序奏曲 魔宴へ、黒き碑に踊れ
暗視ゴーグルで補正された深緑色の光景は異質すぎた。
恨みがましく隻眼でにらむ男の死体を確認して、ジェイドは弾薬の尽きた突撃銃ステアーAUGを投げ捨てた。これで追手は最後のはずだが、油断はできない。腰のホルスターから拳銃を抜き、周囲を見渡す。
ジェイドを取り囲む熱帯雨林はどれも奇妙にねじれ、たわめられ、デッサンの狂った写生画のような歪んだ植生をしていた。汚染された地区へ迷いこんだらしい。星夜をさえぎる樹冠がみっしりと頭上を覆い、座標はおろか正確な方角すら判別できない。
遭難を否定したくて、ジェイドは駆け続けて重くなった足を励まし前へと歩き始めた。救助は期待できなかったし、後戻りだけは選びたくなかった。
アマゾン河中流左岸──流域第三の都市サンタレンの北東およそ一○○キロにモンテアレグレは位置する。現地でウニヤ・デ・ガトと呼ばれるキャッツクロウがそっと首筋をなで、ひやりとさせる。悪意を持つ枝を打ち払い、脂汗でぬめる頬をぬぐう。ざらりとした感触は前日から剃っていないヒゲのせいだ。
泥と焦燥と、返り血で汚れた顔を想像すると、ジェイドはとたんにシャワーが恋しくなった。迷彩色の野戦服が肌にはりつく不快感を押して、先へと進む。
侵入者を監視するような密林の雰囲気がねっとりと絡みつき、いらだたしい。枝葉がこすれる音はまるで陰口のようだ。無視しようにも一息ごとに吸いこむ緑の瘴気が体を蝕んでいるのか、感覚はしだいに鈍化していく。
被害妄想だと笑い飛ばそうとして、ふと、ベレッタの太い銃把を握る左手が震えているのに気づいた。敵地で孤立した状況が重くのしかかる。
新生EC(欧州連合)オーストリア方面軍所属の外人部隊『ヴァレンシュタイン』に志願し、過酷な戦場で五年間生き抜いた自信が崩れていく。オールドアークのスラム街を飛び出した十五の頃に引き戻されたジェイドは、情けないまでに怯えていた。
物音も気配もなかった。けれどジェイドは死角に振り向きざま、銃口の狙いをつけた。
闇に浮かぶ、獣の夜光眼がそこにあった。
「七瀬──か?」
反射的にトリガーを絞りかけた指を危ういところで止めて、ほっと胸をなでおろす。
「ジェイドこそ、よく生きていたな。他の連中は?」
同様に銃を構えていた人影が警戒を解き、隠れていた木陰から姿を現す。
ボブカットの白髪にバンダナを巻き、闇に溶ける褐色の肌をした七瀬はジェイドと同じ小隊に所属する傭兵だ。ひとつ年上ながら幼く見える顔立ちは東洋系の血のせいだろう。強靭な意思を秘めた黒瞳にジェイドはつい、ひとつの事実を失念してしまう。
一見して華奢に映る七瀬の、ベストを着用した胸部が豊かに隆起していることを。
手放しで合流を喜ぶには、仲間の最後が悲惨すぎた。
言葉もなくジェイドは短く刈った金髪の頭を振って応えた。
「仕方ない。ジェイド、小休止して態勢を整えよう」
「いや、撤退すべきだ。奴らは手強い。たった二人じゃ、任務達成は無理だ」
「できるかどうか訊いてない。現状でいかに最善をつくすか、ただそれだけを考えろ」
上官の根性論にジェイドは黙って肩をすくめた。
ジェイドを含む『ヴァレンシュタイン』小隊が他国の領土であるモンテアレグレ近郊に広がる『喪失の密林(ロスト・セルバ)』に潜入、極秘作戦を展開したのには複雑な裏事情があった。
高度な外交取り引きとやらの経緯を、ジェイドは順を追って思い出してみる。
半世紀前に『超災厄』の混乱に乗じて南下、南北アメリカ大陸を統一した大国は新大陸合衆国を名乗り、新世紀復興を旗印にして植民地経営に力を注いできた。
時代は繰り返すものらしい。
過剰な搾取との不満を母胎に現地住民(インディオ)は反発を孕み、さらなる悲劇へと成長するレジスタンス運動を産んだ。
モンテアレグレもそのひとつだ。
一九七○年代末に発見されたウラン鉱床が食指を誘った。いかに霊子力炉(サイ・リアクター)が諸エネルギー問題を解決した魔法の力だったとしても、従来のウラン利用価値が減じたわけではない。
ウラン採掘のため奨励された労働は放射能汚染を招き、奇形児出生率八割という成果を残した。むろん『汎病禍(パンデミック)』の影響は無視できないが、過小評価するにはあまりにも深刻すぎる数字だった。これではあと一世代を経たないうちに現地住民は滅んでしまう。
──蜂起した叛乱分子(パルチザン)を掃討せよ。
合衆国軍の誇る機械化歩兵(マシナリー)大隊の消息がふっつりと途絶えた矢先に、この命令である。急遽決定された命令に初陣前の新兵でさえ、不穏な予感を覚えるはずだ。
EC軍へ特殊部隊派遣の打診をする前に、合衆国は掃討作戦を数度にわたり展開したと思われる。にも関わらず派遣要請に、『ヴァレンシュタイン』年間運営経費の七割を供出するEC総会上院議員のサインが記された。
アメリカン・スピリットの軟弱さを責めるのは酷だろう。
戦術的撤退の要因に、モンテアレグレの特殊な地理条件があった。
治安維持に出動した合衆国陸軍から逃れ、パルチザンが身を隠している巣窟こそ、ポスト・アポカリプスの世界にかろうじて遺されたアマゾン盆地東端の密林地帯であり、地球最後の緑の楽園であった。
広大なアマゾンの密林は太古から繁茂し続けてきた。けれども、前世紀初頭に地球表面積のおよそ一四パーセントを占めていた熱帯雨林も、現在ではわずか一パーセントを切るところまで縮小を迫られている。
すでに地表から緑が消えて久しい──そうジェイドは教えられ、作戦区域上空に達した軍用機から眼下を眺めるまで疑いもしなかった。
かつて生物資源開発協定を監視するバイオアマゾニア、アマゾン生物的多様性持続利用協会によって熱帯雨林自然保護区に指定された地域は様々な利権が交錯する合衆国の思惑によって情報操作および検閲され、完全に秘匿されてきたのだ。
ひとにぎりの人間をのぞき、知るべきではない事実として──。
「斥候は不要だ。今は休め」
七瀬は巨木の根元に口開いた空洞を見つけると、小柄な体を潜りこませた。
付近に敵の気配はない。発見、包囲されるとしてもしばらくは時間が稼げるだろう。疲れた体を休め、避けられない戦闘に備えるのが冷静な判断というものだ。
空洞にはまだ、長身のジェイドでもなんとか入れるだけの余裕がある。
舌打ちしてジェイドは湿った空間に腰を落ち着ける。きつい樹脂臭は我慢できる。それよりも、どっと押し寄せた疲労に驚いた。つい先ほどまで酷使した肉体と精神がここぞとばかりに休憩の履行を訴えているのだ。
「『喪失の密林』か──笑えないジョークだぜ」
ジェイドは隣を意識しつつ、呟いた。
心細くないと言えば嘘になる。不安なのだ、この密林は負の感情を増幅させる瘴気で満ち満ちている。五感に刺激されて不吉な予感が手に負えないほどふくらんでいく。
生まれて初めて体感する原生密林は勝手が違った。記録映像から作成した仮想現実での疑似訓練では経験しなかった、殺意すら漂わす密林の正体に威圧された。
今にして思えば、密林に降り立った時点で敗れていたのだ。
唇を噛んだジェイドの脳裡に親しい笑顔が浮かぶ。
「レオパルド、パパチーノ、エールリッヒ──」
言葉にしても実感はない。彼らを、戦友をこの密林で永遠に喪失したなんて。
『ヴァレンシュタイン』を束ねる世話女房役の小隊長、兵器全般に詳しい歴戦の老兵、トラブルメーカーにしてなぜか憎めない陽気な新参兵。
彼らは密林に消えた。おそらく先の掃討作戦に参加した、多くの合衆国兵士と同じく。
地の利はパルチザン側にある。
この『喪失の密林』は彼ら現地住民、パルチザンの庭なのだ。
密林という地形では装甲戦車など地上兵器や航空兵器の支援が期待しにくい。貴重な資源環境を保護し機密を守るためにも投入できる戦力は限られ、人海戦術に頼ることもできない。強力な火器を装備した兵士でも貧弱な投げ槍に貫かれると死ぬ。慣れない戦場での戸惑いはそっと木陰から背後に忍び寄る隙を生み、首を掻き切られる被害が続出した。
彼らは密林の戦士だ。数万年前からここで暮らし、共存してきた密林の一部なのだ。密林ごと焼き払わない限り、いつまでも頑強に抵抗し続けるだろう。
EC軍最強の特殊部隊と自負する『ヴァレンシュタイン』でさえ、戦死者を出した。深緑の密林は不気味な陰りを落とし、容易に先を見通すことができない。
「畜生、なんだってあんな、あんな──」
あの、のたうつ巨大な塊はいったい何だったというのか?
それだけが解せない。
ジェイドは膝を抱え、自問する。
肩を並べた戦友の最期であると同時に、戦慄を禁じえない光景が網膜に焼きついたまま忘却を拒絶する。審判の日以来、世界はこうも変貌していたのかと、改めて愕然とさせられる。祈るべき神を見出せず、何を呪えばいい?
蔓のように細くしなり、うなる黒いもの。
触肢か。人類の言語にはそれを表現する的確な単語がない。
飛来した触肢に左足を巻きつかれた戦友は束縛から逃れる間もなく、抵抗むなしく引きずられ、密林の奥に消えた。小気味良く連射していた自動小銃の銃声が止む。すると、かわりに甲高い悲鳴と、何かをむさぼり喰うような咀嚼音が聞こえてきた。
音をかき消すようにジェイドはアサルトライフルを乱射した。
聞きたくなかった。なにより、想像したくなかった。
樹影越しに見た、のたうつ巨塊は開閉するしわのような無数の口からそれぞれに牙を剥き出しにして暗緑色の涎をたらし、嘲笑していた。──餌でしかない人間を。
叫んでいたと思う。前後の記憶が不明瞭になっている。
確かなのは禁忌の地を犯した、昏いおののき。この密林は太古の闇と深淵に属する暗黒の聖地なのだ。資格なき者が踏みこんだが最後、二度と生還はおぼつかない。
やみくもに密林を駆け抜け、追手を撃退し、奇跡的に七瀬と合流できた。
このまま、俺たちも密林に消えるのか?
底なしの穴に落ちていく思考を慌てて振り払う。
ジェイドは戦い続けねばならない。今日という地獄で罪にまみれ、希望にあえぎつつ手を先へと伸ばし、みじめに抗うのだ。そこに安易な妥協が入りこむ余地はない。
他者を殺すことでしか、明日を生きるすべはないのだから──。
「少し黙ってろ」
そう言った七瀬は体を押しつけてきた。成熟した女の放つフェロモンとかけ離れた、しみついた血と汗と、硝煙の匂いが鼻をくすぐる。柔らかな丸みの欠けた筋肉質の感触も異性をまったく感じさせず、それがかえってジェイドには好ましかった。
野戦服ごしに伝わるぬくもりに、ジェイドは蒼氷色の瞳を閉じた。
朽ちた廃墟で、銃弾の雨降る塹壕で、二人は常に身を寄せあってきた。
お互いに背中を相手に預け、死地を潜り抜けてきた。
思い出していると、緊張した筋肉がゆっくりと弛緩していく。
七瀬は全身をサイバー(機械)化した、破壊と殺戮を好む野獣だ。吠えるだけのジェイドを獣へと育てた、血に飢え猛る美獣だ。戦場(ダンスホール)で流血の輪舞を飽くなく踊り続ける獣神だ。
踊り疲れたその時こそ、死の抱擁に迎えられ眠ることができるだろう。
不平等な現実の、避けられぬただひとつの公平な審判がいつか、下る。
しかし、それは今ではない。──断じて。
わずかな時間とはいえ、眠っていたようだ。
闇はひそやかに澱んでいた。
目覚めても現実は悪夢となんら変わりない。ささやかな疲労回復がせめてもの慰めだ。
現時刻は○二三八。夜明けまで──遠い。
隣を見れば、七瀬は拳銃を分解掃除していた。
コレクター向けに復刻製造されたばかりの回転式拳銃コルトSSA45──通称、ピースメイカーをベースに七瀬が大幅な改修を加えたオリジナルガンだ。ハンドガンながら、ひとまわり大きく感じるのはキャルバリーサイズのせいだけではない。五○口径銃弾を八連発使用するために銃身や回転部などすべて特注品に換装しているからだ。
純銀で表面加工されたこの大口径リボルバーを七瀬は『アージャント・シュヴァリエ(白銀の騎士)』と呼ぶ。
アナクロとも思えるその執着(こだわり)を注意したことがあった。
──八人以上の敵に囲まれたら、どうする?
いくらスピードローダーを使ったとしても次弾装填には隙が生じる。連射性に優れたオートマチックにはかなわない。ジェイドの愛銃『ツインテイル』は複列装填式弾倉機構を採用しており、最大装弾数三○+一発を実現している。
七瀬の返答は明確だ。
──そうならない状況にするのがプロさ。
言い切れる自信がうらやましい。
乳児を扱うような繊細な手つきでパーツにガンオイルを注し、すり合わせを満足げに確認していた七瀬がジェイドの視線に気づき、眉を寄せる。
「何をニヤついてる? 気色の悪い」
顔を向けながらも七瀬の手は動いている。ものの一○秒とかからず、部品は寄り集まりひとつの狂暴なかたちを成す。指先が銃の機構を熟知しているのだ。
ジェイドから視線を戻した七瀬は硬化チタン鋼の銃剣を銃身の下に装着し、輪胴に一発ずつ強装弾をこめていく。合計八発を装填すると手首をひねりスイング・インさせる。手にずっしりとかかる重量に七瀬の黒い瞳は獣のように欲情し、濡れていた。
ジェイドは嬉しかった。
七瀬の脳裡に敗北はない。忍び寄る影を怯える者に、こうも落ち着いて拳銃の分解掃除ができるものか。
七瀬は強い女だ。惚れ惚れとするほどに。
「行くぞ、ジェイド」
身支度を整え立ち上がった七瀬に、ジェイドは続いた。
無音の戦場に濃密な緑の瘴気が漂う。
チュチュワシ、アブータ、コパイーパ、ジャトバ、ペドラウカメアア、ムタンバ、スマ、ガラナ、サルサパリージャ、アルガチョフラ、そしてパッション・フラワー。
セルバと呼ばれるアマゾン熱帯雨林の植生は特殊だ。アフリカや東南アジアのジャングルと違い、高く生い茂った樹冠が日光をさえぎり、下草は少ない。
土壌が非常に痩せているせいだ。失われた北方の針葉樹林帯などと違い、アマゾンでは外見とは裏腹に植物の生育に必要な栄養塩基を含む層が薄い。限られた資源で密林を維持するには高速循環させるしかなく、落葉はすぐさま分解され、養分として再吸収される。下草を茂らせるだけの過剰資源がないのだ。
そのため、前世紀に拡大した焼畑農業への転換開発ではもとからの地力を数年で吸い尽し、熱帯雨林を喰い潰す環境破壊行為と同義となる。そんな、非常に危ういバランスの上に成り立つアマゾンの熱帯雨林は決して豊穣の地とは呼べない。
これらのレクチャーはすべて七瀬の受け売りだ。広範囲にまたがる雑多な専門知識は優秀な傭兵にとって必須のスキルだと拳とともに叩きこまれた。
前を行く七瀬がふいに方向を変え、一本の樹の前で立ち止まる。
「ジェイド、来い」
師匠の命令には絶対服従だ。口答えは許されない。態度や目つきが気に入らないと難癖つけて殴るのは、スラムのキッドギャングより不条理だった。
ジェイドを待って、七瀬はピースメーカーの銃剣で白っぽい斑模様の幹を斬りつけた。
「──血?」
斜めの切り口からとろり、深紅の液体がこぼれだす。
この狂った密林では、樹も血を流すのだ。
「ただの樹液だ。この樹はサングレ・デ・グランド(ドラゴンの血)という。それよりもジェイド、左腕を出せ」
「な、どうして?」
左腕を庇うように隠してから、ジェイドはカマをかけられたと悟った。
「ケガをしているのだろう? この樹液はそのまま患部に塗れば止血・回復促進、それに感染症の防止に役立つ。鎮痛・抗炎症成分を含むイポルルや鎮静剤の代わりになるマラクーハも探してみたが、見当たらない。これで我慢しろ」
強引にジェイドの左腕を掴むと、パルチザンの投げ槍がかすめた傷口に七瀬は赤い樹液をべったりと塗りこむ。
「……ッ」
傷口に染みた。けれど、隠していた負傷を見抜かれた恥辱が鈍痛に勝った。
待ち伏せしていたパルチザンの奇襲、それに続く逃走で医療キットや携帯食糧など、大半の装備を失っていた。所持している武器はベレッタM92FS改『ツインテイル』と予備弾倉五本、セラミック一体形成のサバイバルナイフ一本とかなり心細い。七瀬直伝のマーシャルアーツ(格闘術)が要求される局面は案外と近いかもしれない。
七瀬は外したバンダナをジェイドの左腕に巻き、応急処置を終える。
「すまん──」
礼を言おうとした時だった。
七瀬がびくりと体を震わせ、振り仰いだ。
タムタムタムタムタムタム──。
低く、単調な太鼓の音が頭蓋に直接響いてくる。
ジェイドは音源を求めて周囲を探る。が、濃い樹影にさえぎられて特定するのは難しい。太鼓の音は右からも左からも──近い所から、あるいは遠い所からもまるで二人を押し包みこむようにして聞こえてくる。
「いよいよ本腰を入れてきたか」
「ケッ、待ちくたびれたぜ」
ジェイドと七瀬は顔を見合わせ、頷く。
「準備はいいな?」
「OK。仲間の仇討ちだ」
笑った七瀬がジェイドに向けて発砲する。雷鳴に似た轟音を伴い、大口径の銃弾が左頬をかすめる。背後で肉を潰す音がした。振り返ると、頭部を失ったパルチザンの戦士がどさりと倒れたところだった。
そのことを七瀬が指摘したのは、二本目の弾倉を使いきった時だった。
ジェイドと七瀬は密林を駆け抜けながら出現するパルチザンを射撃する。予備弾薬が限られている以上、精密な照準が求められる。七瀬はピースメーカーの破壊力を生かし、一発の銃弾で同火線上の戦士三人の命を奪う。
ジェイドが撃つ。七瀬が撃つ。撃つ、撃つ、撃つ。
相変わらずタムタムと続く太鼓の音を基調に、銃声がアドリブを加える。一拍ごとに血の華が咲く、虐殺の競演(セッション)。二人は最高の演奏者だった。息の合った二重奏(デュエット)にパルチザンの聴衆たちは近寄ることさえできず、高い代価を支払う。
「ジェイド、変だと思わないか?」
「変というか、正気じゃないぜ」
反動で跳ね上がる銃口を御しながら、ジェイドは叫ぶ。弾倉選択レバーが切り替わり、片方の弾倉を使いきったと知らせる。
「よく見てみろ。奴ら、体のどこかが──ない」
指摘を受け確認してみると、なるほどパルチザンの戦士には共通点があった。目立つのは片腕を失った者だ。器用に片腕でバランスをとり、赤い飾りのついた槍を投げてくる。また片目の者、片耳の者、粗末な木製の義足をつけた者もいた。
ウラン採掘に従事し、奇形が多いのは事前に聞いている。しかし、これほど障害者が多い戦士集団とは想定外だ。
飛来する矢を避け、新たな弾倉を装填しながら答える。
「だが、それが何の役に立つ? こいつはどうだ?」
ジェイドが蹴ったのは、できたてほやほやの死体だ。
彼の浅黒い上半身にはアチオテの種から採れる原料を使い、幾何学模様をアレンジしたボディ・ペインティングがなされていた。所属する部族に伝わる戦化粧なのだろう、妙に不快感をかきたてる紋様だった。銃弾に貫かれた心臓をのぞき、彼の体には欠けた部位は見当たらない。
七瀬は屈みこむと、いきなり死体のズボンを剥がした。
「去勢されている。意味は、私も知らん」
冷ややかな七瀬の態度に、ジェイドは顔をしかめた。
「意味なんて考えてる場合か。どうも巧妙に誘導されていたらしいぞ」
包囲網の手薄な場所をどうにか強行突破するつもりだった。だが、最初の襲撃でひとりを負傷させ小隊の機動力を奪った戦術といい、いまさらながら侮れない敵と思い知る。
「罠なら飛びこんで、罠ごと突破するまで。行くぞ!」
頼もしい師匠の言葉だ。ジェイドは苦笑して後に続いた。
駆けながら、周囲の喧騒に嬌声が混じっていることに不審を抱く。いきなり、広い空間に出た。真昼のような明るさにハレーションを起こした暗視ゴーグルをジェイドは脱いだ。
最初に目に飛びこんできたのは取り囲む松明の炎に照らされた、広場の中央にそそり立つ黒い巨石だった。高さは五メートルを優に越える。柱状の胴回りも直径三メートルはあるだろう。一目で男性器を象徴していると知れた。表面に何か、模様めいた象形文字らしき陰影が刻まれている。ただ、距離があってはっきりと読み取れない。当惑させられることに、鈍く光る黒い石の材質がどうにも見当がつかない。二重円を描く八つの石柱を従えたその威容は、欧州北辺で見受けられるストーンヘンジ(環状列石)を連想させた。
広場では黒い碑を中心として、ほぼ全裸の現地住民たちが踊り狂っていた。
「まるで、中世暗黒時代のサバトだ」
魔女たちの集う、ヴァルプルギスの夜を再現しているのか。
年齢性別に関係なく瞳にぎらついた情炎を宿し、集会者たちは猛っていた。反りのある短剣と火の粉を振りまく松明を掲げ、咆える少年の股間が血に濡れていた。女に抱かれるようにして四肢のない男が交合している。全身の穴という穴から体液をたれ流した盲目の老女が祭壇の炎に自ら飛びこんで歓喜の舞踊を演じ、夜空を焦がすほど燃え上がる。
その誰もが、共通して何らかの奇形や障害を抱えていた。魔宴の熱狂は物理的な圧力を感じるまでに高まり、渦巻いていた。
広場は、狂乱が支配する聖地であった。
「サバトは本来、豊穣を祈願する古代祭礼の儀式をキリスト教側が色眼鏡で見た呼び名だ。ごらん、あの魔女が魔宴の祭司だろう」
黒い碑の根元に、その女はいた。
白い髪と肌、赤い瞳──先天性色素欠乏症のアルビノだ。照り返しに浮かび上がる美貌は妖しいまでに魅惑的で、黄金製の各種アクセサリーで縁取られている。その威厳は夜の女王にふさわしい。まだ未成熟の肢体を惜しげもなくさらしており、象牙色の胸に三日月型の傷痕が刻まれているのが見えた。
隣では、悪夢から抜け出たような黒山羊の仮面を被った男が抱えた黒い太鼓を一心に叩いている。魔女は恍惚ととろけた顔で音色に酔いしれ、ジェイドたちに気づいていない。
「部族のシャーマン呪術師だな。この香りはカトゥアバ? ムイラプアマ? どちらにしろ性欲を刺激高揚させる媚薬に違いはない。さらにこの狂態から察するに、アヤワスカを大量に使用しているようだ」
七瀬は憎いほど冷静に分析する。
アヤワスカは精神活性作用剤──意識を変容させる一種の植物性麻薬の原料となる。インカの言葉ケチュア語で「死霊の蔓」を意味し、死者とを結ぶ交霊儀式などで使用される。
実際には、アヤワスカ単体に麻薬成分はない。
調合する際に加える、チャクルーナの葉にDMT(幻覚誘発物質)は含まれている。DMTには脳内でセロトニンレセプターと相互反応を起こし、服用者を変性意識状態に導く作用がある。ただし、経口摂取しても人体で生成されるMAO(モノアミン酸化酵素)がDMTを即座に分解、代謝してしまうので効能はない。そこでアヤワスカに含まれるハルミン・ハルマリン等のMAO阻害剤でその免疫機能を弱める必要があるのだ。
この二つを組み合わせたバイナリー・ドラッグ(併用麻薬)は、科学知識のない太古から連綿とアマゾンの呪術師に受け継がれてきた処方である。手早く説明していた七瀬が唐突に口を閉ざす。
遅れて、太鼓の音が消えていることに気づいた。
ジェイドと魔女の視線が絡み合う。
魂の深淵まで見透かすような邪眼だった。
いあ! いあ! しゅぶ=にぐらとふ! いぐなうい! える・やあ・やあ・はあ・はある・るうあああ!
突如として魔女は絶叫した。
そして一斉に、魔宴に集う者たちが唱和する。
いぐなうい! いぐなうい! いえう・や・や・や・やはあはや・える・やあ・ああ・むぐる・いえふ・あうら・や・ふたぐん!
人でなく、ましてや獣でもない叫び。──原初の叫びだった。
惑星が誕生した頃のアカシャ記憶を呼び覚まそうと、口々に彼らは声を大にして謳いあげ、その御名を讃えた。
いあ! しゅぶ=にぐらとふ! いあ! いあ! しゅぶ=にぐらとふ!
ジェイドは知っていた。
総毛立つ感覚をともなった、強烈なデジャ・ヴュ(既視感)に襲われる。
それはいつのことだったか。深い闇に包まれた有史以前から、その黒い碑は変わらぬ威容でそびえ、魔宴の象徴として君臨していた。特別な刻、遥かなる星辰がめぐり、魔術的配置で夜空に畏怖の図形を浮かび上がらせる。咆哮。大地より古い存在(もの)へ朗々と祈祷文を訴える。血が流れた。生命の水が。断末魔が星にこだまする。月光を反射し、きらめく刃。喝采、喝采、喝采! 鼓膜を打ち破る声。ひそやかに闇であった、それは──。
いきなりジェイドの右頬に狂暴な拳が入り、断片的なフラッシュバックは霧散した。
「しっかりしろ、こんなところで寝ぼけてると風邪をひくぞ」
頬を押さえて立ち上がったジェイドに、七瀬はさも心配そうに声をかけた。
「森の黒山羊に千人の若者の生贄を、か。欧州はハンガリーの山岳地帯で似たような原始宗教の祭儀が行われていたらしいが、まさかアマゾンで目撃するとはな。ジェイド、私たちはどうやらこの魔宴の主賓──生贄(サクリファイス)として招待されたらしいぞ」
「辞退したくなるほど、光栄だね」
薄々と察しをつけてはいても、実際に血に飢えた狂信者集団に囲まれてみるまで信じられなかったのが本音だ。じりじりを包囲網を狭める彼らの生臭い息に、戦場馴れしていても抑えきれない胸のむかつきを覚えた。くわえて、最前から過剰分泌されているアドレナリンが渇いた喉をひりつかせる。
「恐いのか、ジェイド? それなら頭を抱え震えているがいいさ。私はとにかく往生際が悪くてね、とことん暴れさせてもらう」
さすがに、周囲の群衆に一発ずつ銃弾をプレゼントするには絶対数が足りない。
七瀬は無造作にピースメイカーを黒い碑に向けると発砲した。
否。黒い碑を狙ったのではない。
黒い碑を背にした、魔宴の祭司である魔女を狙って撃ったのだ。集団を指揮するリーダーを先に潰すというのは集団戦闘のセオリーながらこの場合、通用するとは思えない。かえって猛獣を制止していた鎖を解き放つようなものだ。
ジェイドは刹那、魔女がにやりと微笑んだように見えた。
その意味を確認しようにも、遅かった。
直後、べちゃりと黒い碑に浴びせられた細切れの血肉はもう、何も語らない。
「……はン?」
唐突な静寂が場を支配する。
魔女の死とともに時は凍りつき、歩むことを忘れたかのよう。
七瀬に続き混戦に参加しようとしたジェイドはたたらを踏む。
次の瞬間──異様な気配がこの場にいる全員の背中に氷塊を生じさせた。
「来る! 何かが、来る!」
これまで一度も戦場で取り乱したことのない七瀬が叫んだ。
誰に教えられたわけでもない。気配と呼ぶにはあまりにも大きく、危険な不可視のエネルギーが周辺の熱狂を取りこみつつ黒い碑へと集束されていくのを感じる。強力な磁力にも似た吸収力に体が魂ごと引っ張られそうになって、ジェイドは慌てて抵抗する。
と、同時に黒い碑から瘴気が放出された。まるで決壊寸前の堤防を連想させるように微細なすきまから漏れた凶気がゆるゆると世界を侵蝕していく。
ああ、世界が終わる。信じていたものが片端からこぼれていく。
古(いにしえ)の不浄のもの 世界の
闇(くら)き忘却の片隅になおも潜(ひそ)みおりしと云う
闔(とびら)なおも口を開け しかるべき夜に
地獄の幽閉(とじこ)められたる異形のものを解き放つとや
「……七瀬、それは?」
ジェイドは歌うように呟いた七瀬の、蒼ざめた横顔を見つめた。
「黒の詩人ジャスティン・ジョフリの詩さ。見ろ、地獄の蓋が開く!」
「────ッ!」
衝撃波に似た、一陣の凶風が巻き起こる。
身を屈め、腕で庇った間から黒の碑を見ると、石の表面から既存の物理法則を無視して黒く粘質のまがまがしい気を帯びた何かが、ずるりと抜け出ようとしていた。
それは冒涜的なまでに人の魂を犯す、うごめく混沌だった。それはタールのように泡立つ塊にして、大いなる生命の源だった。それは幾千億もの夜を集め、星の灯火を取り除いた純粋なる闇にして、光を孕むものだった。
それは、それは、それは──。
「ジェイド!」
魔宴の喧騒を倍する狂乱の渦中に叩きこまれてなお、はっきりと聞こえた。
狂気に陥るジェイドを引き止めたのは、七瀬の声だ。
「何だ、あれは? 狂ってる、世界が狂っている! ありえないんだ、あんなモノが存在するなんて──そうか! これは夢だ。アヤワスカが見せる幻覚に過ぎないんだ!」
叫ぶジェイドの、振りあげた左腕にいきなり黒い蔓が巻きついた。触肢だ。急激に牽引される力に足が地を離れる。叫ぶ間もない。が、唐突に力が消失した。
七瀬がとっさに銃剣で触肢を断ち斬ったおかげだ。
それでも残った慣性にジェイドは頭から地面を滑り、泥まみれになって転がる。麻薬による幻覚症状と信じこむにはひどく生々しい、リアルな痛みだった。
助かったとの思いは次の瞬間、裏切られた。
「ぐぎゃああああ!」
左腕に激痛が走る。気絶すら許されず、ただ絶叫する。
左腕に巻きついて残った触肢が皮膚を溶かし、体内への侵蝕を始めていた。震える手先が一気にどす黒く変色する。浮き出た動脈が破裂し、鮮血を吹く。触肢は吸収同化した組織の遺伝子情報を解析し、効率的な侵略方法を模索しているのだった。
「このッ!」
ためらいなく振り下ろされた銃剣がジェイドの左腕を断つ。神経網を経由して脳幹を支配しようとしていた触肢の企みは直前で潰えた。
けれど、それで終りではなかった。
地面に投げ出されたジェイドの左腕、その掌底に知性をうかがわせる眼がぎろりと開いた。腕の側面から剛毛に覆われた四対の節足を広げると、意外な跳躍力をみせて苦痛に転がるジェイドに襲いかかる。
「しぶとい!」
空中で七瀬の銃弾を受けたそれは爆散し、肉片となってもぴくぴく動いた。
似たような惨劇が無差別に魔宴の参加者たちを襲い、恐慌に陥れている。騒ぎ惑う獲物を逃すかと無数の触肢は躍り、次々とその眷属を増やしていく。
「すまん、七瀬。俺は──」
七瀬は優しく頭を振る。
「ジェイド、命令だ。おまえは生きろ。生きて──」
仰向けに倒れたジェイドの頬に、ぽたりとしずくが落ちた。屈みこんで切断面の止血をしていた七瀬は手を止めると、にっこり微笑んだ。
「そんな顔をするな。いいか、負傷したおまえは役立たずの邪魔者だ。速やかに戦闘区域を離脱、司令本部へ状況を報告しろ。繰り返すが、これは上官の命令だ。軍規違反は銃殺刑だからな、よく考えて行動するんだ。わかったな?」
「七瀬、おまえ……あれを使う気か?」
苦痛に耐えながらも、ジェイドは七瀬の黒瞳に決意を見た。
「ったく、そんな命令聞けるか! 俺もつきあう、地獄の底だろうが──ぐはッ!」
だしぬけにジェイドはうめいた。七瀬が容赦なく傷口をひねったのだ。
「本当にバカで、大バカで、心底バカで──生意気な男だ、おまえは。そんな口先だけの言葉で女を口説くな。本物の男は、黙って頷けばいいんだ」
紅い唇から放たれた七瀬の言葉にかっと頭が熱くなった。跳ね起きて反論しようとしたジェイドの口は、だが、柔らかな感触に封じられた。
何もできなかった。何も伝えられなかった。
後悔ばかりが残り、自嘲がほろ苦い。いまさら時を巻き戻す手段など、ない。
残酷な、七瀬のキスだった。
触れあった唇からジェイドの心に熱いものが流れこんでくる。死を覚悟し生を燃焼させる七瀬に送る言葉などない。せつないほどの想いが胸を占めていく。
皮肉にも『喪失の密林』で見出した、たったひとつの真実がそれだ。
涙が止まらない。ぬぐうことも忘れた右腕で抱きしめた七瀬の体がするりと抜けた。
「──行くのか?」
立ち上がった七瀬はすでに、いつもの冷静な七瀬だった。
「もうカウント・ダウン(秒読み)は始まってる。誰にも止められん」
七瀬はピースメイカーの全弾装填を確認すると、黒い碑に向かって歩き始めた。
「七瀬ッ」
呼ぶと、七瀬は一瞬、笑顔で振り向き、また歩き出した。──夜の彼方へと。
涙で歪んだ視界に七瀬が映る。連続してピースメイカーが吼えた。獣の牙はあまりにも無力だ。見ていられない。なのに、見届けるべきだとジェイドの内に注がれた魂は囁く。
目をそらすな。気高き彼女の姿を見よ、その瞳に焼きつけるのだ、と。
虚空を走る黒い触肢が七瀬を捕えた。
何本も巻きついた触肢が七瀬を支え、宙高く捧げる。
脈動する黒き碑への供物として。
きっちり六○秒後、ジェイドの意識は閃光に塗り潰された。
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