___________________________________
気を静めようと、先生が好きだと言っていたロックを聞いてみたが、だめだ
った。ロックの激しいビートに呼応するように、胸の鼓動は、ますます、高ま
るばかり。
ため息、一つ。彼はMDを止め、イヤホンを取る。
夕陽に赤く染まる西の空を、彼は見る。もう、そろそろ先生が来る頃か。
駐車場で、先生をじっと待つ彼の脇を、変な顔をして、学生が通り過ぎた。
(先生も変に思うだろうか?)
彼は思った。
(けれど、これで最後だ。)
先生の赤いバイクは、なかった。しかし、たまに見かける彼女の車に気付き、
彼は安心した。
大学を卒業する前に、せめて、気持ちだけは伝えたい。それで、どうなるか
なんて、ちっとも考えてない。先生は結婚していて、しかも子持ち。一体、何
を期待しようか?
でも、最後に、言っておきたい。
先生が玄関から出てきた。取れかけの赤いパーマをなびかせて。
彼は先生に声を掛け、彼女は、「卒業、おめでとう」とにっこり、立ち止まっ
て言った。
彼は、まず、就職活動の際の礼を述べた。進路先に迷っていた彼に、先生は
親身に相談にのった。就職担当とはいえ、講義で会う程度だった自分に。
(あの日から、先生を見る目が変わったんだ。)
彼は、しみじみと思い出す。
先生の講義を、彼は、真面目に受けた。そして、先生の研究への熱意を知っ
た。学生の指導の傍ら、色々な雑事に追われる助手の仕事。それでも、先生は
自ら実験をし、論文を精力的にだしている。本当の研究者だ。
しかし、彼は気にかかっていた。今の日本の大学に、女の教授なんて数える
程しかいない。彼は尋ねた。
「先生は、未だ、助手を続けるんですか?」
先生は、のん気に「そうだね」と答えた。
(企業の方が、よっぽど、先生の力を発揮できるのに。)
「何故、先生をしているのですか?」
「教えるのも好きだからかな。」
先生は、いつものように笑って、続ける。
「それに、山中君のような、若い学生さんとお付き合いするのも楽しいよ。」
(またまた。そんな事を!)
彼は、苦笑い。
(こっちは心配しているのに。でも、先生が幸せなら、いいか。)
風が吹いた。
駐車場の隅で咲き誇る、早咲きの桜から、たくさんの花びらが飛んでくる。
夕陽に照らされた二人の元に、美しく舞い落ちる桜吹雪。しばし、二人で、
それを眺めれば、さながら映画のワンシーンのよう。我ながらロマンチスト
と思えども、彼は感じて、つぶやいた。
「良かった。最後に、満開に咲く桜が見れました。」
それは、二人の世界を彩る、最後の桜か?
不意に、先生がバッグを漁り、ちらりと時計に目をやった。先生が帰ろうと
している。
(ああ、早く!)
彼は焦った。
(何か、話さなきゃ。)
「健一君、元気ですか?」
「元気、元気!学祭の時は、遊んでくれて有難う。」
ドクン、ドクン。脈拍が速くなる。
「健一君、可愛いですね。先生に似てますよ。」
「そうかな。」
(子供のことなんかじゃなくて!)
彼は話題を変える。
「最後に、先生のバイク見たかったな。バイク、イイですよね。」
「イイよ。鼓動が体に伝わるところとかさ。」
楽しそうに笑う先生を横目で見ながら、彼は、ちょっとからかう。
「前、高速で、先生、とばしてましたね。目立ってましたよ。」
「ははは。変なとこ、見られちゃったな。」
先生は照れて笑った。笑い声が響く。
今だ。
「先生みたいな人が、案外、タイプだったんだけどな。」
彼は言った。さり気なく言えたに違いない。彼の心の鼓動とは裏腹に。
先生は、何と言うだろう?
「ははははは!」
笑った。
けたたましく、先生は、笑った。先程よりも、大きな声で。
彼は、あっけにとられ、体から力が抜けた。
先生は、一通り笑うと、静かになった。
彼は、呆然としながら、下に置いていたカバンに手を伸ばした。先生の笑い
の意味を必死に考えた。
聞こえなかったのか?鈍感な先生だから、気付かなかったのか?それとも、
突然の告白が、馬鹿らしくて、可笑しかったのだろうか?
(ああ!先生は、こうして、いつもいつも、笑うのだ!豪快な笑い声で!)
前から、彼は不思議だった。先生は年増だし、大した美人でもない。なのに、
何故、自分は、この人に惹かれるのか?
先生の姿を、思い巡らす。講義の時の先生。研究室にいる先生。廊下でおしゃ
べりをしている、先生。
彼の脳裏に焼きつく先生の姿。それは、いつも、笑い顔。
彼は、ひらめいた。
きっと、この笑いだったのだ。
豪快な笑い。それは、迷いも悩みも苦しみも、全て、吹き飛ばす。
(先生ったら、いつも、お多福みたいな顔してさ!)
うつむいたまま、彼は、一人笑った。
彼は、顔を上げた。
「先生。お時間もらって、すいませんでした。」
「成功したら、連絡頂戴。教え子だって、自慢するから。」
そう言って、片目を閉じ、いたずらっぽく笑った先生に、彼も笑ってみせた。
「是非、そうなりたいですね。」
そして、最後に、言った。
「今まで、本当に有難うございました。では、お元気で。」
__________________________________________________________________________
トップへ。