取り終えたとき、ルフィルは覆面の顔を見て驚いた。
全然、盗賊の顔ではないのだ。こんな目鼻の整った人間が盗賊の首領で、しかもさっきは堂々とランドと渡り合ったのだとは、にわかには信じがたい。
だがルフィルは、ランドの次の発言でさらに腰を抜かした。
「お前、女だったのか」
「え?」
「……へえ。やっぱりわかるか」
覆面――だった女は、ランドの言葉に同意するように、大きく息をついた。
「ちょっとランド、なんであなたそんなのわかるのよ?」
確かに言われてみれば、そう見えなくもない。しかし、短く刈り上げた赤い髪に低い声、それにまったく女性らしい丸みを欠いた体形を見ると、とてもそうだとは思えない。
「見ればわかるだろ? 何言ってんだ」
ランドは、さも当然、という感じだ。
「ほ、本当に女性なの? だって声だって――」
「ああ。隠してた方が何かと都合がいいんでね、この仕事。それにこの声は生まれつきだよ。……悪かったね」
「あ、その、すいません」
よくよく考えれば、自分たちを襲ってきた盗賊の首領に謝るのも変だが、ルフィルは何となく謝ってしまった。
「女の方が、都合が悪いのか?」
ランドはそこに疑問を感じたようだ。
「こっちが女だと思って舐めくさるヤツが多いんでね。馬車を襲ったときでも、やっぱりこっちにびびってとっとと荷物とか渡してくれた方がいいし。無駄な戦いはしたくないのさ」
女の説明に、ランドは納得した表情を浮かべた。
「ひょっとして、盗賊たちは全員知ってたの?」
ルフィルはそう言って、女の後ろに居並ぶ盗賊たちの方を見た。彼らは全員、首を縦に動かしている。
「知らないわけがないだろう? ずっと一緒にいれば、そのうちバレるようなことだからね」
どこか呆れたような女の口調にルフィルはムッとしたが、ここは堪えた。
「なあ」
女はランドに話しかけた。
「何だ」
「お前に剣を突きつけられてるせいで後ろが見れないからお前に聞くが、まだ、いるのか?」
女は仲間である盗賊たちが、残っているのかを気にしているらしい。
「ああ。誰もいなくなってないぞ」
ランドの言う通り、盗賊たちはさっきからずっとそこに立ったまま、一人も動いていない。
「お前たち、もうどっか行ってもいいんだぞ。『テジック家』は解散したんだからな」
すると盗賊たちの間から、次々と声が上がった。
――いえ、このままではやっぱりおれません!
――お頭の仇は、俺たちで討ちますから!
そういえばランドと戦っているときも、彼らは粉こそ投げたが、言いつけを守って加勢してこなかった。
この首領、よっぽど信頼されていたらしい。
「お前たち。私の最後の頼み、聞いてくれないか」
場が水を打ったように、静まり返った。
「頼むから、この場から早く去ってくれ。お前たちにこれ以上、醜態を晒したくないんだ。ああ、それから、このお嬢ちゃんのことは秘密にな」
悲壮感さえ漂う女の言葉に、盗賊たちは、誰も、何も言わなかった。
やがて、一人二人と森の中へ消えていき、全員いなくなった。
「よかったのか? あれで」
ランドは女に訊ねた。
「……ああ。負けた頭は必要ないんだよ。盗賊には」
口ではそう言いながら、そこに寂しさがわずかに込められているのを、ルフィルは感じた。
――ここで重大なことを思い出した。
「ちょっと、あのまま返しちゃっていいの? みんな知ってるんでしょ、わたしのこと」
「大丈夫だよ。あいつら、私の言うことは守るから」
「ほら、こいつもこう言ってるだろ。問題ないって」
――さっき、ここにいるお前ら全員倒すって言ってたのは、どこの誰よ。まったく。
ルフィルは呆れ返ってしまったが、ランドに何か言ってもまともに取り合ってくれないので、もう追及しなかった。
「さて、これからどうしてくれるのかな?」
女は、いまだに剣を自分に突きつけているランドに質問した。
「荷物が来るまでは一応こうさせてもらう。そっからあとは知らん。どこへでも行け」
ランドが自分の荷物を心配していると思い、ルフィルは少し嬉しくなった。
「オレは別に荷物なんかどうでもいいんだがな。そうしないと、あの女がぎゃあぎゃあとうるさくて」
……こういうのを、余計な一言というのだろう。
ルフィルは直前の自分の気持ちを、即座に捨てた。
「わたしについて来てるのはそっちの意思でしょ!? 文句があるなら直接言いなさいよ!」
「ほら、こんなふうに」
ランドのおどけた一言に、女は大声で笑った。
「なぁ。あんたたち、帝都までいくんだろ?」
「ええ」
ルフィルは素直に頷いた。
「もし良かったらなんだけどさ、私もついてっていいか?」
「――ええ!?」
意外な申し出に、ルフィルは素っ頓狂な声をあげてしまった。
「あんた、わたしを殺さなかっただろう? そういう意味で義理もあるし、何より私自身、これからすることがないんでね」
「急にそんなこと言われても……」
ルフィルは戸惑いを隠せなかった。
確かにこの女が加わるとなれば、護衛的な面で心強いところもある。しかし不安は拭えない。
彼女は盗賊だったのである。いつ自分の寝込みを襲って、どこかの領主にでも売り飛ばすかわからない。
「心配要らないよ。別にお嬢ちゃんを襲ったりしないから。私はもう盗賊でもないし」
女はルフィルの不安を見透かしていたのだろう。微笑みながら、そう言った。
「ランドはどう思うの?」
「ん? そうだな。ま、いいんじゃないか。何かしたらオレが殺せばいいんだから」
恐ろしいことを口にして、ランドは女の申し出を受け入れた。
「と、とにかく、ランドがそういうことなら、わたしもそれでいいわ。よろしくね。えぇと……」
「ステラだ。ステラ=テジック」
そう言って、女――ステラは、差し出したまま宙ぶらりんになっているルフィルの手を握った。
「あ、えっと、私はルフィル。で、あっちがランド」
「勝手にオレの方まで名乗るな」
ステラはそれを見て、また笑った。
しばらくして荷物が届き、ステラは荷を持ってきた盗賊たちにもさっきと同じことを言って、彼らと別れた。
三人は街道を歩き、夕方、ドゥマに到着した。
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
ドゥマは宿場町として歴史があり――まあ街道沿いの宿場町は、だいたいどこも同じように歴史があるが――宿の数も豊富にあった。
各宿の窓から漏れてくる光のおかげで、路地も明るい。
客引きの声があちこちから聞こえてくる。
「そこのお嬢ちゃん! 僕とちょっとお話しない?」
自分に向けられたような呼び込みに思わずルフィルは振り返ると、顔に笑みを貼りつかせた優男と目が合った。
「娼婦の勧誘だよ。そんなにまじまじと見るのはやめなよ」
自分でも気がつかないうちに、そんなに熱心に見ていたのだろうか。ステラに注意されてルフィルは、首を戻した。
「こういうところには必ず娼館街があるからね。ああいう男もいるのさ。……そんなに勧誘が珍しかったかい?」
初めてああいうのを見たとは、さすがに恥ずかしくなって言えなかった。
娼館は、もちろんキャグニーにもあった。ただ、そういう地区まで足を伸ばしたことはなかったから、見たことがないのだ。
「ランドは娼館とか、行ったことあるの?」
別にからかうつもりはなく単純に興味本位で、前を行くランドに訊いてみた。
「……知るか」
ランドは耳を真っ赤にしている。本当にこういう話に免疫がないらしい。
もっと色々と知りたかったのだが、別に知らないなら知らないで困るようなことでもないので、ルフィルは娼館の話題を頭の中から追い出した。
荷物が戻ってきたので、懐には余裕がある。
ルフィルは領主御用達という看板を掲げた、一番高そうな宿に真っ直ぐ向かった。
「おいおい、ここに泊まるのかよ。金とか大丈夫なのか?」
建物を見上げ、いかにも貧乏臭い心配をランドはしている。
「帝国一〇〇〇年の歴史、舐めないでくれる?」
ルフィルは二人に、余裕の態度をかましてみせた。
「いらっしゃい。三名様ですね」
店に入ると、もみあげをやたらに延ばした中年の男が笑顔で出迎えてくれた。この男が貫禄からいって店主なのだろう。
店主自らお出迎えとは、さすが高級店は気配りからして違う。
玄関も広く、床もつるつるに磨かれている。
「ええ。三部屋頼めるかしら」
「一晩ですね。それでは、六〇〇〇ジェーラ頂きます」
そこで初めて、ルフィルは荷の中からお金を入れている袋を取りだした。
袋は最後に見たときよりも、明らかに平べったかった。
「ええ! 嘘ぉ?」
ルフィルは慌てて袋の中を覗き込み、数えてみる。
残りの日数を考えると、とてもじゃないがこんな高い宿には泊まれなかった。
「どうした?」
ランドが不安げに訊いてきた。
「減ってる……」
呆然とルフィルは言葉を漏らす。
「あ、ひょっとして――」
ステラは何か、思い当たることがあるらしい。
「ウチの馬鹿だよ、それ取ったの。たぶん昨日アジトに帰ってくる途中だね。基本的にウチは留守番のヤツにも戦利品とか分配するんだけど、そういうの不満に思ってたヤツもいてさ。――お嬢ちゃん本当にごめんね」
「別にいいですよ、そんな。戻ってきただけでも運がいいんだし」
まあ、一度は盗賊に奪われたお金がすべて残っていると考えた自分の認識の甘さにも問題はある。中身が残っていただけ、マシだと思わないといけないだろう。
三人はすごすごと店から出ていった。
「なんで最初に金の確認しとかなかったんだよ。恥かいたじゃねぇか」
路上の小石を勢いよく蹴り飛ばしながら、ランドは悪態をついた。
「だってそうしたら、ランドに報酬先に払えとか言われるかもしれないでしょ。これで結局それもできなくなったけどね。明日、服でも売った方がいいのかしら」
「お前まさか、ごまかすつもりだったのか!?」
「……心配しなくても、帝都に着いたらちゃんと払ってあげるわよ。ただ、今お金を取られると、旅の先々でのお金の使い方とか色々と制限されるかもしれないでしょ? あ、そういえば聞いてなかったけど、あなたいったい報酬いくら欲しいの?」
思い出してルフィルがそう訊くと、ランドは眉間に皺を寄せて考え始めた。
「……そうだな、さしあたり三〇〇万ほど……」
「ええ!?」
三〇〇万ジェーラと言えば、町で家がひとつ買える額である。ルフィルはあまりの要求の大きさに、思わず変な声をあげてしまった。
「あなた、お金が目的じゃないんでしょ? なんでそんなムチャクチャな金額――」
「何だよ、帝国一〇〇〇年の歴史を舐めたらいけないんだろ」
……確かに自分はそう言ったが、ものには限度というものがある。ランドの要求は度を越していた。
「とにかく、そんな額払えないわよ。あとでよく相談しましょ」
「なんだ、帝国は三〇〇万も出せねぇのか。ケチ臭ぇな」
皮肉を言うランドを背に、ルフィルは庶民的な雰囲気の宿の門をくぐった。
気の弱そうな痩せぎすの主人に案内されて、三人は屋敷奥の部屋に入った。
金がないので一人一人別に部屋を取る余裕はない。三人部屋である。
「それではごゆっくり……」
主人が蝋燭を置いて戻っていくと、ランドはいち早く窓側のベッドを占領し、そのまま横になった。すぐに寝息が聞こえてくる。
「こいつは寝るときも剣を抱えて寝るのか? すごいな」
ステラがそう呟くので見てみると、ランドは昨日と同じように、剣に抱きつくような格好で寝ていた。
昨日だけ特別なのかと思っていたが、どうやら習慣になっているらしい。
「しかも寝付くのも早いし。何なんだいこの男は」
感心してるのか呆れてるのかわからない口調で、さらにステラは付け加えた。
「あの、ステラさん」
「何だい? お嬢ちゃん」
ルフィルはステラに敬語を使うようになっていた。相手は元盗賊、それも自分を狙った盗賊の首領なのだが、どうも萎縮してしまう。
「本当に襲ったりしません?」
「……信用されてないなぁ。確かに、しょうがないけどさ」
ステラは苦笑いを浮かべた。その表情があまりに人間臭く、ルフィルは妙な安心感を覚えてしまう。
「何か全然、もう盗賊って感じしませんね」
「そうかい? まあ元々、好きでなったわけじゃないしね」
「え、そうなんですか?」
「ああ」
そう言うとステラはベッドに座り、床に視線を落とした。
「私ね、貧乏だったんだよ。小さい頃。いつもお腹すかしてて――家も戦火で焼けちゃってさ。両親も早くに死んで、生きるだけで毎日大変だったよ」
ステラは続ける。
「なんとか自分の力で、生きていかなきゃならなかったんだ。そのためになったんだよ、盗賊は。もちろん、人の物を奪って生きるわけだから、綺麗な仕事じゃないよ。だけどね、生きるための手段に綺麗も汚いも選べなかったんだ。あの頃の私には。そんな余裕なんてなかったからね…………さ、もう今日は寝よう。明日も歩くんだろ?」
言うのが恥ずかしかったのか、ステラは照れを隠すようにルフィルに就寝を勧めると、自分も布団をかぶった。
ルフィルは、そんなステラの苦労話に同情していた。確かに盗賊はいけないことだが、そうした事情があったとなれば仕方がないのかもしれない。
「あの剣は、誰かに習ったんですか?」
「あれは我流だよ。昔は力がなくてね、どうやったら非力でも戦えるかを考えて、自分で練習したんだ」
布団の中から、篭もった声でステラは返事をした。
ルフィルは驚愕した。
ステラはすべて、自分の力で何もかも乗り越えてきたのである。
ルフィルが常に自分の無力さを感じながら、結局何もできないのとは対照的に。
――この人は、わたしなんかよりもずっとすごいんだろうな。
ステラが潜る目の前の布団を見つめながら、ルフィルはそう思った。
「おやすみなさい。ステラさん」
ルフィルは燭台の炎を消して、自分も布団に入った。
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
翌朝。身支度を整え、宿を出ようとした三人は、件の気の弱そうな主人と客が言い争っているところに遭遇した。
「おいおい、この店は足の折れたベッドに客を寝かすのか? あぁ?」
ガラの悪い風体の男が、ベッドの足をちらちらと主人の前にちらつかせている。
「こりゃ、宿代返してもらって、さらに慰謝料も貰わねぇとなぁ。オヤジよぉ」
主人はおろおろしながらも、「さすがにそれは……」とか、「昨日見たときにはヒビなんて全然……」などと言って、男の要求に応じない。ああ見えて意外とヤリ手なんだろうか。
「あれ、刃物で切った切り口だよな」
「そうだね」
後ろでは、ランドとステラがそんなことを話していた。
「――そうなの?」
「まあな。見りゃわかる」
「じゃ、言ってあげなきゃ」
ルフィルは店の主人に教えに行こうとしたが、即座にランドに後襟をつかまれた。首が絞まる。
「痛いわね。何すんのよ!」
「ほっとけよあんなの。いちいち首突っ込んでどうする?」
「あなたのそういうところが、わたし気に入らないのよ!」
ランドの手を振りほどき、ルフィルはつかつかと早足で主人に歩み寄った。
「すいません。それ、刃物で切ったんですよ」
突然割り込んできたルフィルを、男は目を剥くようにして睨みつけてきた。店の主人は相変わらず困りきった顔をしている。
「本当ですって。わたしの護衛がそういうの詳しいんですけど、その護衛が言ってました」
「何か文句あんのかこのアマぁ!」
男はカウンターを激しく手で叩くと、ルフィルの襟首を掴んでねじ上げた。カウンター横の壁に押さえつけられる。
男は血走った目でルフィルを睨み続けていた。
だが突然、男の胸から何かが飛び出てきた。
「お?」
男は自分の胸を見つめ、驚きの声を出す。
すぐさま、その『何か』が上に――首の方に引き上げられた。
「ごっ、きぷぴやぁぁぁぁ!」
男は絶叫したが、喉まで『何か』やってきたときには、すでに白目を剥いてしまっていた。力なく、膝からくずおれる。
赤い液体が、『何か』を伝って床にぼたぼたと垂れ落ちている。
ルフィルも自然と床に落とされた。すぐに立とうとしだが、腰が抜けていてできなかった。
ルフィルは、その『何か』に見覚えがあった。
ランドの剣の切先だった。
――キャーッ!
廊下の奥から出てきた中年の女性が、こちらを見るなり悲鳴をあげて卒倒した。
見れば店の主人も、口をぽかんと開けて固まっている。
悲鳴を聞き、はっ、となったルフィルは、慌てて立ち上がってランドの手を引くと、急いで店を出た。
騒ぎを聞きつけて店の周りに集まってくる人々の波を掻き分け、町の東口まで脇目も振らずに走る。ステラもしっかりついてきていた。
そのまま町を抜けたルフィルは、少し行ったところの木陰で立ち止まり、息をついた。
「ちょっと、何やってんのよ!?」
「――何って、護衛活動」
何を怒っているのか、という顔をランドはしている。
「だからって殺すことないじゃない!」
「甘いこと言ってんじゃねぇよ。あの男が絶対お前を殺さなかった保障は? ないだろ?」
一瞬、ルフィルは言葉に詰まる。確かにランドの言うとおりかもしれない。しかし、いくらなんでも――
「だからって、あれはやりすぎじゃない! ステラさんも止めてくださいよ!」
「いや、私は言うなれば居候みたいなもんだから。口出しするのもあれかな、と」
少し申しわけなさそうに、ステラは言った。ルフィルは大きく溜め息をつく。
「とにかく、これからわたしの見てる前で人を殺すのはやめること。ステラさんも、止められる限りは止めてください」
へいへい、とランドは生返事をし、側に生えていた大きな葉で剣についた血を拭った。
ルフィルはもうひとつ大きな溜め息をつく。
ふと、ランドの横顔が、かすかに微笑んでいるような気がした。
驚いて、ルフィルは目を逸らしてしまったが、次の瞬間にはもう普通の顔に戻っていた。
――み、見間違いよね。そうよね、きっと。
背筋が凍るのをルフィルは感じたが、単なる見間違いだったと自分に言い聞かせ、それ以上気にしないことにした。
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
ルフィルは苛立って仕方がない。
急いでドゥマを出てきたものだから、食料も買えなかったしお金も作れなかった。予定がすべて丸つぶれである。
「まったく、あなたのおかげで買い物とかできなかったじゃないの!」
「うるせぇな。済んだことに文句を言うな。次の町まで我慢すりゃいいだけじゃねぇか。……そういや報酬の話はどうなったんだ?」
ランドの言葉からは、全然反省の態度が感じられない。
「そんな話、する気になれないわ。目の前であんなことがあったのに……」
もっと言い返してやろうかともルフィルは思ったが、言い争っても何の進展もなさそうなのでしなかった。
街道の旅も、三日目に突入した。
こうして見ると、葉の青さにもキャグニーとのわずかな違いが見受けられる。
北部地方の玄関口の役割も果たすキャグニーは、気候的にも北よりなところがある。
当然、ここより寒い。葉の色づくのも早い。
ここではまだ、葉には青さが残っていた。とはいえ、あと一週間もすると色が変わり始めるだろう。秋はすぐそこまできている。
「ねえ、もう少しゆっくり歩いてくれない?」
ルフィルは、前を歩くランドに大声で呼ばわる。
昨日とちっとも、ランドの歩く速さは変わらない。まったく、あの男は人の言うことを聞いたことがあるのだろうか?
「ねえってば!」
さらにルフィルはさっきよりも大きな声で叫ぶ。
ランドは一向にこちらに振り返らない。大股でずんずん先を歩いている。
――いくら言っても無駄なようだ。
ルフィルは観念して、少し小走りになった。
「お嬢ちゃん。私に掴まりなよ。そしたら、少しは速くなるかもしれないよ」
ステラが気遣ってくれたのか、そう声をかけてくれた。
「え、でも……」
「遠慮しなくていいよ。むしろ体力のないお嬢ちゃんには、先のことも考えて、あんまり疲れて欲しくないんだ」
遠まわしに見下されているのだろうか。
しかし抗議しようにも実際その通りなので、ルフィルは黙ってステラの腕を掴んだ。
次の町は、意外と早く――なんと昼前に着いた。
実は、宿場町同士の間隔は一定ではない。短いところもあれば、長いところもある。
きちっとした計画か何かでもって町ができていったわけではないのだから、ある意味当然のことだろう。
ルフィルはこれから先で要らないと思う物をすべて売り払い、それで今日のお昼と晩、明日の朝の食料を買った。鮮度の問題もあるので、食べ物はまとめ買いせず一日ごとに買わないといけない。
「どうするんだい? 今日はここで泊まるのかい?」
ステラは「結論はそっちに預けるよ」という含みを持たせて訊いてきた。
「うぅん。次の町まで距離があるんですか?」
「どうだろうね。私もここから東では仕事しなかったからね。ちょっと訊いてくるよ」
ステラは二人から離れ、通りかかった中年の男に近づいていった。
「ねえ」
その間に、ルフィルはランドに話しかける。
「何だ」
「ステラさん、どう思う?」
「どうって、何が?」
「その、だから、あなたは信用してるの?」
ルフィルは声を顰めてランドに尋ねる。
「昨日言っただろう? 信用するかしないかなんてどうでもいいんだ。何か問題が起こったら、オレがあの女を殺せばいいって。お前こそオレの腕を信用してないんじゃないのか?」
言葉の端々に刺々しさを滲ませ、ランドは露骨に不機嫌を表した。
「いや、そういう次元のことじゃなくて……」
「ああああっ!」
突然、目の前の男がこちらを指差して叫んだ。
いきなり変な声を出されたものだから、ルフィルは心臓が飛び上がりそうになった。隣にいるランドも目を大きく開いて、驚いた様子を見せている。
男は、顔を見る限りはまだ若そうだが、頭が禿げかかっていた。
「お、お、お前、一昨日の!」
男はルフィルとランドを交互に指して、声を震わせている。
ルフィルは目の前の男が何で驚いているのか、さっぱりわからなかった。
「何だあいつ」
ランドも同じ印象を抱いているらしい。
やがて男の表情がニタニタ笑いに変わり、
「……っへへ。こんなところで会うとはな。お前をさらって売り飛ばせば大金持ちだ。へへへ」
ルフィルの体が瞬時に硬くなった。
――この男は、自分の正体を知っている? まさか昨日の――?
「お前、盗賊の仲間か?」
ランドも気づいたらしい。
「なんだよ、忘れたのか俺の顔を? 一昨日会っただろ、裏道で。お前がいきなり出てきてジューを殺して……それだのに勝手に忘れるとは――」
「ロア! ロアじゃないか!」
男はグチグチと文句を言っていたが、そのとき、騒ぎを聞きつけたのか、ステラが戻ってきた。
「その声――まさか、お頭!?」
ロアと呼ばれた男は顔色を変え、背筋をしゃんと正した。
「そういやお前は、私の素顔は見たことがなかったんだっけ。……それにもうお頭じゃないよ。テジック家はなくなったんだから」
「は、はあ」
さっきまでの威勢はどこへやら、あっという間に縮こまってしまった。
「今お嬢ちゃんたちと話してたみたいだけど、何話してたんだい?」
「そ、それは……」
ロアは言葉に窮している。
「わたしを売り飛ばして、大金持ちになりたいんですって」
少し意地悪いかな、と思いつつルフィルがそう言うと、ロアの顔色がみるみる青ざめていった。
「本当かい? お嬢ちゃん」
ステラはロアの顔を覗き込む。
「え、あ、その……そうだ、お頭も一緒にこの女さらいませんか? 皇女ですよ? 売ればかなりの大金が俺たちに――あ、もちろん山分けなんてことは言いませんよ。四対一で。もちろん俺が一の方ですよ、ええ」
ひどく狼狽した口調で、ロアは一気に撒くしたてた。
「ロア……やっぱりお前のその喋り方、直らないんだな」
ステラは呆れたように言い放った。
「皆に聞いてないか? このお嬢ちゃんのことは秘密だって」
「え、いや聞きましたけど、でももったいないじゃないですか。こんなおいしい話がすぐ近くに転がってるのに、手を出さないなんて男の名折れですよ」
「そうか、じゃあ――」
ステラは腰に差している剣に手を当てた。
「私はお前を止めなきゃならないね」
そのステラの声は、普段よりかなり低かった。
ロアは驚きと戦慄と混乱がない混ぜになったような顔で、見ているこっちが恥ずかしいぐらいしどろもどろになる。
「え、ええ、でも――というより、何でお頭がそいつらと一緒に……」
「それは今関係あるのかい?」
「い、い、いえ。ありません」
ロアはすっかりすくみ上がってしまっていた。
そこへさらに、ランドが追い討ちをかける。
「……おいお前、この女をどうにかするってんなら、当然、オレともやりあうってことになるんだがな。わかってるか?」
「す、すいませんでしたぁ!」
ロアは猛然と駆け出して東の入口から出て行くと、すぐに左手の森の中に消えていった。
「ったく。度胸もないのに突っかかって来るなってんだ」
ランドはどこか不完全燃焼なのか、そう毒づいた。
「これで信用してくれたかい? お嬢ちゃん」
そのあたり、やっぱり気になっていたんだろう。ステラは自信を持った目でこちらを見つめている。
「あの、でもステラさん、その……よかったんですか?」
「何がだい?」
「だって、わたしを売り飛ばせば大金が――」
ルフィルがそう言うなり、ステラは声をあげて笑い出した。
「誘拐されそうになった人間が、犯人の心配をするもんじゃないよ。ハハハハ」
珍しくランドも小さく笑っている。
自分で言ったことが原因なのだが、ルフィルは段々腹が立ってきた。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか! わたしはわたしなりに――」
「ああごめんよ。お嬢ちゃんはそれでいいんだよね。それで」
目に溜まった涙を拭きながら、ステラはルフィルに謝った。
……どうもまだバカにされている気がするが。
「しかし、よく考えればもったいない話ではあるな。オレは金にそこまで興味はないが――」
「ちょっと、何言ってんのよ」
ルフィルはランドを睨みつける。
「まあでも、オレが領主ならこんな可愛げのないお姫さまは勘弁だな。毎日相手するのも疲れるだろうし、何より置いとくだけでうるさい」
「この――言ってくれるわね!」
ルフィルが繰り出した平手を、ランドは余裕でかわした。ステラがまた、大きな声で笑いだす。
「私は二人のために行動するよ。旅仲間ならそれが当たり前だし、今はそれしかできないからね」
ひとしきり笑って、それでもまだ口もとが緩んでいる顔で言ったその言葉は、とても様になっていなかった。
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